ばかうけ

細かいことは気にせず、ドウゾ


お世辞にも綺麗とは言えないアパートが獏良了の住まいだ。
駅から遠い、壁が薄い、狭い――破格の安値に相応な欠点がたっぷりとついている。
獏良はいつも規則正しく同じ時間に起床をする。
軽い朝食を作って一人で腹に流し込み、一人で後片付けをする。
ごみ捨てに出る前に髪を後ろで結わえて眼鏡をかける。
必要以上に色気のないフレームが獏良の美貌を隠してしまうのだが、本業の為には致し方がない。
無論、獏良は視力に問題がないので度は入っていない。
獏良本人は自分の容姿のことは、ちっとも気にしてはいなかった。
服も地味めのものを選んで着ているので、近所では野暮ったい貧乏学生として通っている。
学生だなんて言った覚えはないが、獏良の生活サイクルを端から見ればそう思える。
あえて獏良は否定をしなかった。
全てが本業に対するカムフラージュ。
怪盗としての自分の隠れ蓑。
小さくまとめられたゴミ袋を持って獏良は外へ出た。
錆びついて崩れそうな階段を下り、アパート前の道路へ向かう。
ごみ捨て場の前には、よく知っている人物がいた。
白い髪の下には、眉間に皺を寄せた顔が覗いている。
相変わらず朝に弱いんだなと心の中でくすりと笑い、表面上のみの近所付き合いらしく、
「お早うございます」
と、簡単に会釈した。
それに、バクラは一瞥しただけだった。
引っ越してきた当時は関わりあいたくない人種だと敬遠していたのだが、よくよく観察してみると、見た目ほど破天荒ではないのだと理解した。
乱暴ではあるが、筋は通すし、意外と几帳面だったりする。
こうして、きちんとごみ捨てに来るのだから、相当マメなのだ。
実は捨てられた犬猫を放っておけないタイプなのではないだろうか。
獏良はよく知っているが、向こうは興味すら持っていないようで、眼中にないらしい。
何も言わずに獏良の横をすり抜けていった。
ほら、掴まえてみなよ、刑事さん。
そう囁きたいのを我慢する。
「鈍感、なのかな」
疼く身体を抱き締めて妖艶に微笑んだ。
今度盗みの依頼が来たら、また担当になってくれるかな。
淡い期待を抱いて。

「お帰りー」
署へ戻ってきたバクラをマリクがにやにやと向かえた。
それには構わずにバクラは自分のデスクに腰を下ろした。
意外にも机の上はきちりと片付けられて無駄がない。
一方のマリクの卓上は、仕事とは関係ない物がずらりと並んでいる。
「アテムさん、またお怒りらしいですねー。サボって何やってたの?」
マリクは顔を寄せてにやりと笑った。
彼にとって悶着は一番の暇潰しだ。
「図書館で勉強」
バクラはぶっきらぼうにそう返してから、さも楽しそうに喉の奥で笑った。
「マジでー?バクラくん、真面目だからねぇ」
そこまで言って耐えられなくなったのか、マリクはじたばたと身を捩った。
「勘弁してやりなよ。アテムの胃痛薬、増えたらしいよ」
アクの強い部下を持つ上司の苦労に終わりはない。
「ざまぁみろ」
何処まで本気なのか分からない目付きでバクラが言った。
ひとしきり笑った後で、打って変わってマリクが真面目な顔をした。
「そのアテムが言ってたんだけど、あの怪盗ちゃんの対策部が出来るらしいね」
ぴくりとバクラの眉がつり上がった。
その反応に、マリクは満足げに頷いた。
前回まんまとリョウに出し抜かれたことを、バクラが快く思っているはずがない。
「入ってみたら?」
その提案にバクラはにやりと笑って見せた。
「どうするかねぇ。聞くまでもないと思うが、お前は?」
「僕?遠慮しとく。不定期に夜に駆り出されるんじゃ、デート出来ないしー」
「だろうな」
デート云々はともかく、マリクがそんなものに興味を持たないことをバクラは知っている。
「でぇとぉ?あの目付きの悪いヤツか?」
とても人のことを言えた形容ではない。
しかし、マリクはそれでも誰のことだか理解をして頬を膨らませた。
「ああ?なんでアイツ?あんなガキ!」
「ガキ?ガキか?随分デカいガキだな。態度も、だけどな」
バクラはマリクによく似た男の顔を思い浮かべた。
「ガキだよ!あんなガキとじゃなくて、に・い・さ・ん!」
「ああ、あのハゲか」
ハゲという単語に、マリクはじろりとバクラを睨み付けた。
バクラは涼しい顔でそれを受け流す。
「対策部に入ったら、僕がデートしてる時にバクラはリョウちゃんとデートってことになるわけだよ」
「デートか……」
心底楽しそうにバクラは笑い声を漏らした。
「まるで、運命の恋人でも見つけたみたいだね」

「ああ、もう。せめて一ヵ月は開けて欲しかったな」
物陰に隠れた獏良がぼやいた。
「依頼人さんも人使いが荒いんだから」
狙っている大粒の宝石で装飾されたネックレスはすぐそばにある。
今すぐ飛び出したいのをぐっと堪える。
まずは見張りをどうにかしないければならない。
獏良はポケットから小さなリモコンを取り出した。
「えーっと、あそこに仕掛けたのは……」
のんびりと頭を掻きながら、数あるボタンの中から一つを押した。
すると、獏良のいる方とは全く別の通路から、
カタン
小さな音が響いた。
数名を残し、音の出所へ見張りたちがその通路へと消えていった。
「よしっ」
獏良は防護マスクを装着し、矢のように影から飛び出した。
同時にポーチから抜き出した白煙筒を投げつける。
辺りが霧のような白いガスに包まれた。
「わっ」
煙の中であちこちから悲鳴が上がった。
獏良はその隙に、一直線に標的に向かって詰め寄る。
ためらいなく右の拳をガラスケースへ乱暴に振り下ろした。
薄い鉄板で保護された腕は易々とガラスを砕き、中のネックレスを引っ掴む。
「やったぁ」
逃走経路は何度も確認してあるので迷うことはない。
煙の中で右往左往する刑事たちを尻目に、獏良は悠々とその場を立ち去った。
通路を走っていても追っ手が来る様子はない。
念の為、あちらこちらに仕掛けておいた催涙ガスなどを作動させておく。
「楽勝かな?」
マスクの下でにんまり笑い、勝利を確信する。
突然、後ろから獏良を何者かが襲ってきた。
抱え込まれるように動きを封じられる。
「姑息な手段ばかり使いやがって」
聞き覚えのある声に思わず身を固くする。
また対峙出来るかもと期待していたが、こうも早く機会がこようとは獏良は思っていなかった。
バクラは対象物から離れたところで見張っていた。
前回の獏良の手口から、また何かの仕掛けがあって当然と判断したからだ。
バクラは獏良に回した腕をがっちりと組んだ。
「今度は逃さないぜ」
「またしてやられたね」
力では敵わないと悟った獏良は両腕を下ろす。
そして、バクラの腕が獏良の胸部にしっかりと触れていることに気付いた。
獏良の着ている服は、暗闇に紛れるように黒。
そして、動きやすいように身体にぴったりと作られた、通気性の良い素材で出来ている。
つまりは、身体のラインが服の上からも浮き彫りなのだ。
「す……スケベ!」
思わず出た言葉に、さすがのバクラも動揺した。
「男相手に、何がスケベだ!」
言い返しながらも、獏良に回した腕を意識する。
確かに、服の生地のせいで獏良の肌の感触が生々しく伝わる。
女のそれとは違い、何の厚みも弾力もない。かといって、筋肉に覆われたゴツい感触はしない。
「やッ、いま揉んだ!」
「揉むか!」
「何か……後ろに当たってる!」
「当たるか!」
怪盗に刑事が痴漢扱いされるほど空しいことはない。
さっさと勝負をつけてしまうのが吉だ。
前回、手錠をかけても獏良に逃げられているバクラには油断はない。
身体中を縛り上げるくらいの気合いはある。
獏良はしょうもない押し問答をしながら手首を器用に動かしていた。
ベルトに備え付けられたボタンに指が辿り着き、そのまま力一杯押し込んだ。
「ぐえっ」
途端にバクラのみぞおちに鈍い衝撃が襲った。
獏良のいざというときの護身用装置の一つが作動したのだ。
バクラは獏良の背という至近距離で発射された球に腹を撃たれてうずくまった。
「ごめんね、痛かったよね」
地に這いつくばるバクラを獏良は小首を傾げて見下ろした。
「てめ……」
「でも、触り賃っていうことで……。じゃねっ」
軽く手を振って、その場から駆け出した。
バクラがよろよろと立ち上がった時には、獏良の影も形もなかった。
「あらー、また負けちゃった?」
例によって、マリクがどこからとのんびり姿を現した。
「……るぞ」
「はい?」
「あいつの対策部に入るって言ってんだよ!」
青筋を浮かべ、バクラは月に向かって吠えた。

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以前の小話の続き…?なのかな。
盗賊さんが刑事です。
微妙に闇表(いないけど)、マリマリ、リシマリ含みつつ。

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