ばかうけ

「バ、クラ……」
居間のソファで寛ぎながらテレビを見ていたバクラは、その声の主に目をやった途端立ち上がった。
部屋からパジャマ姿のまま出て来た獏良の様子がおかしいのが一目瞭然だったからだ。
ふらふらとおぼつかない足取りで、発した声も少し嗄れている。
今にも崩れ落ちそうだったので、バクラは獏良の身体を抱き留めるようにして支えた。
「お前……酷い熱だぞ」
獏良に触れた手の平が火傷しそうなくらい熱い。
「ん、ごめん。今日は……ご飯作れない」
荒い息を吐きながらバクラを見つめる瞳が熱で潤んでいる。
「そんな事言ってる場合じゃねえだろうが」
言葉こそ荒いが、静かで優しい声色。
「でも……」
皆まで言わさず、バクラは獏良を肩に担ぎ上げた。
「病人は大人しく寝てろ」
そのまま部屋へ運ぶ。
獏良はぐったりと為すがままにされている。
――抵抗する余力もないんだな。
なるべく衝撃を与えないようにベッドに寝かせ、毛布を掛けてやった。
思い返してみれば、最初の獏良は勉強の為に夜遅くまで起きていた。
――全く無茶しやがんなァ。
病人に説教をするわけにもいかず、バクラはキッチンに向かった。

バクラはお盆を手に、再び獏良の部屋に現れた。
そこには、粥、すりおろしりんご、体温計、冷却シート、タオル、スポーツ飲料、水と市販薬がどっさりと上に載っていた。
「食べられるか?」
「少しだけ……」
意識が朦朧としている獏良の口に、ゆっくりと粥を運んでいく。
あまり食べられるわけはなく、半膳で箸が止まってしまった。
それ以上無理はさせず、スポーツ飲料を出来るだけ飲ませることにした。
その間に計っていた体温計が鳴った。
表示された数字を見てバクラが顔をしかめる。
「午後一で病院行くぞ。隣町ならやってるから」
「めんどくさい……」
駄々をこねるような口調で獏良が渋った。
「行きたくねえっつても、おぶってでも連れてくからな」
その光景をつぶさに想像してしまい、獏良はぎゅっと目を瞑った。
「それまで大人しく寝てろ、な?」
バクラは獏良の額の汗を拭ってやった。
そして、お盆を持って静かに部屋を出た。
今度は外出の準備をしなければならない。
まずは着替えの服を出しておこう。
病院まで付き添うつもりで、バクラはあれこれと思案し始めた。

※獏良宅で同居してます。
ヒモじゃないです。シェアです。

+++++++++++++++++

「これはなんていう花なんだ?」
「桜だよ」
獏良の手には一房の桜があった。
その花は一つ一つが小さくて、すぐに散ってしまいそうだった。
「触ったら折れちまいそうだな」
初めて見る物に興味は湧くものの手は出さない。
目の前の少年が持っている方が似合う気がする。
「大丈夫だよ」
そっと獏良が桜の花を持った手を重ね合わせてきた。
「綺麗でしょ。本当はね、大きな木にたくさん咲いてるんだ。見上げると空が桃色になるくらいなんだよ」
桜ごと獏良の手をそっと握り返す。
「お前の国にはこの花がたくさん咲いているのか?」
「うん、実はまだ季節じゃないんだけどね。もう少し暖かくなったら一斉に咲くんだよ」
その真っ直ぐな瞳の中に、その光景が広がっているような気がして、男はじっと見つめた。
「そうしたら、沢山見せてあげるね」
柔らかく微笑むと、獏良はふわりと一歩下がる。
「やくそくだよ」
そう言い残して霞のように消えてしまった。
そこには一面に広がる砂以外は何もなかった。
ただ、桜の香りだけが微かに残っていた。

  (ある日、ある人と、ある場所で。)

+++++++++++++++++

窓辺に立った獏良は、月を眺めていた。
雨が続いた後の夜は、とても澄んでいて静かだ。
月の透明な灯りが獏良に降り注がれている。
白い髪がぴかぴかと銀色に輝いていた。
空高く昇った月では、獏良へ手が届かない。
だからせめて灯りだけでもと、真っ直ぐに照らしているようだった。
獏良が身体を反転させ、部屋の中へと向き直した。
ベッドの上には千年リングが無造作に置かれている。
こうしていると、千年リングからは獏良へ手が届かない。
獏良は手を伸ばして千年リングを首から下げた。
とても自然な動きだった。
月灯りで千年リングも金色に光る。
見る者がいれば、その光景に息を飲んだだろう。
厳密に言えば、一人だけそれを見ることが出来た。
その証拠に微かな溜息が部屋に響いた。

+++++++++++++++++

熱帯夜が続くせいか、最近夢見が良くない。
どうも眠りが浅いらしく、夜中に何度も起きてしまう。
お陰で疲れが取れなくて、真っ昼間から頭がぼーっとする。
寝ると辛い夢を見るし、寝ないと次の日が辛い。
ただ眠るだけなのに、焦ってしまう。
僕はとりあえず目を瞑って、自然に身を任せることにした。
不意にそっと僕の右手がひんやりと冷たくなった。
何かに包まれているようだ。
冷たいけど、ほんのり温かい。
とても安心する感触。
それは小さい頃、怖い夢を見て泣き出した僕に差し出された母親の手の温もりに似ていた。
不思議とぐっすり眠れるんだ。 
「ありがと……」
ちゃんと言葉になったか分からないけど、その相手に向かってお礼を言ったつもり。
僕もぎゅっと手を握り返すと、後は意識がゆっくりと薄れていった。

+++++++++++++++++

『僕の全てをあげる』

なんて馬鹿なことを言ってしまったんだろうと思った。
あいつの目が一瞬だけ鋭くなって、
「二度とそんなこと言うんじゃねぇ」
静かにそれだけ言って、背中を向けて消えてしまった。
怒鳴られるのかと覚悟しただけにショックだった。
面と向かって貶された方が、どれだけましだったか。
肉体を共有する中で、あいつのことを考えたら出て来てしまった。
家族や友人、僕を取り巻く様々な環境を切って捨てるなんてとても出来ることじゃない。
それでも、何か一つでも為になりたかった。
そんなこと、ただの一回もあいつは言わなかったのに。
結局は自己満足でしかない、上っ面だけの言葉のようになってしまった。
もう遅い。
あいつに通じる扉は閉ざされてしまって、僕が何度叩いても開かない。
涙が頬を濡らすのも構わずに、戸を叩き続ける。
嘘じゃない。
本当にそう思ったんだ。
これだけは信じて。

何度もオレを呼ぶ声が聞こえる。
それには答えない。

『僕の全てをあげる』

そんなものは望んじゃいなかった。
大体、どう考えても不可能だ。
それでも悩んだ末に出た言葉なんだろう。
愚かで優しい宿主様。
出来ないことは言うもんじゃない。
そう笑い飛ばす前に、自分に腹が立った。
一つの肉体に二つの心という特殊な状況下では、アンバランスな精神状態を生む。
相手に情を持っているなんて錯覚を起こすのも無理はない。
それなのに、宿主の言葉に喜びを感じてしまった。
自分のものになったという錯覚をオレもまた起こしてしまった。
その言葉を出させたのは自分なのに。
謝るつもりは、ない。
どんな理由があっても、自分の考えと行動は曲げることはないからだ。
それこそ嘘になる。
だから、震える声で繰り返される言葉を黙って受け入れる義務があった。

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