近づいてくる。
炎の中をゆっくりと人影が。
燃え上がる炎の中を平然と歩く人間など、この世にいるはずがない。
この大惨事を引き起こした者以外は。
男は震えながら懐から杖を取り出した。
殺らなければ殺られる。
他の仲間たちは全て殺されてしまった。
そばに転がる焼け焦げた仲間の死体が、自分の未来の姿のように見えた。
杖を持つ手はまだ震えていた。
もう片方の手でそれを押さえる。
人影に向かって杖を構えた。
魔法の腕に自信はないが、全力の魔法を「あいつ」にぶつける。
そう覚悟して、男は呪文を唱え始める。
構成は二段階。
「風」のスペルに「射出」のスペルを組み込む。
杖の先に周囲の風が収束されていく。
男が最も得意とする魔法だ。生き残る術はこれしかない。
呪文を唱えながらも、人影から目線は外さない。
杖を構えたまま前方を睨みつける。
外さない距離まで近づいて来たら、一気に魔法をぶつける気だった。
やがて、炎の中から一人の男が姿を現した。
細身で長髪の若い男。とてもこの状況を生んだ張本人には見えない。
しかし、男は迷わずありったけの魔力を込めた術を放った。
魔法によって作り上げられた風の矢が、真っ直ぐに長髪の男へ向かって飛んで行く。
その次の瞬間――ぱしゅんと空気が抜けたような間の抜けた音が聞こえた。
「……うそだ」
たった一振り。虫でも払うかのような軽い動作で魔法が打ち消された。
防御の魔法を唱えている様子もなかった。
杖を持った手で一振りしただけだ。
「オレが十年かけて練り上げた魔法だぞ!!」
目の前の光景が信じられず、男は絶叫した。
「……十年?」
長髪の男が鼻で笑う。
「たかだか十年鍛えた魔法で、このオレ様を傷つけられると?ま、ゼロ一つ増えたところで同じだがな」
打つ手もなくなり、呆然と佇む男に高笑いが浴びせられる。
長髪の男は天に向かって杖を振り上げた。
炎がみるみる内に杖に集まっていき、人の大きさを優に超える巨大な火の玉になっていく。
そして――。
ボクの魔法使い
絶対また会いに来てね。約束だよ。
これは約束の証。
僕のこと、忘れないで――。
「これくらいでいいかな」
了はいつも通りにカゴを背負い、薬草を摘むために森を歩いていた。
イラクサやニガヨモギといったポピュラーな薬草がカゴの中には詰まっている。
身体をすっぽりと深紫色のマントで包み、マントの下には平凡な服装が隠されているが、首からは金色のペンダントを下げ、腰には色とりどりの石が嵌められた杖を差している――ごく一般的な魔法使いの姿。
了はこの森に住む魔法使いだ。ただし、肝心の魔法はあまり上手くない。
本当なら魔法使いは町でいくらでも雇ってもらえる立場なのだが、才能のない魔法使いは副業で生計を立てるしかない。
了もその例に漏れず、魔法薬や魔法雑貨を作って生活をしている。
森の中で暮らしているのは、薬草が集めやすいという理由からだ。
手先が器用な了には、調合作業やアクセサリー作りが向いている。複数の固定客がついているほどだ。
本業はぱっとしないのに、副業で引っ張りだこだなんて考えると泣けてくるが。
なにせ、先祖代々続く魔法使いの家系の生まれなのだ。魔法使いの才能は望んで手に入るものではない。
急に才能を持つ子供が生まれたり、隔世遺伝で現れたりする。
そんな中で了は魔法使い界のサラブレッドとして生まれた。
両親も妹も魔法の腕は確かなのだが、了だけは上手くいかなかった。
父親はそんな了にため息をついて、「お前には足りないものがある」といつも溢していた。
それでも実技以外は及第点だったため、一人前の魔法使いとして家を出された。魔法使いは一人前になったら、家を出る掟なのだ。
それ以来、魔法の練習をしつつも、マイペースに薬草を摘む日々を繰り返していた。
この森は了が商売拠点としている市街地のドミノシティから少し離れた場所に位置し、人はほとんど寄りつかない。
都会の喧騒から離れたゆったりとした時間は了に合っていた。
「あとはユキミゴケだけか」
了は手にしたメモを確認する。
ユキミゴケは湿った岩にしか生えない。
この森周辺の地理は誰よりも把握している。
採取に最適な場所へと迷わず移動する。
辿り着いたのは、巨大な岩石がいくつも積み重なって見上げるほどの高さになっている岩場。
周囲の木々も負けじと空に向かい枝葉を伸ばして太陽の光を遮っている。
岩々の隙間は小動物の休憩所だ。リスやウサギがちょろちょろと顔を出す。
岩の表面を注意深く探していると目的のものがあった。
了は小さなナイフを取り出し、慎重に岩から苔を剥がしていく。
採取できたものを小さな小瓶に詰めれば、全ての材料集めは終了だ。
家に帰って採取した材料を干したり刻んだり、しなければならないことはまだ山ほどある。
瓶をウエストポーチにしまって岩場を後にしようとした時、さくりと足音が聞こえた。
野性動物の軽快な足音ではない。
しっかりと地面を踏みしめる人間の足音だ。
こんな森の奥までやって来る者はまずいない。
月に何度か薬草集めに出るが、人と遭遇したことは今まで一度もなかった。
了はマントの下で杖を握った。
もし、まともな人物でなかったら……。
手が震えている。
数ある魔法の中でも攻撃魔法が最も苦手なのだ。
料理をするために火を点けることはできるが、相手に火を飛ばすとなると、からきしできなくなる。
ばくばくと早鐘のように打つ心臓の鼓動を感じながら、岩に手をついて音のする方へと身体を向けた。
すり足でじわじわと前へ進む。
今すぐに逃げ出した方がいいのではないかという考えが一瞬だけ頭を過る。
しかし、逃げたところで助けは誰も来ない。想像通りの危険な人物が相手であったら、背後から襲われて終わりだ。
ならば、前へ進んだ方がいい。
相手がまともな人物であることを、丸腰であることを、祈りながら。
ゆっくりと岩場に沿って足を進めると、岩の影に隠れていた人物が姿を現した。
フードを深く被っているので顔は一切見えないが、身体を覆う黒い厚手のマントは魔法使いの証だ。
この森に了以外の魔法使いがいるはずもない。
了は震える手で杖を振り上げ、「成功して」と願いながら呪文を口の中で唱え始めた。
フードの人物はまるで居合い切りをするようにマントの下から杖を素早く引き抜き、了に向かって突き出した。
そして、そのままの体勢で叫んだ。
「吹っ飛べ!」
このほんの一瞬の動きで何者かの杖から風が巻き起こり、杖を持った了の腕に直撃した。
風に腕を取られて身体ごと吹っ飛びそうになる。
寸前で堪えるも、呪文は中断してしまった。魔法使いは呪文を封じられると手も足も出なくなるもの。
この応酬で了は理解する。
とても自分が敵う相手ではないと。
一瞬の内に魔法を完成させるなど、とんでもないスペルスピードだ。
杖を持ったまま手を上げて、抵抗する意思がないことを示した。
魔法使いは自分たちの術を磨くのに一生を費やす。
それほど魔法使いの成長は遅く、魔法を練り上げるのには時間がかかる。
その代わり、体内の魔力が洗練されれば、魔法の使えない人間よりも寿命が延びる。平均130から150と言われている。
世間に名が知られている100歳以上の大魔法使いでも、一瞬で攻撃用の魔法を繰り出すなんて不可能だ。
そんなことが出来るのは、おとぎ話に登場する伝説級の魔法使いだけ。
敵うはずがない。
それにしても、魔法を唱える声が若い男のものだったのには腑に落ちなかった。
フードの男は杖を突きつけたままで、了の元へ近寄ってきた。
「お前、何者だ?」
聞きたいのは了の方だったが、状況的には大人しく答えるしかない。
「僕はこの森に住んでいる魔法使い。薬草を取っていただけ」
「ここに住んでいるヤツなんかいたのか」
フードで男の顔は見えないままだが、辛うじて口元だけは見えた。
口の端を吊り上げ、笑みの形を描いている。
「始末してもいいんだが、魔法使いといっても抵抗もできないド下手くそだからなァ。生かしてやってもいいか」
了の喉元に男の杖の先が押しつけられる。
命を弄ばれている屈辱に了は下唇を噛んだ。
魔法が下手なのは事実なので反論もできない。
「イイ顔だな。ちょっと見ないくらいの美人だから殺すのも惜しい」
ぴたぴたと杖の先で顎を下から突かれた。
「君か。武器を密売する組織を潰したというのは」
一週間前、「死の商人の本部が炎に包まれ、跡形もなくなってしまった」と噂が町に流れた。
魔法が使われた痕跡は残っており、いまだ犯人は逃走中。
国も手を焼いていた組織が一晩で潰れるはずはない。
一体どんな手練れの魔法使いなんだと、町中がその噂で持ちきりだった。
森の中で暮らしている了でもドミノシティで暮らしている友人経由で耳にした。
「依頼とはいえ、ちょっと派手にやりすぎちまってよォ。しばらく身を隠してェのよ」
ヒヒヒと無気味な笑い声を男は立てた。
まるで少し酒を飲み過ぎてしまいましたと言っているような調子だった。
「お前んちの寝床に、もう一人分のスペースはあるか?」
了はごくりと唾を飲み込んだ。
このままでは自宅に悪い魔法使いを招き入れることになってしまう。
すぐに殺されないだけマシかもしれないが、言うことを大人しく聞いたとしても命の保証はない。
「案内してくれねぇかなァ?」
気安い言葉とは裏腹に、また顎を強く押された。
了の魔法の腕では、この苦境を打ち破ることが出来ない。
手を上げたままで、やむ無く頷いた。
「それにしても、ド下手くその割にイイ杖持ってんな。ベースはどこにでもあるオークだが、加工技術が高い」
男の興味が杖に移ったらしい。こんなところで誉められても全く嬉しくなかった。
「これは自分で……」
「お前がァ?」
男が素っ頓狂な声を発した。フードの隙間から赤い眼光が垣間見えた。
「魔法薬や魔法のアクセサリーを作るのが仕事で。僕、魔法が下手だから……。それで……」
自分の欠点をなぜ脅されている相手に言わなければならないのだろう。
情けなさに了の声は徐々に小さくなっていった。
「大したもんだな。気に入ったぜ。こいつは利用価値がありそうだ」
男の声には先ほどまでの馬鹿にした様子はなかった。
利用価値を見出されている限りは生かされるだろう。
それならば、じっと我慢して助けを呼ぶ機会を窺った方がいいのかもしれない。
「家に案内する」
「利口だな」
やっと男は杖を了から離した。
それでも、杖の先は了に向いたままだ。この男は魔法の腕が良いだけではなく、用心深いらしい。
「一ついいことを教えてやろう。お前の魔法が下手な理由だ」
了の胸がどきりと音を立てた。
父親も教えてくれなかったことだ。
会って間もない男に分かるのだろうか。
嘘かもしれないと思いつつ、興味を引かれてしまう。
「お前の心の問題だ。魔法は精神が物をいうからな。闘争心も欲もないだろう。人畜無害とか言われたことないか?何かに必死になったことはあるか?他人を押し退けてまで何かを欲したことは?お前からはそういう覇気を感じない」
寝耳に水とはこのことだ。
練習の仕方が悪いとか足りないと言われれば、努力のしようがある。
了は好きなことをして、平和に暮らせれば満足だった。
男の言う通り、何がなんでも相手に勝ちたいとは思ったことがなかった。
自分の心を変えることなど、しようと思ってできることではない。
了は愕然と立ち尽くした。
「じゃ、じゃあ、父さんが理由を教えてくれなかったのは……」
「はっ。教えたって性格は直せるもんでもないだろうがよ。お優しいな、お前のパパは」
馬鹿にしたように鼻で笑った後、男の声が少しだけ小さくなった。
「ま、その性格を直すことはいいことでもないよなあ。以前……」
了が男の言葉を聞き取ろうと耳を澄ませたところで、森の中に奇っ怪な唸り声が響き渡った。
低くしわがれていて、大地を揺るがすほどの大きな声。
動物のものでも、ましてや人間のものではない。
続いて、ドドドドという激しい足音と共に地面が揺れ始めた。
鳥たちが飛び去る音が聞こえる。
「この森にはモンスターなんて……」
了も男も素早く周囲を見回した。
ドスドスと重い足音が幾重にも重なってこちらに向かってくる。
これがモンスターの足音であるなら、大型で、しかも複数だ。
岩場の後ろから、ぬうっと鋭い爪の生えた手が現れた。
そして、人間より一回り大きな影が二つ、二人を見下ろした。
頭部には大きな二つの角。手足には鋭い爪。口は耳まで裂け、歯を剥き出しにしている。理性の欠片も感じられない眼光は鋭く、筋肉の盛り上がった腕でこん棒を振りかざしていた。
人型をしているが、性質はその名の通り野蛮。
筋骨隆々の身体でこん棒を振り回されれば、人間など一溜まりもない。
「ば……バーバリアンだ!なんでこんなところに上級モンスターが?!」
「オレを追ってきたな。余計な恨み買っちまったなァ」
慌てる了に対し、男は呑気に頭を掻いていた。
強力なモンスターを前に、なぜ逃げる素振りすら見せないのか了には理解不能だった。
勝つ算段があるのだろうか。
しかも二匹だ。一匹を相手にしている間に、二匹目が向かってきてしまう。
いくらスペルスピードが早いとはいえ、呪文を唱えている間は無防備になる。全ての魔法使いに共通する弱点だ。
「仕方ねえな。あいつらは仲間を呼ぶ習性がある。ちんたらしてると、面倒臭ェことになる。一気に片をつけるぜ」
男はモンスターの前に立ち、両腕を広げた。
「お前は下がってな」
モンスターたちの視線が男に集まる。すぐにでも飛びかかってきそうだった。
ポタポタと涎を垂らし、ぐるぐると喉を鳴らしている。
男は杖を天にかざし、呪文を唱え始めた。
杖の先に小さな炎が灯った。
それが激しく燃えながら大きさを増していく。
直径三メートルほどの大きさなったところで、今度は杖からバチバチと小さな雷が生まれた。
雷は杖を伝い、炎の玉に巻き付いていく。
その光景を了は呆気に取られて見ていた。
――第三……第四構成の魔法……。初めて見た……。
短時間で複雑なスペルを組み上げていく様はもはや芸術だった。
長く生きていても見られるかどうか分からない高等魔法が目の前で完成しようとしている。
魔法の余波で男を中心に暴風が巻き起こっていた。
男のマントがはためき、モンスターたちも風に煽られていた。
了も飛ばされまいと地面に手をつく。
風が男のフードを剥ぎ取った。
ばさりと中から白い長髪が零れて風に靡く。
その姿に了は息を呑んだ。
獰猛な肉食獣のような瞳をしているが、端正な顔立ちをしている。
そして、耳元にきらりと金色に光るものがあった。
勝ち誇った笑みを浮かべて男は口を開いた。
「消し炭になりやがれ!」
杖を後ろに軽く引き、モンスターに向かって振る。
雷をまとった火の玉が真っ直ぐにモンスターたちの元へ飛んだ。
岩場に接触した途端、ごうという音と共に火の玉が破裂した。
火と雷の渦が岩場ごとモンスターを飲み込む。
了は目を瞑り、さらに身を低くした。
身体の表面を熱風が撫でる。
静寂が訪れたのは、それからすぐのことだった。
了が恐る恐る目を開けると、何もかもなくなっていた。
岩場もモンスターも。
岩場のあった場所は地面が抉れ、土が黒く剥き出しになっていた。
「まあ、こんなもんだな」
男は杖を下ろし、了の方を振り返った。
杖を持っている手が肘まで黒く焼け焦げている。
男が眉一つ動かさないのが不思議なほどだった。
了は思わず口を両手で押さえた。
「森だからって加減した反動だな。こんなの治癒魔法かけとけば数日で治る」
本人はまるで擦り傷でも見るかのようだ。火傷をしている腕を庇うことなく腰のホルダーへ戻した。
「ダメだよ!」
了は立ち上がって男に駆け寄った。
ウエストポーチから小さな壺を取り出す。
蓋を開けると、中には薄緑色のクリームが詰まっていた。手製の軟膏だ。
軟膏を手に取り、男の意思も聞かずに黒焦げの腕に塗りつける。
「おい、別に大したことねえっていうのに」
了は男の言うことに耳も貸さず、手で軟膏を広げていく。
「痛くなくなりますように。早く治りますように。元通りになりますように」
もう片方の手で杖を持ち、小さく呟きながら。
じゅうという音と共に、了が撫でた場所から肌が再生し始めた。
黒から元の肌の色へ戻っていく。
男は目を見張った。
軟膏の質も良いのだろうが、了が行っているのは高度な治癒魔法だ。
攻撃魔法もまともに唱えられなかった者とは思えない。
額から汗を流しながら、了は腕を撫で続けた。
軟膏の壺が空になる頃には、男の腕は火傷一つない元の状態に戻っていた。
「見事なもんだなァ」
男は手を開いたり閉じたり繰り返し、感嘆の声を上げた。
「自分のことより、他人のためにやる気が出るタイプだな、お前。変わりモンだよ」
治療を終えた了は額の汗を腕で拭った。
ポーチに空の瓶をしまい、杖を腰に差し直す。
「そういう君こそ、無茶するのは昔から変わってないんだね……バクラ」
「あ?」
名前を呼ばれた男――バクラは怪訝そうな顔をした。
世界各地を転々と旅をしてきたバクラに気安く話しかける者など数えるくらいしかいない。
「覚えてないの?」
了はマントの前を開け、胸から下がるペンダントを見せた。
神の眼と五本の針を有する金色に輝くリング。
「……宿主!宿主か、お前!!」
バクラの顔が驚愕に満ち、次に瞳が輝いた。
「忘れないでって約束したのに。僕は顔を見て、すぐ分かったよ」
「だってお前、こんなちっこかったんだぞ」
バクラは治ったばかりの手を下げ、かつての背丈を表現した。
「忘れるもんかよ、ホレ」
サイドの髪を掻き上げ、左耳を見せる。
先ほど呪文を唱えているときに見えたもの。
了が持っているリングの形をそのまま小さくしたピアス。
「付けられるようにしたんだぜ」
了は笑って頷いた。
まだ了が実家で暮らしていた頃、一人の魔法使いの男が村に流れ着いた。
実家があるのは宿もない小さな村だったのだ。了の家に男は滞在することになった。
魔法使いでもあり、魔法の探求家でもある父親は喜んで旅の魔法使いを家へ招き入れた。
それがバクラだ。
バクラの近寄りがたい雰囲気に、村の住民は話しかけることさえできなかった。
例外的に父親は前のめりに旅の話を聞き出そうとしていたが、バクラはまともに取り合うことをしなかった。
そんな中、物怖じせずに近づいていったのが小さかった頃の了だ。
最初はバクラも邪険にしていたが、諦めずに何度も話しかける了に次第にほだされていった。
恐れることもせず、興味本位でもなく、自然体であったことがバクラの警戒心を解いていった。
「なんでこの村に来たの?」
「悪いことをしたからさ」
「いつまでいるの?」
「ほとぼりが冷めるまで」
人気のない丘に座って二人はよく話をした。
その頃から了は魔法が上手く使えないことに悩んでいた。
村を訪れた魔法使いに上達法方を聞きたいと思ったのだ。
「あー。そりゃ、こだわりがねえからだな。こんな悪い魔法使いにホイホイ話しかけるようじゃ、上手くなるもんもならねえ」
バクラの言葉は当時の了にとっては難しく、意味を充分に理解できていなかった。
だから、怒られたのだと思い、しゅんと項垂れた。
「悪いとは言ってないだろ。ん……。そこがお前の良いところなんだから、直してつまんねえ人間になんかになるな」
子供相手の適当な言葉が見つからない。
せめて声色だけは柔らかくなるように心掛けた。
「いいところ?」
「そうだ。お前には普通の人間にはない特別な雰囲気がある。染まらずにいろよ」
どうやら、怒られたわけではないらしい。
バクラの態度からそう判断すると、了は相好を崩した。
「これをやるよ」
バクラは自分の首から下げていたものを外し、
「魔力のこもったアイテムだ。上手くなるまじないだと思え」
了の首にかけてやる。
これこそ金色に光輝くペンダント――千年リングだった。
「いいの?」
千年リングに手をかけ、了がぱちぱちと瞬きをした。
「似たのを持ってるから気にすんな。付けられるヤツはなかなかいないんだぞ。胸を張りな」
「うん!」
それから三日後だった。バクラが村を立つことになったのは。
何も言わずに家から消えていたので、了は慌てて村の出口まで走っていった。
バクラの背中が見えた時、大きな声で名前を呼んだ。走る勢いのままバクラに飛びつく。
突然の行動にバクラは驚きの声を上げ、了の小さな身体を受け止めた。
そして、優しく地に下ろす。
「一人でうろついたら危ねえだろ」
「これ……」
バクラに差し出されたのは、千年リングのミニチュアだった。
「お礼したかったから」
バクラはミニチュアを指で摘まみ、顔に近づけてまじまじと見つめた。
千年リングの象徴ともいえる五本の針までしっかり付いている。
「器用だなあ、お前。ありがたく頂戴するぜ」
バクラが皮肉の一つもなしに他人を褒めることは珍しかった。
それだけ了が特別な人間だということだ。
「また会える?」
「会える。千年リングがオレを導く」
バクラは村に背を向けてゆっくりと歩き出した。
「絶対また会いに来てね。約束だよ」
了が背中に声をかけると、バクラは一度だけ振り返り、小さな千年リングを顔の横でかざした。
「約束する。これは約束の証」
「僕のこと忘れないで」
バクラの後ろ姿が消えるまで、いつまでもいつまでも了はそこに立ち続けた。
「今も持っててくれてるなんて思わなかったよ」
ピアスとなった千年リングのミニチュアは、バクラの耳にゆらゆらと揺れている。
「約束したからな」
バクラも了が千年リングをいまだ身につけられていることに少し驚いていた。
当時はそこまで説明をしなかったが、普通の人間が千年リングを身につければ、魔力に飲み込まれて廃人と化す。
千年リング以上の魔力を持つ者か精神が強い者でなければ身につけられない。
了はどちらかといえば後者に当て嵌まるのだが、意味が少し違っていた。強いというよりは、何者にも染まらない心を持っていた。
子供の内はそうであっても、成長するに連れ、それが失われる可能性はあった。
了が嘆いた魔法の扱いが下手な理由が、そのまま千年リングを身につけられる条件となっていた。
そうならなかったことがバクラにとっては何よりの喜びだ。
世界中を旅してきたが、自分以外に千年リングをつけられた者などいなかったのだから。
世界で唯一バクラと対等である存在ともいえる。
「でも、魔法は下手なままなんだ」
了はがっくりと肩を落とした。
それに慌てたのはバクラだ。少し前の自分の不用意な発言を後悔する。
相手が了だと気づいていれば、絶対に言わなかった。言うにしても、もっと言葉を選んでいたはずだ。
「いや、それはお前の長所というか……魅力というか……。心が弱いってワケでもねえし、むしろ……。実力が発揮できないだけで下手ではないだろ」
慰めの言葉が上手く思いつかずに口ごもる。
その様子に了はケラケラと笑い出した。
「随分優しいんだね。悪い魔法使いさんは」
屈託のない笑顔が眩しい。内面は幼い頃と一つも変わっていない。
バクラは改めて了に千年リングを渡したことは正解だったと思った。
「えっと……僕の家に案内するんだっけ」
笑いが収まり、了が話を戻した。少し前まで杖を突きつけられていた気はするが、緊張感は既に山の向こうへ飛んで行ってしまった。
それに、モンスターが現れた場所に居続けるのは得策とはいえない。
「いいのか」
元々そのつもりだったとはいえ、無理やり居座るのと誘われるのとでは意味が違ってくる。
目の前にいるのは、すっかり成長した了だ。髪も手足も伸び、何も知らなかった頃のままではない。
表情や仕草の一つ一つがバクラの目を奪う。
「僕は構わないけど、いつまで?ほとぼりが冷めるまで?」
「今度は長めで頼む」
二人は見つめ合い、自然と笑い声が上がった。
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リクエストを頂いた魔法使いのバク獏です。ハイファンタジーでとのことだったので、好き勝手してしまいました。
ボーイミーツボーイでいこうと思っていましたが、幼なじみ(ちょっと違う)感も出してみました。
見所(笑)は気づいた後のバクラのデレっぷりです。
書こうと思っていた限定販売のピアスネタもそっと入っています。
リクエストありがとうございました!