ばかうけ

コンビニの窓ガラスに面した通路を何度も往復しては、チラチラと横並びのラックに視線を送り、口元に手を当てて考える素振り。
目当てのものを探しているという姿とは程遠く、獲物を前に様子を窺う動物のよう。十人中十人がそう思うだろう。
やがて獏良は一冊の雑誌を手に取った。
それまでの煮え切らない行動はどこへやら。雑誌を掴むと一目散にレジへと運んだ。
店員がバーコードを読み込んでいる間すら待てないとばかりに床を小刻みに踏む。
釣り銭と共に雑誌の入ったビニール袋を受け取り、足早にコンビニを後にした。
自宅に着くや否や自室の戸を荒々しく閉め、買ったばかりの雑誌を取り出して机に広げる。
すぐさま目当てのページを目次で確認すると、巻頭特集も人気コーナーも飛ばし、辿り着いたページを真剣な眼差しで読み始めた。
たった数ページ。
最後までじっくりと一文字も漏らさずに追った。
獏良は紙面に向かって大きく頷き、読んだ内容を頭の中で反芻し、雑誌を丁重に閉じた。
そして、両手を悠然とした仕草で頭に乗せて、
「バカか、僕は!!」
勢い良く机に肘を突いた。
思いの外大きな音を立てて強く打ちつけてしまった肘にじんじんと痛みが走る。
痛みを気にしている余裕はなく、眉間に皺を寄せた以外はぴくりとも動かなかった。
雑誌の表紙には「ときめきを逃さない~恋の処方箋」と読んだばかりの特集記事のあおり文が載っていた。
小腹が空いて菓子を買いに出かけただけのはずだったのだ。
ラックから顔を出した雑誌が目に入り、どうしても読みたくなってしまった。
以前の獏良なら見向きもしない雑誌を購入し、余すことなく徹底的に読み耽った。
目的を果たして得た満足感の後から急激に後悔が押し寄せてこの有様。
すぐに冷静にならなければ、愚行に気づくこともなかったのに。
「うう……。嘘だ。こんなの……」
頭を抱えたまま己の行動を恥じた。
雑誌に書かれていたのはごく一般的な恋愛アドバイスだった。
さりげないボディタッチが恋人の心をくすぐるだの、ワガママは見せても悪口はご法度だの。
読んだところで進展の見込めないものばかり。
クラスの女子が喜んで回し読みをしそうな内容ではあった。
今の獏良が心惹かれてしまう正体不明の引力があるのも事実。
恋愛をすると、こんな些細なアドバイスでも欲しくなるらしい。
獏良は今までテレビや雑誌に溢れている恋愛話についてバカにはしないものの、無関係なことと思っていた。
クラスメイトがこの手の話題で盛り上がる度に他人事のように感じていた。
まさか自分の身に降りかかってこようとは。今この時も認めたくはなかった。
雑誌の数ページしかない記事に頼ろうとしていたなどとは。
頭を振る度に揺れる千年リングの存在を思い出し、獏良は素早く机の引き出しに雑誌をしまった。
恐らくバクラは気づいていないだろう。
気づいていたなら、コンビニで挙動不審な行動をしているときに声がかかったはずだ。
今に至るまでバクラは無言のまま。
異変があれば別だが、ずっと獏良を見張っているわけではない。最悪の事態だけは免れた。
獏良が似合わないことをしてしまったのは、まさに恋愛中だからだ。
相手は古代エジプトの盗賊を自称する悪霊のような存在。
始めこそ迷惑極まりないと思っていたはずなのに、時を共に過ごしているうちに情が湧いてしまった。
人を人とも思わない自分勝手な振る舞いをするバクラも宿主である獏良に対しては態度が和らぐ。
小さな積み重ねが獏良の中で大きく膨らんでいき、いつしかバクラへの悪感情が好意に変わっていった。
元より特別扱いの獏良からそんな感情を向けられて、バクラが不快に思うはずもなく、誰にも明かさない恋人同士となったのは自然な流れだった。
慣れない初めての恋愛につい浮き足だって雑誌を買ってしまったものの、一番の後悔は読んだところで人間とはかけ離れた存在であるバクラに当て嵌まるものは一切ないということ。
街中で腕を組んで歩く恋人たちのようにはなれないのだ。
獏良は頭から離した手を机に伏せて上から顎を乗せた。
いつも傍にいるのに簡単には触れ合えない。
呼べばすぐに出てくるはずなのに遠く感じる。
好意を自覚したときから、獏良の胸はきゅうきゅうと締めつけられている。
何度言葉を交わしても、触れ合っても、足りないのだ。
愛情は確かに返ってきているはずなのに、いつも餓えている。
胸の痛みをどう表せばいいのか、考え抜いた末に「寂しい」のだと、獏良は答えを出した。
きっと一人ではなくなったから、一人の時間を余計に寂しく感じてしまうのだ。
二人で過ごす幸せを知ってしまったから。
そして、どうやら恋は人間を欲深くするらしい。
飽くなき欲求が常に獏良の中で渦巻いている。
いつでも力いっぱい抱きしめてすべてを満たして欲しい。寂しいと思う暇もないほど。
獏良は唇を指でそっと撫でた。
――知らなかった。こんな気持ち。
なぞった部分がまるで別の生き物になったように熱くなっていた。
――キスがしたい……。
バクラは喜んで応じるだろう。
獏良が及び腰のときも、半ば強引に触れてくるほどなのだから。
ほんの少しの恥に耐えれば、すぐに目的は達せられる。
しかし、獏良の胸に灯った情熱の炎はそれでは治まりそうもなかった。
ただ与えられているだけでは満たされない。
――僕から……したいんだ……。
導き出した結論に獏良の顔が赤く染まる。
今までキスはされるばかりだった。
恋愛に疎い獏良はいつも受け身になるしかなかったのだ。
上げ善据え膳とはよく言ったもので、何から何までバクラが面倒を見たがるせいもあるだろう。
まさかこんなにも積極的になるとは、獏良自身でさえも予想外だった。
同時に不安も生まれた。
バクラがどんな反応を示すのかだ。揶揄われるだろうか。
勇気を振り絞って伝えて、意地の悪い返答をされたら傷つく。
二度と自分から求めなくなるかもしれない。
ただでさえ恥ずかしいのに。
いや違うと獏良はすぐに首を横に振る。
獏良が勝手に悪い想像をしているだけだ。
今までだって価値観の違いで揉めることはあっても、愛情を示す獏良を傷つけようとしたことはなかった。
人間の恋人のように優しくはしてくれないだろうが、バクラは素直に喜ぶはず。
あれこれと考えたところで、芽生えた欲求は抑えられそうもない。
獏良は椅子から立ち上がり、机を離れて部屋の中央へと場所を移した。
「バクラ」
呼びかけながら胸をポンポンと叩く。
服の下で金属の擦れる音が鳴る。
「どうした」
獏良より少し低い声が辺りに響いた。
「あー……えっと……」
意を決して呼び出したものの、実際に言葉にするのは何倍も勇気がいるらしい。
獏良は口の中でもごもごと不明瞭な発声を繰り返す。
あと一息で言葉になりそうなのにならない。
声に出してしまうだけなのに。
獏良の不可解な様子を受けてバクラは真正面に姿を現した。
「どうした」
今度は問いかけではなく、言葉端が鋭い催促の調子。
獏良の頬に手を添え、
「はっきり言え」
真っ直ぐに見据える。
口調は厳しくとも、瞳に怒気は孕んでいない。
獏良は頬を紅潮させ、伝えられない想いを込めて見つめ返した。
張り詰めた視線にバクラの首が横に傾く。
「あの……」
やっとのことで絞り出した声は頼りない。
バクラは急かすことなく獏良の言葉を辛抱強く待った。
「笑わないでよ」
獏良は念を押すように予防線を張ってから一呼吸を置き、
「キス、したい……き、君に」
怖々と打ち明けた。
顔だけが燃えるように熱くなり、自然と目が潤む。
獏良の精一杯の告白を受けてもバクラの表情は変わらなかった。
静かに手を下ろし、言葉なく獏良から離れ、部屋の隅にあるベッドに腰を下ろした。
行動の意味が分からずに獏良が目で追いかけていると、バクラは口元を緩ませて指招きをした。
曖昧な言葉でもしっかりと伝わったらしい。
獏良はほっと胸を撫で下ろした。
反応がなかったことには戸惑ったが、変に騒がれずに済んだことで冷静でいられる。
バクラの出方次第では逃げ出したくなっているところだった。
獏良はベッドに向かって緩々と歩み寄り、バクラの前で立ち止まった。
こくりと唾を飲み込む。
腰を丸めて遠慮がちにバクラに顔を近づけた。
バクラは顎を少しだけ上げ、あくまで待ちの姿勢。
獏良の挙動をじっと見つめているだけだ。
バクラの顔に絹糸のような獏良の横髪がはらりとかかる。
「目瞑って」
言われるままにバクラは目を閉じた。
「絶対に動かないで」
入念な前置きが続く。
普段のバクラなら悪態をつくどころだが、身動きせずに獏良を待っていた。
ただ唇に唇を重ねるだけの行為のはずなのに、緊張で獏良の身体は強張っていた。
キスをされるのなら、大人しく待っていればいい。
するのとされるのでは、こうも違うのかと痛感していた。
いつまでも待ってもらうわけにはいかない。
しつこいくらいに念を押してから、なるようになれときつく目を瞑った。
バクラの首に齧りついて勢い良く唇を押しつける。
反動で二人の体勢が崩れそうになるが、バクラが獏良の身体を受け止めたことで倒れずに済んだ。
獏良は目尻に皺が寄るほどきつく瞼を閉じたままでいる。
頼れるのは触感だけ。
背中に回された腕が温かい。
抱きしめられているのだと思うと、胸が幸福感で満たされる。
これだ欲しかったのは。
夢見心地に身を委ねようとして、獏良ははたと気づいた。
唇に意識を向けてみれば、記憶よりも硬い感触。
柔らかい膨らみというよりは平らな骨。
放ってはおけない違和感に唇を離して目を抉じ開けた。
バクラは冷静な顔のまま手で口元を覆い、指の先で唇の左下にあたる顎を撫でた。
「あ……」
先ほどの感触とバクラの仕草で、獏良は何が起こったか察した。
「……間違えてたらすまねえが、お前がしたかったのはココか?」
「う…………」
極度の緊張と早すぎる瞑目、昂る気持ちが上滑って空回り、着地した場所は唇ではなく――顎。
目的は遂げられていなかった。
――はずっ……!
あまりに情けない事態に獏良は仰け反り、バクラから離れようとした。
激しく込み上げる羞恥心に慌てふためく。
しかし、バクラの腕は外れず、じたばたと身体を揺らすことしかできない。
「落ち着けって」
バクラが強く手首を握ると獏良の動きが止まり、
「情けない」
肩に顔を埋めて蚊の鳴くような声で言った。
「別にこんなんで死にやしないだろ」
獏良とは対照的にバクラはゆったりと構えている。
今に至るまで獏良への愛しさは募っても、気分を損なうことはなかった。
むしろ一人で奮闘する獏良を好ましく思っていた。
キス一つにころころ表情が変わる様は新鮮だ。
絶対的にバクラが持っていない人間らしい感情。
幼子を見守るようでもある。
愛しさのあまりにつつきたくなるのを我慢していた。
ここでうっかり皮肉などを口にしてしまったら台無しだ。
せっかく獏良が恋愛事に対して前向きになっているのに芽を摘んではいけない。
「なあ、宿主。もう一度してくれよ」
掴んだ獏良の手を自らの唇に導いた。
「ここだ」
獏良の指に柔らかい感触が当たり、端から端までじわじわと水平に移動する。
艶を帯びて膨らんだ花びら。
誘導されていたはずが、知らぬ間に獏良の意思も加わっていた。
細かい皺まではっきりと伝わる。
自分と同じ形をしていると思うと不思議な気分だった。
「分かるな?」
「う、うん」
バクラの目が再び閉じられ、獏良は吸い寄せられるように唇を近づけた。今度は寸前までしっかりと見つめて。
小鳥がするようにちょんと触れる。
軽い接触がどうにも心地よい。
落ち着きなくウズウズと沸き立っていた感情が静まっていく。
獏良はやっと正解に辿り着いた気がした。
触れていたのはごく僅かな時間。
離れた唇は名残惜しそうに薄く開いていた。
絡んだ腕がそれまでの静寂を打ち破り、荒々しく獏良を抱きしめた。
そのまま横倒し、ベッドに押しつける。
あっという間に、獏良はバクラを見上げる体勢になっていた。
「次はオレの番だ」
これから起こる触れ合いへの期待に、うっとりと獏良の目に恍惚の光が宿る。
既に寂しさなど吹き飛んでいた。

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キスの失敗って可愛くありませんか。

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