ばかうけ

セルフワンドロ桜

満開の桜並木を歩く二人。
穏やかな日差しが降り注ぎ、絶好の花見日和。見上げれば、青空を覆い隠さんとする薄紅色のドーム。
先週は咲き始めだった。わざわざ開花の様子を見にやって来て、まだまだお花見は先だね、と裸同然の枝をがっかりした顔で見ていた。
今日は文句の付け所はないはずなのに、なぜか獏良は少し浮かない顔。
他の花見客が楽しげな声を上げている。シャッターを切る音があちらこちらから聞こえる。人混みをさらに活気づかせる屋台が沿路に数店。
何が不満なのか?
連れ合いに訊ねてみると、首を横に振る。
「ただ――」
つぼみがほころんでいくのを見守っているときは、満開になるのが待ち遠しいのだという。いざ満開になると、あとは散ってしまうだけ。
花を楽しむよりも、残念な気持ちの方が勝る。だから、ほんの少しだけ寂しい、と――。
「綺麗なのは一瞬なんだね」
儚い美しさを目に焼きつけようと桜雲を見つめる横顔に、同じく一途な眼差しがずっと向けられていた。


被写体

どこにでもある写真。体育祭や文化祭、修学旅行など、学生たちの青春を切り取った賑やかな記録。どこにである光景――であるはずが、一つだけおかしな部分があった。
一人の学生だけボヤけて曖昧な姿として残ってしまっている。それも一枚だけではなく、すべての写真に於いてだ。
ブレていたり、ピントがずれていたり、発光してしまっていたり。
他の人物たちはしっかりと写っているのに、「彼」だけは記録に残すことを禁じられているように正しい姿を写せていない。辛うじて、風景から浮いている白色が目立っているだけ。
写真を見返した学生たちは一様に首を傾げた。
――ここに写っていたのは、誰だっけ?
教室を見回しても、該当者はいない。やがて、朧気な記憶から一つの名前を思い出す。とても変わっていた名字だから辛うじて記憶が残っていただけで、下の名前となるとはっきりしない。
もう学校にはいない存在。いなければ、元々存在していなかったように扱われてしまう。
――ああ、あの不吉な……。
思い出した全員が全員、顔をしかめて写真を見なかったことにした。そうすると、関わりのない人物のことなど本当に綺麗さっぱり忘れてしまい、誰も気にしなくなる。
忌まわしいものとして蓋をされた写真の一枚。修学旅行の班に一人だけ外れ、写真の隅に映った彼はやはり白いモヤで姿を隠されている。そのモヤは彼を包み込み、まるで誰の目に触れることも許さないように見えた――。


輝く空の下で

気軽な約束だった。
童実野町に巨大ツリーが飾られるという宣伝を聞きつけ、話の流れで見に行くことが決まった。待ち合わせたのは、いつものメンバー。日時と場所はその時のノリで。どうせならイブに行こうと盛り上がった。
何しろ大きなクリスマスのイベントは童野町で行われたことがない。精々小さな電飾を街路樹に飾り、店の窓にステッカーを貼るくらい。それだから、クリスマスに向けて住人たちの期待は否応なしに高まった。

当日、獏良は途方に暮れていた。
高さ十メートル、一万個の電球を使用したクリスマスツリー。夜空の下で星屑をモミの木に散りばめたように輝いて幻想的。
付近の店舗もツリーに合わせて例年よりも華やかな飾りつけをしていた。赤、青、黄、白、金――様々な色の電飾がちかちかと点滅して目が眩む。
あちらこちらから流れる数種類のクリスマスソングは混ざり合い、耳障りであるどころか、この日だけは気分を盛り上げるために一役買っている。
見慣れた商業街から煌びやかな別世界へと迷い込んでしまったよう。
「――失敗だった……」
初めての企画に人が集まらないわけがなく、加えて今日はクリスマス・イブ。ツリー周辺は人でごった返していた。
考えもなしに「じゃ、現地集合で」だなんて、クリスマスという特殊イベントを甘く見ていたのにも程がある。
女子会に呼ばれているために不参加の杏子が、学校で待ち合わせに疑問を呈していたが、調子づいた男子たちには響かなかった。
『あんたたち、本当に大丈夫?』
もっとしっかり忠告に耳を傾けるべきだった。後悔しても時すでに遅し。人混みの中で待ち合わせ相手が誰一人として見つからない。
連絡を取ろうにも混雑で電波が繋がりにくくなっている。メールが辛うじてぽつりぼつりと遅れて届く程度。
他のメンバーもどこかで泡を食っているらしい。
改めて他の場所で集まり直すにしても、この混雑では少しツリーから離れるしかない。そのやりとりですら、届くメールが前後してなかなか進まない。
『ダメだ。こっちも混んでら』
『ごめん、メール見てなくて、駅まで戻っちゃったよ』
『着いたぞー』
せっかくの特別なシチュエーションなのに獏良は人混みの中で一人だった。今年のクリスマスはみんなでワイワイ騒げると思っていたのに。
周りの人々は、家族、恋人、友人……それぞれの連れと寄り添っている。顔を見合わせて微笑んで、ツリーを見上げて。寒くとも隣の温もりがあるから平気に違いない。
隣にいるカップルが盛り上がってキスを始めてしまい、真っ赤になった顔を背けた。
こんな中で何をやっているのか。
白い息を吐き出して苦笑いを一つ。
誰も自分なんか見ていないと分かっていても、一人でいることがなんだか恥ずかしかった。
冷えきった身体を温めようと、ポケットに手を突っ込み、その場で足踏みをする。じっとしているのも居心地が悪い。
携帯が震え、また連絡が届いた。
『穴場発見!南口の――』
送られてきた場所を確認し、すぐに向かおうとして、足を止める。
「……ねえ」
友人たちと過ごす時間もいいけれど、それだけでは勿体ない。
眩い光をまとったツリーから目を離さずに、
「少し遅れていこうか――」
獏良の目を通して眺めているだろう相手にこっそりと話しかけた。
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二人っきりの……。


スウィート・ボンボン

バクラが気づいたときには既に手遅れだった。
テーブルの上にはグチャグチャに握り潰された証拠が複数。床に捨て置かれた制服の上着。ソファにぐったりと倒れ込んだ獏良の姿。シャツは乱れ、大きく開襟している。頬は赤らんで呼吸が荒い。半開きになった唇からは濡れて滴る舌がちらりと覗く。
「お前……」
バクラは視界に映る痴態にわなわなと身を震わせ、次の行動に移るために深く息を吸い込んだ。
「なに昼間っから酔っ払ってやがるんだーッ?!」
「ふえ?」

今日はバレンタインデー。今年も獏良は学校で女子生徒に追いかけ回された。
好意を跳ね除けることは穏やかな性格では不可能に等しく、押しつけられるチョコレートは増えていくばかり。その上、女子生徒の中では、「押せばなんとかなる!」などという不埒な定説が蔓延しているらしい。
お陰で獏良は二つの紙袋いっぱいに詰まったチョコレートを持ち帰る羽目になってしまった。翌月に控えているお返しのことを考えると頭痛がするので、悩むのは後回しにすることにした。
重い足を引き摺って自宅へと戻り、疲労しきった身体を休めるために鞄と紙袋を床に放り出してリビングのソファへダイブ。柔らかい感触に包まれたところで制服が皺になると頭をよぎりつつも、一度横になってしまうと起き上がるのは億劫になり、気づかないふりをした。
軟体動物のように芯のなくなった手足を辛うじてゆるゆると動かし、ソファの隅に追いやられていたクッションを抱きしめる。
「はあ……」
このまま仮眠を取るのも良し、テレビでも見ながらダラダラと過ごすのも良し。
両手両足でクッションを挟み込んで身体を揺する。胃袋がきゅうと収縮した。小腹が空いている。どうせなら寝転がる前に飲み物と軽食を用意すべきだった。わざわざキッチンに向かう気は起きない。
手っ取り早く腹を満たしたい。けれど疲労の限界に達した身体は言うことを聞いてくれない。胃の切ない訴えに気づいてしまうと無視することもできない。
「あっ!」
獏良の顔にぱっと光が射した。ソファから身を乗り出し、片腕を限界まで伸ばして床を探り始める。
学校で評判の美少年とは思えないだらしない姿。
本人はまるで頓着する素振りを見せず、腕を右へ左へ仰ぐような動作を続ける。何度か同じことを繰り返し、指先に何かがかすった。それをそのまま引きずり寄せる。
やっとのことで手にすることができたのは、持ち帰ったばかりの紙袋。中にはチョコレートの山。疲労回復には申し分ない。
紙袋の中に手を突っ込み、無作為に選んだ一つを取り出した。ピンクにハートが舞い散る包装紙でぴったりと包まれている。
見た目から推測するに、どうやら既製品だ。得体の知れない手作りのチョコレートに毎年悩まされている獏良にとっては願ったり叶ったり。
包装紙を破らないようにそっとテープを剥がす。中から現れた箱を開けると、鼻腔をくすぐる甘い香り。銀紙に包まれた小さな球体のチョコレートが八粒。その中の一つを摘み上げ、包み紙を優しく剥く。
装飾のないシンプルな茶色の表面は丁寧に磨き上げられたように光沢を放っている。華やかな着色や精巧な細工をされたものなど、この時期になると様々なチョコレートを見かけるだけに、かえって正統派という印象を受ける。なかなかに美味しそうだ。
あーん、と大きく口を開けて艶やかな球体を放り込む。舌で受け止めた瞬間にどろりと溶け始め、こくのある甘味が広がる。疲れきった身体にじんと沁み渡って癒えていくよう。獏良の眉も目尻も垂れ下がり、幸せと大きく書かれたような顔になる。
一回り小さくなった球体に歯を立てた。軽く力を当てると、ガリッというやや硬めの感触がしてからチョコレートが弾けた。
「?!」
同時に液体が中から流れ出る。驚いて味わうこともせずに飲み込むと、喉の奥が焼けるように熱くなる。最後に鼻に抜けたのはオレンジの香り。
箱の裏側にある材料表示のシールを確認すれば、「オレンジリキュール アルコール分2%」の文字。
偶然摂取してしまったアルコールだが、舌に残る芳醇な味わいに、獏良は唇をぺろりと舐めた。
甘いのにピリリと辛くて刺激的。オレンジの酸味がさっぱりとして口当たりがいい。
自然と二個目に手が伸びていた。
――おいしい……。

バクラは今に至るまでこの惨状に気づいていなかった。
学校でも、また獏良が女子生徒に追いかけ回されているな、程度の認識だった。今日がバレンタインデーであることにも、チョコレートの山を抱えて家に戻ったことにも気づかず、暢気に獏良の中で退屈な時間を過ごしていた。
何気なく表に出てみれば、ぐでんぐでんに酔っ払った獏良の姿。
周囲の状況を確認し、テーブルの上に小さく丸められた三つの銀紙を見つけ、すべてを悟る。
獏良が前後不覚になるほど酔った。べろべろに。それも、たかがチョコレート三粒で。
「ウソだろ……」
バクラが獏良の身体に間借りして以来、様々なことを試してみたが、さすがにアルコールを摂取したことはなかった。まさか、これほど弱かったとは。アルコールを受け入れづらい体質なのか、ただ単に慣れていないからか。
記憶を遡ってみても、こんな状態になったことなどないはず。しかし、正月にほんの少しのお屠蘇を口にしたときに似たようなことがあったような……。
「んむ……。もぉっと食べるぅ」
ゾンビのようにゆらゆらと横揺れて、獏良がさらにチョコレートを求める。
「やめろ!バカッ!」
バクラが一喝すると、
「なんでぇ?ぼく、食べたいのにぃ」
獏良の大きな目の縁に涙がうるうると溜まる。
「……これ以上酔ってどうする」
「酔う?これぇ、酔ってるんだぁ。ふわふわするもんねー」
涙がすぐに引っ込み、ケラケラと能天気に大笑い。
言葉を交わしているだけでバクラの頭は締めつけられているようだった。どうやら、とても面倒臭いことになったようだ。
「変な感じぃ。ふふふ。ここがぁ、ドキドキするんだー」
なぜか獏良はシャツのボタンを外し始め、
「ねえ見てぇ。すごくドキドキするぅー」
真っ白な胸を堂々と晒した。肌がアルコールのせいで全体的にピンク色に染まっている。
「見ても分からねえから止めろォ!」
「ドキドキ……。あ、分かったー。恋だー。恋しちゃったんだぁ。ドキドキなんだぁ。アハハ」
「そりゃあ、ただの動悸だ!酒呑んだせいだろうがよォ!」
バクラが否定しても、獏良は上機嫌で胸に両手を重ねて当てている。
「顔も熱いしぃ」
「酔ってるからな」
「ふわふわするしぃ」
「酔ってるんだ!」
「頭もぼーっとするぅ」
「酔ってるからって言ってンだろ!」
どんなに怒鳴ろうとも言葉は届かない。バクラの額には青筋。震える下唇を噛んでいる。うぜえ!と言ってしまいたい欲求になんとか耐えていた。さすがに酔っ払い相手に暴言を吐くのは大人げない。
そんな気遣いを知る由もなく、獏良は花畑の中にいた。
「そうかぁー。やっぱり恋なんだー。えへへ。好きなんだー」
うんうんと一人で頷き、両手を大きく広げる。
「好きー」
言葉を向けられたのは、目の前にいる一人。
「だから、好きもヘチマも……んッ?!」
「好きー」
無邪気な笑顔を浮かべて。他に対象などいるはずもなく。
「アルコールで心臓が過剰反応してるだけなんだよ。恋やら好きやらとは……まあ、お前が勝手にしたところでオレは一向に構わねえっつーか、むしろ望むところっつーか……とにかく、色恋とはまったく無関係だからなッ」
一息ですべて言い終え、苦しげに呼吸をぜえぜえとする。
「うん」
獏良はにこにこと笑いながら深く頷いて、
「好きー」
もう一度同じ言葉を繰り返した。
バクラの頭の中でキツく締めていたはずのネジが緩む音がする。
いやいや、それはおかしい、と自分を叱咤し、改めて獏良に向き直る。
「ちゃんと話を聞け」
「うん」
「お前はな、今は普通の状態にないんだ。だから大人しく横になってろ」
指を鼻先に突きつけ、幼稚園児にでも諭すように一語一語ゆっくりはっきりと口にする。
「うん、分かった」
獏良はにこにこ顔のまま、こくりと頷き、
「一緒に寝るぅー」
糠に釘。豆腐にかすがい。暖簾に腕押し。突きつけたバクラの指が力を失い床に向かって垂れる。
「ンなこと言ってると、マジで一緒に寝てやるからな?好きにするからな?死ぬほど後悔するぞ!それでお前はいいのか?!」
それならば、わざと厳しい顔を作って凄んでみせた。
「うん、いいよぉ」
今度こそバクラは口を噤む。
目の前にはチョコレートのように蕩けきった表情。胸は大きく露出し、酒が入ったことで体温が上がっているせいか汗ばんでいる。ところどころ白い肌に差した朱が艶っぽい。そして、本人が口にした「お許し」。
とうとうポロリと頭のネジが外れて地に落ちた。
「いいんだな?!宿主ッ!!」
「好きぃ!」
五指をそれぞれくねらせ、両手を広げてウェルカム体勢のままの獏良に飛びつく。やっと積年の想いを遂げられると心地のよい目眩を感じた。
「あ、れぇ?」
しかし、素頓狂な声がのぼせきったバクラに水を差す。
「熱い……。ドキドキが……ハァ……大きくなって……なんだか……くらくらするぅ」
獏良の顔はさらに赤くなり、振り子のように横に揺れる。
「ふへへ……だぁいしゅき……」
その言葉を最後に後方へひっくり返った。
「宿主ィーーー!!」

数時間後、たっぷり睡眠を取り、獏良の酔いはすっかり醒めていた。
「ごめん。全っ然覚えてない」
「だろうなぁッ!」
残りのチョコレートはバクラによって遠ざけられ、獏良の口に入ることはなかった
とても美味しかったのにと残念がる様子に、二度と酒は飲ませまいとバクラは胸に誓ったのだった。
「なんだか、すごくスッキリしてる。なんでだろ」

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了くんはお酒に強くても弱くてもイイと思います。

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