ばかうけ

バレンタイン ※都合よく分裂しています。

食卓に流れるのは、百貨店のチョコ売場が大盛況というテレビの報道。
女性たちが我先にとチョコに手を伸ばす映像が流れている。
今日はバレンタインデー。
テレビに映っているのは、愛を伝える日のためのものとはとても思えない光景だった。
「ケッ。くだらねえ。人間の女どもはどうでもいいことに必死になるよなァ。なあ、宿主」
バクラはひじきの煮物を咀嚼しながら、醒めた目でテレビを眺めていた。
獏良家の昼食は、昨晩の夕飯の残り物と焼き魚で構成された和食。
海外からやって来た行事とは無縁の献立だ。
焼き魚はふっくらと焼き上がり、煮物類は一晩経って味が染み込んでいる。箸休めの胡瓜の漬物の塩加減もいい塩梅。
喧しいテレビの向こう側と比べ、こちらはなんと平和なことか。
一般の男子学生とは違って浮つくことのない、よくできた宿主だとバクラは鼻高々だった。
毎年女子生徒に騒がれてバレンタインには辟易しているであろう獏良に対するものとすれば、バクラの言葉は間違ってはいない。
いないが――。
対面の席に座っている獏良は、右手に箸、左手にご飯茶碗を持ったまま、動きを止めていた。
視線はやや下方向をさ迷っている。
返事がないことにテレビから獏良へ注意を向けたところで、バクラはその不自然な態度に気づいた。
「どうした?」
獏良の頬がほんのり桜色に染まっている。
通常なら見逃してしまうほどの些細な変化だが、色白の肌には目立ってしまう。
髪の間から少しだけ見える耳も同様だった。
獏良がこんな反応をするのは、気まずいことがあるときだ。
はて、なにか余計なことを言っただろうかと、バクラは自分の言動を振り返る。
「あの……」
答えに行き着く前に、獏良が口を開いた。
もごもごと口ごもりながら、使っていない隣の椅子に手を伸ばす。
バクラの目からは何をしているのか分からない。
「これ……」
おっかなびっくりテーブルの上に置かれたのは、青色のリボンで装飾された長方形の包み。
その間も獏良は俯いたまま。
しばらく、テーブル中央の包みを前に沈黙が続いた。
「――は?!」
バクラの思考がどうにか事態に追いつき、箸と小鉢を机に音を立てて戻した。
自分の言葉と獏良の態度、いま流れているテレビの内容を総合して考えると、答えは一つ。
箱を恭しく両手で持ち上げて手前に引き寄せる。
重さはほとんど感じない。
中のものがカサリと音を立てる。
「友チョコ」
聞き逃してしまいそうなくらい小さな声で答えが呟かれる。
――マジか。
思いきり悪態をついたあとだ。気まずい。
知らなかったこととはいえ、辱しめてしまった。
辱しめるのはベッドの上でと決めているのに。
しかし、獏良はバレンタインにいい思い出を持っていないはずだ。バクラもそれはよく知っている。
ただでさえ毎日手作り弁当やらラブレターに悩まされているところに、バレンタインという名目ができると女子の熱が高まって目も当てられない有様になる。
正面から断れないことが災いし、押し寄せる女子の応対で、毎年夕方になる頃にはボロボロになってしまう。
それなのに、なぜ今年は渡す側に回ろうというのか。
「じょ……城之内くんが『男はみんなチョコが欲しいもんなんだよ。チョコを寄越せ』って言うから。お菓子はあまり作ったことないけど、作ってみたらたくさん出来ちゃって」
「あー」
数日前に教室で発せられた言葉だ。バレンタインについ期待をしてしまう健康的な一般男子学生の魂の叫び。
その中で「獏良も寄越せよな」という言葉も確かにあった。
それは、せめて貰ったチョコを少し分けて欲しいという意味であって、わざわざ用意してくれという意味ではないだろう。
変に律儀な奴だなと苦笑して、バクラはリボンを解き、包み紙を箱から剥がした。
獏良がチョコを作っていた姿をバクラは見ていない。材料を揃えているところも。
おかしな行動をすれば、すぐにバクラへ伝わってしまうから、相当気をつけていたのだろう。
――サプライズのつもりかよ。これが本命だったら言うことねえんだが。
パカリと蓋を持ち上げると……。
「作り出したら結構楽しくて。フィギュア作りに似てるんだ。ついトッピングに凝っちゃったけど、それは……友だち用、だから……」
獏良はもじもじと指を遊ばせ、恥ずかしそうに説明をする。
基本の型抜きチョコにチョコトリュフ、クッキー、ウーピーパイ。
手先が器用な獏良が作ったことだけあり、市販品と思えるほどに形が整っている。
チョコレートは扱いが難しい。
温度に気をつけながら溶かさなければならない。
失敗すれば風味が悪くなり、ブルームと呼ばれる白い模様が浮き出てしまう。
箱の中のチョコは綺麗なツヤが出ていた。
さらに、獏良の言うとおりにアイシングやアラザンなどで細かい装飾が施されている。
完成度からも種類の多さからも、張り切って作ったのであろうことは分かる。
――宿主……。
箱を持つバクラの手は密かに震えていた。
菓子の形や飾りは、ハート型で溢れていた。
型抜きチョコはもちろんハート。
ウーピーパイもチョコケーキ生地がハートになっている。その上にも丁寧なデコレーション。
トリュフにもハートの装飾がされている。
クッキーは丸型ではあるが、アイシングでハートがこれでもかと描かれていた。しかも、同じ絵柄が一つとしてない。
――これは……間違いなく本命ッ!!愛に溢れてやがる。宿主、隠しきれてねェよ!
当の本人は手で顔を仰ぎ、視線を宙に泳がせ、「友チョコならバレンタインもいいよね」などと口走っていた。
バレないように隠れて材料を買い、数種類の菓子を作り、手の込んだ装飾を施す。
時間も労力も膨大なものだっただろう。
そして、出来上がった菓子を友チョコだと言い訳を添えて渡したのに、中身で好意がバレバレ。
バクラは顔が緩みそうになるのを必死で堪えていた。
――可愛すぎだろ。なにこいつ。可愛さでこのオレ様を殺そうってのか。そうか、分かった。殺されてやるよ。お前は当代随一の愛のヒットマンだよ。
もう今すぐ飛びついて抱きしめてやりたかった。
全く気づいてない本人に指摘する方法には悩むが。
「たまにはあげる方もいいもんだね……」
無理やり口角を笑みの形に歪める獏良に向かい、
「宿主、これ、ハートまみれになってる」
悩んだ挙句にそう告げた。

穏やかに午後を迎えようとしていた獏良家の食卓だったが、
「やだぁあああ!!見ないでー!!お願い!忘れて!もうやだ!」
「無理言うなッ!一生忘れてやらねェよ!これは思う存分に鑑賞した後に時間をかけて食ってやる!じっくりとなァ!!」
甘い菓子を前に茹でダコのように赤面した二人がそれを打ち壊していった。

+++++++++++++++++++

バクラはこれから写真撮影もしますよ。


ひなまつり

天気は晴れ。ようやく寒暖の差が落ち着き、新芽が芽吹き始め、春の訪れを感じる穏やかな午後のひととき。
獏良は自室で毎月購入をしているTRPGの専門雑誌をゆっくりとめくっていた。
新作ゲームの紹介やシナリオの書き方のコツ、クリエイターのインタビューなど、すべての記事にゆっくりと目を通していく。
興味を引く箇所に辿り着くと、ふむふむと小さく頷いて丁寧に読み込む。
気が済むまで読み返した後は再び先に進む。
なんて平和な一日としみじみと思ったのも束の間、
「宿主」
貴重な午後休みの時間を台無しにする声が背後から聞こえてきた。
これは気のせい。何も聞こえなかった。
獏良は雑誌から目を離さずに次のページをめくった。
「今日も美人で可愛いですね。まるで砂漠のオアシス。砂漠の中に咲く一輪の花。この世に生まれてきたことが奇跡。神に感謝するぜ。ま、神といっても邪悪な方だがな」
「……もー!やめてよ!!」
ぷつぷつと腕に鳥肌が立ち、背筋が勝手にぶるぶると震え出す。
腕を擦りながら後ろを振り返った。
声の主が誰なのか考えるまでもない。
たった今甘い言葉を吐いたとは思えないほど平然とした顔でバクラが立っていた。
「やっとこっちを見たな」
目が合ったところで唇を片側だけ吊り上げて勝利宣言をする。
「ハイハイ。で、なに?」
いちいち反応しても無駄だと、獏良は取り合うことをやめた。
なにしろ四六時中この調子なのだ。付き合っていたら身が持たない。
椅子をぐるりと回転させてバクラと真正面から向き合う。
「アレ最近見てねえなと思ってよ」
「アレ??」
「階段みてえな台の上に古臭ェ人形を大袈裟に飾り立てるヤツ」
大雑把な説明に獏良の頭の中はしばらく疑問符で埋め尽くされていたが、やがてポンと手を打った。
「雛人形のこと?」
「あー、そんな名前だったか」
獏良の家では五段の雛人形が飾られていた。

一世帯住宅やマンション住まいが増えていくにつれて、男雛と女雛だけを飾ることが多くなった今の世の中では立派なサイズといえるだろう。
五人囃子まで揃っている獏良家の雛人形は実家近辺でも珍しかった。
近所の女子が羨ましがってよく見に来たりもしていたものだ。
獏良も幼い頃は飾りつけを手伝ったものだが……。

「いやあ、あれは女の子……」
「お前ら兄妹、人形の前で正座してよ。ちっこかったなァ」
バクラは腕を組んでうんうんと頷いた。親戚にでもなったかのような口調だった。
その仕種や表情があまりにも真に迫っていて、獏良は不本意ながら昔のことを思い出してしまった。
兄妹で一緒に雛人形を飾ったこと、ちらし寿司や蛤のお吸い物などのごちそうが美味しかったこと、雛人形を前にひなあられを二人で分け合ったこと。
「凄く綺麗だけど飾るのも大変だし、片すのも面倒なんだよね」
忙しい日々の中では煩わしく思ってしまいがちな時間。
もう二度と戻ってこないことを知ると、何もかもが懐かしい。遠い記憶に思いを馳せる。
「元は子供の成長を願うものなんだけど、しまうのが遅れるとお嫁に行くのも遅くなるとかいうからさ。飾りっぱなしでもいけないし」
「ヨメに行くのが?!」
それまで獏良と同じように遠くを見ていたバクラの目の色が変わった。
驚愕の表情から眉間に皺を刻んで神妙な顔つきになる。
「それはマズいだろ……ヨメに行くのが遅れるのは。なんて儀式だよ……。オレと結婚するのが遅れるのは絶対に許せねえ……お前は18歳になったら、すぐにオレのヨメになるんだからな」
獏良の顔が歪んだ。
顔の筋肉があちらこちらに伸び、頬がピクピクと痙攣する。
そして、目にじわりと涙が滲んだ。
「い……いやだぁああ!君となんか、げっごんしだくないぃー!!なにその、人生計画ぅ!!」

「ごめんね。取り乱しちゃって」
しばらく泣いた後、獏良は勢いよく音を立てて鼻をかんだ。
それでも、まだスピスピと鼻が鳴っている。声は少し嗄れていた。
「いや……いい……」
なぜか泣き喚いた獏良よりもバクラの方が疲れた顔をしていた。
胸を押さえてよろよろと、その場に立つのがやっとだった。
「ひなまつりは女の子のものだからね。僕は関係ないの」
「それを早く言えよ。お前とけっ……毎年やってたもんだからよォ」
「結婚」の単語に再びぴくりと獏良が反応したのに気づき、バクラは慌てて話題を逸らした。
「まあ、何もしないのもちょっと寂しいかもね」
雛人形は埃を被ったまま実家の納戸の奥だ。
今年も誰の目にも触れることはない。
「よし。じゃあ、今日はちらし寿司にしようか」
ぱちんと膝を打って獏良は椅子から立ち上がった。
「お、具だくさんで頼む」
部屋には雑誌だけが取り残されていた。

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※彼はご両親に承諾を得ているものと思っています。


ティンカーベル ※ピーターパンパロ、童話調、メルヘンです。

一人の少年がネバーランドからやって来た永遠の少年と出会ったのは、綺麗な満月の夜でした。
永遠の少年はいつも連れている妖精の羽から出る魔法の粉を少年にかけて、屋根裏部屋にある少年の部屋から夜空へ飛び出しました。
少年は落ちると思って目を瞑りましたが、いつまで経っても地面とは衝突しませんでした。
妖精の粉をかけられた少年は、なんと空を飛べるようになったのです。
上空にはぽっかりと浮かんだはちみつ色の大きな満月、足元には煌めく町明かり、幻想的な風景でした。
少年たちは楽園ネバーランドに向かいます。
二人の少年が恋をするのに時間はかかりませんでした。
少年は永遠の少年に「心」を教えました。
闇の中から光の当たる場所へ永遠の少年を連れ出したのです。
二人は強い絆で結ばれました。
そして、これから始まるのは二人の少年の話ではなく、小さな妖精の話です。

永遠の少年――アテムはネバーランドに住む子供たちを守る、謂わば王様ともいえる存在でした。
独善的なところもありましたが、遊戯という少年と出会い、人を思いやる優しい王様になっていきました。
子供たちに害を為す存在は数多くいましたが、中でも盗賊のバクラは特にたちの悪い外敵でした。
死霊を引き連れてネバーランドの平和を幾度となく脅かしてきました。
アテムが何度追い払っても、蛇のように食らいついてきます。
しつこく罠を張り巡らせてくるバクラに、あわやということもありました。
しかし、運を引き寄せるほどの底力を持っているアテムは勝ち続けていたのです。

「チッ。相変わらず小憎たらしい顔してんなァ」
その日、バクラは丘の上で談笑をしているアテムたちの様子を茂みの中から双眼鏡で監視していました。
入念に準備をしていた策を台無しにされたばかりでした。
「あそこで神を召喚するなんてありえねえだろ。無茶苦茶しやがって」
思い出しても腹立たしい限りです。
また一から策を練らないといけません。
ブツブツと不満を口にしながらも、バクラはアテムの周辺を探ります。
仲良く寄り添っているアテムと遊戯から離れた場所にきらりと光るものがありました。
「ん?」
双眼鏡の倍率を上げてみると、地面から盛り上がった木の根にちょこんと座っている妖精の了の姿が見えました。
バクラと同じ白い長髪で、布の切れ端を身体に巻きつけています。他の妖精と同様に手のひらサイズしかありません。
光ったのは太陽に照らされて虹色に輝く透明の羽でした。
了はこの羽を使って空を舞い、首から下げた千年リングを鳴らしながら魔法の粉を生み出します。
いつもならアテムの肩に乗っているはずなのに、今日は二人に背を向けてじっとしていました。
今までは生意気な口を利く可愛いげのない妖精という印象しかありませんでしたが、こうして見ていると利用する価値があるかもしれないとも思えてきました。
「死霊ども!」
バクラの合図に応え、辛うじて目鼻だけ判別のできる煙のような姿をした死霊たちが妖精へ向かいます。
了が気づいたときには死霊たちに取り囲まれていました。
アテムに助けを求めようと口を開いたところで、
「よう、妖精サマ」
背後から現れたバクラの両手に包まれてしまいました。

「放してよ……!触らないで!」
了は盗賊の住み処に連れ込まれました。身体をバクラに掴まれたままです。
じたばたもがこうとも、妖精の小さな身体ではどうすることもできません。
「うるせえ羽虫だなァ」
バクラはテーブルの上に置きっぱなしになっていたグラスを手に取ると、その中に了を閉じ込めてしまいました。
たかがグラスでも妖精にとっては立派なガラスの檻になります。
テーブルに逆さに伏せてしまえば、妖精の力ではびくともしません。
了はそれでも必死にガラスを叩きました。
「出してよ!!」
「出すかよ。てめえは人質だ」
「卑怯者!」
「あのデタラメな強運相手するのに卑怯もクソもあるか!」
バクラは了を冷たい目で見下ろしました。無慈悲な視線が刺さります。
そこで初めて恐ろしい盗賊を前にしているのだと、了は気づきました。
普段はアテムと一緒なので、怖いことは一つもありませんでした。
いま目の前にいるのは、その気になれば小さな妖精など躊躇なく捻り潰してしまえる存在です。
了はガラスから離れ、檻の中央で膝を抱えました。俯くと長い髪がその表情を隠してしまいます。
「そうそう、そうやって大人しくしてろよ」
バクラは身を屈めてテーブルに腕を伏せ、コップの中の妖精に目線を合わせました。
指でコップの側面をつつきます。
「キレーな妖精サマ」
「……来ないよ」
顔を上げずに了が呟きました。
「アテムくんは来ない」
「は?」
「なんで僕なんかを人質にしようと思ったのか分からないけど、アテムくんは遊戯くんのことが好きなんだよ。だから、僕なんかのためには来ない」
妖精の口調はどこか投げ遣りでした。
剥き出しの小さな肩も腕も、バクラにはなぜだかとても華奢に見えました。
「おい、そんなことは……」
だから、フォローの言葉をかけようとしてしまったのです。慰め方なんて知りませんでしたが。
目の前にいるのは敵に捕まってしまった哀れな妖精。
想い人は自分以外の少年に夢中。
きっと、泣いているに違いないと残酷無慈悲な盗賊でも思いました。
「おかしいの。いま、慰めようとしてた?」
顔を上げた了の目に涙は浮かんでいませんでした。
「別に辛いことなんてないんだよ。アテムくんのことは初めて会ったときからずっと好きだけど、遊戯くんのことだって好きなんだ。どちらも大切な友達なんだよ。その友達が幸せなんだから、僕も嬉しいに決まってる」
その言葉の通り穏やかな口調ではありましたが、顔は少し寂しげでした。
今にも消えてしまいそうな儚さがありました。
それは小さな身体や透き通る羽のせいではありません。
「そんなの耐えてねえで奪っちまえば済む話だろうが」
「ふふっ、君らしいね。乱暴だなあ。そんなことできないよ」
妖精の目が優しげに細まりました。盗賊に向けてではありません。そこにはアテムと遊戯が映っているのでしょう。
自分の気持ちを抑えてまで他人を大切に思う姿は、とても美しく見えました。
このままガラスの中に閉じ込めたままにしてしまいたいとも。
しかし、そうしてしまうにはとても惜しいという感情もありました。
「でも、慰めてくれてありがとう。君って思ったよりも優しいのかな?」
「お前、よく見ると本当に綺麗だな。オレ様好みというか……」
了を見つめる目は和らいでいて攻撃的ではありません。
「え?」
「もっと顔見せろ」
バクラはコップをゆっくりと持ち上げました。
そして、人差し指をちょこんと了の顎の下に置きます。
「そんなに辛いなら、オレんとこ来るか?オレならお前を」
すべて言い終わる前に、
「バクラァアアアア!!」
辺りに響き渡る怒号に打ち消されました。
窓ガラスを周辺の壁ごと壊し、赤い龍を従えたアテムが外に立っていました。
部屋の中に瓦礫やガラスの破片が舞い散ります。
「てめえ!人ンちを……!!」
「問答無用だ!オレのターン、超電導波!!」
「勝手に始めんなァ!」
二人が怒鳴り合う横で遊戯が壁穴からひょっこり身を乗り出しました。
「了くん、大丈夫?」
了に向かって手を差し伸べます。
「遊戯くん……!」
その胸に了は飛び込みました。
やはり、友人の懐はとても安心する場所です。
「妖精サンよォ!さっき言ったこと考えておきなァ!!」
アテムとやり合いながらも、バクラはちらりと了に視線を送りました。
遊戯に抱えられ、遠ざかる盗賊の住み処を了はいつまでも見ていました。

「クソ。見てるだけで虫酸が走るぜ。」
バクラは相変わらず茂みの中から双眼鏡でアテムたちを監視していました。
つい数日前も負けたばかりです。
「あの面だけでもどうにかなんねえのかよ」
「君も懲りないねえ」
耳元ではっきりと自分のものではない声が聞こえました。
「お前……!」
バクラの顔付近にある枝に、いつの間にか了が行儀よく座っていました。どうりで姿が見えなかったはずです。
「この前の、返事しなきゃと思って。君の気遣いは嬉しいけど、やっぱり僕は二人の友達だし、君のところへは行けないよ……」
慎重に言葉を選びながら自分の出した答えを述べました。バクラを直視することができずに目を伏せて。胸が少しだけ痛みました。
「そうか」
断りの言葉に対するバクラの反応は淡白なものでした。
思わず了が拍子抜けしてしまったくらいです。
数日間悩み抜いて出した答えだったのですから。
バクラにとってはあの場限りの、それほど大した誘いではなかったのかと、少し失望もしました。
「ンなことよりよ……」
肩を落とす了を尻目に、バクラはごそごそと懐を探りだし、
「ほらよ」
指で摘まんだ小さな布を了に押しつけました。
「な、なに?」
「お前、いつも同じ布切れみてえなの着てるだろ。ちったぁめかしこんでみな」
了が手にした布を広げてみると、それは確かに上等な布地を使った服でした。
「あと、コレとコレ……コレな」
了の小さな手に乗せられていくのは、指輪(了にとっては冠になります)や一粒の大きな真珠、芳しい花の香りが漂う小さなサシェなどです。
「これは……」
「今に王様をブチ倒してお前を手に入れてやるから待ってろ」
初めからバクラに了の返事など関係なかったのです。
バクラは盗賊。欲しいものは奪うだけ。とてもシンプルな考え方でした。
了は押しつけられたプレゼントを抱えたままできょとんとしていましたが、すぐにくすくすと笑い始めました。
「お、やっと笑ったな。やっぱり可愛いよなァ、お前」
小さな頬をバクラの指が傷つけないよう優しく撫でます。
「もし、アテムくんと遊戯くんが結ばれて、二人が……」
「ん?」
「……君のところへ行ってもいいかも」
「そうか」
バクラは今度こそ深く頷きました。

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更新するものの不採用になった方のネタ。
元ネタ通り、この後ピーターパンを庇って倒れたりもするかもしれません。 のちのち一緒に暮らしそうな二人です。


君と僕の千夜一夜 ※千夜一夜物語パロ

その砂漠には盗賊団が住み着いていた。
岩場の洞窟を根城とし、砂漠を横断する商人や周辺の村を襲う、悪名高い盗賊団。
特に根城に近い村の被害は甚だしく、金品を奪われるのはもちろんのこと、女たちも連れ去られていた。
女たちは盗賊たちの慰み者になり、売られていく。
村人たちは嘆きながらも、盗賊たちに抵抗する術もなく、ただ蹂躙されていた。
盗賊の頭はバクラという長い白髪が特徴的な若い男だった。
洞窟の最深部にバクラの部屋はあった。
通路から袋状に広がっている構造で、岩をくり貫いただけの簡素な部屋。
一人寝には充分すぎるほどの寝台が奥の壁側に置いてある。
手下たちが大部屋に雑魚寝をしていることに比べれば、頭であるバクラの扱いは別格であることが窺える。
その日、バクラはいつもするように寝台に寝そべり、酒を呷っていた。
大きく前の開いたベストに、派手なネックレスや指輪などの宝飾品をジャラジャラとこれ見よがしに身につけている。
腰には肌身離さず差している短刀。
いつ寝首を掻かれるか分からないと、短刀は寝る時も手離さない。
盗賊の頭をしているが、手下には微塵も心を許していないのだ。
「頭ぁ!新しい女を連れて来やしたぜ」
手下の一人が抵抗する女の腕を掴んでやって来た。
「おら、頭の前だ。大人しくしろ!」
力任せに女を寝台の前へ押し出す。
後ろ手に縛り上げられている女は、たまらず地面に倒れ込んだ。
「お頭、ごゆっくり」
そう言うと、手下は下卑た笑いを浮かべて去っていった。
「顔を見せろ」
バクラは寝台から下りもしない。品定めをするように不躾な視線を女に送るだけ。
女は身体に布を巻きつけ、顔の大部分と上半身を隠している。体型は細身のようだ。
服から覗く手足は血管が透けて見えるほど色白。とても砂漠の住人とは思えない。
バクラの要求に答え、娘はゆっくりと身体に巻いた布を解いていった。
中からは長い白髪と、整った顔が現れる。年は十代半ばほど。
やはり、身体は細すぎるくらいの体型をしていたが……。
「男連れてきてどうすンだよ。ったく、あいつら使えねえなァ」
凹凸の少ない体型は、どう見ても男のものだった。
下手な女よりもよほど美しい顔をしているが、性別までは誤魔化せない。
バクラは起き上がりもせずに短刀を抜いて少年へと向ける。
「何の手違いかは知らねえが、オレ様に男色の趣味はねえンだ。恨むならお前をここに連れてきた間抜けな下っ端どもを恨むんだな」
少年は短刀を前にしても、怯えもせずに真っ向からバクラを見据えていた。命すら惜しくないと言いたげな凛とした眼差しで。
「僕がやったんだ。妹が連れて行かれそうになったから入れ代わった」
「フーン、じゃあ命が惜しいってワケじゃねえンだな。安心したぜ」
少年の話を聞いても、バクラの心は少しも動かされはしない。氷のように冷たい瞳で少年を見下ろす。
「僕は君に話をしに来た。殺すのは僕の話を聞いてからにしてくれないか。僕の父さんから聞いたとても珍しい話を。それからでも遅くはない」
命を握られている者とは微塵も思えない態度。残忍な盗賊を前に堂々とした振る舞いだった。
「へえ……」
面白いとバクラは思った。「少年の要求が」ではなく、命尽きようとしている人間が、どう足掻くのか見たくなったのだ。
「面白ェな。聞かせてみろよ。ただし、少しでもつまらないとオレが感じたら、即殺す」
バクラが短刀を鞘に収めたのを確認すると、少年はすうと深く息を吸い込んだ。

「君に話すのは昔々の物語。ほとんどの人が忘れてしまったある王国の物語。『昔々、ある国に一人の王様がおりました』――」

少年の語り口調は決して力強いものではなかった。かといって単調でもない。
落ち着いた調子で聞き取り易い。やや高めの優しい声音で物語を紡いでいく。
バクラはいつの間にか、少年の話に聞き入っていた。

「『――こうして、王の弟は禁断の書に手を出してしまったのです』。はい、今日の話はここまで……」
「は?」
思わず、バクラは起き上がった。いよいよ話が盛り上がってきたというところで、すっぱりと話を打ち切られてしまったのだ。
「だって、もう夜が明ける時刻だから。続きはまた明日。僕の命があれば、だけど」
平然と少年は言ってのけた。縛られたままでこの態度なのだから、目の前の盗賊ですら舌を巻く度胸だ。
少年と盗賊の視線はしばらく空中で絡み合っていた。
「仕方ねェなあ!つまらないかどうか、判断つかねえじゃねえかァ。明晩まで待ってやるか……」
バクラは手下を呼びつけ、少年を連れて行くように命じた。
「そいつの寝床を用意しろ。後ろの縄は解いてやれ。手ェ出すなよ」
その間も少年は落ち着いた様子だった。
この根城は盗賊の手下たちで溢れている。逃げる場所も隠れる場所もない。それを知っていてるはずなのに。
大したものだと、バクラは少しだけ少年に関心を寄せた。
「お前、名前は?」
「リョウ」

10夜目

「――『その子供は盗賊として生きることに決めたのです。王への復讐を小さな胸に誓って』」
それから、リョウの話は毎晩続いた。
なかなかどうして、バクラを飽きさせることはなかった。
話が盛り上がってくると、リョウは「今日の話はここまで」と中断してしまうので、どうしても続きが気になってしまう。
物語に出てくる盗賊が他人とは思えないこともあったかもしれない。
リョウは毎晩バクラの寝床にやって来ると一晩中物語を語った。
絨毯を敷いているとはいえ、ごつごつと岩肌が剥き出しになっている床に座ったままで。
「続きはまた明日」
「またかよ」
不思議なことにリョウの話を聞いているうちは眠くならなかった。女を抱くよりも、よほど暇潰しになる。
そして、話す度にさらりと流れる髪も、ランプの光に照らし出される深い色の瞳も、絶えず動く艶やかな唇も、バクラを惹きつけた。
「その話、あとどんくらい続くんだよ」
「さあね」

33夜目

「『それから、』……コホッ」
いつものように語っていると、リョウは突然咳き込み始めた。
喉を押さえ、背中を丸める。しばらく、前屈みになったまま、身体を小さく上下させていた。
「おい、どうした?」
バクラは思わず身体を起こした。
「ごほっ……だいじょ……っふ……喉が少し、いがらっぽ……げほげほっ」
毎晩話し通しなのだ。喉が痛むのも当然といえば当然だ。
「おい、今日はもういいから休んでろ」
「でも……」
「命令だ」
リョウは咳き込みながら自分の寝床に戻っていった。
姿が見えなくなったところで、
「ハチミツ湯飲ませてやれ」
バクラは部下にそう命じた。

38夜目

「『遺跡に張り巡らされた罠は執拗に盗賊を狙いました。盗賊は持ち前の素早さで、雨のように降り注ぐ矢を避けていきます』」
リョウの話が一段落すると、バクラは口を開いた。
「喉はもういいようだな」
「うん。ハチミツ湯のお陰だね。ありがとう」
対等な人間に送るような素直な言葉と自然な笑顔が返ってきた。
朝が来るのが惜しいとバクラは思い始めていた。

210夜目

リョウは変わらない調子で語る。
物語はある盗賊が王に闘いを挑むところまでやってきていた。
「なあ……」
珍しく、バクラが話の途中で口を挟む。
「ん?」
「そこ、寒くないか」
リョウは寝台の前の床に膝を揃えて座っている。これは初日から変わらない。
端から見ても辛そうに見える。
それでも、リョウは顔色を変えずに朝まで動かない。
「え……っと、特には……」
バクラは横になったまま寝台をぽんぽんと手で叩いた。
「こっちに来いよ」
「でも……」
盗賊とはいえ、この根城の長の寝台に上がることに、リョウはさすがに難色を示した。
「別に取って食やしねェよ。飽きるまでは、お前に指一本触らない」
躊躇いながらも、リョウは寝台に上がった。敷布の上にちょこんと座る。
「じゃあ、話を続けるね」
今までよりもずっと近い距離で物語が披露されることになった。

555夜目

「『王に仕える忠臣の出生の真実は、聞くも涙、語るも涙。まさか、師と仰いだ人物が父親だとは……』」
リョウの話は終わる気配もなく、ずっと続いていた。
一つの長い話ではあったが、様々な登場人物にスポットライトを当て、時に面白おかしく、時に切なく語って見せる。
もし、他にも聞き手がいたとしたら、誰もが面白いというだろう。
「……分かっているんだぞ」
「なにが?」
「気づかないと思ったか?お前の考えていることくらいはお見通しなんだよ」
バクラは瞳に鋭い光を灯し、リョウを睨みつける。
反対に、リョウは海底のように静かな面持ちだ。
二人は長々と無言で見つめ合っていた。
「……チッ」
忌々しげに舌打ちをし、視線を逸らしたのはバクラの方だった。
その夜の話は終いになった。

808夜目

「『哀れ盗賊は自分の手駒に返り討ちにされ、闇に飲み込まれてしまったのです。彼の人格は歪められて、もう元には戻らない』」
語っている最中、膝の上に行儀良く置かれているリョウの手に、何度かバクラの手が伸びた。
が、寸前のところで触れずにピタリと止まっていた。
「お前、この話が終わったら、どうするつもりだ?」
「どうもしないよ」
リョウの答えは、とてもシンプルなものだった。
「どうもしない」
もう一度、ゆっくりと同じ言葉が繰り返された。

1001夜目

「『――こうして、王は自分の魂と共に、闇を封じることに成功したのです。王は三千年の眠りに就きました。信頼する臣下に国を託して……』」
リョウは一度だけ目を閉じた。そして、再び開き、澄んだ瞳でバクラを見つめ、
「これで僕の話はおしまい。何も話すことはないよ。さあ、約束通り殺して」
両手を前に伸ばした。
話の続きをするような、あまりにも自然な口調。
バクラはその言葉を理解するのに、しばらく時間を要した。
「バ……バカか!命乞いをするつもりなんじゃなかったのかよッ!」
起き上がり、血相を変えてリョウに詰め寄る。
「最初はね。今は半分くらいかな」
あくまでリョウは平然と言った。
「頭腐ってんのか!」
人は生にしがみつくものだと思っていた。
だから、目の前の澄ました顔をしている少年も、最後にはみっともなく命乞いをするものだと決めつけていた。
物語で気を引き、長引かせ、バクラが折れるのを待つ。
もしかしたら、バクラに似た境遇の者の話をすることで、改心させようとしているのかもしれない――そう思っていた。
「君の考えていることは当たっていると思うよ。でも、僕は妹の命が助かりさえすれば良かったんだ」
リョウはバクラの手に自分の手をそっと重ねた。
「君を見るまではね」
視線は外れない。真っ直ぐにバクラを見つめている。
「君は仲間もたくさんいるし、宝石もたくさん身につけているけど、全部興味ないんだなって思った。凄くつまらなさそうだったから。僕はこの話をすることで、少しでも君の心が変わったらいいなと思っただけ。物語の盗賊みたいに闇へ堕ちてしまう前に」
「随分お人好しだな。普通は怯えるくらいするだろ」
バクラの言葉には嘲笑が含まれていた。表情も氷のように冷たい。
「怖かったよ。最初は眠れないくらいにね。でも、真剣に話を聞いてくれたし、気遣ってくれたじゃない」
そこでリョウは一つ溜息をつき、
「本当はね、ほとんどは君と過ごす中で思ったこと。千一夜を君と一緒に過ごさなかったら、思わなかったかもしれない。だから、これまで僕を殺さないでくれてありがとう」
胸に空いている方の手を当てた。初めて会った時から変わらない優しげな顔。
自然とバクラは手を握り返していた。
目の前の少年はずっと怖がっていたのだ。自分の命が危険に晒されて怖くない人間などいるはずがない。本当は今も怯えているのかもしれない。
今まで出会った人間たちは、恐れたり、畏まったりするばかりで、バクラに踏み込んでくる者などいなかった。
「殺さない」
この少年を離してはいけないと思った。殺してしまったら、もう二度とこんな人間には会えない気がした。
「お前は殺さない」
心はまだ冷え切ったままなのに、握った手だけが熱い。
「殺さないでどうするの?」
バクラからの答えはなかった。けれども、顔がゆっくりと迫ってきた。
二人の唇が軽く重なる。
「……男色の趣味はないんじゃなかったの?」
「お前は特別」
ほんの少しだけ、バクラの口元が緩んでいた。
その夜、バクラは初めて短刀を手離し、穏やかに眠ることができた。

それから紡がれたのは、少年と盗賊の物語。
結末は誰も知らない。

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元の話は王様とお妃様の話ですが、バクラを王様にすることは出来なかったのでこんな形に。
殺す→殺せない!添い遂げて!にロマンを感じまして。
ちなみに、了くんの話している内容は「史実の方」ということで。

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