「ねえ、バクラ……」
獏良は神妙な顔でそれを口にした。
「できちゃった……」
「はあ?!」
唐突すぎるのに加え、意味が分かりかねたので、バクラは口をぽかんと開けた。
間を置いてから、脳が獏良の言葉を読み込む。
『できちゃった』
聞いたことのある台詞。
一定の条件を満たした男女間で。
バクラは平常心を呼び覚ますように呼吸を整えて確認をする。
「何が、だ?」
その問いに獏良は頬を紅潮させ、目線を外し、
「赤ちゃんが……」
か細い声で答えた。 そんなことがあるはずない。
混乱したバクラの頭は、許容範囲を超えた。
『赤ちゃんができちゃった』
いくら女のような整った顔をしていても、獏良はれっきとした男だ。
赤ん坊を身に宿す器官がない。
しかし、もじもじと身体を揺り動かす姿を見ていると、そんな常識も通じないように思える。
――冗談だろ?
そう言おうとして口を開く。
「ガキなんて雄しべ雌しべが認知出来るかもしれねーけどコウノトリが責任取って結婚で文金高島田……」
撃沈。
思った以上に混乱していたらしい。
バクラは崩れ落ちるように両手両膝を床について、己の不甲斐なさを嘆く。
そこへ獏良が楽しそうに指を差した。
「あはは、テンパってる」
「うるせー!」
怒鳴った後でバクラは一呼吸すると、足の埃を払ってゆっくりと立ち上がる。
「冗談かましてねーで、どういうことか説明しろ」
バクラが詰め寄ると、困ったように笑って獏良は首を傾けた。
「僕の言いたかったのは……もし僕にお前との子供ができたらどうするってこと」
鼻で笑おうとして、獏良の瞳が真剣味を帯びていることに気付いた。
「宿主サマ……保健の授業はちゃんと受けてたか?」
乱暴にならない程度の力をこめて両肩を抱き、まじまじと獏良を見つめる。
高校生にもなって身ごもったと言うのは、いくらなんでも遅れすぎなので はないだろうか。
「ガキは何かが運んで来るわけでも、何処からか湧き出てくるわけでもないんだぞ」
獏良は頬を赤らめ、バクラの視線から逃れるように目を伏せた。
長い睫毛が瞳にかかる。
「おい?」
色のある表情に、どきりとバクラの心臓が跳ねる。
小さく獏良の唇が動いた。
「そんなの……知ってるよ………ばか」
半ば拗ねた獏良の声が、いやに大きく耳に残る。
眩暈に似た脱力感が身体を支配する。
子供の作り方なんて何度も体験しているのだから知らないわけがない。
それが例え心の交わりだけであっても。
「そうか……そうだよな」
あまりにも獏良が照れた表情を浮かべるので、バクラまでが気まずく口ごもった。
「責任取ってくれるってさっき言ったよね?」
先程の難解な言葉の羅列から、しっかりと「責任」の文字を拾っていたらしい。
獏良は相変わらず紅潮したままの顔に微笑を浮かべた。
「言ったか?」
「言った。子供が生まれたら、嬉しい?」
「もしもの話でも、男同士じゃ無理だろ」
ただ本当のことを述べただけだが、獏良はその言葉に悲しげに目を細めた。
「まさか、母性に目覚めたなんて戯言言うんじゃないよな」
「違うよ」
自嘲気味に笑って、ゆっくりと首を横に振る。
「子供を育てたいとか、子供好きだからなんて立派な理由じゃないよ。ただ……」
そこでぷつりと言葉を切った。
気持ちを上手く口に出来ない。
そんなもどかしさが獏良を包む。
「そこにあって欲しい。証っていうのかな……僕とお前の証」 バクラは口を挟もうとして、獏良が思い詰めた顔をしているので留まった。
考えに考えながら、獏良は言葉を紡いでゆく。
「どんなに僕がお前を好きになっても何も残らないから。ほら、お前に傷つけられても、時間が経てば治っちゃう」
獏良は左腕を愛しそうに何度も何度も擦った。
傷つけられることは好きじゃない。
むしろ不快であるけど、実体を持たないバクラがここにいるという証なら受け入れられる。
「もし子供が出来たら、ずっと後まで残ってるんだよ」
どんなに愛し合っても、身体を通り抜けていくだけ。
何の痕も残らなければ、その行為のあった名残もない。
「僕が死んだ後も……」
お前が消えた後も。
自分にとっても、バクラにとっても、致命的なその言葉を獏良は飲み込んだ。
「凄いね。女の人は凄いね」
夢を見るように、歌うように、獏良は呟く。
「どうして僕は女の子じゃないのかな」
叶わない夢を語っているのだから、それは御伽話に似た調べを奏でた。
「どうして僕は女の子じゃないのかな……」
今度はゆっくり意味を噛み締めながら言った。
男ということが不服なわけじゃない。
女でも子供を身籠もることは出来ない。
バクラには身体がないのだから。 それでも、女だったら……。
いつまでも悲しげな瞳がバクラを通して空を見つめる。
壊れた人形のように。
儚げなその様子に、いてもたって もいられず、バクラは獏良の肩に腕を回した。
「下らないことを考えるのはやめろ」
耳に痛く響くその言葉に獏良は顔を歪めた。
「下らないって……!言ってよ。冗談でも良いからさ。子供が出来たら……」
「やめろよ」
獏良が身を捩ってもバクラは腕を弛めない。
「どんなに望んでも、お前は男だ」
どんな言い訳も許さない口調だった。
獏良はがくりと項垂れた。
そこへバクラの手が頭に伸びる。
「分かってるよ。僕だって」
ゆっくりゆっくりと獏良の髪を梳いていく。
その手つきは普段と比べて格段と優しい。
「何か形を残さないと、ダメなのか?」
獏良は首を横に振る。
形だけが全てではない。
「それも……分かってる」
それでも、形ないものは形あるものに憧れる。
何も残らないことが不安になる。
ついつい夢に縋ってしまう。
獏良はバクラの頬を両手で包む。
「感じる?ちゃんと感じてる?」
確かめるように、何度も何度も頬を撫でる。
「感じるだろ?」
腕を引き、獏良を胸に抱く。
「うん」
身体はなくとも、しっかりと暖かさを感じる。
「ガキは出来ないけどな」
「うん」
獏良は不安から逃れるように、ぎゅっとバクラの首に掴まった。
「男だとか、女だとか、そんなもん関係ない」
「お前らしいね」
腕の中で獏良がくすりと微笑む。
残せるものがなくても、この想いだけは絶対に朽ちない。
形がないなら、二人の絆を積み上げていけばいい。
形にこだわる薄っぺらい感情は、とうの昔に捨て去った。
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テーマは3つに中から選んだ「妊娠」でしたー。
どうして選んじゃったのか(笑)。
遅くなってしまって申し訳ないのです;