ばかうけ

チッチッチッチッ——。
ひんやりと冷たい空気が漂う部屋に時計の音が鳴り響く。
親から宛てがわれた一人暮らしには広すぎる部屋、獏良はリビングのソファに膝を抱えて座っていた。眉間には皺が刻まれ、唇は固く引き結ばれている。
いつもは気にならない慣れた一人暮らしでも、時折どうしても虚しさを感じてしまう。一人でいることが心細くなり、冷え冷えとした空間が恐ろしくなる。だからこうして幼子のように縮こまっている。
気を紛らわそうとテレビをつけたものの、賑やかな画面と音がかえって部屋の静寂を際立たせて虚しくなった。
夜が深くなるにつれ思考が後ろ向きになる。嫌な想像をしてしまいがちになる。一人の時間に朝まで耐えられそうもなかった。
コトン——。
キッチンから物音が聞こえた。獏良の身体がびくりと跳ね上がり、ぎゅっと手に力が入る。音なんて聞こえるわけがない。気のせいだ。キッチンには誰もいないはず——誰も——。
獏良は弾かれたように顔を上げ、薄暗いキッチンへ視線を走らせた。当然そこには誰もいない。しかし——。
強張っていた獏良の表情が和らぎ、そのまま笑みの形になる。
——そっか。
確かにこの家に住んでいる人間は獏良一人だけれど、獏良は一人ではなかったのだ。
そのことを思い出し、胸に手を置いて短く息を吐く。服の下にある硬い感触を確かめて。

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入院した後にリハビリで書いてみたものです。
手軽に書ける心理描写多めのもの。


高校の玄関から生徒たちが賑やかな声と共に現れる。獏良もその中に混じり、近寄ってくる女子生徒たちを交わしながら校庭の土を踏んだ。
やれやれ——と一息をついたのも束の間、行く手の光景に目が留まる。
校舎から校門へ向かう生徒たちの波。校門を出た後は、各々の家なりバイト先なりに方向を定めて三々五々帰っていくのだが、そこで不自然な流れができていた。
真っ直ぐに目的地に向かっていくはずの流れが急に弧を描いて曲がる。まるで道を塞ぐ大岩か何かを避けるように。
その流れを目にしたところで、獏良には先にあるものの想像がついてしまった。溜息を一つついて自らも他生徒に倣って校門をくぐる。そして、足を止め——、
「ここにいると目立つって言ってるだろ!」
校門横に立っている男に向かって叱りつけた。
男は獏良の高校とは異なる制服姿で、塀に背をもたれかけ、前方を睨みつけて腕を組んでいた。目の前を通りすぎる生徒たちは男の姿に気づくと、あからさまに顔を伏せて進む方向を変える。生徒たちからすれば、漂う威圧感のせいで他校生徒が果たし合いに来たと思うのだろう。
男は獏良の姿を目にすると一歩踏み出し、
「帰るか」
何事もなかったかのように獏良に向かって話しかけた。心なしか目つきが少し和らいでいる。
「いやいやいや、そうじゃなくって……」

この男――バクラは頻繁に獏良をこうして迎えに来る。頼んでいるわけでもないのに。二人の関係といえば、幼い頃から縁があるというだけだ。それなのに、放課後になると飽きもせずにわざわざ遠回りをしてまで獏良の高校までやって来る。
他の生徒たちに迷惑がかかると獏良は不満ばかりだが、校門前で揉める訳にもいかず、結局はいつも一緒に帰ることになってしまう。
「行くぞ」
「もー、まったく」
いつからこんな肩を並べて下校する仲になったんだっけ?と疑問に思いつつも先行するバクラの背を追う。
二人は中学までは同じ学校だった。高校もそうなるはずだったが、獏良の家の都合で進路が変わって離れ離れ。そのまま疎遠になると思いきや、バクラの出迎えが始まったのだ。

——今日も害虫どもがウロウロしやがって。
バクラは内心舌打ちをする。
男女関係なく慕われる獏良には、熱い眼差しがよく集まる。柔和な性格で相手を拒絶しないから余計に好意をもった生徒たちが近寄りやすい。バクラにとってはそのすべてが目障りだった。余計な虫がつかないように、こうして手間をかけてまで監視する。
それでも二人は恋人同士というわけではなかった。付き合いが長いだけで友人とも言い難い。そこまでするならさっさと告白でもすればいいのに、というのが世間の考え方だが、バクラは違っていた。
出会った瞬間から獏良はずっとバクラのものなのだ。疑うことなく決まっていることだから、いちいち口に出すことではない。獏良の隣にいるのは自分以外あり得ないことなのだ。
だから、今日もバクラは門の外で獏良を待つ。自分だけのものを奪われないために。

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リハビリ②。少し動きをつけてみてます。あと背景描写も。


『久しぶりに高校の時のメンバーで集まりませんか? 空いてる日を教えて下さい』

マンションの一室で乱れた呼吸が聞こえていた。一人は床でもがいていて、もう一人はそれを上から押さえつけている。喧嘩に似た雰囲気だが少々様子が違う。
「や、だぁ。放して……っ」
床に横たえる方——獏良が身を捩ろうとしたところに、もう一人——バクラが首筋に唇を落とす。
「んっ」
湿った吐息が口から漏れつつも、獏良は逃れようと首を横に懸命に振る。その反動で携帯を握ったままの手が床を叩いた。
片方の手が携帯で塞がっていれば、拘束から逃れる邪魔になる。けれども、獏良は放そうとはしない。大切なもののようにしっかりと握りしめている。

先ほど獏良の携帯に一通のメールが届いた。差出人は高校の同級生。同窓会の知らせだった。
様々なトラブルに見舞われた獏良の学生時代の友人は限られている。平穏な学生生活を手に入れたのは童実野高校に転校してからだ。
だから、獏良にとって同窓会に誘われたのは初めてのこと。文章を呼んだ瞬間に身体が跳ねたほどだ。その衝動のまま部屋を飛び出したいのを抑え、壁にかかるカレンダーに視線を走らせる。既に予定が埋まっているのは——と、人差し指で並ぶ数字を確認し始めた。
しかし、その指を横から伸びたもう一つの手が遮り、
「随分楽しそうじゃねえかァ」
訳ありの同居人がいつの間にか獏良に忍び寄っていた。同居人——バクラは獏良の手首を掴み、開いたままになっている携帯の画面を覗く。
「へえ」
口元は笑みの形だが、眼差しは冷え冷えとしている。獏良の背筋に冷たいものが走った。何故だか物凄く嫌な予感がする。本能が危険信号を出していた。
携帯の画面にはバクラもよく知っている差出人の名前が記載されている。短い文章だから内容もすぐに分かったはずだ。けれども、機嫌を損ねる理由などない、はず。
「オトモダチがそんなに嬉しいか?」
アッと思ったときには既に床に組み敷かれていた。強引に唇が塞がれる。抵抗する間もなく隙間から舌が侵入し、咥内を撫でる。ゾクリ。その艶かしい感覚に力が抜けそうになるが、緩みかけた手に力を込める。バクラから顔を引き剥がし、胸を押し退けようとした。
「いきなり、なにするんだ」
しかし、上から体重をかけられてはビクともしない。もたついている間にもう一度唇が迫る。今度は思い通りにさせるものかと顔を背けるも、相手に晒すことになった首筋に吸いつかれる。
「ちょっと……ふざけるのもいい加減にしてよッ」
言葉では抵抗を示しても動揺が声色に含まれていた。それをバクラは逃さず、首筋から耳朶に唇を移していく。耳の輪郭をなぞるとわずかな反応があった。これまでに幾度も重ねた肌が刺激を感じ取りやすくしているようだった。
「……遊戯くんたちに会うだけなのに」
獏良が身悶えながら吐息混じりに呟くと、バクラは不機嫌そうに顔を歪めて舌打ちをする。
「ほー。緩みきった顔してあいつらに会いに行くわけか」
指が獏良の服の上を這い回り裾から侵入し、ヘソ、脇腹、あばら——順にまさぐる。
「別に緩みきった顔なんて……」
獏良はそこまで口にしたところで言葉を飲み、じろりとバクラを睨み上げた。
「まるで会いに行くのが悪いって言いたげだね」
「あ?オレ様以外に尻尾振るなんて許されるわけねーだろ」
返ってきたのは当然だと言わんばかりの言葉。傲慢かつ悪びれない態度に獏良の頭が怒りを通り越して冷えていった。
今の今まで、自分に落ち度があるか二人の間に誤解が生じているものだとばかり思っていたが、最初からその心配はなかったようだ。目の前にいる男が抱えている感情は嫉妬。しかも身勝手な理由から生まれたもの。
それに気づいた途端にすべてが馬鹿馬鹿しくなり、獏良は遠慮をかなぐり捨てた。そして、力の限り足を振り上げ——。

「まったく。自分勝手過ぎて信じらんないよっ」
獏良はダンッと音を立てて勢い良くジョッキをテーブルに置く。周りの友人たちはそのただならぬ様子に首を縦に振るしかない。
「それでもう一人のバクラくんはどうしたの?」
友人を代表して一人が尋ねると、獏良はフンと鼻を鳴らす。
「家を出るときまでうるさかったから簀巻きにしてきた」
「……簀巻き?」
穏やかな性格の獏良から出た似つかわしくない言葉。その場にいる全員が聞き間違いかしらと首を傾ける。聞こえた通りの単語だとしても、話題に上がっている人物に大人しく従う印象はない。
疑問符だらけの友人たちを余所に、獏良は牛スジの煮込みを箸でつつくのだった。

「あの野郎……帰ってきたら泣かす」
一方のバクラは毛布でぐるぐる巻きにされた状態で床に転がり、怨み節を唱えていた。「あの頃」と比べると格段に強かになった獏良の顔を思い浮かべながら。

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リハビリ③。少し絡みを入れてみてます。


獏良は家で恐竜の模型を弄りながら、涙を零していた。恐竜は精巧な骨格型で、骨の一本一本がパズルになっている。普段なら上手く組み合わせることができるが、泣きながらでは手元が狂ってしまう。カチャカチャと音だけが空回り、先には進めない。
それというのも、大好きな父親が海外出張で家を空けているからだ。父親は多忙ではあるが、家にいるときは獏良を沢山構ってくれる。今月は出張に出ることはないと聞いていたのに……。
急な出張は仕方がないこととは知っているが、涙は零れてしまう。先月の父親の休みは獏良が学校へ行っている間だった。急いで帰ってきたときには、もう既に家にはいなかった。
だから、今月こそ一緒にやろうと思っていたことが沢山あるのだ。キャッチボール、釣り、模型作り。それが勝手に頭に浮かんできては虚しい気にさせる。
母親は皿を洗いながら、息子の様子を見て困った顔をしていた。夫の仕事のことも、息子の気持ちも、理解ができる。なんと声をかけたらいいかと悩み、頬杖をつく。自然と視線を斜め下に向け、小さな入れ物が視界に入る――。

一向に進まない模型を前にしている獏良に、母親が優しい笑顔を浮かべて近づいてきた。
「了。はい、これ」
差し出されたのは、葉書き程の大きさをしている長方形の缶。以前、父親が海外出張土産に持ち帰った菓子の入れ物だ。外側には見たことのない綺麗なイラストが施されている。太陽、月、城、天使、蔓と花々。それだけで物語になっているように見える。
貰ったときの獏良は喜び、描かれた絵柄一つ一つに指を差し、父親に「これはなに?」と尋ねた。そうして、目を輝かせて問いの答えを聞いたのだ。
そのときは楽しかったけれど、もうとっくに中身は食べてしまった。空っぽになった缶は捨てずにとっておいてそのまま。小物入れなどにしようかと別の使い道を考えていたが……。
渡された空っぽはずの缶から、からんという音がした。不思議に思って蓋を開けてみると、小さな飴やキャラメル、チョコが詰まっている。からんころん。まるで貰ったばかりの新品に戻ったかのよう。
「わあ!」
「パパが帰ってくるまで、これを食べて待ってようね」
母親の機転があり、缶を眺めながら父親が帰国するまで気を紛らわすことができたのだった。
それにしても、と母親は思う。随分とタイミングがよかった。忘れていた獏良のお気に入りの菓子缶が出てくるなんて。あの子の日頃の行いがよかったと都合のいい理由をつけ、母親は深く考えないことにした。

*****

「コホッコホッ」
獏良は咳き込んだ拍子に目を覚ました。自室のベッドの上で、天井がぼやけて見える。よろよろと手を伸ばし、枕元の携帯を見ると、午後三時を過ぎたところだった。
夢を見ていたようだが、内容は思い出せない。名残惜しいという感覚だけが残っている。昔の夢でも見ていたのだろうか。
熱があると気づき、ふらふらと咳き込みながら病院に行ったのが午前中。季節の変わり目による体調不良と診断。帰りにコンビニでスポーツドリンクとお粥を買い、家で処方薬を飲んだところで力尽きた。
手で額を触ると、午前中よりは熱は下がっているようだった。身体の調子も少し楽になっている。早く動けるようになるといいんだけど。
サイドテーブルに置いたペットボトルを取ろうとして何かに触れる。寝る前にそれ以外を置いた記憶はない。疑問に思って掴むと、からんと音がした。
数日前に食べた小さなクッキー缶。もう中には何も入っていないはずだが……。
蓋を開けると、のど飴が幾つか転がっている。からんころん。その光景がなぜかとても懐かしくて、安心する。
缶の中から一粒だけ取り出し、口の中に放り込む。優しい味が広がり、腫れた喉が癒される。途端にまた眠気に襲われ、布団を被った。明日には治っているような気がして。

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これは何のときに書いたのか思い出せず。ツイッターかな?
バクラが何気なくそばにいてくれる話が好きです。


細い手が両開きのカーテンにかかり、優しく隙間を作る。一筋の光が部屋の中に差し込み、仄かな明かりを灯す。
「やっと晴れたね」
カーテンの前に立った少年は、空を見上げて目を細め、ライトグリーンの垂れ布をさらに左右へ開く。太陽光が部屋に満たされると、白い髪も光をまとい、銀色に輝き始めた。肩から流れ落ちる長い髪が、さらりと揺れる。
もう一人の手が光に向かって伸びるが、永遠に隔たりがあるように届かない。確かに、もう一人には肉体がなかった——厳密にいえば、二つの魂が一つの肉体を共有していることになる——だから、魂の同居人に過ぎない存在は、少年には触れられない。
「邪魔になってきたな」
少年は髪の一房を摘み上げ、
「切ろうかな」
何気なく言った。
「やめろ」
「それは僕の自由じゃない?」
間髪を入れずに投げかけられた否定の言葉に少し驚き、瞳が瞬く。こてん、と横に頭が傾いてから、
「……なら、やめようか」
柔らかい笑みを浮かべて、もう一人を見つめた。光の中に溶け込んでしまいそうな表情で。

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これもツイッターかな?獏良の美しさを表現したかったようです。
バクラフィルターがかかると獏良の美しさ五割増しになります。

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