ばかうけ

仲良しの証 ※二心二体、普通に同棲しています。

獏良家の書斎でガチャンと無慈悲で乾いた音が鳴った。
床に飛び散った破片――音の原因を口を半開きにして獏良は見下ろした。
「あ……わ、どうしよう……」
エプロン姿に右手にはハンディタイプの拭き掃除具。左手は床の惨状に指を広げて小さく上げたまま。破片を踏まないように爪先立ちをして。
自分か同居人が怪我をする前に片付けをしなくてはならない。
しかし、獏良は困り果てて、もはや原形を留めていない破片を見つめるだけだった。
割れた物にとても問題があった。
破片になる前は、蛇のガラス細工だった。

二人で買い物に出かけたとき、バクラが珍しくインテリア雑貨店の前で足を止めた。
上着のポケットに手を突っ込んで身体を前に向けたまま首を少し傾けて、しかし視線は揺るぎなく陳列棚の一番上に置かれた蛇の置物に注がれていた。
どうしたのと獏良が尋ねても、短い否定の言葉が返ってくるだけだった。
いつになってもバクラの注意が置物から外れない。
気になるのなら買うかと獏良が口にしたところで、ようやくバクラの首が縦に動いた。
日常生活には何の意味のないただの置物に、バクラがなぜ興味を示したのか甚だ疑問だったが、問うこともせずに獏良は購入した。
欲しいと言うなら買えばいい。ただそれだけのこと。
インテリアにこだわりがあるわけでもなかった。置物一つ増えたところで問題はない。
それに、透き通った乳白色の胴体は緩やかにとぐろを巻き、棚に鎮座する姿は獏良の目から見ても上品だった。
こんな趣味があるなんて知らなかったと少し驚きも感じる。
もっとおどろおどろしい造形のものを欲しがると思っていた。
――白蛇は縁起物って言うし。
躊躇う理由などなかった。
家に帰ってから置き場所に少し悩んだが、結局は本棚の空いたスペースに飾ることにした。
部屋の掃除は基本的に獏良がする。
それでも、たまにバクラが置物を磨いているのを見かけ、こっそり微笑んでいた。
物を大切にすることは良いこと。
見かけたときは声をかけずに、そっと部屋を離れることにしていた。

それがいま、獏良の足元で粉々になっている。
無論、割ろうと思って割ったのではない。
いつものように本棚の拭き掃除をしていただけだ。
慣れというのは怖いもの。日々同じことを繰り返していると、注意力が散漫になる。
鼻歌交じりにちょいちょいと棚を拭いていたら、こつんと肘で小突いてしまった。
あっと思ったときには、蛇の置物は床に衝突して、実に呆気なく無惨に粉々になった。
――どうしよう……。同じものを買ってくる?
購入した店に在庫があるかは分からないが、店を往復するだけでバクラが帰宅する時間になってしまう。
一晩だけでいい、どうにか置物がなくてもやり過ごす方法はないだろうか。
部屋の中をぐるぐると歩き回りながら考え込んだ。
粗暴な言動が目立つバクラだが、実は細やかな面があると獏良は知っている。
興味のないことには冷酷なほど蔑ろにする代わりに、気に入ったものにはとことんこだわって目をかける。
蛇の置物も数少ないバクラのお気に入りに違いなかった。
それをわざとではないとはいえ、壊してしまったのだ。猛烈に怒るに違いない。
バクラは「昔」より遥かに落ち着いてはきている。
獏良はバクラの一番のお気に入りだ。
とはいっても、あくまで他の人間と比較した上での話だ。
乱暴はされないだろうが、荒れるだろう。罵られるだろう。
獏良は立ち止まって深く息を吐いた。
――素直に謝ろう。
それが一番だ。
今まで誤魔化すことばかりを考えていた自分を恥じた。
激怒させるようなことをしてしまったのだ。
それから逃げるなんてあまりに不誠実だ。
そして、獏良は考えた。最も適した謝罪方法を。
謝罪の言葉をそのまま並べて怒らせるのは愚直というもの。
怒られたくないのではなく、「怒らせたくない」。
罪を認める心の準備はできている。
ただ、双方が気持ち良く過ごすためには、少しの配慮が必要だと思った。
これは家庭のため。ひいてはバクラため。
――よし……。
獏良は決意を固め、右手の掃除用具を握りしめた。

バクラが玄関の戸を開けると、すぐにエプロン姿の獏良が出迎えた。
「おかえり!」
いつも夕食の時間に帰宅すると、獏良は食事の準備を慌ただしくしている。
だから、バクラは少々面食らった。
「何かあったのか?」
上着を渡しながら、獏良の顔色をつぶさに窺う。
獏良はいつも以上ににこにこと愛想良く振る舞っていた。
「しばらくずっと遅かったから、早く帰ってきてくれて嬉しいんだ。夕飯できてるよ」
バクラの腕を取り、リビングへと誘う。
愛しい者に微笑まれて心踊らない者はいない。
バクラの頬がつい緩みそうになる。
今晩はオッケーかもしれないと期待も膨らんだ。
「今日は君の好きな肉じゃがだよ。豚肉たっぷり入れたからね」
既にリビングには煮物のいい香りが漂っていた。
「すぐによそうから」
バクラは一旦荷物を部屋に置き、手を洗ってリビングに戻ったところで、食卓の前に獏良が背を向けて立っているのを目にした。
食卓の上に食事は並んでいない。
「どうかしたのか?」
バクラが声をかけると、くるりと勢いよく振り返った獏良が胸に飛び込んできた。
「お、おい!」
困惑するも腰と背中に手を回してがっちりと支える。
ふわふわと柔らかい髪がバクラの頬や首筋をくすぐる。
そして、次に頬に押し当てられたものは、髪とはまったく違った感触だった。
「ご飯の前にちょっといいかな」
至近距離にある淡い桃色の唇から湿り気を帯びた赤い味覚器が微かに覗いて艶かしい。
この瞬間、食事のことはバクラの頭から吹っ飛んだ。
背中に回していた手をずらし、獏良の後ろ頭を押さえて唇にかぶりつく。
珍しく獏良から抵抗はなく、口を薄く開けて受け入れた。
バクラは感動で震えながら無我夢中で獏良の唇に吸いつく。
控えめに応える唇が初々しさを醸し出していて、バクラをまた刺激する。
「……話があるんだ」
唇が離れた隙に話を切り出そうとする獏良に、
「んー?」
バクラは頬を唇で撫で続ける。
「あの、君が大切にしてた蛇の置物……掃除中に割っちゃったんだ……。ごめんなさい」
謝罪の言葉にバクラの顔色は変わらなかった。
「怪我は?」
「してない」
獏良の手を取り、怪我がないか確かめるように唇で指先一本一本に触れていった。
「ならいい」
「本当にごめんね。今度の休みの日に新しいの買いに行こう。ちゃんとお詫びしたい」
夕食の香りが台所から漂う中で、二人は何度も口づけを交わした。
「だから、今日は頑張るから……あとでね」
今度こそバクラはデレッと締まりのない顔をしたのは言うまでもない。
獏良の方は笑顔を保ったまま、内心は恥ずかしさで爆発してしまいそうだった。

それから二人は、次の日曜日に映画を鑑賞した後で、同じ店に置物を買いに行った。
同じものは残念ながらなかったが、二匹の雪ウサギが寄り添ったガラス細工を購入し、本棚に飾ることにした。

+++++++++++++++++++

一緒に暮らすなら、気遣いは忘れてはなりませんよねってことで。


君のポケットにぴょっこり ※グッズのピョコッテバクラから思いついた話です。

「獏良くん、何かあった?」
友人からの問いかけに獏良の身体がびくんと跳ねた。
ぎこちない動きで身体を友人の方へ向け、
「ううん。なんでもない、よ……」
にこりと笑顔を張りつける。
ファンクラブと自ら称して付きまとう女子生徒たちが騒ぐ花のような笑顔とは程遠く、友人の言葉を肯定しているようなものだった。
「そう?」
友人――遊戯は鋭い。親しみやすい言動に隠されてはいるが、実際は物事の本質を見極める目を持っている。そして、それを軽率には口にしない聡明さも。
遊戯は気遣わしげな目つきのまま、何も言わずに頷いて他の友人との会話へ戻った。
友人の優しさがいつも以上に心に沁みる。
獏良は胸を押さえてほーっと息を吐く。
同時にもぞりと制服の下で蠢くものを感じた。
――大人しくしててよ……。

何事もなく放課後になり、獏良は友人たちとの誘いを断って足早に自宅へと向かった。
これ以上に友人たちと一緒にいれば、「ボロ」が出そうだった。
不審な動きを続ける獏良を心配した遊戯が問い詰めてくるかもしれない。
繁華街から住宅街に差し掛かり、人通りが少なくなって来たところで甲高い声が聞こえた。
「おい、もういいだろ」
獏良は制服のフックと上側のボタンを外し、中を上から覗き見た。
制服の内ポケットから小さな白い物体が顔を出していた。
「約束は?」
「ちゃあんと守ってやっただろ。お前が学校にいる間、オレは一言も喋ってないぜ」
「静かにしてろっていうのは、喋らなきゃいいってもんじゃないんだよ!」
内ポケットにすっぽり収まっている物体――バクラに向かって獏良は気色ばんで反論した。
始まりは今朝に遡る。
獏良がベッドの中で目を覚ますと、千年リングを介して肉体を共有しているはずのバクラが枕元で実体化していた。
――卵サイズの小さな姿で。
目を疑う事態にお互い指を差してベッドの上で叫び声を上げた。
今日は平日。
混乱の真っ只中にはあったが、遅刻するわけにはいかない。
獏良はバクラを野放しにすることもできずに、制服の内ポケットに捩じ込んで家を飛び出した。
「絶対に騒がないでよ」と、道すがら何度もバクラに言い聞かせた。
放課後になるまでバクラは元の姿に戻らず、ミニチュアサイズのままだった。
「チッ。こんなナリじゃ、何もできやしねえ」
「いい薬だよ。でも、君にも千年リングのことで分からないことがあるんだね」
不可思議な出来事の原因はいつも千年リングにある。
しかし、今回の件についてはバクラにも分からないようだった。
ただ一言「バグった……」と漏らしただけ。
獏良が追求しても、それ以上のことは語らない。
「悪さしないように僕が見張っているからね」
やれやれと釘を刺すのが関の山だった。

自宅に帰り着替えようとして、獏良ははたと気づいた。
バクラをどうするか。
ズボンのポケットは何かの弾みで押し潰してしまいそうで怖い。
ポケットの付いた上着を選ばなくては。
シャツの上から両胸にポケットの付いたジャケットを着込んだ。
その中にバクラを指で摘まんで入れる。
「てめえ、人を玩具みたいに扱いやがって」
「仕方ないの」
二心同体が常である二人の距離自体は変わらないはずだが、状態が異なるだけで衝突がこうも増えるとは思わなかった。
好き勝手に人格交代をされないだけ獏良にとっては楽ではある。
小さなバクラをそばに置いておくことには、見張るという理由以外にも、怪我をしないようにという心配の意味もあった。
改めて伝えようとも思っていないが、ギャーギャー騒がれるのは少し癪に障る。
――小さくなってもうるさいのは変わらないんだなあ。
それでも不満は極力顔に出さないようにした。

一晩経ってもバクラは元に戻らなかった。
獏良は学校に行くときは制服の内ポケットに、自宅ではアウターのポケットに、バクラを入れて過ごした。
もぞもぞと動かれると擽ったくはあるが、ポケットの中にいると分かるので安心した。
ポケットにいるうちは悪さをしない。
小さいなりに肉体は存在するので、自分のご飯を少しだけスプーンに乗せてバクラに分けた。
雛鳥に餌でもやっているような気分になり、食事の時間だけは楽しかった。
始めは騒いでいたバクラも次第に静かになり、気づけば一週間が過ぎていた。

ジャケットのポケットはすっかり小さなバクラの定位置。
獏良は自宅の床を長柄の掃除用具で拭いていた。
それをポケットから顔を出したバクラがじっとしている。
「なかなか戻らないね。平和でいいけど」
あまりにもバクラの口数が少なくなってしまい、さすがに心配をしていた。
バクラといえども落ち込んでいるのではないか。
ポケットに視線を落とすと、バクラの頭頂部だけが見えた。
身体のサイズが異なるだけで目を合わせて会話ができなくなるから不便だ。
今日も返事はなしかと、会話を終了させようとしたとき、
「いや」
バクラが口を静かに開いた。
「このままでいい」
「え?」
聞き間違いかと、獏良は首を傾げた。
「このままでいい」
同じ言葉が同じ調子で繰り返された。
手を止めて、掃除用具の柄を壁にかける。
「どういうこと?」
「言葉通りの意味だ」
バクラの口調は淡々としていて、言葉通りと言われても真意は掴み難い。
「小さいままでいいってこと?」
バクラの小さな頭が揺れた。
獏良の目からは分かりづらいが、どうやら頷いたらしい。
「だって、君は悪いことを企んでいるんじゃないの?千年アイテムを使って遊戯くんたちに悪さをしようとか。目的があるんだよね?絶対に世界平和とか望んでないよね?!」
この言い方では悪さをすることを望んでいるようなものだった。
あまりにもバクラの態度が普段と違っていたので混乱していたのだ。
口にすることを躊躇っていたことまで言ってしまっていた。
「それは……後でなんとでもなる。今はこのままでいい」
明らかに様子がおかしい。
獏良は眉を顰めてポケットのバクラの様子を観察した。
具合でも悪いのか、それとも……?
小さな頭から跳ねた小さな髪の一部分が心なしかピョコピョコと揺れているように見えた。犬が尻尾を振る姿になぜだか重なる。
――え……。ごきげん??
ぶっきらぼうな言葉とは真逆の様子。
「……なんで?」
「そのうちに元に戻るだろ」
やはり、おかしい。
「まさか気に入ったの?その生活が」
ぴたりとバクラの動きが止まった。
「別に気に入ってねえよッ!」
「へえ……?なんでだろう」
バクラの言葉をそのまま信じられるはずもない。
反論には頷かずにわざとらしく聞き流した。
「だから、気に入ってねえっつてんだろう!お前の胸ポケットなんかッ!!」
「あ」
「あ」
ほとんど同時に二人は口をぽかんと開けた。

バクラにとってポケットに押し込められることは屈辱以外の何物でもなかった。
しかも、相手は支配しているはずの宿主である獏良。悔しくないはずがない。
始めの数日間は身体が自由にならない代わりに、言葉を発することで気を紛らわしていた。
そして、気づいてしまった。
背中に感じる体温と弾力に。
何も言わずとも、獏良が食べ物を差し出してくる。
自分の使っているスプーンで。
「はい、あーん」と、ぷっくりと膨らんだ唇が動く。
口を開けてそれを受け入れると、嬉しそうに獏良が微笑む。
ごくごく稀にではあったが、獏良が身体を動かした拍子に柔らかい肌ではなく、膨らんだ部分に足が当たることもあった。
――楽園か、ここは!!
いつの間にか、獏良のポケットはバクラのお気に入りの場所になっていた。

数日後、特に大きな事件も起こらず、バクラはあっさりと元の姿に戻った。
元に戻った日だけは、床に突っ伏して悲しみに暮れていた。
獏良の方は冷ややかな目つきでそれを見下ろし、深く溜息をついた。
「畜生。オレの楽園を返しやがれ……」

+++++++++++++++++++

いろいろ目覚めてしまったみたいです。


※ここから先はパラレルです。性別を放り投げて男同士で普通にお見合いしています。


張り詰めた空気に包まれた座敷。
座卓に男が四人。
二人ずつ座卓の両側に分かれて座っている。
出入口である襖はぴたりと閉じられ、味気なく長方形に仕切られた部屋は息苦しい。
開け放たれた障子の奥、板の間を挟んだ先は全面が掃き出し窓で、中庭が見えるようになっている。
この中庭が閉ざされた空間に唯一解放感をもたらしている。
中庭には手入れが行き届いた低木が植えられ、石灯籠や鯉が泳ぐ池まである。
秋になれば紅葉も観賞できるようなっているが、残念ながら今は新緑の季節。
青々と生い茂る木々を眺めることが風情ある過ごし方といえる。
ここは都心部にある老舗料亭。
各界の著名人も多数来店していることで名が知られている。
料亭の売りの一つである中庭の景色を獏良はまったく楽しめないでいた。
膝の上に置いた手は冷え切り、視線は斜め下に向けている。
獏良の隣に座る友人の遊戯も負けず劣らず鯱張っていた。
二人が緊張するのも無理はない。
なにせこの席は――。


お見合いです!


獏良が遊戯から見合い話をもらったのは二週間前。
学生時代から校内一二を争う人気ぶりだった獏良は、勿体ないことに恋愛に興味を持っていなかった。
貴重な青春時代を趣味に費やし、その趣味を仕事にしている現在も誰とも付き合っていない。
自宅にこもって模型を作り、ネット経由で販売する。場合によっては巨大なジオラマを作成することもある。
趣味から始まった仕事だが、今では熱狂的なファンがついているほど。懐も充分潤っている。
獏良本人は好きなことを好きなだけ仕事にしていて満足している。
しかし、周囲はそう思っていなかった。
一般女子が放っておかない美貌は塗料まみれ。
学生時代は学校に通うために外に出ていた。出会いもあった。
在宅仕事を選んでしまったがために、その僅かな機会をすべて失ってしまったのだ。
その上、お見合いパーティや合コンに参加する積極性はない。
このままでは獏良くんが独身貴族の道を邁進してしまうと見兼ねた遊戯が、友人の城之内に相談して見合い話を持ってきたのだ。
心から自分の将来を憂う遊戯に胸打たれ、獏良は見合い話に頷いた。
城之内は獏良の友人でもある。
彼の伝なら安心できると、言われた通りに写真と釣書を用意して遊戯に手渡した。
見合いといっても友人同士の紹介で形式張ったものではない。
釣書というよりは簡単な履歴書を作り、写真もスナップ写真でいいと言われたので、遊戯にその場で撮ってもらった。
それから話はとんとん拍子に進み、見合いの日取りも決まった。
見合いの日があと数日となったところで、獏良は急に尻込みをしてしまった。
――僕、このまま知らない人と結婚するの?なんでオッケーしちゃったんだろう。
少しばかり早いマリッジブルーだった。
友人に流されて言われるがままに動いていたツケが回ってきてしまった。
事前にもらった相手の釣書と写真を見る限りでは、悪い相手ではなさそうだった。
勤め先は一流商社で申し分なく、顔はいい部類に入るのではないか。
なぜ、はっきりと容姿について断定できなかったかというと、見合い相手の写真はどれもカメラ目線ではなく、横顔や遠くから撮ったものだったからだ。
獏良にとっては初めての見合い。こんなものなのかなと、その点については深く考えずに終わった。
結婚をしたいなんて一度も思ったこともない。それなのに見合いをしていいものか、こんな立派な相手に自分で良いのかと悩みに悩み、直前に断るのも気が引け、当日を迎えてしまった。
獏良は浮かない顔で借りた着物に袖を通し、髪を結い上げた。
普段着で構わないとは言われていたが、相手に失礼のないように身なりだけでも整えたかった。
遊戯と二人で先方から指定された店に着き、まず普段入ることのない料亭の門構えに二人で震えた。
見合いと思わずに食事を気楽に楽しみましょうという連絡を受けていた。服装が自由だというのも、その中で出た話だ。
だから、てっきり落ち着いた雰囲気のあるレストランかカフェだと思い込んでいたのだ。
個室の座敷に通され、二人はそわそわと相手を待ち、時間きっかりに現れたのは二人の背の高い男だった。
どう見ても日本人ではない色黒の肌に明るい髪の目鼻立ちの整った男と色白で細身の白い長髪の男。
どちらもスーツ姿で並ぶと一般企業の社員には見えない迫力があった。
遊戯も獏良もここにはいない城之内の名前を同時に心の中で叫んだ。
そういえば城之内は良くも悪くも顔が広かったなと、今になって獏良は思い出していた。
今日まで入念に釣書と写真を見ていたので見合い相手はすぐに分かった。
白い髪の男だ。
もう一人は城之内の友人で付添人のはず。
じろじろと見すぎないように上目遣いで相手の顔を改めて確認した。
目つきの悪さを除けば写真で見るより遥かに美形だ。
しかし、何が気に入らないのか苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
顔が整っているだけに近寄りがたい雰囲気を醸し出している。とても見合いに来た様子ではない。
膝の上に揃えた手が勝手に震え出した。
「じゃあ、始めようか。初めまして、僕の名前は――」
緊張感漂う空気を打ち破り、朗らかに口を切ったのは見合い相手の付き添いだった。

付き添い人はマリクと名乗り、笑顔で他の三人に話題を振った。
口数の少ない三人に代わり、よく喋っては楽しげに笑っていた。
見合い相手はバクラとだけ名乗り、口をへの字に結んだままでいた。
目を合わせるだけで睨み返してくるので、獏良は既に会話をする気を失くしていた。
「いやあ、ニッポンのリョーテイでオミアイって一度やってみたかったんだよね」
からからと笑うマリクに遊戯と獏良の肩ががくりと落ちた。
場所が付添人の趣味ということは、見合い相手もこの状況に納得していないのかもしれない。
もしかしたら、獏良同様に見合い自体に乗り気ではない可能性もある。
不機嫌な様子はそれが理由なのではないか。
だからといって、じゃあお開きというわけにもいかない。
主役二人は言葉を交わすこともなく、席を立つことも許されないまま、見合いの時間は流れていった。
出された食事は会席料理ではなく弁当形式。正方形の器の中に数種類の料理が詰められている。
この部屋に通される際に横切った大広間で提供されるものに違いなかった。
大広間は家族連れや若いカップルで和気藹々としていた。
老舗料亭でもランチは割安で食べられるように設定しているのだろう。
部屋だけでなく食事まで格式張ったフルコースならば、目を回してしまいそうだったから有難い。
見合いの席でなければ味わえたのにと、獏良はちびりちびりと華やかな弁当を箸で摘まんでいった。
「お腹も膨らんだし、あとは若い二人に任せて店内を見学してこようよ」
マリクの言葉に獏良は目を剥いた。テレビでよく聞く見合いの決まり文句。
食事が終わった後も場はまったく温まっていない。異文化を満喫しているマリク以外はお通夜状態だ。
こんな空気で二人っきりにされても困る。
「……そうだね、あとは二人で話をしてもらおうか」
遊戯がマリクの言葉に頷いた。
――ま、まって!一人にしないで……恐いッ!
見合い相手を前に直接口にすることも態度に出すこともできない。
獏良が色を失っている間にマリクと遊戯は部屋から出ていってしまった。
残されたのは獏良と不機嫌顔の見合い相手のみ。
どちらも話し出すこともなく、沈黙が部屋を満たした。
見合い相手のバクラは獏良が関わったことのない人種だ。相対しているだけで身が竦む。
釣書の内容を思い出してみても、共通の話題など見つからない。
くらくらと目眩を感じ、
「あの……中庭に出てみませんか?」
獏良は息の詰まる部屋から逃げることを選んだ。
庭に出てしまえば顔を突き合わせることもなく、どうにか時間を潰せる。

バクラは朝から虫の居所が悪かった。
仕事仲間のマリクから見合いの話を持ち出されたのは二週間前。
「そろそろ君も身を固めたら。お見合いでもしてみればいいさ」
突然そんなことを言い出したのでバクラは鼻で笑って返した。
他人に縛られる人生なんて考えられない。
仕事に無関係の友人付き合いですら煩わしい。
それはこれから先も変わらない。
「お見合いの日にち決めてきたよ」
マリクが再びバクラの元に顔を出したのは見合いの日の二日前だった。
「は?」
「君の写真と釣書渡してきたからね。これは相手のだから見ておいてよ」
「おい、ちょっと待て」
知らない間にすべてが進んでいた。
聞けば、どうやって手に入れたのか会社に保管してあるバクラの履歴書と、勝手に撮った写真を見合い相手に渡したという。
「てめえ、それは見合い写真じゃねえ!盗撮写真って言うんだッ」
「気づかなかったキミが悪い」
直前に断りを入れれば角が立つ。マリクの機嫌を損ねると仕事にも響く。
行くだけ行くしかなかった。
釣書と写真の入った封筒は開けることなく当日になった。
顔を出して適当に切り上げて帰ってしまえばいいだろうと、思っていた。
通された襖の奥に座っていた見合い相手を見るまでは。
淡い藤色の着物に身を包み、上品に髪を結い上げ、遠慮がちに頭を下げた見合い相手を一目見てバクラに電流が走った。
これ以上ないほど、初めて会ったとは思えないほど、好みのタイプだった。
思わず背筋が伸びた。無造作にポケットに突っ込んでいた手は外に出した。
隣に並んだマリクが隠れてピースサインを送ってくるのには腹が立ったが、今のバクラには些細な問題だった。
――てめえが意気揚々と持ってきた企画書がただの紙屑だったときは頭かち割ってやろうかと思っていたが、たまには役に立つじゃねえか!
マリクが見合いの進行を務めている間、バクラは見合い相手を観察していた。
言葉少なく控えめに笑う姿でさらに好感を持てた。
自己主張の強いタイプや口うるさいタイプは願い下げだ。
威圧的な雰囲気をまとうバクラには気の強い女がよく寄ってくる。
実際には真逆の、悪くいえば扱いやすいタイプが好みだった。かといって、主体性に欠ける人間にも腹が立つが。
目が合うと見合い相手は恥ずかしそうに伏し目がちになり、奥ゆかしく見えてバクラを刺激した。
食事の所作も申し分ない。少しずつ口元に食事を運んでいく様子が美しかった。
食事を終えて二人きりになり、どうしたものかと頭を捻った。
なにせ釣書を見ていないので相手の情報がまったくない。
料亭に向かう道程でマリクから、自宅で何かを作って販売しているらしいことだけしか聞いていない。
商売ができるほどなのだから、手先が器用なのだろう。分かるのはそれだけ。
器用ということは家庭的なのではないかと、単純な発想からバクラの好感度が上がってしまうだけだった。
せっかく出会えた好みの相手。慎重に落としていきたい。
釣書に記載してあることをわざわざ話に振って醜態を晒すということは避けたかった。
面白味には欠けるが、情報が制限されている中では服装について触れてみるのが定石か。
バクラが会話のネタを探しているときに、
「中庭に出てみませんか?」
見合い相手の方から助け舟が出たのだ。

「紅葉もいいですけど、この季節はやはり緑が映えますね。マツの剪定も見事です」
二人は料亭の中庭を並んで歩いていた。話しかけるのは殆ど獏良の方だった。
庭の葉などバクラの目には映っていなかったが、適当に話を合わせることにした。
獏良の話は聞きやすく、少しおっとりとした調子が可愛らしかった。
それに今時庭木を眺める趣味があるとは見所がある。
「鯉がたくさんいる」
獏良はその場にしゃがみ込んで池の中を覗いた。
後れ毛のかかる白いうなじがバクラから見える。
――吸い……撫でたくなるじゃねえか……。
後ろに狼がいるとも知らず、獏良は池の中で口をパクパクと開ける鯉を見つめていた。
こうして庭木や池を見ていれば、バクラと真っ向から会話をしなくて済む。
仕事で日本庭園のジオラマを作ったことがあって良かったと心底思った。
お開きの時間までこうして過ごしていればいい。
幸いにもお互いこの見合いには乗り気ではないようだから、相手が断ってくれれば上手く収まる。
獏良はそう考えていた。
見合いの時間が終わってみれば、主役の二人よりも遊戯とマリクの方が打ち解けていた。
仲良く二人で店内を隅々まで見学したらしい。今度遊びに行こうと和やかに話していた。
来週までには見合いの返事をすると約束をして両者は店の前で別れた。

翌週になり、獏良の予想に反して「色よい返事」が届いてしまった。
遊戯からメールでその知らせを受け取り、仕事中だった獏良は筆を取り落としてしまった。
模型用の塗料が机にべちゃりとつく。
「なんで?!」
あんなに終始不機嫌そうだったのに。
獏良の頭には疑問符が浮かんでいた。
メールには「『また食事をしませんか。今度は二人で話しましょう』って言ってるらしいよ。良かったね。獏良くんの連絡先を先方に教えても大丈夫かな?」
――まずい……。はっきりと断れば良かった……!
見合いが終わった後、遊戯に感想を聞かれ、悪い人ではなさそうと曖昧な答え方をしてしまったのだ。
きっと相手の方が断ると甘い考えを持ってしまった。
なぜ、相手が交際の承諾をしたのか獏良にはさっぱり分からなかったが、断る心苦しさから逃げた結果なのだ。
携帯を掴んで部屋の中を檻の熊のようにしばらくウロウロし、もう一度だけ会うことにした。
その後で今度はきちんと自分の方から断ればいいと心に決めた。

互いの付添人を介してメールアドレスを交換し、獏良とバクラは連絡を取り合うようになった。
自分のペースで仕事を進められる獏良と違い、バクラは時間に拘束される多忙な会社員。
なかなか時間が合わなかったが、見合いの日から二週間後に再び会うことになった。
今度は二人とも私服で普通のカップルのように駅で待ち合わせをして繁華街に出た。
しばらくして、獏良は改めてまずいと思った。
見つからないのだ。悪いところが。
獏良から見たバクラの欠点は目つきが鋭いところと口の悪いところだ。それは第一印象でもある。
メールを送り合うようになった時点でも思っていたのだが、バクラはマメだった。
多忙なはずなのに、返事は遅れても必ず返ってきた。
愛想がなくても要点はしっかりと記載されていて分かりやすい。馴れ馴れしくもない。
待ち合わせについても、時間と目印付きの詳しい場所が送られてきた。
飲食店に入った後も店員に横柄な態度も取ることもなく、メニューをざっと眺めてすぐに選ぶ。もたもたしている獏良を急かすこともない。
会計は財布を出す暇も与えないほど素早く済まされていた。
慌てて獏良が紙幣を引っ張り出そうとすると、手を軽く挙げて制された。
帰りは暗くならないうちにと早々に駅まで送られる。
ベタベタと触られることもなく、最後まで完璧にエスコートされてしまった。
第一印象が悪かっただけに、バクラに対する好感度は上がる一方。
これでは断る口実が見つからない。
獏良は適当な嘘を並べられるほど器用ではない。
――僕はまだ結婚するつもりないのに。
中途半端な気持ちで見合い相手と交際を続けていいものか、罪悪感に襲われていた。
一方、バクラは見合いから帰宅した後、すぐに未開封の釣書と写真にじっくりと目を通した。
華やかな外見に反して獏良のプロフィールは平凡なものだった。
人によっては見た目だけかと鼻で笑うかもしれない内容でも、バクラは堅実で落ち着いた印象を抱いた。
趣味に料理、好きな食べ物にシュークリームと記載されている部分が特に気に入った。
デザートが美味しいと評判のカフェに連れていったら喜ぶだろうか。 写真は三枚入っていた。
バストショットとフルショットが二枚。
じっくり見つめて、これもいいが本物の方が可愛かったなとニヤけた。
マリクにこの写真はどうするのかと尋ねたところ、破談にならない限りは持っていていいと返ってきたので、パソコンに取り込んだ後にフォトフレームに入れた。
飾りっ気のない部屋に花が咲いたようだった。
直接連絡を取り合うようになると、携帯の着信ランプが灯るだけで胸が弾んだ。
仕事に疲れているときは特に癒しになった。
普通の付き合いならすぐに手を出すところだが、焦ってはいけない。
下心を出しすぎてしまえば、怯えさせてしまう。
徐々に距離を詰めていく。
バクラは何度も自分を抑えた。

受注したジオラマのベースに手製の木を植えながら、獏良は考え込んでいた。
あれから縁談を断ることもできず、デートを三回も重ねてしまった。
バクラは紳士的といっていいほどで手も繋いでこない。
普通の付き合いなら遅い展開ではあるが、これは見合い。
軽率な行動は仲介人の顔を潰すことになる。
思ったよりずっとバクラは常識的だった。
いい大人が暗くなる前に帰されるのは、やや真面目すぎるような気もするが。
遊戯に聞いたところによると、このまま付き合いを続けていけば、結婚まで話が進んでしまうらしい。
見合いは結婚を前提としているのだから悠長にはしていられない。数カ月のうちに結論を出す必要がある。
破談なら破談で次に進まなくてはならないのだ。
獏良の心はバクラの方に確実に傾きつつある。
しかし、結婚の文字が出ると二の足を踏んでいた。
つい指に力を入れすぎ、ぽきりと木が折れてしまった。
「ああ……」
バクラは本当に自分のことを気に入っているのだろうかと疑問が浮かぶ。
いまだに断りの連絡がないことが証明にはなっている。
顔色を変えないバクラの心情は読みづらい。
手頃な相手だから結婚してしまおうとしているのではないか。
考えれば考えるだけ悪い方向へと流れてしまう。
短い人生の中で出会ったことのない種類の人間だからこそ、付き合うことや生活を共にすることに迷いが出る。
いっそのことバクラが結婚する気も失くすくらい嫌われてしまった方がマシだと思うくらいほどだった。
そもそも、何が決め手になって受け入れられたのかと考えてみる。
見合いが決まったときも、見合いの席でも、デートでも、獏良は無難な受け答えしかしてこなかった。
それは初めての見合いにどう動いていいか分からなかったからで、素の自分を出す余裕がなかったからだ。
釣書も自己アピールどころか、行儀のいい部分を簡単にしか書いていない。
客観的に見ても好かれる要素など……。
ハッと獏良は自分の姿を見下ろした。
作業用のエプロンも両手も、塗料や糊、材料のクズまみれ。
「これだ……!」
行儀のいい部分が気に入られてしまっているなら、包み隠さず本来の姿を明かしてしまえばいい。
釣書の趣味の欄に記載した料理も確かに好きではあるが、本当の趣味はゲーム。
馬鹿正直に書いて遊戯や城之内に恥を掻かせるわけにもいかなかった。
しかも、一般的には暗い印象のあるとされているボードゲームが大のお気に入りだ。趣味が高じて仕事にもしてしまっている。
普段は暗い趣味と言われれば大きく否定するところだが、形振り構ってなどいられない。
『実はゲームおたくなんだ!しかもゴリゴリのアナログゲーム。趣味も仕事も一日中家にこもって人生充実してるよ』
これしかないと獏良は折れた木の模型を握り締めた。
確実に好感度が低くなるはず。
バクラの興味が薄れてしまえば、お互い後腐れなく破談にできる。
少し寂しくもあったが、例え結婚したとしても自分の生活スタイルを変える気がないのも本音。
家庭を持ってからも偽りの自分でいたくはない。
こうすることが一番なのだと、獏良は強く自分に言い聞かせた。
覚悟を決めた後も、今までのデートの記憶が頭から離れなかった。

4回目のデートは映画鑑賞だった。
映画は流行りの恋愛もので、獏良はそれなりに楽しんだが、実のところサイコサスペンス映画の方が気になっていた。
デートのコースは毎回バクラに任せきりだ。
今まで二人で行ったのは、中世ヨーロッパ展示会が行われている美術館や花の咲き乱れる庭園、テラスのあるカフェなど、どれも絵に描いたようなデートスポットばかり。
バクラの趣味にはとても見えない。獏良に合わせて選んだに違いない。
それだけ楚々とした印象を与えてしまったのだろう。
獏良は学生時代も女子からアイドル扱いを受けていた経験がある。自分に行き過ぎたイメージがつくことは不思議ではなかった。
映画の後は昼食を取るためにイタリアンレストランに入った。
「お前はアスパラとベーコンのカルボナーラだな」
「うん」
「腹に入るならピザも頼むか」
「うん。種類はお任せする」
「なら、マルゲリータ。デザートは……ティラミスにジェラートがついてるぞ」
「美味しそう」
「これな。飲み物はどうする」
バクラはてきぱきとメニューを決め、店員に注文を告げる。
言動が少し荒いことを除けば、この上なく頼りがいのある男。
微笑んで横に座っているだけで世話を焼いてくれる。
獏良はまたつい流されてしまいそうになるのを堪えた。
これは結婚を前提にした付き合い。このままではゴールインまでまっしぐら。
メニューが下げられたところで、獏良はテーブルの上に置いた手をぎゅっと握って口を開いた。
「話があるんだ……」
「ん?」
ただならぬ獏良の様子にバクラ唇が引き締まる。
これから打ち明けることで落胆させてしまうと思うと獏良の胸が痛んだ。
それでも言わなければならなかった。
「釣書も趣味は料理って書いてあったよね。料理も好きは好きなんだ。でも、僕が本当に好きなのは……」
獏良は話した。どれだけボードゲームが好きであるかを。
仕事内容も事細かく説明した。
ボードの中の小さな世界をどれだけ愛しているかも。
極めつけに携帯に入っている作品画像を見せた。精巧なジオラマやフィギュアがファイルにこれでもかと並んでいる。
――どうだ。引いたよね……?
自分で決めて実行したこととはいえども、バクラの表情を怖くて見ることはできなかった。
これでこの見合いは破談になる。
二度と会うことはないのは寂しいけれど。
「……運命か」
予想外のバクラの言葉に、獏良は思わず顔を上げた。
――いま、なんて?
バクラは渡された携帯を掴んで見つめたままでいる。
「オレの目に狂いはなかった。最高の趣味だな。お前の作品は芸術品といってもいい」
「ええっ……」
引くどころか、バクラの瞳は今までになくキラキラと輝いている。
「で……でも、普段僕はシンナー臭いんだよ。家に充満してるんだよ」
「お前ならシンナーの臭いも香水に変わる」
獏良がしどろもどろに思いつく限りの欠点を挙げるも、バクラはすべて意に介さなかった。
ますます熱い眼差しを向け、獏良の手を強く両手で包み込む。
「言わなかったが、休みには暇潰しでTRPGをよくやる。ゲームマスター専門だ。お前みたいにフィールド作りまではしないが」
獏良は握られた手を振り払えなかった。あわあわと冷や汗を浮かべて焦るのみ。
「趣味まで合うとは。もう、結婚相手はお前以外に考えられない」
「ひえ……」
不幸にもまったくの逆効果だった。
つつうと獏良の頬に汗が伝った。
「お待たせしました!ディアボラ風チキンソテーとアスパラとベーコンのカルボナーラでーす」
「もう少し時間が必要だと思っていたが……食ったら指輪見に行くぞ」
熱い体温と視線を真っ向から受け、逃げることも断ることもできず、獏良は声なき悲鳴を上げた。
その一方で、趣味も性格も合うのなら無理に断らなくてもいいのではと、少しずつ思い始めていた。

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このバクラは車の助手席に了くんを乗せて湾岸沿いを走ってくれます。
シートを倒して今夜は返さない的なことも言います。
二人の第一印象の差を書けて楽しかったです。
全然話に関係ないですが、バクラの選んだメニューが悪魔風なのは、うまいこといったなと自分でも思いました。

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