ばかうけ

※ツイッターで毎週開催されている「深夜の60分バク獏一本勝負」のログになります。
出題されるお題で作品を一時間で仕上げる企画です。
投稿時のままです(臨場感をお楽しみ下さい)。挿絵はこちらの都合上カットしました。
設定はその都度変わります。


止めどなく続く湿った雑音。そして壁や窓に叩きつける重い音。目を開ければ、見慣れた白い天井。外を見なくても分かる。今日の天気は――。
——ああ……ヤだなぁ。

『雨』

獏良はこんがり焼いた食パンの上にはちみつを垂らし、牛乳をコップに注いだ。男子高生にしては控えめな朝食。それを食卓に運び、椅子に座る。「いただきます」と手を合わせ、トーストを一齧り。
思い出したようにテレビを点けると朝のニュースが映る。天気予報では一週間が傘のマークで埋まっていた。
「うえぇ……」
呻き声が口を衝いて出た。その表情はどんよりと曇っている。
今月に入ってから天気はずっとこのような調子だ。梅雨なのだからしょうがないとは思うけれど、洗濯物が溜まったり、湿度が高くなって過ごしにくかったり、実害がある。
獏良の場合は湿気で長髪が上手くまとまらないという個人的な悩みもある。一人暮らしだから、カビに注意しなくてはならない。
おまけに雨の日は気圧のせいか身体の調子も悪くなる。気分転換に出かけようと思っても、これまた雨が邪魔をする。つまりは良いことナシなのだ。
心まで湿気で重たくなってしまったようで、最近は食欲もない。
トーストをもしゃもしゃと咀嚼していると、誰もいなかったはずの隣の席に、獏良によく似ながらも表情は正反対の男が姿を現した。
「不景気な面しやがって」
「そういうお前は楽しそうだね」
突然現れた男に驚く様子もなく八の字眉毛のまま獏良は答える。わざわざ視線を送らないまでも、男の声が明るい調子なので機嫌の予想はついた。
同居人の男——バクラは鼻で笑って言葉を返す。
「雨ごとき些細なことだろ。イラついてんなよ」
「お前は雨が好きな人?へー、変わってるね」
対する獏良の答えには愛想がない。つんけんとしていて、まるで喧嘩を売るよう。ますますバクラの顔は面白そうに笑いを含む。
いつも八方美人がごとく誰に対してもヘラヘラとする獏良が八つ当たりをするほど不機嫌なのは珍しい。そんな言動も楽しむかのようにバクラは煽る。
「自分が不幸だとでも思ってンだろうなあ。宿主様は」
「もうなんなの?さっきから」
ようやく獏良が横を向き、二人の視線が絡む。鏡に映ったような姿に、対照的な感情がこもった顔。一拍子置いてからバクラは視線を外し、勿体振った口調で言った。
「今日なんじゃねえの」
「……何が?」
「嬉しそうに予約してたじゃねえか。二ヶ月前に」
それまで不機嫌だった獏良の顔にハテナマークが浮かぶ。二ヶ月前という言葉を手がかりに記憶を探る。二ヶ月前……二ヶ月前……予約……。その内に訝しげな顔から目を真ん丸と開いて驚いた顔に変わった。
「新作のボードゲームの発売日!今日だ!!」
二ヶ月前、獏良が贔屓にしているゲームクリエイターの新作が発表された。喜び勇んだ獏良はすぐに予約をし、バクラを相手に素晴らしさを早口で語った。なぜか生気のない目をして心の部屋に戻ろうとするバクラを何度も捕まえ、二時間ほどに渡り。
はじめのニ週間は発売日を心待ちにしていた。後は今日に至るまで日々の忙しさにすっかり忘れていたのだ。
だから、この知らせは僥倖。時期外れのクリスマスプレゼント。
今まで憂鬱そうだった獏良の顔が晴れやかになり、頬に薔薇色が差していく。
「何時に届くか確認しなきゃ!」
居ても立っても居られず、ガチャガチャと音を立てながら慌ただしく朝食の皿を持ってキッチンに向かった。
「お前もたまには役に立つねっ」
「余計なこと言うな」
機嫌が直った身体の持ち主に、バクラはやれやれと呆れたような、それでいてどこか和やかに一人呟いた。
「だから雨ごとき些細なことだと言ったんだ」

++++++++++++++

創作手順

①雑プロット…お題「雨」。しっとり←何か違った。→雨の日が憂鬱な了くんとご機嫌なバク。家の中でだらだらしてる。
②頭の中で構成。
③薄味+パンチに欠けるなと思ったので印象に残る文(タイトル前の部分など)追加(脳内)。
④実際に書く。
⑤ツールに流し込み→手直し→4Pに収まるよう微調整→画像変換
※雨宿りして二人の世界(しっとり)というネタを最初に考えたけど、話が広がらなすぎたのでボツ。


『悪夢』

リビングの座卓でバクラはカードを手に取っていた。一枚一枚丁寧にめくり、しばらく眺めた後、不要と判断したものは弾いていく。綺麗に積まれているのは厳選されたカード。それ以外は乱雑に座卓の隅に追いやられている。
ちらり。時計に目をやると天辺をやや過ぎている。フーッと息を吐いてからカードをケースにしまった。
獏良は学校があるからと二十二時頃に目を擦りながら寝室へ引っ込んだ。前日は夜更かしをして模型作りに励んでいたから無理もない。
主がいなくなったリビングは恐ろしいほどに静かで戦略を立てるのに好都合だった。集中している内にあっという間に時間が過ぎた。
喉を潤してから床に就くか、と腰を上げようとして——、
寝室のドアが開いた。夢の中にいるはずの獏良が現れて驚く。目を潤ませて、動揺した様子で戸口に佇んでいる。
「どうした?」
夜中だと意識したせいか思ったよりも大人しく優しい声音がバクラの口から飛び出した。
獏良はそれには答えず、押し黙ったまま鼻を啜り、バクラの元へと駆け寄る。
胸に強い衝撃。同時にバクラの鼻を甘い香りが擽る。気づけば獏良が腕の中にいた。幼子のように胸にしがみついている。
男にしては華奢な体型、柔らかい長髪。少し俯いた状態でうなじが見える。バクラの胸に立てられた指は小さく振るえていた。
答えがないなら、と手持ち無沙汰の解消に頭を軽く撫でる。
出会いが出会いなだけに、獏良はなかなか甘えてくることはない。ましてや、バクラに身を委ねることなど天文学的確率になる。
それが大人しくバクラの腕の中に収まってされるがままになっているとは非常に珍しい。
バクラはある種の感動を覚えて、柔らかい感触を堪能することにした。一点の曇りもない美しい顔立ち。震えながら縋りつく細い指。パジャマの薄い生地越しに身体が触れていることも運がついている。
「………………」
耳に届いたか細い声。確かに音は拾い取ったというのに、場に不釣り合いで理解ができない。
「おい、今なんて……」
「特大濃厚なめらかシュークリーム」
「は?」
今度こそ脳に不可解な単語が辿り着く。
「食べようと思ったら……消えちゃった……」
それきり獏良はさめざめと涙を流すのだった。
「一生寝てろッ!!」


『勝負』

「クソッ」
バクラは歯噛みをしながら座卓に広げたカードの束を睨む。胡座を組んだ膝は上下に揺れ、感情をそのまま表している。それでもカードに触れる手は丁寧で、理性を失ってはいないのだろうと他人から見ても明らかだった。
そうして並べたカードは昼間に行った決闘の再現。指で一枚一枚辿っていき、途中で止まる。トントンと座卓を叩き、憎々しげな舌打ちを一回。
宿敵である名もなき王に勝負を挑んで返り討ちにあった。途中までは優勢。練りに練った策略に相手を嵌め、勝利が目前に迫っていたのだ。それなのに、一枚のカードが——ドローにより手札に加えられたカードにすべてを覆された。
窮地に陥った相手が引き寄せた運命。それが怒りの原因だった。バクラは作戦を熟考するタイプであり、運という「偶然」が敗因であることが許せなかった。得意のTRPGではダイスを振るが、出た目の良し悪しも考慮している。運任せにはしていない。皮肉にも信用しないものに運命の女神は微笑まない。
逆転の場面を思い出し、バクラの怒りが募る。手持ちのカードを睨み、脳内でデッキの再構築を始めた。
そこへ二つのカップを持った獏良がコーヒーの香りを漂わせながらやって来た。卓上に二つを乗せ、バクラの隣へ静かに座る。
「僕はキミのデッキ好きだなあ」
「は??」
唐突な一言にバクラの手が止まる。眉をひそめて隣を見るも、その言葉は続いた。
「デッキコンセプトも好きだし、戦略も……考えられてると思うし」
獏良の人差し指が自らの顎を触り、指揮をするようにくるくると宙を舞う。辿々しい口調で幾つかバクラのデッキについて言及し、
「あと……えっと……闇?闇っぽいというか……」
とうとう言葉を詰まらせ、口をへの時に曲げて難しい顔。
デュエルは観る専門の上、バクラより腕が落ちる獏良に、正しい評価ができるはずもない。相応しくない行動に出た獏良の顔をバクラはまじまじと見つめ、
——慰めのつもりか。
同情をされるなど不快でしかないはずだが、隣で百面相をしながらうんうんと唸る様子を目の当たりにして、先ほどまでの怒りが霧散する。
「宿主」
「うん?」
鳥の嘴のように口を尖らせたまま固まる獏良に向かい、
「デッキの調整が終わったら、テストプレイに付き合えよ」
バクラは不敵に笑って見せた。
調子を取り戻した盗賊を前に、その勝負の結果は言うまでもない。


『ハグ』

獏良は自室で教科書とノートを机に広げ、シャープペンを走らせていた。時折、教科書をめくっては文字と睨み合う。周囲のことは忘れ、目の前にある課題しか見えないように。カリカリという音だけが部屋を支配している。
突然、驚いたように顔を上げて後ろを向く。しかし、高校生には珍しい一人暮らし。誰もいるはずはない。ほんの数秒間そのまま訝しげな顔。それから机に視線を戻し、ペンを握ったところで、集中力が途切れてしまったことに気づく。課題を一時中断して席を立った。
リビングの電気を点け、キッチンへ。台の上に置かれたコップを手に取り、冷蔵庫から取り出したペットボトルから麦茶を注ぐ。それを口に運び、一口。喉を潤し——違和感が生じる。
夕食が終わった後に食器類はすべて洗って水切りかごに置いておいた。そのときにコップも含まれていたはず。今は何処からコップを持ってきた……?
わずかな差異に軽い目眩のようなものを覚える。頭を片手で押さえ、コップを持ったままリビングへ行った。これは何かの勘違い、と湧いた疑念を振り払う。
麦茶を数回口にすると、落ち着きを取り戻した。少し机に向かいすぎたのかもしれない。テレビを見ようとリモコンを探す。ソファの上に無造作に置かれたそれを見つけ、手を伸ばす。
次はボタンを押すという簡単な行動に移すはずが、電源ボタンに指を置いた状態で固まる。
置かなかった。こんなところには。絶対——。
今度こそ見て見ぬ振りはできない事象。自分の行動パターンからしても、あり得ないことだった。リモコンを置くなら机の上だ。潤したばかりの喉がひりつく。
この家に引っ越してからこういったことが多くなった気がする。物の配置が変わっていたり、あるはずのものが消えたり。何者かの気配を感じることすらある。
童実野高校に転入してすぐに、友人たちがゲーム盤上で力を合わせて悪い魂を祓ってくれたから、もう悩み事はなくなったと思っていたのに。
獏良は微かに震える手でリモコンをサイドテーブルに置いた。もうテレビを見る気力はなくなり、コップを持ったまま自室に戻る。
創作物のホラーに興味はあっても、実際にはお断りだ。この部屋は曰くつきだったのだろうか。そうでなければ、もう一人の気配を感じる説明がつかない。
椅子に座っても課題を続ける気になれず、机の引き出しを開けた。中に収まっているのは金色のリング。もうこれは、ただの「物」だ。もう悪さはしない。しまったままになっている状態を確認し、引き出しを閉じた。椅子の背もたれに寄りかかり、壁に元気ない視線を送る。
獏良の背後で透き通った白い二本の腕が虚空に音もなく現れた。ゆっくりと伸びて長い髪をさらりと撫でる。獏良は気づかず正面を見たまま。耳、頰、顎、唇——順に触れ、やがて獏良を覆う。見えない二本の腕が、後ろから胸の前で交差する。まるで、誰にも渡さないと言うように——。


『七夕』

『みんなと仲良くゲームができますように』
ささやかな願いが書かれた小さな長方形の色紙。内容に相応しく机の奥にひっそりとしまっていたはずの黄色——短冊を不届者が太陽の下に晒していた。
その不届者は悪びれもせず、むしろ勝ち誇った顔をして天高く上げて吠えた。
「この浮気モンが」
被害者であるはずの短冊の持ち主は、加害者のような扱いを受け、呆れたような声を出した。
「はあ??」
相手の言わんとすることを推測しようと頭に人差し指を置く。
「一度それ返してくれる?」
もう片方の手を差し出し、「ん」短い返事と共に返ってきた短冊を受け取る。変なところで律儀なのは、王を敵視する盗賊時代から変わらないから手間が省けて助かる、と内心胸を撫で下ろし、自分で書いたはずの内容を読む。
『みんなと仲良くゲームができますように』
記憶と寸分違わない文面。相手の主張とはまったく関わりがないように思える。これではただの言いがかりだ。
「自分で書いておいて言いにくいんだけど、凄く平和な願い事に読めるよ」
ケッ、と元盗賊のバクラは吐き捨て、「いい子ちゃんが」とつけ加える。
短冊に指をつきつけ、
「この、『みんな』ってなんだ。ファンクラブとやらの女どものことなんじゃねえのか?そんなのに媚び売ってる時点で浮気なんだよ」
鼻をフンと鳴らして主張するバクラの顔をじっと見つめ、数秒の間を取った後に、短冊の主はポンと手を打った。
「あー。そういうこと。分かった分かった」
「おせーよ!」
指を差したまま喚き散らすバクラとの温度差を感じる。まだ自覚が足りないらしい、と恋人になってから日が浅い獏良は言葉を飲み込む。思考を口に出してしまえば、ますます火に油を注ぐであろうことは分かった。



「七日が締め切りだから、獏良くんも是非参加してね」
クラスの女子生徒が短冊を机の上に置いた。
「うん、ありがとう」
獏良はにこやかにそれを受け取ってから頬を掻く。それは有志による七夕のイベントのもので、特に関心のない獏良は不参加の予定だった。面と向かって頼まれると断りづらい。しかも、女子生徒の視線は妙に熱っぽく、周りの女子も一部が耳をそばだてているようで居心地が悪い。どうも興味は学校の花である獏良の願い事に向けられているらしかった。本当の願い事を真正直に書いてしまえば、一ヶ月はファンクラブに属する女子の口の端に上るだろう。
「家でゆっくり書くね」
期待のこもった目で獏良の手元を見ていた女子は、あからさまにがっかりした表情をした。その反応だけでも、七夕当日の反応は推して知るべし。女子生徒たちは十中八九、獏良の書いた短冊を笹から探すに違いない。
獏良はこれ以上の話はないという意志を込め、貰った短冊を予備も含めて机の中にしまい、何事もないような顔をした。固有名詞を出したら大騒ぎになるのは目に見えてるし、世界平和を願ってみても嘘臭くなる。適当な願い事はないかしら、と考え始めた。



「——で、これが当たり障りのない願い事ねえ……」
「しょうがなかったんだ。いかにも僕が書いたみたいな内容にしなきゃ」
ファンクラブの女子にとっては、獏良はアイドルのようなもの。誰と目が合ったか、という話題で争うのは日常茶飯事になる。
獏良の説明に一応は納得したものの、バクラの口は尖っていて物言いたげだった。もっと甘ったるい内容の願い事を期待していたのだろうか。獏良の学校での人気は事実であり、それ以上の詮索はしようがない。
「オリヒメとヒコボシも大変だな。こんな心もこもってない願い事を叶えなきゃなんねえンだから」
悔し紛れか憎まれ口を叩いて見せた。
確かに学校へ持っていくのはダミーの願い事だが、机の中には予備用にと渡された青色の紙がもう一枚入っている。そこには本当の願い事が書かれている。わざわざ学校に持っていって他人の目に晒すつもりはない。織姫と彦星に願うなら、家でひっそりとがいい。
それを教えるのはまだもう少し後でいいかな、と獏良は恋人の横顔を見ながら微笑むのだった。
『彼とずっと一緒にいられますように』


『アイス』

ケラケラと笑い声が響く昼下がりの繁華街。五人の少年少女たちが固まって歩いていた。
その中の一人が持つのは、円錐形をしたコーンの上にちょこんと乗った真っ白なアイスクリーム。駅前の店で買ったばかりで丸い形を保ったまま。それでも外気によって表面が緩くなり始めていた。
それを口に持っていこうとしたところで、グループの一人がおどけ、笑い声が上がる。すると、アイスの存在を忘れてしまったように、手を下ろしてしまう。その繰り返しで、いつまで経ってもアイスは口に入らない。
その光景を苛々と見つめるものが一人。少年と身体を共有している盗賊の魂には、減らないアイスが嫌でも目に入ってしまう。
——早く食えよ……。
コーンの縁に白い液体となったアイスが溜まり、今にも垂れそうになっている。それを指摘しようにも、友人の中に宿敵の片割れがいる前では、下手に動くのは憚られる。
だから、身体の主である獏良の前で行ったり来たりしているアイスを煩わしそうに見ているだけだった。
とうとう、一筋の白い液体が溢れ落ちた。細い指の上をつつつと跨いで行く。
「あっ」
冷たい感触にやっとアイスのことを思い出し、獏良は視線を下に向け、驚いた表情をした。
いつもは静かにしているはずのもう一人の人格が、腰を屈めて目の前に姿を現していたからだ。勿論、精神体であるその姿は獏良以外には視認できない。
もう一人は意地悪く笑うと、垂れたばかりの白い筋に真っ赤な舌を這わせた。
「ヒャッ……!」
獏良は思わず小さな声を上げてから、それ以上は声を出さないように奥歯を噛み締める。他人には不可視の存在に反応してしまえば、不可解に思われてしまう。
身動きのできない獏良を嘲笑うかのように、舌は指と指の間まで潜り込む。小指、薬指、中指、人差し指。下から順に這い上がる。感触はないはずなのに、背筋がむずむずとした。
「食わねえなら食っちまうぞ」
やっと舌が指から離れたかと思うと、今度は唇がチュッと音を立てて押しつけられ、薄く笑った口からは尖った歯が覗く。
「————っ」
とうとう獏良は顔を赤くして背けた。コーンの末端から水滴がポタポタと落ちる。
「あっ!垂れてるよ!」
親切な友人の指摘に「大丈夫」と繰り返しながら、もう二度とアイスはコーンにするものかと誓ったのだった。


『デート』

『——新しいエリアが登場!大人も子どもたのしめる多彩なアトラクションがアナタをお待ちしてます!』
テレビ画面に色とりどりで賑やかな映像が流れている。キャラクターたちが踊り、手を繋いで笑顔を浮かべた家族たちが走り回る。バックに流れるのは陽気な音楽。それに獏良は見入っていた。ポテトチップスを摘まんでいた手は止まっている。最後に大きくオープン日が表示され、画面が暗転。続いて、清涼飲料水のコマーシャルへと変わる。
止まっていた時が動き始めたように獏良は目を輝かせ、
「面白そう!」
手元の携帯を早々と弄り、宣伝で見たばかりのテーマパークの公式サイトにアクセスする。そこには沢山の新着情報が羅列されていた。アトラクション、エンターテイメント、フード、グッズ。手当たり次第にページを開いていく。
「いいなー……」
次々に表示される楽しげな画像を羨ましそうに見つめる。
「行きたいのか?」
バクラがマグカップ片手にキッチンから現れ、獏良のいるソファに腰かけた。
「うん。しばらくテーマパークに行ってないから、楽しそうだなって。でも……」
獏良の視線が壁にかかったカレンダーに移る。記載された数字の一つには赤いペンで丸が囲っている。
「論文の締切日が……」
獏良はしょんぼりした顔で俯く。最近は山積みになった資料や本と共に机に向かうのが日課だ。夜遅くまでかかることもある。
その横顔をバクラは見つめ、何事か思案をすると、自身も携帯を取り出す。画面を操作しながら、
「ソレ終わってからでいいんじゃねえの?」
「え?」
「全部終わった後で行くなら、少しは空いてんだろうし、オレも休みを合わせられるからな。再来月の連休明けは?」
「うん。それなら空いてる。けど、テーマパークなんて興味ないんじゃないの?」
矢継ぎ早に出される案に、獏良は目を瞬き、それから眉尻を下げて曇り顔。
「あー……。その期間限定のメシなんて美味そうじゃねえか」
バクラは獏良の携帯をトントンと指で叩き、表示されたメニューを指で示す。
「それなら、新しいエリア見て、お昼にここで食べよう」
獏良の顔がパッと明るくなり、嬉しそうに笑う。そこへもう一つの携帯画面が突きつけられた。日付指定チケット購入済みと記載されている。
「えっ!ええー、早い!」
「論文さっさと終わらせろよ。遅れたら許さねえからな」
「うん!」
バクラの肩に頭を乗せ、「楽しみだなー」と獏良はテーマパークのサイトを見つめる。それに向かって柔らかい眼差しが送られていた。


『傷』

商業施設が充実し、賑やかな童実野町は、一方で治安に関しては問題があった。不良グループが白昼堂々闊歩していることもある。その日の獏良もただ目が合ったという理由だけで、ガラの悪い男に突き飛ばされた。
「生意気な目ェ、しやがって!」
細身の身体は後方へよろけ、足で踏ん張ろうとするも、耐えきれずに尻餅。地面に手をついた拍子に転がっていた小石が運悪く刺さった。小さく裂けた皮膚からは血が滲む。
そこへ男の足が打ち込まれそうになり、獏良は固く目を瞑った。ところが、いつまで経っても痛みは襲ってこない。恐る恐る目を開けてみると、息を巻いていたはずの男は地面に背中から倒れていた。
「ぼやっとしてんじゃねえ」
いつの間にか身体の操縦権が獏良に宿るもう一つの人格に移っている。バクラはつまらなそうな顔で男を見下ろしていた。
「手当てしとけよ、それ」
その言葉と同時に獏良の意識が表に引き出される。獏良は呆然とした表情で目の前にある光景を見つめ、
「あ、ありがとう……」
礼を口にしたのだった。

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