ばかうけ

夫婦円満の秘訣 ※二心二体

遊戯から差し出されたのは、両手に乗る程度の大きさの白い箱。
「獏良くんにお裾分け」
「えっ!いいの?」
尋ねつつも獏良の目は、箱の側面に記載された店名にしっかりと釘づけになっていた。
いまテレビでも雑誌でも繰り返し紹介されている洋菓子店のロゴ。
獏良の記憶が正しければ、某有名遊園地の人気アトラクションの待ち時間ほど並ばないと購入できないはずだ。
シュークリームは特に人気で、開店からたった30分で売り切れになってしまうと、情報バラエティ番組でも紹介されていた。
まさか、そのシュークリームがこの中にあるのかと、獏良の瞳が期待できらきらと輝いた。ついでに口元から何かが溢れ出そうになる。
「もう一人の僕がね、買ってきてくれたんだ。一人、四個までだったんだって。
もう一人の僕と食べて、じいちゃんに取られちゃったから、バクラくんの分がなくて悪いけど……」
「いいんだ。アイツ、甘いものそんなに好きじゃないし、今いないし。帰ってくる前に食べちゃう」
獏良がペロリと舌を出すと、どちらからともなく笑いが起こった。

昨晩、バクラは帰ってこなかった。
外出が多いことは今に始まったことではないので、獏良は取り立てて苛ついたり、心配したりはしない。
どこで得ているのかは分からないが、きちんと金は稼いでくるのだから、うるさく言う必要もないと思っていた。
長年の勘で帰宅時間を予測し、夕食の準備を済ましてしまう。
炊飯器のスイッチを入れ、あとはバクラの帰りを待つばかりだ。
ソファの上で横になり、テレビをのんびりと見始める。
本人は気づいていないが、その姿はさながら主人の帰りを待つ、新婚生活の初々しさがなくなった主婦のようだった。
一時間と待たない内に、玄関からガチャガチャとドアの開く音がした。
さすがに寝たままでいるのは気が引けるので、獏良はソファから飛び起き、今まで家事をしていましたという顔を作ってキッチンに向かう。
ご飯は炊き上がっている。おかずは温め直して最後の仕上げをするだけ。すぐに食卓に出せる。
――カンペキだね。
鼻歌を口ずさみながら、コンロに火をつけた。
バクラはコートを片手にリビングにやって来た。
テーブルの上に茶封筒を投げ置く。
おそらく、中には金が入っているのだろう。封筒は1センチほど膨らんでいた。
「お帰りー」
茶を淹れたマグカップと作り置きの切り干し大根の煮物をトレイに乗せて獏良が迎える。
「ん」
「いまご飯温め直してるから、先にこれ摘まんでて」
バクラは既にリモコンを操作してテレビのチャンネルを順番に変えていた。
生返事はいつものこと。獏良は気にせず、ことりことりとカップと器を置き、「手はちゃんと洗ってね」と釘だけ刺して再びキッチンに戻った。
チキンソテーの両面に焼き目をつける。
その脇で付け合わせのいんげんとポテトも温める。
マカロニサラダはもう出来ているので、皿に盛りつけるだけだ。
獏良は腰に手を当ててほくそ笑む。
やはり、全てが順調。文句のつけようがない。
皿を出そうと食器棚に近づいた時、
「あ?」
怪訝そうな声が背後から上がった。
振り向くと、バクラが冷蔵庫の中を覗き込んでいた。
「どうかした?」
「漬物あったろ。食おうと思って……じゃねえよ」
バクラは冷蔵庫の扉を更に大きく開き、獏良にも見えるように中のものを指差した。
――あ。
上段に置かれている包みを目にし、獏良の息が一瞬だけ止まる。
「まだ食ってねえのかよ」
バナナが丸ごと入ったオムレツケーキ。
昨日の昼、バクラが獏良のために買ってきたもの。
もちろん、獏良の好物が甘いものであることを知っての行動だ。
その時、獏良は腹に余裕がなく、「明日食べるね」と言って冷蔵庫にしまったのだ。
夜は一人で夕食を食べ、今日になって遊戯と会った。
その時まではケーキのことは頭にあった。
白い箱を渡される前までは。
つまり、獏良の頭からケーキのことはスッポリと消え、シュークリームのことで埋め尽くされた。
コンビニのオムレツケーキより、有名店のシュークリーム……つまりはそういうことだった。
――うわあああああああああああ!!
もう少しのところで心の叫びが、獏良の口から出るところだった。
心情を顔に出さないように、指に力を入れて耐える。
バクラは訝しげな表情のままで獏良を見ている。
「せっかく買ってきてくれたケーキより、シュークリームに夢中になって食べるの忘れちゃった」とは、とても言えない。

――殺される!殺され……はしないか……。代わりに僕の×××××を××まで××××尽くされた挙げ句に、××を××られて、××から×が××××になるまで××××されちゃう……!!

バクラの目から見た獏良は真顔のままだが、実際に色白の顔は青褪め、内心は震え上がっていた。
とはいえ、このまま何も答えないわけにもいかない。
例え、「食べるのを忘れていた」と答えただけでも、バクラは不機嫌になるだろう。
結果的に好意を捨て置いたことになるのだから。
獏良は渇ききった口を開いた。
「あ……」
一度声を出してしまえば、もう後に引けない。
「あのね、食べようと思ったんだけど、やっぱり君と食べた方が美味しいかなあ……って。
君と一緒に食べたくて、待ってたんだよ。だってその方が絶対美味しいもの 」
出来る限りの笑顔で。明るい声で。
「だからね、食べよ?」
忘れていたなんて、おくびにも出さずに。
頭の中には「やばい」の三文字だけが浮かんでいた。
しばらく、二人の間に無言の時が流れた。
獏良の額に冷や汗が滲む。
やがて、眉を潜めていたバクラの顔にパッと満面の笑みが浮かんだ。
「なんだそうか。可愛いトコあんなァ、お前。
そうか、一緒に食いたかったか。待たせちまって悪かったなァ」
腕を組み、うんうんと何度も頷く。
「そ、そうだよ。ご飯食べ終わったら、食べようねえ……」
バクラを丸め込むのには成功したらしい。獏良の全身から力が抜ける。お陰で語尾が少し震えてしまった。
――よかった!朝までコースは回避だ!!
その後もバクラはご機嫌で、出されたチキンソテーを頬張っていた。
そして、獏良が半分にカットしたケーキはバナナが少し黒ずんではいたが、コーヒーと共に二人の胃に無事に収まることになった。
「また買ってやるからな」
「わ……わーい、ありがとう」
これぞ家庭円満の秘訣である。

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ちょっとしたヒントを貰って書きました。
男の子って面倒臭いけど、単純なんだ的な話でした。了くんも男の子だけどね!
途中の伏せ字はご想像にお任せします。正解は……お答えしません。


殺し文句 ※二心二体

童実野町のマンションの一室、ソファーの上に二人、テレビ画面を見つめていた。
画面に映し出されているのは、レンタルしたB級ホラー映画。
殺人鬼が民家に入り込んで刃物を振り回し、不幸にも現場に居合わせた若者たちが逃げ惑う――そんなお決まりの展開が繰り広げられていた。
映画を見る二人の様子は対照的で、獏良の方は背筋をぴしりと伸ばし、煎餅を片手に持ったままで一口も齧りもせずに画面を食い入るように見つめている。
口は開けっ放しで、登場人物が危険な目に遭う度に、「ああ……」とか「うー」とか呻いていた。
対するバクラは、ソファーの背もたれに腕を乗せ、足を行儀悪く組み、ふんぞり返っている。
画面上で何が起こっても表情を変えず、映画に興味はなく視界に入れているだけとでも言いたげだった。
しかし、時折隣に座っている獏良を目だけを動かしてちらちらと見ていた。
本人は画面に集中するあまり、それに気づいていない。
映画の再生時間は半分が過ぎ、残り三十分ほど。
バクラはあることを考えながら膝を揺らしていた。

映画を見たいと言い出したのは獏良の方からだった。
今日は休日。特にすることもない。
見たいものがあるわけでもなかったが、ゆっくり映画鑑賞をするにはもってこいの日だった。
それならばと、二人で最寄りのレンタルショップに足を運び、DVDコーナーの棚を各々が端から端まで見ていった。
ダイナミックなアクションが評価されているハリウッド映画や世界中が泣いたなどとキャッチコピーがついている恋愛映画、連日テレビでCMが流れているアニメ映画など、様々な種類のDVDが並んでいる。
「見たいのあった?」
バクラが腰を屈めて棚の下段を見ていると、獏良が近寄ってきて隣に並んだ。
同じように屈んでバクラの視線の先を探る。
「なかなか怖そうだね」
ホラー専用棚のため、血みどろの殺人鬼やグロテスクなモンスターなどが大きく写っているパッケージが並んでいる。
さらによく内容を見ようと、獏良が顔を前へ突き出した。
必然的にバクラとの距離が狭まる。
今日はガードが緩いぞと、映画のことはそっちのけで、バクラは獏良側の半身に意識を集中させた。
「映画を見たい」と言い出したときから、チャンスだと思っていたのだ。
レンタルショップへの道すがら、バクラの袖を引っ張って急かしてみたり、無邪気な笑顔で話しかけてきたり、今日の獏良はいつもより無防備だった。
今もこうして、肩と肩が触れ合うほどに近づいてきている。
これは滅多にないチャンスだと、普段つれない態度を取られているバクラは意気込んでいた。
「これが見たいの?」
獏良はちょんと人差し指をパッケージの上に乗せ、バクラの方に顔を向けた。
もう、鼻と鼻が触れ合いそうな距離だった。
あと数センチだけ顔を近づければ唇だって重なる。
焦ってはいけないと、バクラは必死に欲望を抑えた。
今日はまだまだ時間があるのだ。ゆっくりと心の距離も近づけていけばいい。
大して映画の内容も確認せずに、バクラは首を縦に振った。

――しかし、チープな作りだな。
画面上で派手に殺戮は繰り返されているが、飛び散る血液は明るすぎる色をしているし、切り口から見える内臓は妙にテカテカと光沢があって安っぽい。
死体に至っては、マネキンであることを隠しもしない。低予算であることが窺える出来だ。
途中でギャグ映画かと疑ったほどだが、パッケージにはしっかりとホラーと書かれていた。
B級ホラー映画マニアには、その安っぽさを含めて楽しむ者がいるらしいから、間違いなく需要はあるのだろう。
バクラにとっては欠伸が出る内容だったが、黙って見続けていた。
映画よりも隣にいる獏良のリアクションの方が遥かに面白い。
大きな声は上げないものの、要所要所で飛び上ったり、言葉にならない声を発したりしている。
オープニングから持っている煎餅は一向に齧られる気配がない。
その開いた口に突っ込んでやろうかと言ってやりたかった。
レンタルする際に面白そうだと口にしておいてこの反応。
ホラーは割と平気だと獏良は言っていたが、残虐な映像は別の話だったらしい。
開始早々畳みかける拷問シーンや殺戮シーンに顔を真っ青にしていた。
しかし、好奇心が勝ってしまうのか、画面から目は離さない。
獏良がリアクションをする度に、バクラは思わず頭をこねくり回したくなった。
顔がにやけそうになるのも堪える。
内容は色気とは程遠いが、映画を見終われば寛ぎムードになるだろう。隙も生まれる。
その時に、最高の口説き文句を投げかければ、今日の獏良は落ちるに違いない。
バクラは映画を見ながらずっと甘いセリフを考えていた。
好きだとか愛しているなんて月並みな言葉では、積年の想いは伝えきれない。
だからといって、「月が綺麗ですね」などという回りくどい言葉はもってのほかだ。

――お前の全てを食べてしまいたい……。むしゃぶりつきたい唇しやがって……いや、これはマズいだろ。
今夜、本当にオレ様のモンにしてやるよ……ベッドの中でたっぷり可愛がってやるぜ……
お前がサレンダーしたって、オレの仕掛けた罠カードは外れないんだぜ……。

真顔で延々と口説き文句を考えていた。
あまりに真剣だったので、おかしな方向へ飛んでも、自分ではなかなか気づけなかった。
もうすぐ映画が終わるというところで、ようやく完璧な口説き文句を思いついた。
倒したと思った殺人鬼が暗い町をまたヒタヒタと徘徊する様子をバックにエンドロールが流れ始める。
しっかり見ていなくても分かるオチに、バクラは若干水を差されたような気分になるが、獏良はそうでもなかったらしい。
「思ったより怖かったね!」
獏良は腕を上げ、大きく伸びをした。
真剣に見ていた分、見終わった達成感に包まれているのだ。
にこにことバクラに向かって笑いかける。
やるなら今しかないとバクラは決意し、身体を獏良の方へ向けた。
片手は腕へ、もう片方の手は腰へ。
逃さないようにしっかりと捕まえる。
「宿主……」
すうと息を吸い、真っ直ぐに獏良を見つめ、考えに考え抜いたセリフを口にした。

「一晩かけてお前のLPを1にしてやるよ」

緩んでいた獏良の顔が固まった。
ぽろりと手から煎餅が落ちる。
始めは大きく瞳が開かれ、それから徐々に歪んでいき、ぽろりと縁から涙が零れた。
渾身の口説き文句が泣くほど嬉しかったのかと、バクラは一瞬だけ思ったが、次の獏良の言葉で全てが吹き飛んだ。
「やだぁ……」
完全な否定の言葉。照れ隠しであるとか、喜びの声であるとか、甘い考えの余地はない。
目の前の獏良は青褪めて震えていた。
バクラの頭の中では、頬を赤く染めて視線を外し、「そのデュエル、受けて立つよ……」などという答えが帰ってくるはずだった。
予想外の反応に、獏良を掴む手が緩む。
その隙をついて、獏良は一目散に自室へと駆け込んだ。
普段は出さないくらい乱暴な音を立ててドアを閉める。
その音にバクラは我に返り、後を追ってドアに走り寄る。
「おい、宿主!どうしたんだよ!」
ドアレバーを引こうとしても、鍵が閉まっていて開かない。
それでも、ガチャガチャと動し続ける。
中からギギギと何かを動かす音が聞こえた。
ゴツンとドアの内側にそれが当たったようだ。
また、ごそごそと物音が聞こえ、ドアの辺りで止まる。
「おい、まさか……!」
バクラは激しくドアを叩き始めた。
音から察するに、ドアの前に部屋の中のものが集められているようだ。
それを世間ではバリケードというのではないのだろうか。
「宿主ッ!!どういうことだよ!」
部屋の中から家具を引きずる音と共に、すんすんというすすり泣きが漏れてきた。
バクラはそれを聞き取るべく、ドアに耳を当てる。
「ひ……ひどい……僕を……じわじわと……いたぶろうだなんて……今日は優しいと……思ってたのに……」

『一晩かけてお前のLPを1にしてやるよ』

口説かれたときに獏良の頭の中に浮かんだのは、見たばかりのホラー映画の拷問シーン。
それがしっかりと、これ以上ないくらいに、バクラの言葉に結びついた。
映画の中の殺人鬼のようにケタケタと笑いながら迫ってくるバクラの姿が容易く想像できた。
一晩かけて剥がされるのは、全身の皮なのか、生爪なのか、分からなかったけれど。
「こわい……」
獏良のいま持っている感情はその一言だった。
「誤解だーッ!ちがう!ちがうんだ!聞いてくれ!」
「やだ、こわい!聞きたくないっ!」
「さっきの意味はだなァ……オレの気持ちを表したっつーか……」
「あんなこと考えてたの?!」
ガンガンとドアを叩きながら、バクラは弁解をし始めた。
必死に言葉を並べるバクラの目には、珍しく涙が浮かんでいた。
ドアの内側と外側のその攻防は、朝まで続いたという。

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決めゼリフの「一晩かけて~」をお借りして書いた話です。
なんで素直に好きって言わないのか不思議ですね。
DVDの選択ミスより、アプローチの仕方をミスっている。


ラッキースケベの巻 ※セクハラ表現あり

一つの身体に二つの人格が宿っているということは厄介なことで、お互いの意思に関係なく行動が制限される。
特に本来の肉体の持ち主である獏良にとっては迷惑以外の何物でもなかった。
しかも、力関係はバクラの方が上。
バクラがその気になれば、簡単に獏良を心の奥底に閉じ込めてしまえる。
そして、もっと残念なことに、その厄介な同居人は宿主である獏良にとても執着していた。

ある朝、獏良は珍しく寝坊をしてしまい、慌ただしく登校の準備を始めた。
どたどたと部屋の中を右往左往している最中、ベッドから千年リングがするりと床へ落ちた。
獏良はそれには気づかずに、パジャマを脱ぎ捨て、ワイシャツを手にする。
バクラは床から大人しくその様子を見ていた。
獏良が千年リングを身につけなければ何もできない。
落ち着いているように見えて、おろおろと慌てやすい獏良から、何度もこのような仕打ちは受けている。
今さら騒ぐ必要もなしと、バクラは冷静に待っていた。
踏みつけるのは互いに痛い思いしかしないから、できれば勘弁してくれよと思いながら。
ところが、あまりに慌てていた獏良は、フローリング床で足を滑らせ、そのままどすんと尻餅をついてしまった。
手をつくこともできずに、M字型に折り畳まれた足が前へと投げ出される。
バクラは踏み潰されると瞬間的に思ったが、運良く獏良の尻は千年リングの手前ギリギリのところで止まった。
お互い無傷。
それは良かった。
問題は、その姿にあった。
獏良は着替えの途中で中途半端な姿だった。
パジャマは全て脱ぎ、ワイシャツ一枚。
あとは下着以外何も着てない。
もろに尻を床に打った痛みが遅れて獏良を襲う。
「あいたた……」
獏良は立ち上がるために、ぱっくりと開いた足を閉じようとして、
「え」
剥き出しの足の間――打ちつけた尻のそばにあるものに気づいた。
床に放置された千年リング。
「見ないでよーーーっ!!」
その後は学校に着くまで、下着を見たか見てないかの、童実野町一くだらない論争が続いた。
「絶対、見たっ!」
「てめえッ、野郎がパンツ一枚くらいでグダグダくだらねえこと抜かしてんじゃねえよッ!」
「僕だってパンツの話なんかしたくないよ!でも、じゃあ、その鼻から垂れてるものはなんなのさ?!」
バクラの鼻からは一筋の赤い液体が流れ出ていた。
「う、うるせえなァ!いちいち騒ぐんじゃねえ!」

別の日、遊戯たちと遊び倒してヘトヘトに疲れた獏良は、帰宅後すぐにソファーに飛び込んだ。
腹這いでソファーの優しい感触を楽しむ。
それに合わせて胸にかかる千年リングもソファーの上に乗った。
その日の獏良の服装は、パーカーの下にTシャツというカジュアルなものだった。
上に羽織っているパーカーのせいで分かりづらいが、Tシャツは胸元が大きく開いている。
腹這いになったことで、重力に従ってシャツが下がり、さらに胸元が剥き出しになった。
千年リングからは、ちょうどその様子が見えてしまう。
つまり、バクラの目にはちらちらと肌色の部分が眩しく映っていた。
――まじかよ。
自分の意思では動けない身のバクラは、シャツの隙間から見える景色をただただ見ることしかできない。
雪のように白い肌、ほっそりとした体型。
胸は女のものと違ってはっきりとした膨らみはないが、少年らしい僅なカーブを描いている。
そして、その先には……。
――?!見え……!
シャツからチラリと薄桃色の何かが見えた。
明らかに肌の色とは違っている。
ある場所を境にくっきりと。
しかし、視認できるのはほんの少しで、バクラはもどかしく感じた。
あと一歩で見えるはずなのだ。カーブの頂が。桃源郷といってもいい。
『もっと身体を起こせッ!!』
もどかしさのあまり、バクラは自分の欲望をつい口に出していた。
「は?」
それから夜まで獏良からの厳しい追求が続いた。

またある日、獏良は勉強疲れで机に突っ伏して居眠りをしていた。
腕をだらりと机の上に伸ばし、右頬を乗せ、顔を横に向けた状態。
千年リングも広げられたノートの上に乗っている。
獏良の顔と千年リングはすぐそばにある。
触れてしまうか、しまわないかの距離。
バクラはうずうずと真横にある獏良の寝顔を見ていた。
少しだけ開いた唇がなんともいえず官能的で情欲をそそられる。
獏良が少し寝返りを打てば、その唇が千年リングに触れるかもしれない。
針を動かせば獏良の元へ届くだろう。
しかし、それでは意味がないのだ。獏良の方から、という部分が重要だった。
むにゃむにゃと唇を動かしはするが、それ以上の動きはない。
――くっ……。
バクラは千年リングの中でジタバタと転げ回っていた。
その状態のまま半時が過ぎた頃、ついに獏良が身じろいだ。
「……ぅクリーム」
何やら寝言を言いながら、千年リングに向かって顔を近づけてきた。
ちょんと唇が針の先に触れる。
そしてバクラの期待以上のことが起こった。
獏良はちゅうちゅうと音を立てて針を吸い始めたのだ。
――宿主……っ!!
しばらくして獏良が起きた時、感動の涙を流しながら「宿主の方からキス……。宿主の……!」とバクラが騒ぎ立てたので、バクラの欲望はすぐに獏良の知ることとなった。

そんなことが立て続けに起こり、ついに獏良の怒りが頂点に達した。
「君はいつもいつも!!イヤらしいことばっかりして!」
「別にしてねえだろッ!テメエが勝手に足をおっ広げたり、パンツ見せつけてくんだろうがよォ」
売り言葉に買い言葉で、バクラもそれに応戦する。
「人を変態みたいに言わないで!それに好きで見せてるんじゃないよ!文句言うなら見ないでよっ」
「目の前にあるんだから、見たくなくても見えんだよ!」
世にも醜い口論だった。
男同士でパンツや胸という言葉が飛び交い、終いには「バカ」や「スケベ」などの小学生がレベルの悪口だけになっていく。
粗方文句を言い終わると、二人同時にフンとそっぽを向いて口を噤んだ。
口論が終わった後も、獏良の腹の虫は治まらなかった。
見たなら見たと、妙な隠し事をせずに素直に言えばいいのに。
見たいなら見たいと言えばいいのに。
見せるつもりなど更々ないが。
――などという、バクラへの不満がぐちゃぐちゃと頭の中を駆け巡り、やがて「男ってバカな生き物だ」と、ややずれた結論に至る。
それでも心の中は荒れたままで、このままではいけないと思い直す。
仲直りをするつもりは全くない。向こうから謝らない限りは許さないつもりだ。
しかし、怒りを溜めておくのは良くないことだ。気分転換をしなくては。
獏良はうろうろとリビングを行ったり来たりしていた足を止める。
「シャワーでも浴びよ」
頭から足の先まで綺麗にすれば、幾分か気も晴れるだろう。
そう決めてバスルームに向かう。
「全く、あいつにも困ったもんだよ」
いまだに獏良の頭からは、ぽこぽこと湯気が立ちそうだった。
上着を脱ぎ、ばさりと足元に置いてあるカゴに放り投げる。靴下やジーンズも同様にする。
カゴに収まり切れなくても意に介さない。普段の獏良ではありえない行動だ。
インナーの裾にも手をかけ、胸の辺りまで持ち上げたところで、はたと気づいた。
千年リングを付けっ放しにしていたことに。
あまりに頭に血が上っていたために失念していた。
あれだけの口論をして、この状況でバクラが黙っているのは不自然すぎる。
姿を現していないのに、なぜか胸の上の千年リングから視線を感じた。
気づいてしまうと、視線どころか息遣いさえも聞こえてくるような気がする。
獏良は途中まで捲り上げたインナーを静かに下ろした。
カゴに乱雑に入れた服をまとめて身体の前に抱え込むように持つ。
そこで、獏良の耳に荒い吐息混じりの声が届いた。
『……どうした?風呂には……入らないのか……』
隠しきれない期待感に弾む調子で。
「この……ドスケベッ!!」
顔を真っ赤にした獏良の怒号がチリチリと千年リングの針を揺らした。

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長年一緒に暮らしていたんだ、こういうハプニングは山ほどあったよね!という私の願望の塊です。
バクラは普段見ているはずですが、見るのと見えちゃうのは違うみたいです。男のロマン。
2016年最後の小話だったんですが、これでいいのかと…。


お正月と獏良家 ※二心二体

テレビからは新年を祝う賑やかな音声。
映し出されている映像にも、紅白の正月飾りや干支をモチーフにしたセットが目立ち、見ているだけでめでたい雰囲気が伝わってくる。
華やかな衣装を着たタレントたちが、大袈裟な身振り手振りで場を盛り上げる。
このお正月ムードは、あと二、三日で綺麗さっぱりなくなり、すぐに日常が戻ってくる。
一年に一度だけ許される、短い非日常的な時間なのだ。
そんな中、獏良家の食卓の上には、大量の餅が積まれていた。
獏良はにこにことそれを摘まみ、バクラはげんなりと箸を持つことすらしない。
正月には餅。日本で見られるごく当たり前の光景。
バクラがそれを知ったのは、獏良と共に生活をするようになってからだ。
それゆえ、この家の正月の食卓風景は異常なのではないかと、最近になって気づきつつあった。
年が明けてからは毎食、餅。
だらだらと横になりながらテレビを見て、食事の時間になったら、餅。食事を作る気配もない。
二日目までは我慢していた。三日目になると飽きが来て、それ以降はもう餅を見たくもない状態になっていた。
しかし、腹が空けば食べなくてはならない。拷問だった。
最初の内は獏良だって飽きるだろうと高を括っていたのだが甘かった。
醤油、大根おろし、きなこ、砂糖醤油、あんこ、ごま……餅の食べ方は様々で、獏良は味付けを変えることで飽きないようにしていた。
「焼くのと茹でるのでは、また食感が変わって全然違う食べ物になるよね」と獏良が言い出したときは、冗談かと思った。
「……宿主」
それまでバクラは何も言わずに餅を受け入れてきた。正月くらいはゆっくりしたいだろうという優しさからだ。
しかし、もう我慢の限界だった。
姿勢を正し、こほんと一つ咳払い。
「お前が餅を好きなのは分かった。休みたいのも分かる。
だが、正月気分はもう充分に満喫しただろう。そろそろ他のモンも食べないと栄養に悪いだろ」
言葉を慎重に選ぶ。泣く子も黙る盗賊のバクラといえども、年が明けて間もない内から喧嘩はしたくない。
箸を加えたままで、獏良は目をぱちくりとさせた。どうやら、全くこの状況を悪いとは思っていない様だ。
「んー……」
皿の上の餅を凝視つつ唸り出す。
バクラはそれを祈るような気持ちで見ていた。
「そうかー。そうだね」
ようやく出た返事に、涙が出そうになる。
獏良に合わせるようにこくこくと頷いた。
「今夜はカレーにしようか」
「そうしろ!そうしろ!」
明日もカレーになる確率は高いが、今は餅以外ならなんでもいいという気分だ。
なにより、胃が他の食べ物を欲していた。
カレーが食べられると思うと、いま目の前にある餅すら食べてもいいという気になる。
バクラは箸を取り、餅に手をつけ始めた。
「お徳用餅パックもそろそろなくなるしね」
「そうか!そいつは残念だなッ!」
しょんぼりと肩を落とす獏良に、もはや態度を隠すこともせずに口だけで同意した。
黙々と餅を片付けることに集中する。これが終われば解放されるのだ。
「もうすぐお正月の松が明けるね」
「ふェ?」
餅を口に含んだままで聞き返した。時間が経ってしまっているため、少し固くなっている。
獏良の顔を見ることもなく、もごもごと口を動かす。
「お正月の飾りを片すんだよ。年神様が帰るからね」
「へーへー」
投げ遣りに相槌を打ち、やっとゴムのような弾力の餅を歯で噛み千切った。
「年神様はね、家にいる間は鏡餅に宿ると言われてるんだよ。
だから、帰った後は鏡開きをするんだ。そのお餅を食べることは、とても縁起がいいんだよ」
「はッ?!」
ぴたりとバクラの箸が止まる。
真っ正面の獏良はテーブルに両肘をついて優雅に微笑んだ。
「鏡開き楽しみだね」
獏良の背後にあるキッチンのカウンターの隅に、とても二人用とは思えない、一抱えほどの鏡餅が飾ってあるのが見えた。

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多分了くんは餅が好きというよりも、怠けたいだけなんだと思います。
2017年のお正月小話。


↓さらに新年袋とじおまけ ※少しセクハラしてます

「お前、餅ばっか食ってると太るぞ!」
「ええー」
餅ばかりの生活にもう勘弁ならんとバクラが席を立つと、獏良はあからさまに不服の声を上げた。
「餅のカロリーがどんだけあンのか知ってんのかよッ」
テレビで聞き齧りの知識を言って聞かせてたが、当の本人はきょとんとするだけだ。
「……知ってるけど?」
まるで他人事のような答えが返ってくる。
人間の美醜には興味がないといえども、無自覚にもほどがある。
「お前なァ……」
バクラは大股でテーブルを回り込み、獏良の腕を掴んだ。
「ほら、立て!」
ぐいぐいと急かすように引っ張る。
渋々といった様子で、獏良はもたもたと立ち上がった。
その立ち姿にじろじろと不躾な視線が注がれる。
「二キロ……いや、三キロだな」
「分かるの?!」
獏良の服装は正月休みに気が抜けて、着古して少し伸びてしまっている上下のスウェットだ。
女子生徒たちが見れば、嘆いてしまいそうなほど野暮ったい。
伸びた服の上からはっきりとした体型など分かるはずもない。ましてや、体重の増減など……。
「誰にも迷惑はかけてないつもりだけど」
尚もバクラの視線は動かない。獏良が気恥ずかしさからもじもじと身体を揺らしていると、にゅうと手が伸びてきた。
バクラの手が上着の裾を掴み、あっという間に上へ引き上げる。
「ひゃっ」
ちょんと開いた小さなヘソや薄く見えるあばら骨が丸見えになる。それより上までは捲られなかった。
「ほらな」
なにが「ほらな」なのか。出来れば早く下ろして欲しい。と、心も身体も寒くなりながら獏良は思った。
続いてバクラは人差し指で脇腹をぷにぷにとつつき、
「肉がついてるぜ」
澄まし顔で言った。
バクラの言う通り、元々痩せ型の獏良の胴回りに薄く脂肪がついていた。
正月をほとんど動かずに、食べて寝て過ごしていたのだから当然だ。
それでも、標準値よりはだいぶ少ない。
「つつかないでよ」
くすぐったさと、恥ずかしさで獏良の肌が粟立つ。
「オレとしては……」
脇腹にあった指がするするとあばら骨の中央の窪みを辿って上がっていく。
「もう少し肉があった方が好みなんだがなァ」
そのまま胸の辺りで止まっているスウェットの隙間に指を差し入れ、捲らない程度にぴとぴとと上下に動かす。
「腰骨や肋骨が当たるのは……」
「――もうお餅はやめるッ!」
バクラの視線にも弄られるのにも耐えきれず、首を振って腹の底から声を張り上げた。
獏良の口が閉じると、バクラの両手はいとも簡単にするんと離れた。上着が元通りに下がる。
大人しくバクラが引き下がったことで、獏良の胸に安堵感が広がった。
正月の怠惰な生活は惜しいが、悪戯されるよりマシだ。
それに、バクラ好みの身体になるなど死んでも嫌だった。
「そうか」
――当たるのはごめんだが、腰骨や肋骨が浮き出てるのは扇情的だって言おうとしたんだがなァ。
バクラは心の中でそっと付け加えた。

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↑の別バージョン。
勝負(?)を引き分けにしてみました。
新年からこれでいいの?

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