ばかうけ

記憶の奥底にしまわれていた小さな思い出。
ふとした拍子に驚くほど鮮明に甦ることがある。

夜になると寝室には四つの布団が並べて敷かれる。外側には両親。内側には幼い子どもが二人。大きな布団と小さな布団が二組ずつ。
電気を消して真っ暗闇になっても、両親が守ってくれるから心配ない。
怖い夢を見たとしても、声をかければすぐに起きて慰めてくれる。
獏良はいつも安心して布団に潜り込んでいた。
一方、妹は兄のようにはいかず、寝つきが悪かった。
ぐずぐずと騒ぎ出すことはなかったが、布団の中で何回も寝返りを打つので起きているのがすぐに分かる。
たまにこっそりと獏良の手を握ってくる。
子どもらしくぽちゃぽちゃとした小さな手。
「ねむれないの?」
両親を起こさないようにそっと囁きかければ、
「さむい……」
今にも泣きそうな声が返ってくる。
獏良は小さな手を握り返し、さすってやった。
確かに手は冷たい。しかし寒いだけではないだろう。獏良の手を強く握って放さない。
どうやら獏良と違って夜が怖いらしい。それでも両親に訴えることはせず、年の近い兄に精一杯強がって助けを求めているのだ。
しばらく手をさすっていると落ち着くのか、隣からスースーと寝息が聞こえてくる。
そうすると獏良も安心して眠りに就くことができた。
何度も同じことが繰り返され、小さな手が布団に潜り込んでくれば、獏良は黙って手を握るようになった。
妹と獏良だけの秘密だ。

小学校に上がる頃になると、二人には子ども部屋が与えられた。
真新しい勉強机にベッドに本棚――。
すべて二人だけのもの。
獏良はなんだか一人前のようになった気がして、教科書や本を机に並べてみたりした。
妹も隣で兄を真似てお気に入りの絵本を本棚から引っ張り出して同じようにしていた。
もちろん両親と寝室は分かれる。
獏良は妹がますます怖がるのではと案じていたが、ベッドで寝るようになってからは声をかけられることも、手を握られることもなかった。
妹は両親がいなくても獏良がいなくても、すんなりと眠れるようになったのだ。

ある夜、獏良がぐっすり眠っていると、掛け布団を微かに引かれたような気がした。
獏良の意識が少しだけ浮上したところで、今度は手をそっと触られた。細い指が手の甲を撫でる。
――久しぶりだな……。
頭で理解しても上瞼と下瞼がぴったりとくっついていて目は開いてくれなかった。
夢現のまますぐそこにいるであろう妹に声をかける。
「眠……れ……ない……?」
呂律が上手く回らず、なんとか言葉になった程度。身体は起きてくれないようだ。
妹から返事はない。ただ小さく指が動いただけ。以前と同様に隣で縮こまっているのだろうか。
触れた手が尋常ではないくらいに冷たい。特に指先など血が通ってないのではないかと思えるほど。
これはいけない。早く温めてあげなくては。
二つの手で冷えきった手を挟んで優しくさすった。
何度もさすってもなかなか体温は上がらない。
それどころか、獏良の手まで冷えてしまう。
獏良は手を胸に抱え込み、その上から懸命に温め始めた。手首から指の先まで。指を絡ませ、指間も忘れずに。
時折、息をハーと吹きかける。
可哀想に。こんなに冷えきってしまって。細い指が枝きれのように硬くなってしまっている。
かけ算やわり算ができるようになっても、妹はまだまだ子どもなのだ。
――なんとかしてあげなきゃ……。
想いとは裏腹に、獏良はうとうとと再び睡魔に襲われていった。
冷たい手を胸に抱きしめたまま。
明くる朝、獏良がベッドを覗き込むと、妹は何事もなかったのように、すうすうと静かに寝ていた。
――よかった。
あれからちゃんと一人で眠ることができたのだ。
獏良は妹を起こさないようにそっとベッドを離れた。

*****

幼い頃の小さな思い出。
自室の机で教科書を広げていたら唐突に甦ったのだ。
教科書に小さな二人の兄妹が出てきたからかもしれない。
獏良は微笑ましいはずの思い出に頭を抱えた。
すっかり忘れていたわけではない。曖昧な記憶としてずっと側にはあった。
それまでは辻褄が合わず、所々虫に食われた不完全なものだった。半分寝惚けていたことも一因だろう。
だから今まで気づかなかったのだ。
あの夜、妹が手を伸ばすことなどありえなかったことを。
与えられた子ども部屋に用意されたのは、二段ベッド。
初めてのベッドに妹は大はしゃぎで上にすると主張した。
獏良は上下のどちらでも構わなかったので譲ってやった。
上にいるはずの妹が獏良に気づかれずに梯子を下りて、ベッドに潜り込めるはずがない。
それに記憶が正しければ、手が伸びてきた方向には壁。ベッドは壁にぴったりと寄せられていた。そこには子どもであろうとも人が入れる隙間などない。
では、あの手の感触はなんだったのだろうか。獏良が大切に温めていたあの手は。
「うう……」
心当たりが一つだけあった。
できれば記憶違いであって欲しいと頭をゆっくりと左右に振る。
あの頃は既に手元にあったはずなのだ。肌身離さず持ち歩いていた。
当然、寝るときも身につけていたはず……。
「悪夢だ……」
もうどうすることもできない過去の出来事に、獏良はしばらく一人で嘆いていた。

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了くんの身の回りに起こる怪奇現象の大体の原因はアレ。

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