「――ニガヨモギ、ノジシャ、赤ケシの実、少々……」
了は乾燥させて細かく刻んだ薬草を乳鉢に慎重に入れていった。
それぞれが爪の先ほどの量で、鼻息を吹きかけるだけで飛んでいってしまいそうだ。
乳鉢の中で全てをごりごりと混ぜ合わせていく。
均一な粉状になれば完成だ。
「整腸剤、完成」
出来上がった粉薬を小さな紙に分けて包む。
ここは町から離れた森の奥の小さな小屋の中。了の住まいだ。
小さなキッチンにベッド、暖炉、本棚に薬草棚。シンプルな住まいだが、一人で暮らすのには充分。
生活に必要な家具と仕事道具さえあればいい。
了は魔法使いだ。ただし、魔法はあまり上手くない。
器用な手先を生かし、魔法薬やお守りを作って生活費に充てている。
一人でマイペースに薬草を摘んでは、作った品物を町に売りに行く日々を繰り返していた。
同じ魔法薬でも粉末と液体、軟膏によって入れ物を変えている。
それぞれの入れ物には、用途や説明が簡単に書いてあるラベルを貼りつけたり、混ざらないように色分けしたり、了なりの工夫をしていた。そういった細やかな気配りが好評を博す一因でもある。
「相変わらず器用だな、お前は」
長い足を組んでベッドに腰かけているのは、居候のバクラだ。
了が幼い頃に知り合った魔法使いで、偶然に森の中で再会をし、了の家へ転がり込んできた。
年若い見た目をしているが、実際はかなりの年齢の魔法使いだ。
何歳かと了が尋ねても、数えるのを忘れたという答えが返ってくる。
同居生活が始まって二週間ほど経ち、すっかり了の家に落ち着いていた。
了が作業している間、バクラは分厚い魔導書をパラパラと読み耽っていた。
この家に来てからは、ほとんど了のベッドを占領して気侭に過ごしている。
魔導書をこうして読んでいることもあれば、作業している了をただ眺めていることもある。
夜はさすがにベッドを了に返し、床に毛布を敷いて布団代わりにしている。
床では熟睡できないだろうと、一緒にベッドで寝ようと了から誘ってはいるが、バクラは頑なに拒み続けている。
部屋が狭く感じるようになったが、気紛れに食用の野性動物や手に入れにくい魔法薬の材料を採ってきたりもするので、了としてはうるさく言えなかった。
「ありがと。ノルマ達成したから納品に行くけど、君はどうする?」
皮袋に完成した魔法薬とお守りを詰め込んでいく。瓶類は割れないように布で包む。これももうすっかり慣れてしまった作業だ。
「オレは留守番しててやるよ」
バクラは本を横に置き、ベッドからひょいと跳ねるように立ち上がった。
あまりいい魔法使いとはいえないバクラが、大きな町へ顔を出すのは少し問題がある。
答えが分かっていながらも、念のために確認したのだが、結果は予想通り。
了は紫色のマントを羽織り、背中に袋を背負った。肩にずっしりと重みが乗る。
これで森を抜けるのは骨が折れるが、生活のためなので仕方がない。
「宿主」
バクラが大股で歩み寄り、了の手を取る。
「お前は危なっかしいからな。これ付けとけ」
懐から取り出した飾りのないシンプルな形の金色の指輪を指に差し込んだ。
指輪は了の指より一回り大きいサイズだったが、第二関節を越えたところに収まると、キュッと縮まってしっかりと嵌まる。
「これは?」
「お守りみたいなもんだ。気休め程度のな」
「……なんでこの指なの?」
指輪がぴかぴかと光っているのは左手の薬指。
「知らねェのか。お前も魔法使いだろ」
「いや、分かるけど……。でも、なんか……」
了はもじもじと指を絡ませる。魔法使いのアクセサリーは、付ける場所によって意味合いが違ってくる。
中でも薬指は命を守る大切な場所だ。しかし、同時に別の意味も持っているわけで……。
ちらりとバクラの顔を見ると、真剣な表情をしていた。とても指摘しづらい。気にしすぎなのだろうかとも思えてくる。
「もちろん、虫除けの意味もある」
表情を変えずにバクラは付け加えた。
「やっぱり!!」
引き抜こうとしても指輪は外れそうにもない。
「おいおい、勿体無いことすんなよ。オレ様がちゃんと魔法をかけてやるから」
そう言うと、バクラは了の手を引き、指輪にキスを落とした。
「気をつけて行ってこいよ」
悪戯っぽくありつつも、声にはほんのりと艶が含まれている。
顔を真っ赤にした了は、商品で詰まった荷物を背負い、足早に家を後にした。
――昔と違う……!
小屋に残されたバクラは目元に手を当て、窓ガラスがびりびりと震えるほど大笑いをしていた。
「ウブだねェ!我が宿主様は」
共に暮らし始めてから実感したのは、了は数年前と全く変わっていないことだ。
大きな瞳を輝かせてバクラの後ろを付いて回っていたあの頃と。
初めて会ったのは、大きな仕事で厄介な組織の縄張りに踏み込んで追われていた時だ。
闇色のマントが特徴のその組織は、しつこいことで有名だった。倒しても撒いても、どこからともなく組員がまた現れる。
さすがのバクラも体力と魔力に限界を感じ、田舎の村へと身を隠した。
物好きな魔法学者が自宅を宿として提供すると言い出たのは幸運だった。
旅の魔法使いの話を聞きたかったらしい。そこそこに話を合わせればいいかと受け入れたところで驚いた。
その家のまだ小さな息子が類い稀な資質を持っていることに。
ローブの下に身につけていた千年リングの針も息子を指し示していた。
長年生きていて自分以外の人間に千年リングが反応したのは初めてのことだった。
父親の後ろに隠れていた息子は、
「初めまして」
と恥ずかしそうに顔を出して言った。
これが了との出会い。
長居するつもりはないからと、やけに懐いてくる了を遠ざけようとした日もあるが、結局はバクラの方が根負けした。
魔法を上手く使えるようになりたいと言うが、好きなのは模型を作ることやゲームで遊ぶこと。
偉くなることや強くなることには興味がなく、家族や友人という限られた人々といつまでも仲良くするのが夢。
一つ頭のネジが外れているかと思えるほどマイペースだが、悪感情は抱かなかった。
少しの間、寝食を共にして、賭けてみたくなった。了が『本物』であるかどうか。
膨大な魔力が込められた千年アイテム。世界に七つあると言われている。バクラの持つ千年リングもその内の一つ。
普通の人間が気安く身につければ、アイテムの魔力に耐えきれず死に至る。
弱い心で身につければ、心を蝕まれる。選ばれた者のみが身につけることを許されるのだ。
再会した了の胸には別れたときと同じように千年リングがぶら下がっていた。
昔と変わらないままだったのだ。この世で最も近い存在。
長すぎる時を生きてきたバクラに起こった小さな奇跡。
すぐに抱きしめてキスをして、自分のものにしてやりたいという衝動に駆られるもぐっと堪えた。
焦って逃してしまったら元も子もない。じっくりと時間をかけて手に入れなくては。
幸いこの小屋の中に邪魔者はいない。
決まった相手もまだいない。
バクラは了が作業していた机を愛しげに撫でた。
了が町に辿り着いたのは昼過ぎだった。
警備隊が見張りに立っているレンガのアーチを潜り抜ければ、雑草が生える地面から石畳に切り替わる。
周辺で一番栄えている町、ドミノシティ。
ふうふうと息を吐きながら町へ入ろうとしたところで、見知った顔が前方からやって来た。
紺色のマントを着込んだ背の低い少年。
「来てたの?」
相手も了に気づき、人懐っこい笑みを浮かべて小走りで近寄ってきた。
「うん、納品にね。遊戯くんはこれから何処に行くの?」
遊戯は了がこちらに引っ越してきて初めてできた友人だ。
普段は森の奥に引きこもっているので会えないが、町へ繰り出す度に遊んでいる。
「アテ……急に王様に呼ばれてね。これから王都に行くところなんだ」
遊戯はこの町一番の魔法使いで王からの信頼も厚い。国に正式に雇われている魔法使いの一人だ。了はそんな友人を尊敬している。
「残念。今日は遊べないんだね」
「また今度遊ぼうよ」
二人はその場で別れを告げると、それぞれの行き先に向かった。
人が絶えず行き交う賑やかな商店街を歩き、商品を納品していく。
店員と品物の確認を行い、代金を受け取る。注文もその場で受ける。
新商品の相談をされることもあるので、メモを取りつつ柔軟に対応をしていく。
了の人当たりのいい態度と確かな品質が固定客を増やしている。
店を回る度に荷物が減り、反比例して懐が暖かくなっていく。
残すところあと一軒。納品が終われば、町でしか手に入らない材料と生活必需品、食材などを購入して終わりだ。夕方前には帰宅できるだろう。
――高い肉を買って帰ったら喜ぶかな。
うきうきと石畳の上をカツンカツンとスキップするように歩く。
一人暮らしには慣れたものの、やはり誰かが待っている家の方が帰りたくなる。
あまりにも浮かれていたので、腕を取られて路地に引きずり込まれるまでは全くの無警戒だった。
あっと思った時には乱暴に壁へ押しつけられ、ガラの悪そうな顔が了の目の前に四つも並んでいた。
しまったと歯噛みしても、もう遅い。
ドミノシティは賑やかな反面、こうした連中も集まりやすい。もっと気をつけるべきだったのだ。
「随分羽振りが良さそうだね、兄チャン」
「オレたち、ちょーっと金欠なの」
チンピラ連中はにたにたと決まり文句を口々に並べる。
反撃しようにも身体を押さえつけられてしまっては、杖も取り出せない。
取り出せたところで、魔法を成功させる自信もなかったが。
「貸してくれるだけでいいからさー」
「けっこー可愛いね、キミ。遊んであげてもいいかな」
中の一人が馴れ馴れしく了の顎に手をかけた。ヤニだらけの歯が近づき、生温い息がかかる。
「離して下さ……」
「誰の許可を得てそいつに触ってるんだ?」
男たちの背後にゆらりと人影が現れた。
先ほどまでは気配すらなかったはず。了はもちろん、男たちも仰天し、
「なんだテメエ?!いつの間に!」
間の抜けた声を上げた。
そこにいたのは、家で留守番をしていたはずのバクラだった。再会した時と同じように黒のマントを羽織り、腰に杖を差している。
数の上では男たちの方が有利だ。自分たちに勝ち目があると見て取ると、男たちは壁に了を押しやり、バクラを取り囲もうとした。
いくら相手が魔法使いでも、呪文を唱える前に伸してしまえば勝ちだ――と男たちは思った。
実際に普通の魔法使いであったら、それで勝負はついていただろう。
残念ながら、男たちの前に立っている魔法使いは普通ではなかった。
バクラはまるでポケットからハンカチでも取り出すような自然な動きで杖を取り出した。
そして、ぴたりと男たちに向かって杖を突きつけ、
「切り刻め」
短い言葉だが、はっきりとした口調で言った。
男たちの耳に言葉が届いたときには、無数の風の刃が襲いかかっていた。
一つ一つの威力は掠り傷程度だが、バクラの言葉通り全身を切り刻んでいく。
「宿主ッ」
その光景に棒立ちになっていた了は、バクラの声に我に返り、その場から走り出した。
路地を抜け出し、表通りへと向かう。いくら血の気が多い連中でも人の目が多い場所までは追って来ないはずだ。
「バクラ、どうやって来たの?」
了は先へ行くバクラに辛うじてついて行きながら尋ねた。
「指輪。ったく早々に変なのに目をつけられやがって。町中じゃなかったら、ぶっ殺してやったのによォ」
「物騒なこと言わないでよ……」
呆れながらも、バクラに付けられた指輪をまじまじと眺めた。
何の変鉄もない指輪に見える。一つ思い当たるとしたら、バクラはこれにキスをしたのだ。
「……もしかして、空間転移の魔法?」
「ご名答」
「高等魔法じゃないかっ」
空間をねじ曲げて二つの場所を繋げてしまう物理法則に反した魔法。
了も話には聞いたことはあったが、実際に目にしたのは初めてだ。
それをいとも簡単にやって見せた。先ほどのカマイタチの魔法もそうだ。呪文を唱えているようには見えなかった。
何度かどういう原理なのか了は尋ねてみたが、スペルを複雑に組み込んでいるらしく、基本のスペルから百階ほど一足飛びをしているような答えが返ってきた。
触りの部分だけで理解しようとするだけ無駄だと悟った。
一般人が足し算引き算で頭を悩ませている横で、涼しい顔をして微分積分問題を解いているようなものだ。
「なんかズルいな君って……」
自分がちっぽけな存在のような気がして気後れしてしまう。了は道の真ん中で足を止めて俯いた。
道行く人の波は止まらない。真横をどんどんと擦り抜けていく。
バクラも立ち止まり、了の方へ振り返った。
「反則だよ。僕なんか何もできなかったのに」
男としても魔法使いとしても情けない。ローブの袖口をぎゅうと握った。そばにいるはずのバクラが遠く感じる。
「……『僕なんか』なんて言うな」
バクラは了に向かって足を進める。一歩、二歩、三歩と。そして、目の前に立った。
「お前にはその器用な手があるだろう。オレにはお前みたいに複雑な調合や細工はできねえよ」
外であることに構わずに了の頬に手をかけ、顔を持ち上げる。
通行人たちはちらちらと視線を投げかけるが、立ち止まりはしない。
「触られてたなココ。他には?」
「ううん」
バクラの目は獲物を狙う鷹のように鋭さが増していて、「本当は肩や腕も触られていた」と申告すれば、すぐに戻って男たちに止めを刺しそうな雰囲気を醸し出していた。
了の答えに納得はしていないようだが、問い詰めることはせずに、
「あとで消毒、しないとな」
顎を撫でて心底恨めしそうに唸った。
「ケガはしてないよ?」
「あのなァ……」
バクラが憮然とした顔で口を開きかけたとき、
「了ーッ!」
通りの先から快活な声が聞こえてきた。さらさらと流れる明るい髪の少年が駆け寄ってくる。
「城之内くん!」
声の主の顔を見つけると、了の顔が光射すように輝いた。
城之内も了の友人の一人。この町の警備隊に所属している。
衣服の上に皮革鎧を身につけているところを見ると勤務中らしい。
「ちょうど良かったぜ。後でお前んち行こうと思ってたんだよ」
城之内はにっかりと晴れやかな笑みを浮かべた。
「なにかあったの?」
二人が話し始めた横でバクラは目深にフードを被った。
フードの下から警戒するようにちらりと鋭い視線を城之内に投げかける。
「あったつーか、いま上がある組織と揉めててよ。何かと物騒だから気をつけろって言おうと思ってたんだ。お前んち森の奥だしよ」
「わざわざ、ありがとう。もしかして、遊戯くんが呼び出されてたのって……」
「そうだぜ。あいつも大変だよなあ。何せモンスターを操る集団だっていうからタチが悪いぜ」
城之内は腕を組んで渋い顔を作った。
「グールズか?」
それまで黙っていたバクラが唐突に口を挟んだ。顔の大部分を隠す怪しい男に城之内は首を傾げる。
「おう、それだ。……って誰だ?」
「あ、ごめん。えーっと……昔馴染みの魔法使いでバクラっていうんだ。いま一緒に暮らしてるんだよ」
とても正直に悪い魔法使いだとは言えない。二人の間に割って入り、忙しなく手を動かしてその場を取り繕う。
素直な性格の城之内はそれで納得したらしい。
「そっか。二人なら安心だな。了のこと宜しく頼むぜ」
すぐにバクラへ好意的な笑顔を向ける。
それからすぐに見回りがあるからと、城之内は人混みの中へ去っていった。
「グールズってなに?」
城之内の背中を見送りながら、了は隣のバクラにそっと尋ねる。先ほどのバクラの問いかけには意味ありげな響きがあった。
「あいつが言ってた通りだ。ちょっとしつこい連中だから目をつけられたなら面倒だな。しかも、いまの総帥はクセ者ときてらァ」
バクラの言葉に徐々に了の顔が曇っていく。
それを目の当たりにしたバクラは、
「まあ、手出ししなけりゃ、森の中ならむしろ安全と言ってもいいくらいだぜ」
明るい調子で付け加えた。
最後の納品先は、中年男性が一人で切り盛りをしている魔法薬店だった。
通りに面して建っており、対面式の販売方法を取っている。
カウンターの前には魔法薬が雑多に並べられ、店主の背後にも商品棚があった。
両手を広げた程度の幅しかない店だが、一人で商売をするにはちょうどいい。
「――解熱剤20、睡眠薬15……うん、ぴったりだ。いつもありがとうよ」
「次回の納品数はこれでいいんですか?」
了はカウンターの中で店主と納品の確認をしていた。
渡された手書きの注文書を上から下まで念入りに目を通す。
前回より数量が多いものは注文書の通りでいいのかなど、細かい点まで確認する。
その間、バクラは店の外で壁に背中を預けて待っていた。
「あと、最近問い合わせが多くてね。できたら頼みたいものがあるんだけど……」
一通りやり取りが終わると、店主は声を絞って了にぼそぼそと耳打ちをした。
「はあ……男性用の……?ああ、催婬剤ですね」
「ぶッ」
「効力はどのくらいの?……強さよりも持続力のある方で……はい……」
「お、おい、やど……」
平然とメモを取る了に対し、店の外から戸惑いの声が上がる。
バクラの困惑を他所に店主との打ち合わせは続く。
簡易的な見積書を提出して了が店の外に出たときには、バクラの目から力が消え失せ、憔悴しきっていた。
「お待たせ。ごめんね。時間かかちゃって。どうしたの?」
初めて見るバクラの様子に、了はぱちぱちと瞳を開閉させた。
「お前の商売手広いな……」
「うん?ああ、最後の?たまに頼まれるんだ。ああいった薬は調合が難しいから、結構高く買ってもらえるんだよ」
バクラの言葉を素直に誉め言葉と受け取り、後ろ頭に手を置いて弾んだ声を出す。
無論、店主とのやり取りも深く考えていない。仕事として真面目に対応しただけだ。
「自分で試してみたことあるのか?」
「まさか!でも、ちゃんと気をつけて調合してるよ」
それを聞いたバクラはほっと胸を撫で下ろした。上級モンスターと対峙した時も、グールズと接触した時も、まるで動揺しなかった。
しかし、いま数年ぶりに心臓がバクバクと暴れ出しそうになる感覚を思い出していた。
――やっぱり、飽きねえヤツ。
納品が全て終わり、商店街で入り用のものを得た収入で買い込んだ。
バクラは冷めた表情で了の後をついて回る。その一方で、きっちりと荷物運びはしていた。
意外と優しいんだよねと、了は胸の奥がくすぐったくなる思いで、ちらちらとバクラの顔を盗み見ていた。
「大きな町には来たくないって言ってたのに、手伝ってくれて大丈夫なの?」
「『町に入る』のは、警備隊に警戒されるだろうが、入っちまえば目立たない限り問題ないだろ。もちろん、『出る』のも事件がなけりゃ、あいつらには関係ねえしな」
了は頷き返しながら手の中で薬指を触る。
共に歩いていて周囲の人々にどう思われているのだろうか。悶々とそんなことばかりを考えていた。
――こんなものまでつけさせて。僕のことを守りに来てくれて。僕のこと、どう思ってるんだろう。
その時、悲鳴とも歓声ともつかない声が遠くで上がった。
声は波紋のように周囲に広がり、やがて町中の人間が一点を見つめて口々に叫んだ。
「モンスターだ!」
そのモンスターは蛇のように長い胴体をくねらせ、背から生えた翼を大きく広げ、空を悠々と旋回していた。
身体全体は夜のように暗い一色に染め上げられ、瞳だけが赤々と燃えている。
上級モンスター、エビルナイト・ドラゴン。
「まさか、こんなところに来るはずないのに」
了は動くことも忘れ、空を見上げていた。
希少な上級モンスターが自分の意思で町へ下りてくるとは考えづらい。何者かが操っていない限りは。
モンスターの名前すら知らない町の人々も、人間を一呑みしてしまいそうな図体と禍々しい気配に、一目で危険を察知する。蜘蛛の子を散らすように逃げ出し始めた。
ドラゴンはすぐに人間を襲いはしなかった。屋根の上すれすれに低空飛行をしてから、上空へと舞い上がる。まるで獲物を弄ぶよう。
それでも、風圧で屋根瓦や窓を吹き飛ばし、充分な威嚇行為になる。
ドラゴンが地へ迫る度に悲鳴が上がった。
パニックになった住人たちに警備隊が駆け寄る。
「どうすれば……。遊戯くんはいないのに……」
ドミノシティで一番の魔法使いである遊戯なら、倒すのはできないまでも退ける術があったかもしれない。
遊戯以外にドラゴンに挑める魔法使いなどこの町にいない。
今は遊んでいる段階だが、ドラゴンが本気になれば町を壊すことなど造作もないだろう。
「やられたな」
バクラは了の横に立ち、腕組みをして同じように空を眺めていた。
その間も、住民たちは二人を避けて逃げていく。町中が混乱状態になっていた。
「王宮ではなく町を襲う、か。あいつらのやりそうな手口だぜ」
「もしかして、グールズが遊戯くんのいない時を狙って……?ねえ、どうしよう。このままじゃ町がメチャクチャにされるよ」
ドラゴンから目を離さずに、了はバクラの袖を引く。この状況を打開する方法なんて一つも思い浮かばない。
「どうするって……」
一拍置いてからバクラは事もなげな表情で言った。
「倒せばいいだろ」
その言葉に了の時が止まった。
「倒せばって……」
続きが上手く出て来ない。口をあんぐりと開け、バクラの顔を凝視した。
大口を叩いたつもりはないのだろう。バクラは当然と言いたげだ。
「だってドラゴンだよ?!ドラゴンの鱗は魔法を弾き返すの知ってるよね?」
「だから、それ以上の力を込めて貫きゃあいいだろう」
規格外。了の頭に浮かんだのはそんな言葉だった。
「……できるの?」
「できる」
了の問いかけに、きっぱりとした答えが返ってきた。
二人は町の中心にある広場にやって来た。
町の入口から中央を真っ直ぐに通るメインストリートと商業地帯を通るハイストリートが直交する場所。
広々とした円形になっており、中心にある時計台以外に目立つ建物や設置物はない。
広さだけが取り柄の場所だが、普段は大道芸人がやって来たり、露店が開かれたり、昼間は人が絶えない。
今日もそうであったはずだ。
当然いまは人っ子一人おらず、閑散としていた。
大がかりな魔法を使うには開けたスペースが必要ということで選んだのがこの場所だった。
ドラゴンから丸見えになってしまうが、それはお互い様。
相手は空を自由に泳ぐ。視界が遮られないから狙いが定めやすい。
「ったく、ドラゴンごときも倒せねえとは、三千年経っても人間どもは成長してねェな。下がってろ」
いつか聞いたセリフ。
バクラはマントの下から両腕を広げた。
右手にはクヌギの杖。枝をそのまま折ってきたかのようで飾り気はない。
その杖をゆっくりと前方へ、前方から空に向かって持ち上げる。
真っ直ぐに手が伸びたところで、ぴたりと杖先が止まった。
「言い忘れてたが、加減しない分、町の防御はできねえからな。半壊くらいは覚悟しておけ」
「えっ!」
「お前だけは守ってやるからな」
了が抗議をする前に、バクラは術を唱え始めた。
構成は四段階。
まずは「水」。四方から現れた水が帯のようになって杖先へ集まっていく。
球体となった水が今度はパキンパキンと乾いた音を立てて氷の塊へ。
固まりながら円柱状に形を変え、先端は細く鋭くなっていく。それは獲物を狙う一本の槍先に似ている。
目の前で起こる光景を了は見ていることしか出来ない。
倒してくれと頼んだのは了自身だ。バクラはきっと氷の刃でドラゴンを打ち倒す。
魔法の反動で町に被害が及ぶことは避けられないだろう。
息の根が止まる前にドラゴンが暴れ出しはしないだろうか。
怪我人が出るかもしれない。運が悪ければ命を落とす可能性も。その中に知人がいたら……。
様々な不安が了の胸をよぎる。
ここは了の好きな町なのだ。引っ越してきて数年しか経っていないが、かけがえのない友人ができた。
第二の故郷となりつつある。大切な町を失いたくない。
バクラはさら氷に魔力を込める。
「もっと鋭く。もっと、もっとだ!」
こぶしを力強く握り、杖の先へ意識を集中させる。
ドラゴンは狙われていることなど露知らず、いまだに町の上空を優雅に飛行していた。
攻撃を受ければ、迷わずバクラの元へ飛び込んでくるだろう。だから、一撃で仕留めなければならない。
魔力の渦でバクラのマントが翻り、髪が靡く。
耳に付けられた千年リングのピアスがチャリチャリと揺れる。
動き回るドラゴンに向かって杖で標準を定めた。
「貫け」
バクラの言葉を合図に、氷の刃が真っ直ぐにドラゴンの喉元に飛んでいく。
そして、剣も魔法も弾く鱗を物ともせずに貫いた。
ドラゴンの断末魔の叫びは町中に響き渡り、空気を震わせる。
巨大な羽と尾をばたつかせ、びくんと一度だけ大きく跳ねると、空から氷の雨と共に地上へ落下し始めた。
このままでは町が潰されてしまう。
それはどうしても許せない。
考えるより先に了は杖を腰から引き抜いていた。
杖と手を真上にかざす。
――絶対に大切な人たちは傷つけさせない。
口から紡がれるのは、白のスペル。
攻撃をするのではなく、守るためのもの。
「シャイニング・シールド!」
町全体をドーム状の白い光が包み込む。
ドラゴンの亡骸と氷の雨はバチバチと音を立てて光と接触する。
のしかかる重圧に身体が吹き飛びそうになる。
「僕の体力を……全て魔力に変換……っ」
ここで倒れるわけにはいかない。
全身全霊をもってこの町を守る。胸の上の千年リングが五本の針を揺らして金色の光を発した。
額から汗が吹き出し、杖を持つ腕が震える。ドラゴンを弾き飛ばす余力はない。
いつまでこの状態が続くのだろうか。たらりと大粒の汗が頬を垂れた時、
「あとは任せな」
誰よりも頼もしい声が了にかけられた。
「弾けろ」
町中が騒然としていた。
突然ドラゴンに襲われたと思ったら、何者かがあっさりと仕留めたのだ。その上、町はほとんど無傷。
ドラゴンの亡骸は綺麗に消え失せ、そこにいたという証拠も残っていない。
喜びと困惑が住民たちの間に広がっていた。
その様子を横目に、バクラは了を支えて足早に町から去ろうとしていた。
了の体力と魔力はほとんど底をついている。
目も虚ろでほとんどバクラに担がれているようなものだ。
「普通あそこまでやらねえぞ」
「……えへへ。ああでもしないと、無理そうだったから」
了は無理に唇の端を押し上げて力なく笑う。
「お前には驚かされてばかりだぜ」
人を傷つける魔法は不得意でも、守る魔法なら限界まで自分の力を引き出せてしまう。
それも、守る相手は身近な人間でなければならない。
バクラにとっては理解の範疇を超えた存在だ。同時に、絶対に手放してはならないとも思う。
了を支える手に力がこもった。
ドラゴンの話題で持ちきりのため、町から出ようとする二人のことに気づく者は誰もいなかった。
静かに入口のアーチを潜り抜け、森へと向かう。
「ウチへ帰ったら、じっくり手当てしてやるからな」
了の腰に回された手がナデナデと動く。
さすがの了も怪しい手の動きとそこに含まれる色に気づいてしまった。が、もはやそれを指摘する余裕はない。
――さっきはかっこよかったのになあ。もしかして、僕のこと……。
そう思いながらも、支えられたままでいた。どこか嬉しそうなバクラの顔を見つめながら。
少しだけ、バクラの隣に立ってもいいような気がしたのだ。
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原作の好きなシーンをごっそり入れてみました。
町の中と森の中のパターンが二つ浮かんだので、結局二つとも書いてしまいました。
古代エジプトでは、心臓に繋がっている大事な指だから薬指に指輪をしていたのですよね。
ロマンチックなのでずっとこれも使ってみたかったのです。
これからも、二人はずっと一緒に暮らしますよ。