クリスマス2023
太陽が沈んだ後だというのに、あちらこちらから光が放たれている。それも色とりどりで、点滅をしていたり、色が変わったりするものもある。
クリスマスイブ。街が賑やかになるイベント日だ。なぜだか日本ではクリスマス当日ではなく、前日の方が盛り上がる。童実野町も例外ではなく、数日前からクリスマスムード一色だ。
そんな様子をバクラはマンションの一室から苦虫を噛み潰したような顔をして見下ろしていた。他国の宗教行事で信者でもないのに騒ぐ意味が分からなかった。外を歩けば人声も音楽もうるさくて落ち着かないのだ。毎年毎年飽きもせず馬鹿騒ぎをして何が楽しいのかまったく理解ができない。
三千年という時間の中で人間の愚かさを見てきたバクラは忌々しげに美しい光景を見下ろす。
そのとき、玄関からガチャリと音が聞こえた。続いて足音が近づいてくる。
「ただいまー!」
明るい声と共にこの家の主である獏良がリビングの戸を開けた。
「いやぁ、町内会で遅くなっちゃった。盛り上がっててさあ……」
そこまで言ってからバクラの顔を見て目を丸くする。
「どうしたの??」
町内会の内容はマンション内で行われたささやかなクリスマスパーティ。子どもたちに菓子を配るだけのもの。配布係はサンタクロースの格好をする。だから、獏良も衣装を着ていたのだが……。
サンタクロースお馴染みの三角帽子、ビロード生地の上下。全身赤色で縁に白色のファーがあしらわれている。胸元や帽子の先には大きなポンポン。上着の上にはふんわりと広がるケープ。全体的に少し大きめサイズ。
サンタクロースといえば白髪の老翁だが、獏良の姿は妖精か天使だった。
それが予告なく唐突に扉の向こうから現れ、動揺したバクラは今の今まで見つめていたガラスに強く頭を打ちつけた。それでも夢か幻のような光景に視線を縫い止められ、動けなくなった。
その年からバクラは少しだけクリスマスが好きになったという。
新年
マンションの一室にあるベランダに人影が二つ。まだ鳥の囀ずりは聞こえないが、空は白み始めている。当然、周囲に人の気配はしない。
一人が大きな口を開けてあくびをする。
「ねみ……」
はんてんの袖に手を突っ込み、背筋を丸めた。
外気は刺すように冷たい。息をすれば白いもやが吐き出される。
「もうすぐだよ。頑張って」
もう一人は少し楽しげな表情をしていた。
今日は一月一日。一年の始まりの日。獏良とバクラの二人は年が明けてから寝ずに夜を過ごしていた。いつもならとっくに夢の中のはずだ。バクラが睡魔に負けて船を漕ぎ始めると、獏良が小突いて起こしていた。
もうすぐ夜が明ける時間だ。日の出を見るために防寒着を着てベランダで待機をしていた。中にはホッカイロも貼ってある。それでも太陽の恩恵を受けない早朝の気温は厳しい。
「大体、初日の出なんて見る価値あんのかよ。意味分かってやってんだろうな?」
顔をしかめたバクラが口を尖らす。
「え?」
それまで上機嫌だった獏良の目が泳ぐ。今まで当たり前のように過ごしてきた正月の風習について言及されたのは初めてだった。
「えっと……。縁起物的な?」
「それ見ろ。そんな不確かなもんに付き合わせんな」
どんなに文句を口にしてもバクラはその場から動くことはしない。くどくど言いながらも獏良の横に立っている。
やがて建物の間から黄橙色の光が漏れ始めた。空の藍色に溶けるように混ざり、さらに光が増していく。
「ほら!」
獏良は声を高くしてその光景に指を差す。陽光に顔が少しずつ照らされる。
「綺麗でしょ」
生命を感じさせるどこか厳かな光に、さすがのバクラも野暮なことは言わず、
「ああ」
とだけ短く返した。
「ねっ。来年も見ようよ」
そう言って朗らかに笑う獏良の顔を横目で見る。何の憂慮もない表情。必ず新しい年を迎えられると信じているに違いない。
「ん」
その後、二人は昼過ぎまで惰眠を貪った。
森の魔法使い
窓から太陽の光が差し込み、人形のように整った顔を照らす。目元に皺が寄り、薄らと眼が開く。長い睫毛が澄んだ瞳を優しく覆っている。
「ん……」
眼を擦りながら上体を起こし、大きな欠伸を一つ。艶のある白い髪が跳ねたり絡まったりしている。
彼は妖精かエルフのような美しい姿をしているが、若い人間の男性だった。名前は獏良といい、人が近寄らない森の奥で独り暮らしをしている。
獏良はベッドを降りると、サイドテーブルに置かれた水差しを手に取り、たらいに水を注いだ。水で顔を洗い、タオルで拭うと、眠気が薄らぐ。
身につけているのは、亜麻布の薄い寝巻き。その上からチュニックを身につけ、ズボンをボタンで留める。ブーツは編み上げ式。庶民階級の服装だ。最後に乱れた髪をクシで梳かす。
寝室から台所に行き、水に浸してふやかしておいたオーツ麦を温める。調味料とハーブ、乾燥野菜も一緒に煮込み、できあがったものがオートミール。栄養豊富なスープ状の食品をスプーンでかき混ぜながら食べる。
食事が終わったら作業場に移動し、棚に並んだ容器——薬壺を点検し、量の少ない薬を作り足す。獏良の日課だ。
薬には二種類ある。森に自生する薬草を主成分とした生薬。ラベンダー、ミント、イラクサ、ローズマリー……。食事や茶に使われるものも多い。怪我、病気、精神疾患など広く効果があり、薬草によって用途は異なる。乾燥させて粉にしたり、蒸留して成分を取り出したり、蝋と混ぜて軟膏にしたり——使い方は様々だ。知識があれば「普通の」人間でも作れる。
もう一つは、魔法薬。魔法使いが特殊な技術により生み出すものだ。太陽や月などの自然物の力を借りながら魔法を使い、薬草に特別な効果を加える。そうしてできあがったものは、超自然的な力がある。一時的に能力が上がったり、心に干渉したりする。時間も手間もかかるので、一度に作れる量は少ない。
魔法使いは数少ない仲間たちだけにしか製造方法を教えない。ノーマルと呼ばれる一般的な人間には知られないようにしている。
長い歴史の中で、魔法使いはノーマルに災いを持ち込む存在とみなされ、過去に何度も魔法使い狩りにあっているからだ。罪のない魔法使いが何人も処刑された。
今は魔法使いを差別する法律はない。しかし、同じことが繰り返されるかもしれないと恐れた魔法使いたちは、人里を離れて森の中で孤独に暮らしている。
獏良もそんな魔法使いの一人。魔法使いに好意的なノーマルが営む卸問屋に薬草を売って生計を立てている。
獏良の作る薬草はよく効く上に副作用が出にくいと評判だ。ありがたいことに薬の在庫が尽きるのが早い。だから、毎日せっせと製造している。
できあがった薬は容器に入れて保存する。古くなった薬は処分する。これの繰り返しだ。単調な毎日だが、細かい作業が好きな獏良は、この生活を気に入っている。たまに訪れる「訳ありの客」以外は訪れない静かな生活が性に合っているのだ。
トントン、と窓を小突く音がした。茶色の鳩が作業部屋の外で羽ばたいて獏良を見つめている。足に何かがくくりつけられていた。
獏良は作業で汚れた手を拭ってから窓を開け、部屋の中に鳩を招き入れた。足にくくりつけられているのは、畳まれた紙だ。
「ありがとう」
鳩の首を撫でてやると、「くるるっ」と可愛らしい鳴き声が返ってくる。少量の麦と水をやると、腹が減っていたのか夢中で突っつき始めた。
鳩が食事をしている間に、獏良は鳩から受け取った紙を広げる。並んでいるのは見慣れた文字。友人の遊戯からだった。こうして折々に手紙を送ってきてくれる。交遊関係が少ない獏良にとっては大切な友人だ。
手紙には、最近の出来事や気候について、恋人とのやり取り——などが書いてある。ゆっくりと読みたいところだが、鳩に返事を渡して早く返してやらなくてはならない。手紙とペンは自室にある。取りに行かなくては——。
そのとき、トントンとドアが叩かれた。
獏良の胸が跳ねる。森の奥に住んでいる魔法使いの家には基本的に誰も来ない。来るのは、よほど強い願いがある人物だけだ。そういった人物は、得てして無茶な依頼をしてくる。
好きな人を自分の虜にしたい。嫌いな人を痛い目に遭わせたい。大切な人を生き返らせたい。
魔法は何でも叶えられる夢の力ではない。魔法使いには厳格なルールがある。人に害を与えることや生物の生死に介入するなど。特別な力があっても、好き勝手に振る舞ってはいけないのだ。
それをノーマルは誤解をしている。魔法使いは強大な力を持つ者だと。恐るべき隣人だと。だから、魔法使い狩りは度々行われてきた。
もしも、魔法使いがルールを破ったときは、闇に落とされてしまう。悪魔や妖魔といった闇の世界に住むものたちがやって来て、引き込まれるのだ。そうなると、元には戻れない。人間ではなく、悪魔たちと同類になってしまう。それを恐れているから、ほとんどの魔法使いはルールを破らない。
——獏良の父もそうだった。獏良が幼い頃、魔物に取り憑かれてしまった。だから、獏良は魔法の恐ろしさを知っているし、扱いに慎重だ。
もう一度、トントンとドアを叩かれる。
獏良は黒い皮羽織を身につけ、顔を見られないようにフードを深く被る。馬皮をなめしたもので、加工するときに魔法をかけた特別製だ。見た目は冴えないが、安物の甲冑よりもよほど防御力の高い魔法使いの愛用品だ。
ごくりと唾を飲み込み、獏良は口を開ける。
「どなたですか?」
「頼み事があって来た」
若い男の声が返ってきた。感情を読むことができない淡泊な声。
獏良は慎重になってドア越しに言葉を続ける。
「どんな用ですか?」
「とりあえず、ドアを開けてくれ」
ますます怪しい。唾を飲み込んでからドアハンドルに手をかける。いざとなったら、防御魔法がある。自衛目的なら攻撃魔法を多少使ってもルール違反にはならない。
ゆっくりとドアを開けると、白い長髪の男が立っていた。衣服は冒険者風で、短剣が一振り。真っ赤な瞳が特徴的な整った顔立ち。表情は攻撃的に見える。
「やっとお出ましか……。お前は人に呪いを——」
瞳の中に狂気を感じる光。歪んだ口元の笑み。獏良は相手の言葉が終わる前に、迷わず扉を勢いよく閉めた。急いでかんぬきをかける。
「おいッ!!話を聞けッ」
ドアを破る勢いで乱暴に叩かれた。下の方からも音がする。どうやら足で蹴っているらしい。
——ヤバい人だ……。
獏良の心臓が早鐘のように鳴っている。「呪い」と口にするなんて、訳ありどころの騒ぎではない。どう考えても危険人物だ。
「僕には、の、呪いの魔法なんて使えません。帰って下さい!」
震える声で訪問者に伝える。腰につけている魔法の杖に手をかけた。しつこいようなら催眠魔法で対抗するつもりだ。争い事が苦手な獏良には厳しい状況だが、仲間がいないのだからやるしかない。
ドアのノックが止まり、息を吐く音が聞こえる。次の言葉は少し落ち着いていた。意思の疎通を図ろうとしているらしい。
「森の魔法使い、まずは話を聞いてくれないか。注文が気に入らなければ、断るのはお前の自由だ。攻撃はしない。魔法使いに勝てるわけがないからな」
獏良はフードの端を引っ張って念入りに顔を隠し、もう一度戸を開ける。外には出ずに男と距離を取った。
「とりあえず、ここで話を聞きます」
「用心深いな。いい判断だ」
男は人探しをして欲しいのだと言った。どうしても倒さなくてはならない仇がいるのだと。
「それで呪い……。いや、人を呪うことなんて、僕にはできません」
どんな事情があるにせよ、人に害を為す魔法はルール違反だ。獏良の首が縦に振られることはない。
「なら、人探しはどうだ?」
「……その人の毛髪や爪など、身体の一部を持っていますか?着ていた服でもいいですよ」
「ない」
男はその仇に関係するものは何も持っていないという。確かなのは、生年月日と生まれた場所。獏良は厳しい注文に頭を押さえた。
「魔法では無理です。占星術……気休めの占いならできます」
頑なに家の前から動こうとしない男。獏良はどうにかして男を追い払いたいという思考に変わっていった。無理をすれば、少ない情報でも仇とやらの居場所を魔法で掴めるかもしれない。この怪しげな男に深く関わってはダメだと、獏良の本能が危険信号を出していた。それっぽい結果を出し、一刻も早く帰ってもらう。
「——それでいい」
「では、どうぞ」
玄関扉の先は、簡素な客間になっている。テーブルと椅子、鎮静効果のある花を飾っている。今日は白い花弁が円形に並んだカモミールだ。香りもいい。
奥の扉は魔法使いの秘匿情報で溢れているため、親しい客でも通さない。ノーマルには見えない結界が張られている。
獏良は客用の椅子を引き、「どうぞ」と言おうとした。が——
突然、強い力で床に引き倒される。身体を強く打ち、苦悶の声が漏れた。視界の先は天井ではなく、歯を剥き出しにした獰猛な表情の男。
「かかったなッ!中に入れたらこっちのもんなんだよ!しょっべえ結界なんざ、時間稼ぎにもならねえぞ!」
獏良は歯を噛み締める。油断した。背と腕が鈍く痛む。特製の羽織の効果がない。ノーマルの攻撃など効かないはずなのに。
正体不明の男は勝ち誇った笑みを浮かべる。
「さっき鳩が飛んでこなかったか?あれは、ここら辺では見ない種類だな?何処から来た??まさか、ドミノ町、なんて言わないよな?」
男の言葉に獏良の背筋に悪寒が走った。
「お、当たりか?」
男の眼が細まり、攻撃的に光る。
友人の遊戯には、特殊な生まれの恋人がいる。王室筋の者らしい。ならば、何処から恨みを買っていてもおかしくない。
獏良は腰に差してある杖を男の喉に突きつけた。同時に男の手が杖を掴む。構わずに魔法を唱える。威力を抑えた雷撃の魔法。運悪く心臓が止まってしまわないように祈りながら、魔法を発動した——が、何も起こらない。
「な、なんで……?!」
静電気程度の力すら出なかった。まるで魔力が詰まったような感覚。
「お前、魔法を使い始めて何年経つ?こっちは……」
男は獏良を小馬鹿にしたように笑う。魔法の杖を強く握ったままで。
「う……うそだ……」
獏良は何回も魔法を発動しようとするが、杖は無反応のまま。このままでは、魔法使いの秘匿情報が暴かれる。命も脅かされる。友人たちまで危険が及ぶかもしれない。
じわりと獏良の眼縁に涙が浮かぶ。力の差があるものに組み敷かれるなど生まれて初めてのことだ。悔しさと恐怖が獏良の中に渦巻く。
「マジか……」
低く小さな呟きが聞こえ、獏良は男の顔を見る。何故か有利なはずの男が、狼狽している。杖を持つ手の力が緩んだ。
獏良はその隙を見逃さず、微力な電気の魔法を発動する。バチッという音と共に男が離れる。
解放された獏良はその場に立ち、杖を男に突きつける。マントのフードは外れ、乱れた白髪が露になっていた。整った顔立ちも男に晒される。悠長に顔を隠している暇はない。
男の攻撃はなかった。眉間を摘まみ、渋い顔をしている。片手は獏良の方へ突き出し、待ったの合図。
「ありえねえだろ。こんな森の奥だぞ。クソ汚ねぇマントで……」
男はブツブツと何事かを呟きながら顔を横に振っている。
「そのツラはなんだッ?!」
獏良の顔面に指を突きつけ、怒りや焦りに似た感情のこもった声で怒鳴る。
「は?」
「こんな場所で生計立てられてんのか?飯食ってんのか?ちゃんと風呂入ってんのか?」
「何を言ってるのか分からないんだけど……」
獏良は杖を動かさないまま、顔を引きつらせる。意味の分からない言葉を並べる不審者は、ただただ恐ろしかった。
「……心配されなくても、ちゃんと食べてるし、お風呂は……近くの湖で何とかなってるよ……」
投げ槍な獏良の回答に、男は「湖?!」と引っくり返った声を出し、
「出直す」
強力な魔法を食らった後のように、ふらふらとした足取りで来た道を戻っていった。
「なんだったんだ……」
それから、獏良は以前よりも強い結界を家に張り、魔除けの効果があるオトギリソウを植えた。遊戯には忠告の手紙を書き、透過の魔法をかけて伝書鳩を返した。
あの妙な男が二度と来ないように祈り、今日も薬草作りに勤しむのだった。
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超絶好みの顔面に出会ったしまった者の反応。