生と死の境には川が流れているらしい。
もしもそんなものが存在するなら、僕にとってのそれは――。
「ったく、お前もちょっとは抵抗しろよなぁ」
僕と並行して宙を漂っているバクラが、ぶつぶつと不平を漏らしている。
バクラが言っているのは、やたら僕に突っかかってくる体育の刈田先生のことだ。
転校初日以来、目をつけられてしまったらしい。
今日も態度が悪いと、怒鳴られた。
悪いのはその後だ。
止める間もなくバクラが表に出て刈田先生を睨んでいた。
刈田先生は以前バクラに人形にされたことを微かに覚えているみたいで、それ以上のことはなかったのが不幸中の幸いだけれど。
心の中でやり取りを見ている僕はヒヤヒヤものだ。
「先生に滅多なこと言えないだろ。授業中は出てくるな」
「ちっ」
バクラは僕のことを思ってやっているんだろうけど、やりすぎなんだよね。
「とにかく、僕は先生に怒られたくらいじゃ、へこたれないからっ」
横にいるバクラを見ないように小声で喋る。
街中で明後日の方向を見ながら一人で怒鳴っていたら、間違いなく補導される。
半実体の姿で目の前にいられると、自然と目で追ってしまうし声もかけたくなる。
僕の中にいてくれたら良いのに。
もしかしたら、コイツはそれが分かっていてやっているのかも。
「つれねーなぁ」
わっ!耳元で囁いてくるなよっ。
僕の好きな低い声があるはずのない吐息と一緒に耳に吹きかかってきた。
全身が粟立ち、思わず耳を押さえたくなるのを我慢して堪える。
ほんっとにこいつは!
「くくくっ」
僕で遊ぶのがこいつの生き甲斐らしい。
そのうちゴキブリホイホイとまとめて捨ててやるんだからっ。
目の前の信号が赤くなり、僕は立ち止まった。
不意に妙な既視感をあった。
人の声が、車の音が、全ての音が、遠のく。
僕の心臓が早鐘のように打つ。
駄目だ。
思い出しちゃ。
「宿主?」
一番近くから聞こえる声も、急速に離れていった。
横断歩道の向こうには違う世界がある。
決して交わることはない。
向こう側にいくことは、そう簡単ではない。
一人の女の子が向こう側で手を振っていた。
僕も振り返す。
信号はまだ赤。
待ちきれないといった様子で、女の子が足踏みをする。
とうとう信号が青になった。
女の子が向こうから駆け出してきた。
僕はにっこり笑って彼女を待っていた。
でも、頭の片隅で僕は叫んでいた。
天音、こっちへ来ちゃ駄目だ!!
僕の叫びも空しく、声は届くことなく、目の前の景色がすべて赤に染まる。
延々とクラクションが鳴り続けていた。
僕がいるのは、こちら側だろうか、あちら側だろうか。
僕はずっと反対側にはいけないのだと思う。
向こうは永遠に辿り着けないほど離れているのだから。
ふと、僕は我に返った。
信号はまた赤になってしまっていて、目の前を車が猛スピードで走っている。
あの日から、こうして何回幻影を見たか分からない。
決して忘れることはない。
僕はずっとここから動けないでいるんだろう。
車が行き来している向こう側に、ぽつんと人影が一つ見えた。
いつのまにか僕のそばを離れたバクラが、偉そうに腕を組んで仁王立ちをしていた。
不機嫌な表情でバクラの口が動く。
多分、「早く来いよ」?
馬鹿じゃないのお前。
何もかも壊してくれてさ。
信号が青になった。
忘れられないけど、
忘れるはずがないけど、
僕はもうここにいなくても良いんだ。
僕は一歩踏み出した。
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持ちつ持たれつ、バクラに助けられている了くんを目指して。
刈田先生出すぎ!