パラレル-悪魔
夜の静寂に満ちた教会に祈りを捧げる神父が一人いた。
それを欠かしたことは一度もなかった。
清潔を絵に描いたような神父で、それゆえに町の人々の信用は厚い。
神父獏良は穏やかな心で祈りを捧げ続けた。
ギィ
不気味な音を立てて教会の大扉が開いた。
獏良はゆっくりと顔を上げ、訪問者を確かめた。
獏良の眉間に皺が寄る。
ぴっちりとした黒の衣服に身を包んだ長い白髪の男。
見たことのない顔だった。
少なくとも町の人間ではない。
そもそも人間なのかが怪しい。
男から漂う雰囲気は禍々しく、真っ当な人間が放つものではないのだ。
「誰だ、お前は」
それは町の人に対する穏やかさを微塵も感じさせないような固いもの言いだった。
「おいおい、みんなの神父さまともあろう者が、そんなぞんざいな喋り方をして言いのかねぇ」
男はおどけた仕草をし、教会に一歩踏み入れた。
そのまま躊躇することなく、獏良に向かって歩み寄る。
「お前……悪魔?!」
肌で男の気を感じた獏良が信じられないような顔で言った。
それもそのはず、妖の類は教会という聖なる場所に入ってこれない。
神聖な場が結界の役目をするのだ。
「正解。ちなみにオレ様はバクラ。よぉく覚えておけよ」
正体を見破られても、悪魔は動揺しなかった。
それどころか、了の目の前まで憶さず進む。
了は咄嗟に胸元の十字架を握った。
その手の上からバクラが掴む。
「やっ!」
逃れようと手を振り払う前に、もう片方の手で腰を引き寄せられる。
「はなせ!はなせ!」
半狂乱で了が身を捩る。
「会いたかったぜぇ」
耳元で吐息混じりにバクラが囁いた。
「ひっ」
耳にかかった息に、たまらず身が跳ねる。
「感じ易いのか、お前」
了の反応にバクラが満足そうに喉でくくと笑った。
「何言ってるんだ!」
怒りと羞恥で了の顔が赤く染まる。
「せっかく迎えにきたってのに、つれねぇなぁ」
「迎えにきた?」
バクラの言っている意味が分からず問い返す了。
「そうだ」
了の手に愛しげに指を絡ませて、バクラがじっと見つめた。
「お前をオレの伴侶に」
「は?」
了の目が文字通り点になった。
――なに?コイツ。いきなり来て何言い出してるの??悪魔っていうより変態?
「ヤダ」
「あ?」
「い・や・だ」
了ははっきりと自分の今の気持ちを正直に言った。
バクラにしてみれば、この上もなく残酷な返事だ。
「ンな!オレ様が何年待ったと思ってやがる!」
「知らないよ!そんなの!そっちが勝手に言ってきたんだろ!」
かくして、神の目の前で激しい口争いが始まった。
「『一晩だけ考えさせて下さい』とか、そういう可愛いこと言ってみろ」
「考える余地もなく、嫌だって思ったから、嫌だって言ったまでさ!心から嫌だね!」
教会に似合わない大音量に、了も負けじと怒鳴り返す。
「てめぇ、また言いやがったな!お陰で生まれて始めてちょっと泣きそうになっちまったじゃねぇか!責任取りやがれ!」
「お前の人生なんてこれっぽっちも知りたくないよ!」
ぎっと睨み合い、罵り合いながら、二人の夜は更けていった。
翌朝、ちらほらと町の人が朝の祈りにやってきて、了の言葉に耳を傾けていた。
了はいつも通りに朗々と唱いながら、ちらりと部屋の隅を見やる。
一人だけ立ちっ放しで腕組みをしたバクラが了の言葉を聞いていた。
目を瞑っていて、ここにいる誰よりも真剣に見える。
見た目は人間そのものなのだから熱心な信者に見えるが、実際は了の声に聞き惚れてるだけだったりする。
――変な悪魔。
こっそりと了は思う。
結局追い出せなかった。
悪さをしに来たわけではないから、無下にするわけにはいかなかったのだ。
――このまま住み着いたらどうしよう。情が移らなきゃいいけど……。
了は憂鬱な溜息をついた。
これは確かショートパラレル5作で揃えた覚えがあります。
なので、これだけ見ると浮いてますね。
思いついたときは、やたらと長々と話を長く考えたものですが、特に意味もなかったので短くしちゃいました。
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怪盗とオレ様
一般的な美術館は厳かな趣があって澄んだ空気で溢れている。
ここ、童実野美術館もその例に漏れず、白を基とした作りが気品あると定評がある。
「チッ、こんな景気悪いとこに駆り出されるとはついてねぇな」
その穏やかな雰囲気とは全く合わない男が、ホールをぶらぶらとうろついていた。
不機嫌さも加わった強面の顔と、黒のスーツを着崩しているせいで、とんでもなく柄が悪く見える。
実際中身がそうなので、彼に否定をする権利はない。
親子連れがことごとく彼――バクラを避けていった。
バクラは自分がほとんど営業妨害になっていることにも構わずに、上着のポケットから煙草ケースを取り出そうとした。
「館内禁煙だろ?」
背後からかかった声に、その手がぴたりと止まる。
睨みつけるようにして振り返ると、同僚のマリクがにししと笑みを浮かべていた。
「こんなとこで、しかも美術館で喫煙するなんてサイテー。公務員の名が泣くよ?」
喫煙者を諭すには軽すぎる口調でマリクが言った。
「うるせぇな。来たくもねぇとこに来てイラついてんだよ」
バクラはくしゃりと煙草のケースを握りつぶした。
「バクラには美術品なんて、売ったら儲かるだろうなぐらいしか思ってないもんねー?」
「黙れ、このボンボンが」
この対立している上機嫌と不機嫌、真逆の二人が刑事なのだと誰が分かっただろうか。
本来ならバクラは美術館に寸分も用がないはずだが、仕事で召集をかけられたのだから、拒否権はない。
「予告状つきのドロボーなんて、ドラマの中だけかと思ったよ」
貴重な美術品が揃っている童実野美術館に、一部の業界では有名な怪盗から予告状が届いたのは一週間前のこと。
正体は全く謎で、これまでも様々な高価な美術品を盗み出している。
「美人三姉妹だったりして。ジャパニーズコミック!」
「アホか」
一人で盛り上がるマリクを余所に、バクラは気怠げに髪をかき上げた。
「可愛い子だと良いな」
「女だって決め付けんな。第一オレは手クセ悪い女は趣味じゃねぇ」
バクラはマリクに背を向けた。
やる気のない同僚の後を追おうともせず、マリクはその背中にひらひらと手を振った。
バクラが喫煙スペースで煙草を口に咥え、内ポケットのライターをまさぐっていると、
「すみません。お手洗いが何処だか分かりますか?」
バクラとは正反対の穏やかな声がかかる。
なぜよりにもよって自分に声をかけたのかと仏頂面で顔を上げると、そのまま動けなくなった。
バクラの目の前に、儚い線の優しげな顔が小さくほほ笑んでいた。
白い髪のかかった綺麗な作りの顔と、涼しげな上着と白のパンツが絵になるほど合っている。
凌辱したいタイプだなと、渇いていた気持ちのせいで不謹慎なことがちらりと頭をかすめた。
それを表情にはおくびにも出さずに、バクラはぶっきらぼうに指で示した。
「あそこにあるだろ」
その人物は示された場所を確認しようとバクラに近づく。
触れるか触れないかの距離に、職務を忘れてしまいそうになるのを何とか踏み止どまった。
「ああ、あんなところに……ありがとうございました」
ぺこりとお辞儀をして、トイレに向かっていった。
煙草に火をつけるのも忘れ、その後ろ姿を戸の向こうに消えるまで見続けていた。
「……男かよッ!」
その戸はまごうことなき男子トイレの入口だった。
「ふあー。眠ーい」
深夜の美術館に緊張感に欠けた声が響いた。
予告時間の一時まであとわずか。
「気の抜けるような声を出すな」
予告状に書かれていた絵の前にバクラとマリクは張りついていた。
「妙にやる気じゃないか」
バクラのまとうぴりぴりとした空気を感じとり、マリクがにやりと笑った。
「こそ泥野郎を取っ捕まえて憂さ晴らししてやるぜ」
くくくっと低い笑いがホールに響く。
「ウチの署始まって以来の鬼畜刑事……怖い怖い」
周囲の人間は異様な雰囲気の二人に背筋を凍らせた。
「もうそろそろ何かあっても良いはずだねぇ」
時計の針が一時を差そうとしていた。
「リョウちゃん早く来ないかな」
「なんだその名前は?」
マリクの呟きに、バクラが訝しげに尋ねた。
「あれ?知らなかった?怪盗の名前」
その時、
ぷしゅー
辺りが白の煙に覆われ、視界が遮られる。
「ゴホッ……わ、さい……あく」
仲間の刑事が倒れ込んでいく中で、バクラは袖で口元を押さえ、素早く煙から身を引いた。
その時、煙の中から怪しい人影が飛び出した。
「会いたかったぜ」
バクラは唇を一舐めし、人影が消えた通路を駆けた。
暗がりをすらりと細い影が走っていた。
バクラはその影をつかまえるべく猛走する。
通路にはばたばたと倒れている仲間の不甲斐ない姿があった。
「チッ、邪魔だッ!」
ともすれば踏んでしまいそうであるにも関わらず、バクラは足下に一切目もくれなかった。
標的はただ一つなのだ。
バクラは足に自信がある。
こそ泥に負ける気はない。
それに、相手は絵画という荷物を持っているのだ。
向こうに勝ち目はない。
その証拠に、影の背中が一歩一歩近付いてきた。
しかし、出口もまた姿を現していた。
バクラは足を大きく踏み出し、
「逃がすか……」
影の背中をおもいっきり蹴り飛ばした。
「……よッ!」
「わっ」
バクラが思ったよりも、その身体は軽く吹っ飛び、床に叩き付けられた。
絵画がリョウの手元からこぼれ落ち、派手な音をたてた。
普通なら貴重な絵画に傷をつけないように慎重策を取るはずだが、絵画に興味のないバクラは気にしない。
「いたた……」
床にうずくまり、無防備なリョウの姿を目にして、バクラは勝利を確信する。
ゆっくりと近付き、その腕を掴む。
「あッ」
抵抗を見せるが、がっちりと腕を掴んで離さない。
「よう、手間かけさせてくれたな」
「くっ……」
奪取のルートやら煙幕の仕掛けやら、周到に用意されていたのだろう。
リョウの顔はきっちりと防護マスクで覆われていた。
そこからくぐもった息が漏れている。
バクラは手錠を取り出し、リョウの手に問答無用で押しつける。
冷たい金属音が鳴り、リョウの両腕が拘束された。
「諦めな」
バクラには、まだやっておかなければならないことがあった。
防護マスクを鷲掴みして、乱暴にはぎ取る。
超過勤務の原因がどんな顔をしているか興味があった。
「お前……」
「また会ったね」
マスクの下から現れたのは、昼間に見た顔だった。
「昼間に堂々と下見か。いい度胸だな」
「どうも」
捕えられているのに、リョウはにこりと優雅にほほ笑んだ。
「女装までして。すっかり騙されたってワケか」
「褒めてくれるのは嬉しいけど……あれは女装じゃないよ……」
捕まったことよりそっちの方が辛いのか、リョウはがっくりと肩を落とす。
バクラはぐいとリョウの顎を掴んで引き寄せる。
「じっくり尋問してやるからな」
そう言って、にたりと笑うその顔は、どう見ても悪人だった。
「どんなことされるのかなぁ?困っちゃうな」
少しも動じないリョウの様子を前に、バクラの顔に青筋が浮かぶ。
「てめぇは自分の立場が分かってないようだな。立てッ!」
バクラはリョウの腕を力任せに引いた。
「痛ッ。乱暴なんだから」
渋々とリョウがその場に立ち上がり、
「もう少し優しくならないとダメだよ?」
バクラの頬にちゅっと唇を押しつける。
「な……っ」
その柔らかい感触にバクラはリョウを離して飛び退いた。
「何のつもりだッ!」
「ふふっ」
リョウが悪戯っぽく微笑む。
「僕、あまり体力に自信がないんだ。でも、お前みたいなのと追いかけっことしなきゃならないから、色々と工夫しなきゃいけないのさ」
リョウは自由を奪った手錠をかちゃかちゃと鳴らし、自分の顔の高さまで持ち上げる。
「これもそう」
役立たずになった手錠を地に落とし、
そのまま両腕を勢いよく広げた。
「僕って器用だから、ね」
「てめぇ!」
バクラが再び拘束しようとリョウに迫る。
が、リョウが懐に手を入れると、
ぷしゅー
バクラの周囲に赤い煙が蔓延した。
何もないところから湧き出したように。
「くっ……」
今度は避けることができず、その場で咳き込む。
「てめ……あの時……」
昼間、見るからに美術館とは合わないバクラに話しかけたのは偶然ではなかったのだ。
「タネも仕掛けも自分で用意しなきゃね」
軽やかにリョウは走り去っていく。
「おい、待て!」
そう言われて待つような間抜けはいないとは分かっていたが、叫ばずにはいられない。
バクラの声がかかると同時に、リョウは突然つまづいて、びたんと綺麗にすっころぶ。
「あいた」
「どんくさ……」
バクラは追いかける気も失せ、ただただ突っ立っていた。
「や……見ないでよ!」
リョウは真っ赤になりながら絵を小脇に抱えて、今度こそ闇夜に消えていった。
「結局取り逃がしちゃったワケ?」
「サボってた、てめぇに言われたくねぇ」
ホールに戻ったバクラは、ちゃっかりのんびりと休憩していたマリクを睨み付けた。
「んで、どうするの?」
「今度取っ捕まえて、取調室に押し込めて泣かす!」
拳を握り締めて、バクラは吠えた。
「怖い、怖い」
「くしゅっ」
一方、リョウは月明りの下を駆けながら、楽しそうに笑った。
「あいつと追いかけっこするの面白そうだなぁ」
怪盗ものです。
こってこてですが、やりたかったんです。
こってこてなものはお好きですか?
私は好きです。
ちなみに怪盗ものといったらキャッツアイです。
後日談的なものも書きました。