ばかうけ

※ツイッターで毎週開催されている「バク獏版深夜のワンドロ・ワンライ一本勝負」のログになります。
二つのお題から選び、一時間で仕上げる企画です。
誤字修正以外は投稿時のままです(臨場感をお楽しみ下さい)。挿絵はこちらの都合上カットしました。
いつもの通り仲が良かったり悪かったり様々です。


『おそろい』

壁に沿って棚が四つ。中には大小様々なフィギュアが収まっている。部屋の灯りは点いているはずなのに薄暗い。人形たちの顔には暗い影が差し、普段は明らかになっているはずの表情は読めなかった。笑っているのか、怒っているのか。
そんな無数の視線が見つめる先には少年が二人。こちらははっきりとした感情が顔に表れている。一人は悦楽に浸っている表情。もう一人は悲哀に満ちた表情。対照的だった。
驚くことに二人は瓜二つ。身体中のどこを見ても違うところなどなかった。鼻の高さも同じなら、睫毛の数も同じ。それこそ細胞までも寸分違わない作りになっているようだった。
膝を折ったのは、悲哀の表情を浮かべている少年の方だった。
深く項垂れて両手で顔を覆い、視界を遮る。
そんな仕草をするのは涙を流しているからではなかった。確かに心は酷く疲れきっていて、何もかも投げ出したい気分ではあるが、目の縁は乾いたまま。
指の腹で顔の表面をゆっくりと撫でていく。目、鼻、口、輪郭――。一つ一つ形を確かめていく。
「ああ……」
口から漏れた吐息には、悲しみの他に絶望が滲んでいた。
動向を見守っていた少年の笑みがますます深くなる。
何度確かめても同じなのだ。目を背けても事実は変わらない。二人の姿形はどこからどう見ても同じ。それなのに表情はまったく違っていて、別人のようだった。
「――吐き気がする」
外見と表情の不一致がたまらなく不可解で脳味噌がぐわんぐわんと揺れる。ミラーハウスで少しずつ形の違う自分の鏡像たちに囲まれているような気分と似ていた。
もう一人の少年はまるで少年の中に隠された負の部分をすべて曝け出したよう。もしかしたら、こんなにも凶悪な一面が自分にもあるのではないかと疑いたくなる。真似をしているのは向こうのはずなのに。
だから、目の前にいるもう一人を必死に否定する。視界から頭から追い出そうと抵抗をする。
しかし、どうしても消えてはくれないのだ。毎日毎時間、目の前に現れては少年を嘲笑う。
「どうして……」
それは自分への問いかけだった。どんなに否定しても、目を離すことができない。もう一人の少年とどこまで同じなのか確かめたくなってしまう。不快だと喚きながら、離れることができない。
それが分かっているから、もう一人はいつまでも驕り高ぶっている。
「さあ、もう一度確かめようぜ。オレたちはこんなにもお揃いなんだからな」
少年の前で腕を広げて高らかに笑い声を上げるのだった。


『風邪』

コホンコホン。乾いた音が部屋の空気を震わせる。不規則な間隔で鳴り止まない。ベッドから赤い顔がゆらゆらと左右に揺れながら視線を巡らす。重い身体を引きずって常備薬を口の中へ押し込んだ後は、もうずっとこのまま。
ぼやけた視界の中でもう一人の背中が見えた。こちらに顔を向けることもなく、声をかけることもなく。ただ黙って立っている。言葉を発する前に頭が枕にずぶりと沈んだ。

翌朝、どうにかベッドから這い出した先にはプリンが一つ置かれていた。


『合言葉』

生徒たちの賑やかな声が教室に溢れている。他愛のないお喋りに夢中になる者、流行りのカードゲームに興じる者、机の上に雑誌を広げる者。各々が小さな輪を作り、憩いのひとときを過ごしていた。
獏良は友人の発言にけらけらと笑ってから、ふと窓際に視線を移した。そこにはどの輪にも属さず、首を傾けて窓の外を眺める少年が一人。教室にいる誰もが彼の存在には気づいていない。獏良以外は見えないもう一人の存在。
視線に引き寄せられたのか、もう一人が獏良の方へ顔を向けた。二つの視線が絡み合う。
獏良はどうするか少し考えた後、声なく唇だけを動かした。
『××××』
もう一人は微かに笑って、また外を眺め始めた。
それは、二人だけの秘密の合言葉。


『ホワイトデー』

休日の朝から獏良は台所でどたばたと動き回っていた。冷蔵庫を開き、作業台にしばらく居たかと思えば、オーブンの元へ駆け寄る。
バクラは台所の対面にあるリビングからその様子を目で追っていた。近くで見ていたところ、「邪魔」の一言で台所から追い出されてしまったのだ。肉体がないのに邪魔とはどういうことか。少々の不満は口に出さないでいた。下手に突っつけば、今度は千年リングを放り投げ出しかねない。

オーブンから軽快な音楽が鳴ると、獏良が扉を開けた。中から皿を取り出し、焼き上がったものをオーブンシートごとテーブルに移す。シートの上には沢山並べられたクッキー。プレーン、ココア、市松模様のミックスのシンプルな三種類。バニラの甘い香りが台所からリビングへ流れて込む。
昨日のうちに生地の準備を済ませ、今日はオーブンで焼いているだけなのだが、いかんせん数が多い。
今焼き上がったのは第三弾で、第一弾と第二弾は既にテーブルの上で休眠中だ。
獏良が望んで作っているわけでも、菓子作りが趣味というわけでもない。
明日はホワイトデー。先月大量に押しつけられたチョコレートのお返しのために、早朝からあくせくクッキーを焼き続けているのだ。
女子に気を持たせるわけにはいかないが、丸きり無視するというのも躊躇われる。獏良は考えた末に、クッキーを小袋に三枚詰めて配り歩くことにした。
御伽のように上手く女子の相手ができれば、もしくは海馬のように最初から突き放すことができれば、こんな苦労もすることはなかった。
まったくもって不器用なヤツだ、とバクラは対岸から眺めて薄笑いを浮かべていた。
「律儀だなァ」
獏良が第四弾をオーブンに投入したのを確認し、バクラは一声投げかけた。
「しょうがないよね。こういうものだもの。あと二回は焼くよ」
大量のクッキーを前に獏良は肩を竦めて見せる。
「女どもも泣いて喜ぶぜ」
すべて焼き上がれば、今度は袋詰めが待っている。心を込めている時間も余裕もない。全員が平等にどこをどう見ても義理でしかないお返しを貰って何の得があるのだろうか。ファンを自称する女子生徒たちはきっと黄色い声を上げて喜ぶのだろう。
バクラは馬鹿馬鹿しくなって、獏良の中に引っ込もうとした。
それを獏良が片手を挙げて制止する。
「生地を多く作りすぎちゃったからお裾分け」
小皿には大量生産のものとはまるで違う動物や星形のクッキーが仲良く乗っていた。
「君は泣いて喜ぶ?」


『名前を呼ぶ』

「………………し」
風がぴゅうと吹けば紛れてしまうほどの小さな声。あるいは、糸をやっと震わせられるほどの囁き。
その声は少年の耳には届かない。それどころか、身体をすり抜けて空中に霧散してしまう。
声の主は同じ言葉を繰り返し口にする。何度も何度も口にして、飽きることなく口にして、少年に手を伸ばす。
「やどぬし……」
彼の声が小さな少年に届くその日まで――。


『お花見』

どこまでも続く澄み切った青空に向かって華奢な小枝が精一杯背伸びしている。枝先には薄紅色の小さな花が幾つも咲いて揺れている。
青空のキャンバスを埋め尽くさんばかりの桜雲。青に薄紅が映えて見る者の心を奪う。
獏良も桜並木の中で立ち尽くし、空を見上げていた。
ぴゅうと風が吹けば枝が揺れ、桜の花びらが獏良の周りをひらひらと躍り舞う。
「きれい……」
輝く瞳の中に一面に広がる空と桜を映している。
その横顔をもう一人が興味深げに眺めていた。
――そうか。お前はこれを綺麗だと思うんだな。
桜並木と横顔しか彼の瞳には映っていなかった。


『漫才』

「だからオレは寄り道なんかすんなって言ったんだ。余計な連中に絡まれやがって」
「だって美味しそうなニオイがしたんだもの」
「本能で生きてンじゃねえよ。てめえはそこいらをウロついている犬っころか?」
「犬は鯛焼き食べないと思うけどなあ」
侃々諤々丁々発止。アーケード街を歩くのは一人。それは奇妙な漫才のよう。
「減らず口ばっか叩きやがって……」
ぷいと一人が顔を背ければ、
「でもさ、ちゃんと助けてくれたよね」


『決闘』

張り詰めた空気。睨み合う二人。勝っても負けても恨みっこなしの真剣勝負。
二人の手には流行りのカードではなく、どこにでもあるトランプが五枚。
緊張感と闘気が最高潮に達した瞬間――
「決闘ッ!!」
高らかな宣言と共にカードすべてがリビングの床に広げられた。
「ストレートフラッシュ、僕の勝ち!」
「強すぎだろ……」
「ハンバーグお願いね」
勝者には夕飯のメニューの選択権を、敗者は台所に立たなくてはならない。
これが二人だけの決闘。


『嫉妬』

獏良には困り事が一つあった。
「――あの野郎……後ろから蹴り飛ばしてやりゃあよかったな。クソッ!」
「あれはただのキャッチセールス!」
町を歩けば護衛気取りのもう一人が獏良に近づく者に威嚇する。どうやらすべて獲物を掻っ攫おうとするハイエナに見えるらしい。今も喉の奥からガルルと唸り声が聞こえてきそうだ。
残念なことに獏良は町中で声をかけられやすい。その度に表に出て来ようとするバクラを必死に止めなければならなかった。道を尋ねられればガルル、居酒屋の勧誘にガルル、ティッシュ配りにもガルル。他人には決して見えない攻防に、獏良はほとほと参っていた。
そんなに攻撃的になる必要があるとは少しも思えない。相手もやむなく声をかけているのだろうから。たまに妙に顔を近づけてきたり、肩に手を回されたりすることもあるが、それはきっとたまたまであって腹を立てることではないのだ。
「今度会ったらポリバケツにぶちこんでやるからなッ!!」
今日も番犬は全方位の警戒に大忙し。


『甘える』

獏良が座卓に向かってシナリオと格闘していると、背中に微かな気配を感じた。振り返れば白い後ろ姿。獏良に寄りかかっている。
どうしたの、という言葉を飲み込み、代わりに軽く背を押し返した。押しては戻す。ゆらゆら。小さく揺れて一休み。


『子供』

獏良は公園の砂場で山を作っていた。バケツとスコップを使って砂を盛っていく。崩れないようにスコップの裏側をヘラ代わりにペタペタと固めていった。
目指すは身長よりも高く富士山級……と言いたいところだったが、どう見積もっても砂の量が足りない。うんとハードルを下げて胸元までと決めた。
高さだけではなく、形にも拘った。歪な形では格好悪い。慎重に山肌を整えて、綺麗な円錐形の山が出来上がった。
最後の仕上げに小さなトンネルを作る。これが難しかった。しっかりと固めたとはいえ、穴を開けたところから崩れてしまう。崩れる度に繰り返し直さなければならなかった。
悪戦苦闘しつつも、ようやくトンネルが貫通した。砂だらけの顔に満面の笑みを湛える。胸を弾ませながら出来映えを確認しようとした。トンネルの向こう側がきちんと見えなければ、完成とは言えない。
四つん這いになって穴を覗いてみた……が、獏良はすぐに顔を上げてしまった。
有り得ないものが見えたのだ。トンネルの向こう側から一つの瞳が瞬きもせずにこちらを見つめていた。瞳には色素の薄い髪がかかっていた。
「あまね?」
こんな珍しい髪の色をしているのは、自分以外には妹しかいない。父は仕事で海外出張中だ。とすれば、残るは妹しかいなかった。
その場に立ち上がり、山越しにトンネルの向こう側を確認した。妹の姿はなかった。それどころか、他の誰もいない。隠れるところなど、砂場のどこにもない。
「え……?」
もう一度、膝を突いてトンネルを覗く。今度は向こう側の景色がよく見えた。たくさんの疑問符が獏良の頭に浮かぶ。見違えだったのか。あんなにもはっきりと見えたのに。そもそも、どこの誰なのだろう。
獏良はしばらく考え、答えが出ないことが分かると、バケツにスコップやクマデをまとめ、家に帰ることにした。またトンネルを作ったら、向こう側の人に会えるのかもしれないな、などと思いながら。あの、深い色の瞳と色に乏しい髪の、自分にそっくりな――。


『都市伝説』

エレベーターは異世界への入り口だという噂話がある。
降りてみれば見知らぬ風景が広がっていた。あるはずのない階層へ連れていかれた。乗り込んだはずの人間が消えていた。なぜか根拠のない噂話の舞台に選ばれる。
獏良の住んでいるマンションにはエレベーターが一台ある。特筆すべきことのない、どこにでもある構造のもの。
獏良はいつも通りに学校から帰り、エレベーターの呼び出しボタンを押した。しばらく待つと、玄関ホールに大きな口が開いた。
エレベーターの内側は、控えめな照明のせいで薄暗い。壁を覆うマットは暗色。おまけに覗き窓がない。扉が閉まれば、完全な閉鎖空間となってしまう。息苦しささえ感じる。
「だからかなあ……」
ごうんごうん、と音を立てて動き出したのを確認してから獏良はぽつりと呟いた。
『何が?』
姿の見えないもう一つの声が言葉を返す。
「幽霊が出たとか、死者の世界に繋がってるとか、変な噂が流れるの」
薄暗くて狭ければ、どうしても陰気な印象を受ける。悪い想像が膨らんでしまいがちだ。奇特な趣味を持つ者たちの標的になりやすいのかもしれない。
『興味があるのか?』
「うーん……。どうだろう。都市伝説自体は好きだけどね」
ごうんごうん。唸り声が薄暗い箱の中に響く。
『……なら、連れてってやろうか?』
耳にはっきりと囁き声が届いたとき、エレベーターがガタンと揺れて六階に辿り着いた。扉の外には見慣れた風景。異世界でも何でもない。
獏良は一歩前へ踏み出した。外の涼しい風が重苦しい空気を吹き飛ばす。背後でエレベーターの扉が閉まる音がした。
――あ。
そこでやっと気づいたのだ。千年リングはもう胸元にはないことに――。


『彼シャツ』

目が覚めて一番に気づいたのは枕元の見慣れないビニールバッグ。表にはショップ名とロゴが印刷されている。首を傾げて中身を取り出した。丁寧に折り畳まれたYシャツが一枚。広げてみれば、サイズが一つ大きかった。こんなもの買った覚えはない。どういう意図で置かれていたのか分からないが、良くない予感がした。それも、とても下らない予感が。
獏良がシャツを手に固まっていると、いつの間にかもう一人がベッド脇に立っていた。隠し切れない期待に瞳を輝かせて。うっかり唇の端が緩んでいる。すべてを見なかったことにしたかった。どうせまたテレビか何かで余計な知識を仕入れてきたのに違いないのだ。この古代遺物は。
「さあ、着てみろ」
もう一人はなぜか得意気に指示を出してきた。
「あの……。一応言っておくけど、これさ……ちょっとサイズが大きいんだよね……」
「着てみろ」
大きく開いた胸元、余った袖と裾、全体的にだぼっとしたシルエット。どうなるか簡単に想像がついた。下を穿くのは許されるのだろうか。
さあさあ、と何度も催促をするもう一人に返す言葉もなく、頭がズキズキと傷んだ。


『いたずら』

固く閉ざされた視界の外で気配がする。どうやら顔を近づけて、こちらの様子を窺っているようだ。いくら音を立てずにいても気配はだだ漏れ。何をしようとしているのかは分からないが、一泡吹かせようとするなど一千年早い。相手が行動に出る直前に手首を掴んでやった。
「起きてたの?」
目の前には悪事を笑顔で誤魔化そうとする少年。 バクラは子ども染みた所業を笑い飛ばそうと口を開き、
「お前、えげつねぇな……」
捕らえた手の中にワサビとカラシのチューブを見つけて青褪めたのだった。


『写真』

獏良は一枚の写真を手にしていた。その表情は暗い。写真は修学旅行中の一枚。ご当地ソフトクリームをご機嫌で舐めているところを遊戯に不意打ちで撮られたもの。本来ならば、楽しい旅行の一瞬を切り取った思い出の記録となるはずだった。

奇妙なことに気づいたのは、友人たちと撮り合った写真を学校の机に広げていたときだった。
獏良がソフトクリームを手に、驚きの混じった笑顔をカメラに向けている。その肩に、人の顔ほどの大きさの黒い靄のようなものが浮かんでいた。あるはずのないものだった。
ぎゃっ! と声を上げて後退ったのは城之内。
「これって……」
城之内以外の全員がごくりと息を飲んで写真をじっと見つめた。「心霊写真」では、と口に出せる者はいなかった。獏良が今にも倒れそうなくらい青褪めてしまっていたからだ。
怪談や心霊番組を楽しんだりしても、自分が同じ目に遭って喜ぶ者はまずいない。いたとしても、余程の変わり者だ。さすがに獏良もそこまで神経は図太くない。他人事として見聞きすることと、自分の身に降りかかることは、別物。
「僕が写真撮るの下手だっただけだよ、ごめんねっ」
「影が写り込んでるだけよ」
友人の慰めの言葉に、獏良はなんとか頷いたものの、
「腕の立つ拝み屋、紹介してやるからよ」
最後に本田にぽんと肩を叩かれ、ふにゃりと泣きそうになったのだった。

下校後、獏良は改めて自室で写真と向き合っていた。何度見ても、靄の正体が掴めない。友人たちの言っていたミスや偶然とは思えなかった。靄は写真越しでもはっきりと存在感を放っている。
獏良の肩がカタカタと震えた。心霊写真特集でよく見る専門家の解説では、たまたま写り込んでしまった無害もの、守護霊などの神聖なもの、そして被写体に害をなす悪霊――が、登場する。
そのどれに当て嵌まるのか考えてみれば、縁起のいいものには感じられず、悪霊という答えしか出てこない。それほど、写真の中の靄には邪念に満ちている。取って食われてしまうと思えてしまうほど。
どこかにお祓いに行った方がいいだろうか。塩で清めて燃やすべきか。やはり、本田に専門家を紹介してもらうべきか。
獏良が頭を抱えていると、他人には不可視の同居人が顔を出した。
「なんだ難しい顔して。宿題か?」
「ちがうよ……コレ……」
差し出された写真をバクラが獏良の肩越しに覗き込む。
「気持ち悪いでしょ?」
同意を求める獏良に、
「あ。それ、オレ」
悪びれもせず、事の真相が語られた。
「よく写ってんだろ?」


『デート』

明日の予定は丸一日暇。せっかくの休みなのだから、ホビーショーにでも行きたいと獏良は考えていた。なのに、どの友人もバイトや家事都合で捕まらない。
当てが外れてシュンと肩を落とす獏良に、珍しくほんの小さな気紛れで、「付き合ってやろうか」と、バクラが声をかけた。
戯れ程度のその一言に、発言者本人の方が面を食らうほど、獏良の瞳が輝いた。せっかくだから話題になっているパフェが食べたいだの、美味しいオムライス屋があるだの、気になっている映画があるだの、美術館も行きたかっただの、口早に話し始める。
「おいおい、そんなに回れねえよ。二、三ヶ所に絞れ」
膨れ上がっていくプランを前に、バクラが呆れ顔で指摘をすると、
「そ、そっか……」
今度は額に手を当てて、うんうんと悩み始めた。
「よく考えろよ、宿主。なんつったて、せっかくの『デート』なんだからよォ」
笑い混じりの意地悪な発言に、獏良はしばらくパクパクと口を開閉した後に、真っ赤になって拳を振り上げた。


『夕焼け』

空は紅色。その中で琥珀色に煌めく恒星が存在感を放っている。空に溶けそうなほど揺らめきながら、西へ少しずつ傾いていく。地上には暗く長い影が落ち、一層幻想的な雰囲気を作り出す。
獏良は一人、家路に急いでいた。正確には、姿は見えなくとも、一人ではなく二人。
「宿主、落ち着け」
「もう知らない」
「そんなに興奮することかよ。たかがキ……」
「うるさいうるさーい」
周囲に構わず喚くその顔は、夕焼けに負けず劣らず真っ赤だった。


『お別れ』

今まで見た中で一番綺麗な青空といえば、考えるまでもない。大切な友人が掛け替えのない人に別れを告げた、あの日の青空だ。崩壊する地下神殿から逃れ、目の前に広がる青空は何よりも綺麗だった。異国の空に浮かぶ太陽は力強く、少し厳しかったけれど、続く道を迷いなく照らしてくれた。生まれて初めて、空には境界線などないのだと思った。
あれから、町並みはすっかり様変わりしてしまった。天を衝かんとするビル群が地上から生え、いつの間にか足元を見るばかりの生活になった。
空を見上げるのは、いつぶりだろう。十年、二十年――。今日の空は、あの日の空に負けないくらいに透き通っている。今にも吸い込まれてしまいそうだ。何をするわけでもなく、ぼうっと空を見上げ続ける。手も足も鉛のようになってしまって、指一本動かすことができない。できることといえば、やはり空を見上げることだけだった。
――なんだ、そうか。今まで余裕がなかっただけだったのか。
他にすることがなくなってから、空だけは昔と変わらないのだと、そこにあったのだと気づくなんて、なんだか滑稽だった。
このままずっとこうしているのも悪くないなと思い始めたとき、顔を無遠慮に覗き込まれた。あんなに綺麗だった青空が滲んでもう見えない。それでも、視界に映る顔は最期に見たときと同じなのだと分かった。そもそも、こんなにも礼儀知らずなのは一人しかいない。
「迎えに来てくれたの?」
答えの代わりに、白い手が伸ばされる。たくさんの皺が刻まれた手を掴まれた瞬間、重力という名の檻から解放され、あんなに重かった身体が軽くなる。二度と動かすことはできないと思っていたはずの手が、差し出された手を握り返した。離れることがないように、指を一本一本確認しながら絡ませる。
ぐいっと手を引かれると、ふわりと身体が宙に浮いた。行き先は訊かない。しっかりと手を握っていれば、迷うことはないだろうから。不安に思うことなんて一つもない。それよりも、久方ぶりの再会に喜びを噛み締めていたい。二人は慣れ親しんだ町から旅立っていく。今日は生涯一綺麗な青空だった。


『雨』『ストロベリームーン』

窓から見えるビルも道路も街路樹も等しく波に洗われたように水浸しになっていた。夕方からどんよりと暗雲が垂れ込み、一番星が輝き始める前にはこの有様。部屋の中には、この時季特有の湿気った空気が満ちていた。獏良は早々に空を眺めるのは諦め、手元の携帯画面と睨めっこに興じていた。
今夜は珍しい月が見られるはずだった。「ストロベリームーン」。教室で小耳に挟んだ言葉だ。今日に至るまで獏良は聞いたこともなかった。可愛らしい語感とは裏腹に、ただ漠然とサイケデリックな色の月を想像した。その方が面白いと思っただけ。自分の目で正解を確認してみよう、と心に留めておいたものの、結果は言うに及ばない。
インターネットの検索結果には、謂れやメカニズムなどが事細かに載っていた。実物を見なくても、画像までもが紐づけされている。想像と違ったことは残念だったが、自然現象なのだから、奇怪性を求めること自体が間違っていた。
目についた記事を読み進めていくと、教室で話題に出ていた理由も分かった。なるほどなるほど、と小さく頷いて、
「見られなくて良かったよ」
「なにが」
「一緒に見た人と結ばれるんだって」
携帯の画面には、年頃の女子が喜びそうな一文が踊っている。
「こんなものがなくったって」

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