ばかうけ

※セクハラ表現あり。
半ファンタジー。心の広い方のみドウゾ。

町の片隅にある派手な看板が目印の遊技場。
建物は三階建てで、カードゲームやダイスゲーム、ダーツなどが揃っている。
この町には娯楽が少ないこともあり、常に若者たちが集まっていた。
獏良もその中の一人。
三階にあるボードゲームが目当てで、仕事の空き時間に度々顔を出していた。
三階は若者向けとはいえないゲームが置いてあり、客の入りが少ない。
店側も手を抜いているのか、テーブルと椅子が疎らに置かれ、「あとは自分たちで勝手にどうぞ」と言わんばかりの有り様だった。
それでも、獏良は少人数で和気藹々と楽しめるところを気に入ってた。
その日もゲームが終わった後は、仲間内でボードゲーム談義に花を咲かせていた。
そろそろお開きかと時計を見上げ、予定よりだいぶ時間が過ぎてしまっていることに獏良は気づいた。
慌てて荷物をまとめ、階段に向かう。
この遊技場が若者の溜まり場になっている一番の理由は、ゲームそのものではなく、賭けと酒が楽しめるからだ。
夕方を過ぎると、二階限定でその二つが解禁となる。
だから、夜は昼間よりもガラの悪い連中が集まってくる。
酒を入れながら賭け事をすれば、異様な熱気でフロア中が沸き返る。
以前絡まれかけたこともあり、獏良はいつも夕方前には出るようにしていた。
「しまったなあ」と口の中で呟きながら、狭い階段を下りる。
二階に辿り着くと、やはり既にバカ騒ぎが始まっていた。
ビール瓶を片手に吠えたり、半裸になって踊ったり。乱闘騒ぎも日常茶飯事だ。
早く取り締まられたらいいのにと獏良は思っていた。
二階から一階に下りるには、フロアを突き抜けて反対側の階段まで回らなければならない構造になっている。
もたもたしていたら、酔っ払いに絡まれるかもしれない。獏良は足早に通りすぎることにした。
一階に下りてしまえば受付があるだけなので、もう少しの辛抱だ。
なるべく酔っ払いたちと目を合わせないように顔を伏せて歩く。人とぶつからないように注意をしながら。
もうすぐ下への階段に辿り着くというところで、どっと歓声が沸き上がった。
思わず振り返ると、賭け用の台に人だかりができていた。白熱するゲーム展開が繰り広げられているのだろうか。
賭け事が好きでなくても、ゲーム好きとしては興味を惹かれる。獏良も人の壁の後ろで爪先立ちをした。
後から思えば、この時ゲーム観戦などせずに、さっさと家に帰ってしまえば良かったのだ。
そうすれば、面倒なことにならずに済んだのかもしれない。
賭け用の台には四人の男がついていた。台の上にはトランプとチップが乗っている。
各々が五枚のカードを持っていることから推測するに、行われているのはポーカーらしい。
チップの量は獏良から見て奥の席についている男に集中していた。白い長髪の獏良と同じ年頃の男だった。

「一人勝ちじゃねえか」
「さっきから見てるけど、一度も負けてねえの」
「見ない顔だな」

観客の言葉通り、他の三人はギリギリと歯を食い縛り、精彩を欠いているように見えた。
ポーカーは心理戦とよく言われるが、ただのカードゲームとしてしか遊んだことのない獏良は、それまで運が物を言うゲームだと思っていた。
しかし、目の前で繰り広げられているのは、間違いなく心理戦だった。
一人勝ちをしている男の手の動きや目の動きが全てブラフになっていた。
男は基本的には無表情だが、カードを確認する際に少しだけ表情が動く。
配られたカードを見て、一瞬だけ男の眉間に皺が寄る。
それを見た他の男たちが弱いカードを引いたのだと思い、それぞれチップを上乗せすると、男は誰よりも強い役を披露する。
反対に男が強気のアクションを見せ、他の男たちがゲームを降りると、ただのワンペアが台に広げられる。
おそらく相手の捨てたカードの種類や枚数から手札も読んでいるのだろう。
完全にその場にいる全員が男の術中に嵌まっていた。
――ポーカーってこんなに面白いゲームだったんだ。
男が自分の心の内を一切表情に出さないことに獏良は感心した。
人間はどんなに気をつけていても、呼吸や眼球の動きに心が表れてしまう生き物なのだから。
一向に負ける気配のない男に対し、段々と周りの観客の態度に変化が起こり始めた。
ツイている新顔の男など誰も応援したくないのだ。
新顔のくせに生意気だ。どうにかして、あの男の負ける姿を見たい――そんな空気が広がっていった。次第に野次も増えていく。
――嫌な空気……。
獏良は顔をしかめた。
ゲームは男の独擅場でも、観客の不穏なムードがゲームの流れに影響してしまうかもしれない。
そうなったら賭け事とはいえ、純粋なゲームでなくなる。
男は純粋にポーカーというゲームをプレイしているだけなのに。
手前の男の手がもぞもぞと動いた。考えるフリをしながら、テーブルの下からもう一枚のカードを取り出す。
観客に囲まれた中で行われているとは思えないイカサマだ。
しかし、観客たちはそれを指摘するどころか、ニヤニヤと嫌な笑いを浮かべるだけ。この場に男の味方は一人もいない。
男は相変わらずのポーカーフェイスだが、この状況に気づいているのだろうか。
気づいていても、反対側の席の男がテーブルの下で何をしているのかなど分かるはずもない。
獏良は観客の間を縫って進み、男の後ろについた。
ガヤガヤと騒がしい中なら、少しくらい声を出しても気づかれないだろう。
ポケットから男の足元に向かってコインを弾き落とす。
それを拾うフリをしながら、
「気をつけて。正面。Kd」
獏良は小さな声で男に囁いた。
これで伝わったのかどうか分からない。男は戦法と同様に一つも表情を変えなかった。
コインを拾うと、獏良は出口に向かって歩を進めた。側に居続けたら、周りに怪しまれてしまうかもしれない。
階段を下り始めたところで、後ろから観客の落胆する声が聞こえた。
どうやら上手く切り抜けたらしい。

一階で帰りの手続きを済ませて外に出ると、とっぷりと日が暮れていた。
明日は早朝からアルバイトが入っている。早く帰らなくては。
遊技場から離れようとしたところで、
「ちょっと待て」
後ろから声がかかった。
先ほどの男が上着のポケットに手を突っ込んで立っていた。
獏良が立ち止まったところで、男はツカツカと歩み寄ってきた。
「……ん」
不躾に男の手が目の前に突き出される。手には紙幣が握られていた。
「え?」
獏良は意味が分からず首を傾げる。
紙幣を差し出されているということは、受け取れということなのだろう。
一つ一つ状況を整理していき、それが先程の謝礼であることに気づいた。
「い……いらないっ!」
慌てて両手を後ろに組む。
安賃金のアルバイトで生活している獏良にとって、喉から手が出るほど欲しいものではある。
それだけあれば、当分は生活に困らない。それでも、受け取るわけにはいかない。
男にとって獏良の反応は予想外のものだったらしい。
男は理解できないと言いたげな困惑した面持ちで、獏良の顔を見つめていた。どうやら、これが男の素の表情らしい。
ポーカーの時に見せた鉄仮面だけではなく、表情があることに少しだけ獏良の心が和らいだ。
「えっと……別にお礼が欲しかったわけじゃないから」
後ろに隠していた両の手のひらを身体の前で振って見せる。
「僕、ゲーム好きだから。……あ、賭けはやらないけど。イカサマは見ていられなかったんだ」
えへへと頬を掻きながら照れた顔で笑う。
「そうか」
男は大人しく紙幣を握った手を下ろした。
「ここは夜になると良くない人が集まってくるから、ほどほどにしておいた方がいいよ。じゃ!」
獏良はそう言うと、その場から駆け出した。
「あ!おい……!」
背中で何か声が聞こえたが、今度は足を止めることはなかった。

それから一ヶ月が経ち、獏良は未だかつてない災難に見舞われた。
いつものように雑貨店の店番をしていた時のことだ。客が来なかったので、店の前で掃き掃除をしていた。
帽子を目深に被った男が突然走って寄り、獏良が「いらっしゃいませ」を言う間もなく、大きなボストンバッグを押しつけた。
「これ、預かってくれ!」
それだけ言うと、男は走り去っていった。
「え?」
獏良はぽかんと口を開け、バッグを持ったままで立ち尽くした。
次に声をかけてきたのは警察官だった。
警察官は獏良の肩を乱暴に掴み、
「窃盗罪だ」
能面のような顔で無慈悲に告げた。

その後は、警察署に連行され、取り調べとは名ばかりの「説得」をされた。
「君がやったんだろう。素直に認めなさい。刑を軽くしてあげるから」
狭い取調室の中で数人がかりに似たようなことを繰り返し言われた。
獏良に荷物を押しつけた男は、窃盗の常習犯だったらしい。
いくら、「違う」、「もっと調べてくれ」と言っても、聞いてはもらえなかった。弁護士を呼ぶことも許されなかった。
獏良が発言する度に、警察官はお互いに視線を送り合い、鼻で笑って肩を竦めた。
この国の警察は腐敗しきっていると聞いたことはあった。袖の下が罷り通っているとも。
知ってはいたが、まさか自分の身に降りかかるとは思わなかった。
恐らく、獏良が窃盗犯であるかどうかは警察官たちには関係ないのだ。
必要なのは従順な「犯人」。獏良はたまたま選ばれてしまったのだ。
「早く、認めなさい」
後ろから肩に手をぽんと置かれる。その手は実際よりもずっと重く感じた。
「認めなければ、ここから出さない」と暗に言われているのだ。
ぽたぽたと汗が獏良の顎を伝って下に落ちる。
認めてしまいたい。早くここから出たい。でも、認めてしまったら、罪を背負うことになる。
思考が堂々巡りになってしまい、解決策など見つからなかった。
獏良は膝の上でこぶしを握った。
その時、もう一人の警察官が部屋に入ってきた。獏良を取り調べていた警察官にぼそぼそと耳打ちをする。
警察官は頷き、一転して獏良に満面の笑みを浮かべた。
「極めて悪質な常習犯だが、反省をしているようだし、なにより君は未成年だ。寛大な措置を与えよう」
獏良は警察官の笑顔に薄ら寒いものを感じた。急に態度が変わるなんて、どう考えてもおかしい。
でも、ここから出られるのなら、いいのかもしれない――折れかけた心でそう思ってしまった。
獏良に与えられた寛大な措置とは、「特別保護観察処分」だった。
それが真っ当な処分なのか、神経が磨り減っていた獏良には考える余裕もなかった。
目の前に出された書類に目を通す時間も与えられず、言われた通りにサインしただけだ。
懲役も罰金もつかない。少年院にも収容されることはない旨だけ説明された。
「君は実に幸運だ!」
白々しいほどのご機嫌顔で、警察官は獏良の背中を叩いた。

それから、行き先も告げられずに鉄格子付きの馬車に乗せられた。
始めは国外にある実家に戻されるのかと思ったが、町から離れることはなかった。
市街地を外れ、徐々に建物が少なくなり、緑が広がる郊外へと景色が変わっていく。
馬車が止まったのは、とある邸宅の前だった。
馬車を降ろされ、建物の門前に立たされる。
城とはいかないまでも、風格のある大きな屋敷で、草花が生い茂る庭が広がっている。
警察で言い渡された処分とは結びつかない場所だ。
護送担当の警察官の後ろについて門を潜り、庭園を真っ直ぐに突き進む。
玄関の前に立つと、護送担当が屋敷のベルを鳴らした。
中から出てきたのはスーツを着た執事と思わしき老人。護送担当と執事は幾つか言葉を交わす。
その間も獏良は落ち着きなく視線を泳がせていた。
「お入り下さい」
やがて、執事が扉を大きく開いた。
言われるがままに、獏良は屋敷の中へ一歩足を踏み入れる。
しかし、中に入ったのは獏良だけで、護送担当は外に立ったままだ。
「君は本当についている。勿体ないほどの方が身元引受人になって下さったんだよ」
獏良がその意味を問おうとしたところで執事に急かされた。
質問を微塵も許さないように、扉がばたんと閉められる。
こんな屋敷に住む親戚や知り合いなど、獏良の記憶にある限りではいない。
執事の後について屋敷の中を進む。辿り着いたのは、マホガニーの両開き扉の前だった。
執事がこんこんと二回ノックをする。
「お連れしました」
「入れ」
中から返ってきたのは若い男の声だ。随分とこの屋敷の主人は若いらしい。
執事が恭しく扉を開ける。
部屋の広さは五平米ほどで、屋敷の主人の部屋としては幾分か狭く感じた。
壁側には本棚が並び、奥の窓側には大きな木造りの書斎机が置いてあった。
そして、その机の前には男が立っていた。
獏良と同じ年頃の、長く白い髪の細身の男だ。
「久しぶりだな」
主人は薄い笑みを浮かべて口を開いた。
「あの……すみません……。どこかでお会いしましたか?」
獏良には少しだけ主人の顔がひくりと引きつったように見えた。
しかし、いくら考えても大富豪の知り合いなど獏良にはいないのだ。
こうして主人を目の前にしても思い当たらない。
「まあ、いい……。ここに連れてこられた意味分かるか?」
獏良は問いかけにふるふると首を横に振った。
「『窃盗犯』のお前をこのオレ様が引き取ってやったのさ。
逃げ出したり、悪さをしたりしなければ、牢に入れられることもない。
その代わり、しっかり働いてもらうがな」
言い終わると、主人の深紅の瞳がすいと細まった。

獏良は執事に連れられ、屋敷の中を案内された。
主人の名はバクラ。この地では有名な骨董品店の店主だ。
獏良が詳しい仕事内容を尋ねようとしたところ、執事が口を濁したので、綺麗な商売をしているわけではなさそうだった。
屋敷には執事の他に料理人しか常駐していないらしい。
バクラは他人に自分のテリトリーを荒らされるのを何よりも嫌う。だから、必要以外の使用人は雇わないとのことだ。
庭師や掃除夫ですら週に一度しか屋敷に入ることができない。
獏良に課せられた仕事は、バクラの身の回りの世話だった。
他人を側に置かないという執事の説明とは矛盾する気はしたが、使用人が口出しをするところではないだろう。
とにかく、バクラの側について言われた通りに動けばいいらしい。
仕事を見つけることも難しいこのご時世に、豪邸の使用人として雇われるのは、破格の待遇のように感じた。
屋敷の余った個室を与えられ、食うものにも着るものにも困らない。
今ごろ牢に入れられていたのかもしれないのだ。
外に出る自由はないとはいえ、安賃金のアルバイトで切り詰めて生活をしていた獏良は喜ばしく思った。
……初日までは。

翌日から獏良の生活は一変した。
まず、黒の上下の側仕え用の服を与えられた。
執事とほとんど変わらない細身のスーツ。これはいい。身体にぴったりとしたサイズで着心地が良い。
黒一色で見た目には分かりにくいが、手触りの良い生地で、上品な光沢を放っている。袖には銀のカフスボタンまで付いている。
もしかしたら、使用人が着るようなものではないのでは、と獏良は少し疑問に思ったが不利益があるわけではない。大した問題ではなかった。
問題があったのは、その上に着けるように言われたエプロンの方だった。
肩紐と裾に大きめのフリルがついた白のエプロン。
女性用と間違えたのではと執事に尋ねてみたが、間違いではないらしい。
「ご主人様の指定によるもの」ということだった。
膝上丈で動きにくくはないが、心の中に芽生えた違和感を拭えなかった。
仕事を始めて、その違和感が正しかったことを思い知った。
食事の配膳をしたり、茶を入れたりすることは想像通りの仕事内容だった。簡単な掃除もする。
バクラの髪を梳かしたり、爪を切ったりするのも仕事の内だった。
王族相手でもないのに、そこまで使用人がするものなのだろうか。
しかも、二人きりの時は敬語を禁じられた。うっかり敬語で話しかけてしまうと、顎を掴まれて言い直しを命じられる。
金持ちの道楽は獏良にとって理解不可能だった。
もっと異常だったのは、食事中に関してだ。
まず、食卓についたバクラの太腿の上に対面する形で座らせられる。
その体勢のまま、食事をバクラの口に運ぶのだ。
主人の上に跨がるのも、身体を密着させるのも、何ともいえない後ろめたさを感じる。
食事が終わってバクラの気が済めば片付けに移れるが、日によってはそれだけでは済まない時もある。
今度は食べさせてやるというのだ。もちろん拒否権はない。
口を開けて咀嚼するだけの行為なのだが、間近で見られると何とも恥ずかしい気分にさせられる。
人間の最も油断している瞬間を晒しているのだから当然なのかもしれない。
他人の手によるものなので、口の端から食べ物がたらりと溢れてしまうこともある。
その時はバクラが指の腹で直接拭い、獏良の口の中に捩じ込む。
慌てて自分で拭くと言っても、決してさせてはくれない。
これでは何のための側仕えなのか分からないではないか。
困惑する獏良を他所に、ゆっくりと食事の時間は進む。
湯殿で背中を洗うのも仕事だ。
肌を傷つけないように素手に石鹸をつけて身体を洗っていく。
腕と背中のみで、前は許された。それでも、どうしようもなく恥ずかしい。
風呂から上がったら、すぐにタオルを渡す。身体を拭くのはバクラ自身だが、その後はボディクリームを塗る仕事が待っている。
つけ過ぎないように丁寧に手で身体の隅々まで延ばす。
肌と肌がぬるぬると触れ合うと変な気分になる。そんな気持ちを隠し、獏良はクリームを塗り続ける。
その後、ガウンを肩にかければ、一日の仕事は終わりだ。

バクラから申しつけられることは、全てにおいて距離が近い。
嫌がらせなのではと思うこともあるが、暴言を吐かれることも、いやらしいことも言われることはない。
黙ったままで、ただ見られているだけだ。
それがかえって獏良を逃げ出したい気持ちにもさせていた。
人の目がないことがせめてもの救いだ。
バクラが仕事で外出する時は、心の底からほっとして見送った。

「噂に聞いて来てみたら、随分可愛い子を拾ったんだね」
応接室のソファの上で長い足を組み、バクラの悪友でもあり、ビジネスパートナーでもあるマリクが意地悪く笑った。
マリクは褐色の肌にハニーブロンドの整った容貌の持ち主。
黙っていれば近づく者は山ほどいるが、油断すると痛い目に遭う食えない男だ。
バクラはマリクから骨董品を仕入れているため、ちょくちょくと顔を合わせている。
「側に置いてあんなことやこんなことをさせているのか。イヤらしい」
他に類を見ない美人でも口を開くとこれだ。ぽんぽんと下世話な会話が飛び出してくる。
バクラは露骨に舌打ちをした。
少年を囲っていることを知られるとは迂闊だった。マリクの格好の餌食になってしまう。
「さて、どこまでいったのかな??」
マリクは瞳を輝かせてバクラの顔を覗き込んだ。
「どこにもいってねえよ。手は出してねェ……」
ぽつりと漏らしたバクラの言葉に、
「え……きもちわるっ!!」
マリクから悲鳴が上がった。
「ウソだろ?!あんなフリフリのエプロン着せて、お尻のラインが出るパンツ履かせて、何もしてないなんてどうかしてる!口説いてはいるんだろ?!」
「……してねェよ」
家に入れるんじゃなかったと、バクラは今更ながら後悔をした。
一方のマリクは青褪めて、信じられないようなものを見たと言いたげだった。
「ただ側に置いてニタニタしてるだけってこと?どうなってるんだよ、お前の頭の中。妄執??ムリムリムリ。僕なら裸足で逃げだすね」
大袈裟に顔の前で手を振って見せる。
「ニタニタはしてねえよ」
「真顔ッ?!こわっ!もっと無理!死んでも無理!」
「お前なァ!言っておくが、お前ンとこのアレも似たようなモンだろうが!!」
売り言葉に買い言葉で、とうとうバクラも声を荒げた。
「確かにアレはお前よりも嗜好は変態的かもしれないけど、感情表現はストレートな方だよッ!」
マリクの指摘は至極真っ当だった。近寄らせておいて、ベタベタと触っても、一定以上は手を出さない。
とても歪んでいて不健全そのもの。まだ、下心が表面化している方が健康的だ。
バクラ自身もよく理解している。
元々はこんなはずではなかったのだ。

*****

気紛れに訪れた遊技場。ゲームは最高の暇潰しになって面白い。数少ないバクラの趣味だ。
ポーカーは持ち前の記憶力と洞察力で面白いように勝てた。
そのうちに観戦客の不穏な空気が伝わり、面倒になった。
そろそろ暇潰しも潮時かと思っていた頃合いだった。金を稼ぎたくて始めたわけでもない。
正面の席の男が何かをしていることには気づいていたが証拠がなかった。
指摘したとしても、周囲の人間たちが庇うだろう。
さて、どうするか。やり返すこともやぶさかではないが……と考えていたところに、耳元でなんとも聞き心地の良い声が聞こえた。
「気をつけて。正面。Kd」
すぐに言葉の意味は理解した。信用していいものかしばらく迷った。
が、結局は感じたままに信じることにしたのだ。
忠告通り、正面の男はダイヤのキングを隠し持っていた。
相手の手の内が分かれば、負けを回避することは容易なもの。
あっさりと場を切り抜け、観客はブーイングを飛ばした。
立ち上がって声の主を探すと、観戦客から離れた場所に、白い後ろ頭が見えた。このままでは行ってしまう。
バクラが慌ててゲームを切り上げることを申し出ると、またしても「勝ち逃げか」とブーイングが起こった。
こんな連中に構っている暇はない、半ば強引にその場を抜け出した。
受付でチップを換金している間も、姿を見失ってしまうのではないかと気が気ではなかった。
確認もせずに上から札束を引っ掴んで外に出る。
まだ店の前に「アドバイスの君」がいた時は、柄にもなくホッとした。
そして、呼吸を整えて声をかけたのだ。
「ちょっと待て」
振り返ったその顔は、観戦客のどの顔とも違っていて優しげだった。
とても賭け事に興味があるとは思えない。
店員から毟り取った紙幣を渡そうとした。借りは必ず返すもの。それがバクラの流儀だ。
獏良はそれを受け取ろうともせずに言った。
「僕、ゲーム好きだから」
なんてお人好し。バクラが身を置く業界の商売用語でいうカモであり、愚か者だ。
それでも……言動に嫌味は全くなく、なんとも心地の良いお人好しだった。
名前を聞く暇もなく、獏良は走り去ってしまった。
すぐにバクラは遊技場に戻り、店員に獏良の素性を尋ねた。
賭けで得た金の一部を握らせれば、すぐに名簿を出してきた。常連だった為に、運良く登録がされていたのだ。
分かったのは名前と現住所。そこから生年月日や家族構成、アルバイト先など基本的な個人情報を手に入れられた。
両親については、国外で暮らしているために詳しい情報は調べられなかった。
両親の元を離れ、この町へ来て数年経つということは分かった。
ここは治安には問題はあるが、物価の安さを求めて、ここに流れ着く若者はごまんといる。獏良もその中の一人に違いない。
獏良のことが分かったところで、「さて、どうするか」とバクラは考え始めた。
それまでは借りを返すという名目があったので、深く考えずに行動してきた。
獏良の素性が判明したところで、自分は「どうしたいのか」という疑問が湧いてきてしまったのだ。
改めて礼を言いに行くだけか。食事にでも誘うか。その後は……?
いつの間にか、そんなことばかり考えていた。
良い案が全く思いつかずに、ただ日にちだけが過ぎていった。

ある日、バクラの元に獏良が捕まったというニュースが飛び込んできた。
調べてみれば、なんのことはない。警察の罠に引っかかってしまったらしい。この町では良くあることだった。
弱者を痛めつけてちっぽけな征服欲を満たし、小金を得て、嘘で固めた手柄を手に入れる。
獏良を助け出すことは簡単だった。警察官に小銭を渡し、腕利きの弁護士を雇えばいい。
でも、それではただ借りを返しただけで、獏良にとってはただの恩人で終わってしまう気がした。
その後は忘れ去られてしまうに違いない。住む世界が違いすぎる。
バクラの選択は見ての通り。終わってしまうくらいなら、恩を売って縛ってしまえばいい。
警察官たちの望む額を支払い、書類を書き換えさせた。書類は慎重に確認した。獏良の名前が警察署に残っては困る。
弁護士を雇った方が遥かに出費も少なかっただろう。
しかし、労力も金も惜しまなかった。

――だから、さっさとその小汚ェ手を離して、オレに寄越せよ。その子はオレ様のモンなんだよ。

すっかり忘れられていたことには少し傷ついたが、こうして獏良を手元に置くことができたのだ。
ここまでの道のりは入り組んでいて、素直に言葉に出せるものではなくなっている。
一緒に暮らしてみて分かったことだが、獏良の相手を拒まない態度はバクラの嗜虐心をくすぐる。
困った顔をしても、強い態度に出ることはない。
それでいて受け身すぎることもなければ、涙を溢すこともない。
想像したよりも、獏良はずっと興味深い人間だった。
だから、もっと困らせてみたいと無理難題を突きつけてしまうのだ。
そうすることは、バクラの征服欲を満たすと同時に虚無感を生んだ。
これでは何の意味もない。あの腐り切った警察官たちと同じではないか――。

*****

バクラはこの数ヶ月間のことを思い返し、押し黙ってしまっていた。
「で?何か聞きたいことがあったんじゃないの?」
呆れ顔でマリクが話を促した。
「もうすぐあいつの誕生日なんだが、何をすれば喜ぶと思ってなァ……」
再びマリクの悲鳴が部屋にこだました。

獏良は廊下に飾ってあるツボを磨いていた。
本当ならしなくてもいいことなのだが、目につくものは綺麗にした方が良い気分になる。
妙な使用人生活も日数を重ねれば多少は慣れてくる。
細かいところに気づくようになったのは、余裕が出て来た証拠だ。
割ってしまっては一大事なので、丁寧に磨いていく。
バクラの身体を洗うことや、ボディクリームを塗ることに似ている気がした。だからか、手慣れたものだった。
「おい」
主人が背後にいることにも気づかないくらい夢中で磨いていたほどだ。
「はい?」
ツボに布巾を当てたままで、獏良は振り向いた。
「これまでの勤めが模範的だからな。特別に実家に帰ることを許可してやるぞ」
主人としての仮面を貼りつけ、それでも高圧的になりすぎないように獏良に話しかける。

『やっぱり、こんなところに閉じ込められてセクハラされてるんだから、誕生日くらいは家族に会いたくなるよね。
僕だって同じ立場なら姉さんやリシドに会いたくなるさ』

前半は余計だが、マリクの案は的確に思えた。
「誕生日だから」とは、とても口に出せない。内心は冷や汗を垂らしつつ、獏良の反応を窺う。
獏良はゆっくりとツボから手を離した。ぱちりぱちりと大きな瞳が瞬く。
「えっと……。許可してもらえるってことは、強制じゃないんだよね?断ってもいい?」
静かな表情でバクラを見つめ返す。その真意は全く読めない。
「あ゛?ああ……」
喜ぶどころか、何の反応も示さないことにバクラは拍子抜けしてしまった。
これが、「家族のところなんかに帰りたくない。だって、ずっとここにいたいんだもの。バクラの側に……」という意味なら飛び上がるほど嬉しいが、そうではなさそうだ。
二人の間に気まずい沈黙が流れる。
ツボを磨き終わった獏良は、バクラを気にしながらも、布巾を洗うために立ち去ってしまった。
――ここで引いたら意味ねえだろッ!
しばらく、その場で硬直していたバクラだったが、獏良の姿を探し始めた。

獏良は裏庭にある水道の蛇口を捻り、桶に水を溜めていた。
流れる水を見ながら、「咄嗟に断ってしまった。良かったのだろうか、心証を悪くしていないだろうか」と、ぐるぐる考え込んでいた。 水が溜まった桶の中で布巾を濯ぎ始めた。
帰りたくないわけではない。両親のことは嫌いではない。少し上手くいっていないだけだ。

きっかけは妹の死。
父はその悲しさから逃れるように仕事に没頭して家に寄りつかなくなった。
帰らない父に母はいつも苛々するようになった。
真面目な良い息子でいることを努めていた獏良にも、やがて限界がやって来た。
なぜ、静かに妹の死を悲しむことすらさせてもらえないのか。
それから家を出て数年が経つ。
生活は苦しいが、実家に居た頃よりマシだった。
家族からは嫌われてはいないと思う。ただ上手くいっていないだけ。
近寄るのが恐ろしいだけ。

桶の中にぽちゃんと水滴が落ちた。
いつの間にか、目から涙が溢れていた。久しぶりに家族のことを思い出したからなのだろうか。
保護観察処分を言い渡され、実家に戻されるのではないと知ったとき、本当は安心したのだ。まだ、心の整理がついていないから。
涙を拭いたくても、両手は汚水に浸されている。
まず、手を洗わなくては。
もう一度、蛇口を捻ろうと手をかけた時、前庭から回り込んできたバクラが姿を現した。
獏良の顔は涙に濡れたままだ。
「お前!具合でも悪くしたのか?!」
バクラは血相を変えて獏良の腕を掴む。
慌てるバクラの様子に少し驚きながらも、
「ちがう。家族のこと思い出しちゃって」
と獏良は無理に笑って見せた。
「ホームシックってやつか?やっぱり帰りたいんじゃないのか」
「その逆。会いたくないんだ」
家族と上手くいってないことをバクラに掻い摘んで説明した。
それは婉曲的な表現を多分に含む、主人に配慮した内容だった。
しかし、獏良の素性をある程度調べているバクラにとって、その内容から獏良の心情を推測するのは容易い。
何より、表情が物語っていた。
――マリクのやつ……!地雷踏んじまったじゃねえかァー!!
バクラは下唇を噛み、その場にいないマリクに逆恨みの言葉を心の中で吐いた。
獏良の顔は寂しそうだった。泣き顔も初めて見た。
困らせたいとは思っていたが、こんな顔をさせたいとは思っていない。
「一番悲しいのは、誰からも忘れ去られてしまった時と誰にも必要とされなくなった時だね。もしかしたら、僕は家族にとってそんな存在なのかも……」
憂いを帯びた瞳が伏せられる。
「誰にも必要とされないだと?そんなン勝手に決めつけんな」
バクラは腕を掴んだ手に力を込めた。
「少なくとも、オレには必要だからな」
「そう……なの?……僕、そんなに役に立ってる?」
獏良は弱々しい眼差しをバクラに向ける。
その瞳は悲哀の色に染まっていて、すぐにまた泣き出してしまいそうだった。
「お前がいないと困る。お前の割と度胸のあるところは気に入っている」
バクラは普段通りの鋭い表情ではあるが、目つきや口元から穏やかさが垣間見えていた。
ここに来てからずっと近くで見ていた獏良が見間違えるはずはない。
獏良の心に一筋の光が差し込む。バクラの言葉はそれほど力強かった。
「僕にそんな度胸なんて……」
掴まれている腕がまるで火がついたように熱い。
「あるだろ。大勢の前でイカサマを密告してくるヤツがなに言ってる」
獏良はきょとんとした顔をして、それからあんぐりと口を開けた。
「あ!あの、ポーカーの?」
「やっと思い出したか」
今までの記憶が繋がり、抱いていた疑問が氷解していく。
「お前が礼を受け取らねえから、随分遠回りしちまった」
「それで助けてくれたの」
獏良にとってはあの夜のことは些細なことで、日常生活の中ですぐに忘れてしまった。
それをずっと覚えられていたとは思いもしなかった。
先ほど吐かれたバクラの「必要」という言葉が今になって胸に響く。
「助けたっつーか……ハメたっつーか……。とにかく、実家に帰りたくねえなら、オレの側にいろよ」
バクラは獏良の両手を握り、鼻先が触れ合うほどの距離まで顔を近づけた。
今の獏良にはバクラ以外見えない。暗い過去も家族への不安も入る隙はない。
「手が汚れちゃうよ?」
「構わねェ」
バクラはじっと視線を外さずに見つめる。
心が晴れるとは、夜が明けたような気分とは、このことをいうのだろう。必要とされていることが嬉しい。
ようやく獏良の顔が綻んだ。
「僕を必要としてくれて、ありがとう」
これだ。バクラが一番見たかった表情は。
釣られてバクラの顔も緩む。
「ふふっ。いつもそうしてればいいのにね」
二人の間に優しい風が吹き、庭の花々の甘い香りを運ぶ。
高く昇った太陽の光に照らされて、獏良の髪も瞳もバクラには輝いて見えた。
もっと早く言えば良かったと思った。
「そういえば……」
獏良が思い出したように口を開いた。
「なんで僕にヘンなことをさせてたの?」

獏良は引き続き側仕えとして働くことになったが、不必要にベタベタと触ることも触らせることも禁止になった。
その代わり、ゲームの相手やら買い物の付き添いやら、新たな仕事内容が増えた。
「早く友達になりたいって言ってくれれば良かったのに」
バクラの不可解な命令を、「『友達』になりたかったのに素直になれず、よく分からない行動をしてしまったのだ」と、獏良はなぜか好意的に受け止めていた。
獏良が色恋沙汰に疎いお陰で命拾いはしたが……。
言われる度にバクラはこめかみを押さえて唸る。部分的には否定したいのにできない。
それまでの不適切な行為からすれば、当然の報いだ。
好きで好きでたまらなかったので、ついやってしまったという本心は、墓場まで持って行くしかないのかもしれない。

自室で新聞に目を通すバクラの横で、獏良は本棚の拭き掃除をしていた。
「ケーキ予約したからな」
バクラは新聞から目を離さずに何気なく獏良に告げる。
「ケーキ?」
獏良の手がピタリと止まる。
しばらく、獏良は眉間に皺を寄せて考え込んでいた。
バクラの言葉の意味には、全く気づいてないらしい。
「明日、誕生日だろ」
「そっか、忘れてた」
バクラは新聞を閉じて、机の上に置く。そして、すうと息を吸ってから言った。
「明日の仕事は、オレと二人きりで過ごすこと」
「うん」

結局、獏良は両親の元へは帰らないことにした。
気持ちの整理をつけるのにはまだ時間がかかる。
バクラは「いいんじゃねえのか」と返してやった。
「お前が納得いくまで考えれば」
素っ気ない口振りだったが、安易な慰めや説教などより、ずっと獏良には有り難かった。

「こっちこい」
椅子に座ったままでバクラは手招きした。
言われるがままに獏良が近づいていくと、バクラの腕が伸びて身体を引き寄せられた。
「わわっ」
後ろから抱きかかえられ、膝の上に座る形になる。腹の前にがっちりとバクラの手が回り、身動きが取れない。
「こういうのナシにしてって言ったのに」
獏良は弱り顔になって後ろのバクラを見る。
「これはただのハグだ」
「そっか。友情のハグだね」
バクラの腕の中でパッと華やかな笑顔の花が咲いた。
「……そうだな」
窓から差し込んだあたたかな陽射しが二人を包み込む。
緩やかに午後の時は過ぎていった。

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好きなシチュエーションで好き勝手に書かせてもらいました。
クレバーなバクラを表現したかったんですが、執着っぷりに掻き消されたのかもしれない。
でも、私は鬼になりきれないので、了くんにあまり無理なことはさせられません。
捕まったのはバクラが仕掛けたことにするつもりでしたが、あんまりな上に、とても収拾がつかなくなるのでやめました(笑)。

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