どこかの国のどこかの町の片隅に、小さな事務所があった。
大通りに面しているわけでもなく、看板を出しているわけでもないので、大概の人は通りすぎてしまうだろう。
古めかしい三階建ての建物で、一階は物置とガレージになっている。
ガレージの右脇に狭い階段が付いていて、二階へと通じている。もちろん、階段の先は下からでは見えない。
だからなおさら、見た目には何の建物であるか分かりにくかった。
その女も建物を前にして、戸惑いの表情を浮かべていた。
レモン色の上品な長い丈のワンピースに、つばの広い帽子を被った女で、市街地から離れたこの場所には不釣り合いな人種だった。
女はしばらく建物を見上げた後、深呼吸をして階段を上がった。
階段を上りきると、鉄製のいかにも立て付けが悪そうなドアが左手にあった。
女は躊躇いながら、そのドアを叩く。
「どうぞ」
聞こえてきたのは、若い男の声だった。
ドアノブを捻ると、やはりギギギという不快な音がする。
ゆっくりとドアを押すと、意外にも小綺麗な事務所が目の前に広がった。
照明は明るく、床には塵一つ落ちていない。
通りに面した窓側にあたる、左奥にデスクがあり、長髪の男が座っていた。
どうやら、この男が女の目的の人物のようだ。
真っ白の髪が印象的な男で、つり上がった赤い瞳が挑戦的な光を放っている。
男は無言でデスクの前にある応接机を手で指し示した。
座れということなのだろうが、とても客人に対する態度とは思えない。
普段の女なら腹を立てているところだった。しかし、今はそんな余裕もない。
大人しく示される通りに応接用のソファに座った。
男はそれを見届けてからデスクから立ち上がり、女の真正面の席へと移動する。
「お茶」
今まで女は気づかなかったのだが、事務所にはもう一人の人間がいた。
窓側とは反対の部屋の奥にも事務机があり、そこに座っていたのだ。
ドア付近からは死角になるため、女は気づけなかった。
声をかけられた人物は無言で席を立ち、奥へと引っ込んでいった。
「さて」
男が口を開いた。
「この探偵事務所に、どのようなご用件で?」
女は重い溜息をついた。
ここに来るまでに話すことを何度も考えてきたはずなのに、いざとなったら、どう話せばいいのか分からなくなってしまったのだ。
話せないでいる内に、優しく甘い香りが漂ってきた。
トレーを持ったもう一人の男が、奥からやって来たのだ。
もう一人の男は女の前にティーカップを置き、
「カモミールティーです。落ち着きますよ」
にこりと微笑んだ。
驚いたことに、女の目の前にいる男と瓜二つの顔をしている。
しかし、雰囲気も表情も全く異なっていた。
お茶を運んできた男は、人の良さそうな顔をしている。
対する探偵を名乗る男は、尖った印象があった。
ハーブティーを一口すすると、少しだけ女の緊張が解れた。
お茶を運んできた男が、場を和ませる役割を果たしたお陰もあるだろう。
「お話しします」
やっと、女の中で気持ちの整理がついた。
「あらかじめ説明した通り、会話の内容は「助手」が記録を取ります。外には絶対に出しません」
「構いません」
探偵が顎で「助手」に無言の指図をした。
助手は何も言わずに、再び奥の事務机に引っ込んでいった。
「どうぞ」
男に促されると、女は重い口を開いた。
「初めは気のせいだと思ったんです……」
***
女の住まいは、この町の一等地にあり、広い庭を所有する屋敷だ。
家族は会社経営をする夫一人だけで子供はいない。
自宅には通いの執事と使用人が三人。
暮らしには何の不便もないはずだったが、ここ半年ほど前から何者かの視線を感じるというのだ。
それも時間帯も場所も問わず。朝も夜も。
始めの内は考えすぎと思ったが、段々とそれ以上のことが起こり始めた。
夫を会社へと送り出し、外へ出掛けようと門を出ると、塀の上に切り花が置いてある。
趣味の一つである絵画教室の中でも、無言の呼び出し電話がかかってくる。
寝る前に飲もうと開けておいたワインが、目を離した隙に減っている。
じわじわと日常に異常が浸食されているようで女は思い悩んだ。夫に打ち明けるべきか。
多忙である夫を煩わせたくなかったのだ。
そして、とうとう寝室の窓に「君を見ているよ」と書かれたメッセージカードを見つけてしまい、黙っていられなくなった。
夫にすがりつき、今まで起こったことを全て打ち明けた。
すると、夫は妻の心配はしたものの、あまりに騒ぎになると会社経営に響くと言い出した。
「信用できる者に調査をさせるから、警察に届けるのは待って欲しい。
下手に通報して、犯人を逆上させても大変だ。君の身が心配なんだ。分かるね?」
一旦は夫に任せたものの、いつまで経っても調査の進展はない。
いつもは夫に頼りきりの女も、さすがに焦れてきて、電話帳からこの探偵事務所の電話番号を探しだしたのだ。
***
「何者の仕業なんでしょうか……。心当たりは全くなくて」
膝の上でこぶしを握り締めて、女は苦しげに吐き出した。
テーブルの上には、自宅とその周辺の写真、犯人から送られてきたメッセージカードが広げられている。
どれも探偵が電話で持ってくるように指示したものだ。
探偵はそれらに手も触れずに、鋭い視線で一瞥したのみ。
「心当たりはなくても、恨みを買うことはある。
ましてや、アンタのご主人は会社経営者。いくらでも種はあるんだろうが……」
そこまで話したところで、探偵は吹き出した。
初めは小さく、堪えきれなくなったのか、堂々と口を開けて笑い始めた。
突然の豹変に、女はソファの上で縮こまった。
助けを求めるように助手に視線を送っても、机に向かって黙々とペンを走らせているだけだった。
「悪い悪い」
探偵は笑い終えて謝罪はしたものの、その顔に薄気味悪い笑みは張り付いたままだ。
最初こそ丁寧だった態度も口調も、すっかり砕けている。
「犯人はアンタの行動を事細やかに把握している者。まあ、内部犯だな」
「うそ……!!」
思わず声を上げる女に、探偵はじろりと睨みを利かせた。
うるさい黙れ。口を挟むなと言うように。
「四六時中アンタのことを見張っている変質者……とも考えられなくもないが、どうやら寝室の事情まで分かっているようじゃないか」
膝の上の女の手が震えだした。
家の中に犯人がいるなどとは、思っても見なかったのだ。
「使用人たちは、住み込みじゃないんだよなァ?」
探偵はまるでその場に犯人がいるかのように、追い詰めるような口調で言った。
いや、実際に目の前の女が動揺するのを見て楽しんでいるのかもしれない。
女はその先を聞きたくなかったが、耳を塞ぐことはしなかった。
いっその事、一思いに真実を突きつけられたかった。
「なら、犯人はご主人……」
「いやあ!!」
女は頭を抱えて悲鳴を上げた。
「なんで……。なんで主人が。あんなに優しいのに。何かの間違えじゃ……」
受け入れ難い真実に、女は頭を振った。
そして、顔を上げて探偵に懇願する。
「うちに来て、しっかり調査して下さい!主人じゃないはずです!」
探偵は煩わしそうに鼻を鳴らした。
二度と資料を見ようとはしなかった。
「サディスト」
探偵の唐突なその言葉に、女は口を噤んだ。
「相手を精神的、もしくは肉体的に追い詰めて喜ぶ連中のことだ。おたくのご主人、結構な趣味をお持ちで」
探偵はソファの上で長い足を組み、背もたれに寄りかかった。
その尊大な態度は、もはや客相手のものではない。
口角を歪めて、さも楽しそうに笑う。
「経営者だから、理由を付けて会社から抜け出して、アンタのところへ行くのは容易い。アンタの行動を一番把握しているのもご主人。
得体の知れない変質者が、他人の目を掻い潜って、アンタを24時間見張っているっていう幻想よりはずっと筋が通るが。
なあ、本当にご主人じゃないと言い切れるのか?心当たりはないのかァ?」
女は顔を青ざめ、勢い良く立ち上がった。
「しゅ……主人に聞いてみます……」
カチカチと歯を鳴らしながら声を絞り出す。
そして、バッグを手に取り、慌ただしく事務所から飛び出していった。
「ヒャハハハ」
探偵は頭の後ろで両手を組んで身体を伸ばした。
「はい、記録取ったよ」
ソファの後ろから助手がノートを差し出す。
「あの人、一人で帰して良かったの?旦那さん、危ない人なんでしょう」
「あの女の様子を見たか?ずっと、おどおどしてたぜ。
その割に逃げることもせずに最後まで話を聞いていたし、ありゃマゾだな。お似合いのカップルよ」
探偵は受け取ったノートに目を通し始めた。
「え……!」
「もしかしたら、無意識に犯人が分かっていて、わざわざここに来たのかもしれないぜ。仕向けられた可能性もあるがな。
問い詰めたところで、あの夫婦の新しいゲームが始まるだけだ」
記録の全てに目を通し終え、探偵は机の上にノートを放り投げる。
終わってしまった事件にもう興味はなかった。
「それと……いい加減に僕のことを助手呼ばわりするのやめてよね、バクラ」
ソファの背もたれに肘をつき、獏良が冷ややかな目でバクラを見下ろした。
「客の前ではしょうがねェだろ、『宿主様』」
先程までの相手を萎縮させる嫌な笑い方は止んでいた。
代わりに、へらへらと軽薄に笑いながら獏良の顔を眺めている。
「ちゃんと働いただろう?口止め料込みで多めに報酬が振り込まれるはずだ。ご褒美くれよォ」
力任せに獏良の腕を引っ張り、ソファへ引きずり込んだ。
腕と背中をしっかりと抱え込み、抱き枕のように獏良を扱う。
「もう……!!」
獏良は口では不満を漏らしても抵抗はしない。
このじゃれ合いもすっかり慣れてしまった。
探偵事務所を開いてから、もう一年が経つ。
建物は獏良のものだ。両親から譲り受け、ずっと一人で暮らしていた。
二階が事務所、三階が住まいとなっている。
そこへ転がり込んだバクラは、居候らしく獏良を宿主と呼ぶ。
探偵事務所の事業主も、実のところは獏良である。
なぜ、二人が一緒に暮らし始めたのか。
なぜ、探偵事務所を開いているのか。
それは、こんなことがあったからだ。
***
バクラは路地裏にぐったりと座り込んでいた。
たまに通る人々がちらちらと視線を送るが、何もせずに通りすぎるだけだ。
今のバクラには、その方が有り難かった。
もう、何日もまともな食事をしていない。
追っ手から受けた左腕の傷が傷む。
包帯代わりに雑に破いた服を巻いているだけなのだから当たり前だ。
ここまで逃げてくれば、もう追いかけてくる者はいないだろう。
しかし、体力は限界に近かった。
意識が朦朧とする。
――潮時か……。
人気のない路地裏でドブネズミのように死んでいくのが、自分でもお似合いだと思った。
霞む視界の中で、白い輪郭が近づいて来たのが、意識を失う直前の記憶だった。
目覚めたのは、冷たいコンクリートの上ではなく、柔らかいベッドの上だった。
まともな寝床など何日ぶりだろう。
耳を澄ますと、しゅんしゅんとやかんの湯が沸き立つ音がする。
用心深い普段のバクラなら、すぐに臨戦態勢に入るのだが、生憎身体が上手く動かせない。
それに、尽きたと思った命が、自分の意に反して永らえたので、自暴自棄に近いような心持ちだった。
ふと、自分の腕を見ると、清潔な包帯で巻かれ直されていた。
もしかしたら、よっぽどの馬鹿かお人好しが現れたのではないかと思った。
「目が覚めたんだね」
部屋の奥から現れたのは、バクラと同じ白い髪の男だった。
それが後にバクラから宿主と呼ばれる獏良だ。
獏良は手に持ったトレーをベッドの脇の机に乗せてからバクラの前に跪いた。
屈託のない笑顔を見せる目の前の人物に、これは「両方」だなと、バクラは密かに思った。
しかも、見るからにまともではない人間を拾い、手当てをするなんて変人だ。
バクラは黙って様子を見ることに決めた。
「お粥、食べられるかな?」
トレーの上にあった椀を差し出された。
身を起こして受け取ろうとしたところで、
「待って」
制された。
獏良は粥をスプーンで掬い、ふうふうと息を吹きかける。
もう片方の手を添え、
「はい、あーん」
バクラにスプーンを向けた。
全く毒気のない雰囲気に呑まれ、バクラはそれを口の中に収める。
優しい塩気が利いた粥だ。
久々のまともな食べ物だったが、抵抗なく飲み込めた。
バクラは差し出されるままに粥を口にする。
あっという間に、粥はなくなっていった。
「ふふふ。良かったね。蒸しタオルを持ってくるから身体拭こうね」
やはり、見ず知らずの怪しい男を自宅に入れるなんて、よっぽどの馬鹿でお人好しだ。
獏良の背中を見つめながら、バクラは目を細めた。
獏良はバクラに名前以外は何も聞かなかった。
ただ、にこにことしながら介抱をし続けただけだ。
なぜ何も聞かないのかと尋ねてみたが、
「人に聞かれたくないことの一つや二つは誰にでもあるから……」
と寂しげに笑っていた。
無警戒すぎる態度も、その寂しげな表情も、バクラを惹きつける。
たしかに、馬鹿でお人好しだが、なんとも居心地のいい馬鹿だと思った。
腕の怪我がほとんど良くなり、体力も回復したところで、獏良はバクラを外に連れ出した。
段々と寒い時期になってきたので、バクラに服を買うのだという。
偶然同じサイズだったので、それまでずっと獏良の服を着ていた。
そこまでしなくてもとバクラは思ったが、獏良が嬉しそうなので口には出さないでいた。
たまたま見つけてしまった、両親や妹と思わしき人物が写った写真に、そのあたりの理由はある気はした。
バクラの知る限り、獏良が家族と連絡を取っている様子はない。
バクラは、そろそろこの町を離れるべきかとタイミングを見計らっていた。
一つの町に居着くことは今までなかった。
長く留まったのはこれが初めてだ。
もっと早くに出ても良かったのだが、あまりにも獏良の居心地が良かった為に長居してしまった。
バクラは横目で何も知らない獏良を見つめる。
何も言わずに出て行ったら、この少年は悲しむのだろうか。
二人は市街地にあるショッピングモールに足を踏み入れた。
中には飲食店や雑貨店なども並んでいる。
「僕も見たいものあるし、少ししたら戻るから、この辺で服を選んでて」
そう言い残し、獏良は人混みの中へと消えていった。
バクラにとって服などは着られれば何でも構わないのだが、言われた通りに店に並ぶ目についた服を手に取ってみた。
これから冬になるのだからコートなら欲しい。
こんなに人が集まる場所には今まで縁がなかったので、バクラは少しむず痒さを感じていた。
子供が喚く声や女たちの品のない高笑い、若者の中身のない会話などが、耳に届きすぎてしまう。
それに比べ、獏良の穏やかな声は、どんなに聞き心地が良いか。
周囲の雑音がさらに大きくなった。
何かあったのだろうか。
バクラは他人の様子には全く興味はなく、服を見続けていたが、甲高い女の声が聞こえたところで渋々と顔を上げた。
声のする方を見ると、通路の反対側にある店に人混みが出来ている。
それはただの勘だった。
バクラは人混みを掻き分けて、騒ぎの中心地へと進む。
ただの勘だが、普通ではない道を歩いてきたバクラの勘はよく当たる。
そこには、声の主らしき身なりのいい中年の女と、その女に腕を掴まれた獏良がいた。
女は何事か騒ぎ立て、獏良は青ざめた顔で棒立ちになっている。
――巻き込まれ体質か……?
それ以上は近づかずに、バクラは二人の様子を観察し始める。
「早く!警察呼んでちょうだい!泥棒よ!」
「落ち着いて、僕の話を聞いて下さい……」
どうやら、一方的に獏良が何かしらの犯人だと決めつけられているようだ。
女の勢いに圧倒され、獏良は反論も上手く出来ないらしい。
女の取り巻きらしき女たちが、数名そばにいることも運が悪かった。
女を加勢するようなことを口々に言っているのだ。
――面倒だな、これは……。
頭に血が上っている女たちと、まともに会話が出来るわけがない。
例え冷静に説得しようとしても、感情的に喚き散らすだけだ。
バクラは耳を澄ませて、周りの野次馬たちの声を聞いた。
事件とは無関係で面白半分に騒ぐ者もいるが、始めからその場にいた者もいる。
信用できそうな会話だけを抽出して頭に入れた。
今から十数分前、あの女は三人の取り巻きたちと、ここで井戸端会議をしていたようだ。
女はグループの中心人物らしく、周囲を省みずに声高に自慢話をしていたらしい。
特に指に付けたいくつもの指輪やネックレスを見せびらかしていた。
恐らく、うるさい女たちへの当て付けもあったのだろう。
柄の悪い男がすれ違い様に、後ろから女を勢い良く押した。
ぶくぶくと太って脚力もない女は、派手につんのめり、その場のハンガーラックやらマネキンを薙ぎ倒して床を転がった。
その時、運悪く近くにいた獏良も巻き込まれて尻餅をついた。
取り巻きたちと獏良で転んだ女を起こしたところで、女の指輪が一つ消えていることが発覚した。
転んだ拍子に落としたのではと、女たちと獏良で床を探し始める。
その内に店員もやって来て、それに加わった。
しかし、指輪はいつまで経っても見つからない。
女はいきなり獏良に指を突きつけて叫んだ。
「アンタが盗ったのよ!」
周囲の話を総合すると、このような流れらしい。
――全く。要領悪いっつーか、素直っつーか……。
バクラは腕を組んで呆れ気味に、狼狽える獏良を見つめた。
――そうでなきゃ、オレを助けたりなんかしねェか。
獏良は犯人ではない。
短い間だが、共に暮らしたバクラには、それがよく分かる。
目立つ外見だが、中身は地味だ。
人混みの中で盗みをやるような性格ではない。
女は執拗に獏良を外へと連れ出そうとしている。
取り巻きたちもそれぞれ、
「早く警察呼んで!」
「ご主人から結婚記念日に贈られた大切なダイヤの指輪なのよ!」
「警察に連れて行って調べた方がいいわ!」
興奮気味に喚いている。
女は女性とは思えないほどの力で獏良を引き摺り始めた。
「ちょ、ちょっと待って!僕には連れが……」
のしのしと店の障害物と野次馬を避け、鼻息荒く店を出ようとしているところへ、バクラが片足でワゴンを乱暴に踏みつけて進行方向を塞いだ。
「待ちな、ばあさん。そいつを連れていかれたら困る」
一瞬、その場が静まり返る。
再び口を開いたのは、被害者の女だった。
「ま……まあ!なんて口の聞き方なの?!この泥棒の知り合い?」
取り巻きたちもそれに続き、元の調子を取り戻していった。
「類は友を呼ぶって本当なのね!」
「私の息子があんなんじゃなくて良かったわ」
「泥棒仲間かもしれないわよ!」
バクラは眉間に皺を寄せて髪を掻き上げた。
「ぎゃあぎゃあ、うっせえなァ。逃げやしねェから、そいつから手を離しな。
そもそも、この人混みじゃあ逃げらんねえだろォ?」
バクラの迫力に負け、女は渋々と獏良から手を離した。
「バクラ!」
獏良は解放されると、一目散にバクラの元へ駆け寄った。
「ありがとう。でも、僕……」
「やってねえのは分かるから、黙ってオレ様に任せな」
周りに聞こえないように、小さな声で囁き合う。
「あの人の言う通りに警察でちゃんと調べてもらった方が……」
数名から責め立てられていた獏良は、すっかり弱気になっていた。
バクラはその額を軽く指で小突く。
「阿呆か!現場を離れて証拠もなしに盗ってませんと主張しても犯人にされるだけだぞ。何処かに捨てたとか、隠したと思われるのがオチだからな」
「何をコソコソと言い合ってるの?!早く警察行くわよ!」
痺れを切らした女が喚き始めた。
「そんなに疑うなら、ここでこいつを引ん剥いて、気の済むまで調べたらどうだァ?」
バクラはあえて獏良を盾に取って凄んで見せた。
その言葉に女の顔色がさっと変わる。
「ま……まあ!なんて下品なの!そこまでする必要は……」
取り巻き三人も勢いを失い、
「さっさと警察で調べてもらった方がいいと思うけど」
「いやだわ、最近の若い子って……」
「こんなところでなくても……」
弱々しくそれぞれの考えを口にした。
バクラは素早く、その場にいる全員に視線を走らせる。
そして、確信を持って口角を上げた。
「公平にいこうじゃねえか。こいつもオレも全部持ち物をここで出すから、お前たちもそうしなァ!そこの店員もだ!
ここにいる全員が証人になる」
この場にいる全員に見えるように、大袈裟に両手を広げてみせる。
野次馬たちは突然始まったショーに興奮をし始めた。
「いい考えじゃねえか」
「それが一番簡単よ」
わざわざ足を止めて騒ぎを見物したがる野次馬たちは、常に刺激を求めている。
それを上手く味方につけることが出来たのだ。
女たちは状況をひっくり返されて血の気を失った。
元々は獏良一人と女四人で優勢だったはずだ。
それが今では、多数の野次馬に対し、たった四人だ。
「早く、始めろよ!」
「ポケットの中まで見せろよー」
「いっそのこと脱げー」
野次馬の囲みは、まるでバリケードのようになっていた。
逃げられない。
捕まったのは、女たちの方。
そして、この状況に一番焦っているのは……。
「もう……もう、やめてえ……」
泣き崩れたのは、取り巻きの女の一人だった。
友人の豹変に、他の二人の取り巻きは目を白黒させる。
「返すから!ちょっとした出来心なのよ……」
女は持っていたバッグを床に落とした。
中からコロコロと親指大の宝石が付いた指輪が転がり出る。
バクラは大袈裟に溜息をついた。
「早ェえな。剥き損ねたじゃねえか。ここから離れたがってたもんなァ……アンタ」
床に座り込んで泣きじゃくる女を、他の女たちは慰めていいものか悩んでいるようだった。
被害者の女は黙って、その場に立ち尽くしている。
そこへ後ろからバクラは近寄っていた。
「ばあさん、大事な大事な指輪、見つかって良かったな。ちゃあんと証言してやるから、警察行くかァ?」
蛇が獲物を見定める時のようにゆっくりと。
女は勢い良く振り返り、不格好な愛想笑いを浮かべる。
「いっ……いいのよ、見つかったんだから……」
ぶるぶるとその大きな身体を震わせた。
おたおたとバクラから離れ、取り巻きの元へと走っていった。
野次馬の興味もそちらへと移る。
「今のうちに行くぞ」
女たちの様子を気にしている獏良の肩を抱き、ショッピングモールを後にした。
「ねえ!出て来ちゃって良かったの?」
バクラに連れられるがまま、表通りに出て来てしまった。
罪を擦り付けられた側とはいえ、放っておくのは悪い気がする。
「良いも悪いも、それがあのババアの望みなんだから、仕方ねえだろ」
「望み?」
獏良はきょとんとバクラの言葉を繰り返した。
「お前、本気であのババアがただの被害者だと思ったのかよ」
危険に晒されていた自覚が全くない獏良に、バクラはイライラと頭を掻き毟る。
「タカリだよ。大切な指輪と言いながら、探すよりもお前を連れ出したがってただろ。
あのまま外に連れ出されてたら、示談にしてやるとか言って金を要求されてたぞ」
バクラに言われて思い出したのは、確かにしつこく警察へと引っ張られたことだ。
「ええ……盗まれたのは本当なんでしょ?」
「あのババアが本当の犯人に気づいてのかは知らねえし、あのグループがどうなろうが興味ねえがな。
指輪が出て来て、大人しくなっただろ?ババアの目的は、指輪でも犯人探しでもなかったのさ。がめついババアだぜ」
事態が飲み込めずに、獏良はその場で立ち止まった。
バクラもそれに合わせて足を止める。
「ご主人に貰った大切な指輪なんだよ?それを利用して、僕みたいなお金もなさそうな男をゆするために?」
獏良は尚も信じられないと言いたげだ。
「旦那に貰ったっていうくだりが本当かは分かんねえが、あの指輪は偽物だぞ」
さすがに、獏良は目を丸くした。ぱくぱくと口を開閉する。
「ダイヤと言い張ってたらしいからな。その意味でだ。ジルコニアなんかじゃねえの。しっかり、見てねえけど。
あの大きさで本物のダイヤなら、もっと狼狽えるし、見つかっても大騒ぎだろ」
そして、今度こそ、通りに獏良の素っ頓狂な声が響き渡った。
バクラは騒ぐ獏良をなんとか引きずって自宅に戻った。
それでもまだ、獏良は頬を紅潮させて興奮気味に喋っていた。
「凄いよ!あの場に居合わせたんじゃないのに!」
手放しで褒められると、悪い気はしない。
獏良の賛辞を「うーん」とか「まあな」などの、不明瞭な言葉で受け入れた。
「僕に下品なことを言ったのも、わざとだったんだね!」
「あれは、ほん……」
「凄いなあ!」
にこにこと笑う獏良の顔を見ていると、何も言えなくなった。
本当はもうすぐここを出ようと思っていることも。
「まあ、宿賃と思って取っておきな」
それだけ言うと、夢中になっている獏良の顔を眺めた。
次の言葉がバクラの運命を変えるとも知らずに。
「まるで物語の中の探偵みたいだなあ……。ねえ!もし良かったら、ここで探偵をやってみない?」
「はあ?」
***
「あン時は口車に乗せられたなァ……。『それで、僕と一緒に暮らそうよ!』とか、可愛く言うんだもんなァ」
遠い目でバクラは当時のことを思い出していた。
獏良を膝に乗せたまま、ぶつぶつと呟く。
「何の話?」
本人はそれには全く気づいていなかった。
蓋を開けてみれば、一緒に住むと言っても、居住用の三階にそのまま獏良が住み、事務所にした二階にバクラが住むといった形だった。
確かに、一つ屋根の下には違いはないが、二階も三階も完全独立型になっていて、別々に暮らしているも同然。
食事を作ってもらえるのが唯一の救いに思えた。
本人には全く悪気がないのが、またタチが悪い。
消極的に探偵業を始めたバクラなので、電話帳に載せただけで広告は出さなかった。
気が向かない依頼は受けない。
生活費だけ稼げれば、それで良かった。
バクラの名前を表に出すわけにもいかないので、書類上の責任者は獏良だ。
依頼人の応対をバクラだけがすると人が寄り付かなくなるので、自然と獏良も顔を出すようになった。
だから、客の前では「助手」と呼ぶ。
「盗賊の再就職先が探偵事務所なんて笑えるぜ」
窓から見える青空を眺め、バクラは苦笑いを零した。
殺伐とした世界を抜け出し、日の当たる場所でのんびりと居を構えることは、思ったより心地良かった。
++++++++++++++++++++++++++
了くんに火の粉が降りかからないと、外に出て行かない安楽椅子探偵風探偵です。
探偵ものが好きなので一度書いてみたかったので、大乱歩の力をお借りしながら書きました。
悪い人が渋々(主に好きな人の為)正義の真似事をするのも好きです。
しかし、重要なのは介抱する了くんのところです。