原作のラストとは違い、「バクラがアテムに勝った」もしも次元となっています。
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少年が星を見たいと言った。
星なんて窓から空を見上げれば、いくらでも見られる。
夜空に限りなく広がっているのだから。
しかし、少年が望んでいるのは、そんなありふれた日常の一端ではないのだろう。
今夜は特別だ。
少年が望んだのだ。
ただの星空を見せるだけでは男が廃るではないか。
どうせなら、世界一の星空を少年に見せてやろう。
夜間飛行
バクラは黒い絵の具を筆で撫でたような薄闇の中で獏良を待っていた。
月と星の光がなければ、闇に包まれていただろう。
春先だというのに、夜になればまだまだ気温は低く、口が勝手に白い息を吐き出す。
わざわざ外で待ち合わせたのはほんの演出で、いつもと同じ夜にならないよう箔を付けたかっただけだ。
果たして、その計らいに獏良は気づいたのだろうか。
星を見ようと約束を交わしたときは、拍子が抜けるほど気楽に頷いていた。
あまり深く考えていないように見えた。
獏良は思慮深そうに見えて、抜けているところがある。
逆に能天気な顔をしながらも、核心を突く一言を口にすることもある。
今回はそのどちらになるだろうと、バクラは賭け事に興じたような気分になって獏良を待った。
しばらくして、静寂に包まれた住宅街の通りの奥からバクラのいる駅前広場まで、獏良がのんびりと歩いてきた。
「お待たせー」
薄いニットにジーンズという部屋からそのまま出てきたような服装に、やはりまったく気づいていないのかと呆れながらも、マイペースな彼らしいと笑いが込み上げる。
バクラは手を獏良に差し出した。
獏良はきょとんとバクラの顔を見上げ、視線を目の前にある手に下ろし、しばらく二つを交互に見つめ、「あ!」と口を大きく開けた。
「ちょっと待ってて!」
身を翻して慌てて来た道を戻っていった。
やっと気づいたかと、バクラは遠ざかる背中を眺めながら目を細めた。
ただ並んで星を見るだけではつまらない。
もっとよく見える場所へ行こうではないか。
戻ってきた獏良はアイボリーのロングコートを羽織っていた。
うんうんとバクラは上機嫌に頷き、再び獏良に固い鱗に覆われた手を差し伸べた。
獏良が足を進めると、ゆっくりと大きな指を折り、細い身体を包み込む。
長い爪が獏良に触れないように細心の注意を払う。
腕を引き寄せて獏良を持ち上げる。
背中から生える闇夜よりも暗い一対の翼を広げた。
本来ならば、羽ばたくだけで命の肉が剥かれる。この世界の頂点に君臨する者の証。
今夜はただ少年のために使おうと決めた。
大きく翼を打ち下ろして突風を生み出し、空へ舞い上がった。
山のような巨体が地上を離れてゆっくりと上昇する。
町のどの建物よりも高く。空の星が間近に迫るまでに。
すべてが豆粒に見えるほどの高度に達すると、夜空をゆっくりと風を掻き分けて前へ進んだ。
空を飛ぶというよりも、尾を揺らして風を翼に受ける姿は泳ぐという表現があっていた。
「うわあ」
感嘆の声が獏良から上がった。
バクラの手からひょこんと頭を出し、瞬く星が一面に広がる夜空を見上げている。
手を伸ばせば届きそうな距離に星が見える。
獏良の記憶にあるどの景色よりも、ずっと近いところに星がある。
空を海だとすれば、星々は幾多の魚たち。その中に身を投じて、大小様々な星たちの光に包まれているよう。
喜びの声を聞いて、バクラの尾がパタパタと揺れる。
期待通りの反応だ。
あまり空を飛ぶには向いていない身体だが、誘った甲斐があるというもの。
さすがに空中で停止することはできない。
だから、なるべくゆっくりと飛んだ。
ぐるりと県境まで飛び、引き返せば充分だろう。
足元には町の景色が広がっているはずだった。
かつては自慢だった眩しいほどの夜景。
しかし今は一つも灯りは見えず、地上にうずくまる大きな影になっている。
増えすぎた人口の数が確認できる住宅の照明や過剰なまでに主張していた商売用の電飾は、必要以上にぎらぎらと夜の町を照らし続けていた。
星の光を曇らすほどに。
地上が輝けば、空の光は消える。地上の光が消えれば、空の輝きが戻る。皮肉なことだ。
町に住む者たちは新たな世界を創造するための糧となった。
闇から生まれた神がこの世界を支配している。
残った人間たちは、やがて互いに刃を向け始めるだろう。
その醜い争いを高みから見下ろす。
永遠に続く闘争から生まれる負の心が大邪神の力の源。
植物を草食動物が食べるように、草食動物を肉食動物が食べるように。
頭上に浮かぶ満天の星は、その上に成り立っている。
獏良は瞳を輝かせて星空を食い入るように見ていた。
バクラは身体を傾けて、元の場所へ向けて大きく方向転換をした。
手の中の少年は人間たちの争いからも、食物連鎖の中にも、身を置いていない。
バクラがそうしたのではなく、最初からそうだった。
この世にいながらにして、生命の柵から解き放たれた存在だった。
地に足がついていないようで、手を離せばふわふわと飛んで行ってしまいそうな少年。
今も変わらずバクラの存在を受け入れていることも、それを表しているようだった。
寂しくないのかと、恐れないのかと、獏良に聞いたことがあった。
『君のことなんて怖くはないさ。寂しい……寂しいけど、だから君と一緒にいるんだろ』
答えというよりは、なぞなぞに近い掴み所のない言葉にバクラは唖然とした。
何度も獏良の言葉を頭の中で反芻し、きっとバクラが思うよりもずっとシンプルな答えだったのだと悟った。
世界とバクラの姿が変わっても、嫌がりも逃げもせずにただ隣に居る。
ありのままにすべてを受け入れているのだ。
だからといって、心の負担がないわけではないだろう。
顔に出さないだけで、身体にはその影響は表れている。獏良の睡眠時間はとても長くなった。
もしかしたら、このまま目覚めなくなるのではとバクラが案じたほどだ。
できる限り獏良が生活しやすいように環境を整えた。
『甲斐甲斐しいね、キミ』
獏良の身体よりも大きな手で器用に柔らかいシーツを選んでいたら、くすくすと笑われた。
星が欲しいと言うなら、是が非でも叶えてやるつもりだった。
今のバクラの力なら、不可能ではなかった。
しかし、獏良が望んだのは――。
『キミと星が見たい』
誰でも叶えられる小さな小さな願い事だった。
獏良の瞳に映っているのは見上げるほどの巨体ではなく、一人の人間なのだと気づいた。
だから、愛しい。
巨大な力を前にしてもなお、変わらずに接する少年が。
人間に絶望を与えるための腕で少年を搔き抱く。
元の広場に辿り着き、翼を上下させて緩やかに着陸した。
まだ獏良が空を見上げているのに気づき、バクラは地面に下ろさず肩に乗せた。
「今日の星空は二人占めだね」
獏良はバクラの肩に腰かけて、バクラの頬に身を寄せた。
「僕の星座があるはずなんだけど、さすがに分からないや。もっと理科の勉強しておけば良かったなあ。ずっと探してたんだけどね」
ようやく、星空からバクラに視線を移し、頭に手を置いてはにかむ。
バクラは指の腹を使い、獏良の頬や顎をくすぐるように撫でた。
しばらく、クスクスと抑えた笑い声が夜に溶け込んでいた。
獏良はあちこち動くバクラの指を両手で掴まえて唇で触れた。
頬にも同じようにし、
「ありがとう」
優しさと慈しみに満ちた笑顔を浮かべる。
この笑顔が見られるのなら、なんだってしよう。
二人は視線を合わせて笑うと、再び夜空を見上げた。
世界が光を失った後も、二人はずっと近い場所にいた。
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以前書いた「夜空に浮かぶ月、君と向かう先」と同じ世界線で。
バクラとゾークについては、色々な考えがあると思います。これも一つの形ということにしておいて下さい。