ばかうけ

うねうねと来る者を惑わす虚ろな穴、深い闇の中で交わした約束。二人以外は誰も知らない。
もう一人の遊戯に敗れた後、バクラが最初にすべきことは獏良を懐柔することだった。
すぐには動かず、じっと機会を窺った。
待つことは苦手ではない。既に幾年もの時を過ごしてきたのだから、少しくらい待たされたところで退屈はしない。焦らず注意深く息を潜めて。
そのときはすぐにやって来た。
困り果てている獏良に優しく声をかける。
性格はよく分かっているから簡単だ。オトモダチという言葉を出して協力してやると言えば、あっさりと身体を明け渡した。
これで駒が一つ。とても重要な駒だ。最終局面では壊れてしまうだろうが、それまでは大事に取っておく。
多少無茶な扱いをして腕の一本くらい失ってしまっても大した問題ではない。大事に、とはそういうことだ。
ペガサス島を去ったとき、二人の関係は変わり始めていた。

バクラにとって予想外だったのは、獏良の信頼を十二分に得てしまったということだ。
獏良はペガサス島でバクラが行ったことを知らない。洞窟で遊戯を助けた後は大人しくしていたことになっている。
それでも、些かできすぎた話ではあった。一回助けたくらいで簡単に心を開くとは夢にも思わなかった。
自宅に戻った後にゆっくりと時間をかけて取り込んでいくつもりだったのだ。
今の獏良は、童実野高校に転入する前、一人で膝を抱えていた頃とは違う。友人たちと笑い合う、ごく普通の高校生になったのだ。
好奇心旺盛で人懐っこくマイペース。興味のあることには瞳を輝かせる。どこかふわふわとした捉えどころのない少年。
その少年はカチカチカチとシャーペンの芯を出しながら、バクラの顔をまじまじと見つめた。
「ねえ、君の好きな食べ物はなに?」
床に腰を下ろし、座卓の上には真っ白なノートが乗っている。
問われたバクラは返答に窮した。黙っていると、新たな質問が次から次へと飛んできた。
誕生日は。趣味は。特技は。好きな色は。好きな動物は。好きな季節は――。
自己紹介文にでも使えそうな質問の数々。
最後には、茹で玉子は固茹で派か半熟派か、などという意味があるのかさえ分からないものになっていた。
そのほとんどにバクラは答えなかった。
話を合わせて答えることもできたが、人間のように振る舞ったところで後々ボロが出てしまっては元も子もない。それなら哀れな亡霊と信じ込ませる方がいい。
「うーん。空白だらけだなあ」
獏良はシャーペンのキャップで顎を撫でながらノートを見つめて渋い顔をした。
横書きのノートには畳みかけた質問を一列ずつ順番に記してある。
その隣には少し間を空けて答えを入れられるようにしているが、答えがないのだから寂しいものだった。
「すまないな。記憶が曖昧なもんでオレ自身も分からない」
できるだけ哀れに見えるように、同情を誘うように、眉を落として獏良に真摯な眼差しを向ける。
「あっ、いや、いいんだ。僕が勝手に知りたかったことだもの」
獏良は慌てた様子で両手を交差させて身体の前で振った。
「そんなに重要なことだったのか?」
「君のことを知りたくて。友だちのことを知るには、好きなものを知るのが一番手っ取り早いと思うんだ」
失敗だったな、と小さな呟きが付け加えられる。
すっかり気落ちをしてしまった獏良をバクラは感慨もなく見つめた。
つまり、獏良はトモダチごっこがしたかったのだ。
残念ながら本人の思惑と違って空振りをしてしまったが、バクラとの仲を深めたいと思っての行動だったに違いない。
幼稚で浅はかな行動とはいえ、獏良が望むならば付き合ってやらなければならない。
「好きなものを知りたいのか?」
優しく話しかけながら、獏良の背後にある棚に視線を走らせる。
人間同士で意思の疎通を図るには、共通の話題を見つけることが重要だということは理解している。とすれば、選ぶべきものは決まっている。
「アレは好きだな」
ガラス棚に並ぶフィギュアの数々から目についた一つを指差した。
「え?」
獏良は律儀にバクラの示す方向を辿って後ろを向いた。
「あれなの?」
ぽかーんと大口を開けて呆けた顔が見る見るうちに歓喜で満たされていった。頬に赤みが差し、瞳に生き生きと光が帯びる。
立ち上がる間も惜しいのか、獏良は四つん這いでドタドタとガラス棚に擦り寄り、該当のフィギュアを取り出す。そして、再度確認のためにバクラに向かって掲げた。
バクラにしてみれば、その右のものでも左のものでも構わなかった。沢山あるうちの一つであれば正解だった。
肯定して見せると、獏良はますます嬉しそうに目尻に皺を作った。
「あの、これはね!僕が作ったんだけど」
ガラス棚から取り出したフィギュア――大きな一対の翼を持つドラゴンを座卓の上に乗せる。
「後ろ足で自立させたいのにバランスが難しくて、翼と尻尾の位置を調節するのに苦労したんだ」
獏良は身振り手振りで熱弁を振るう。
無作為に選んだものでも、どうやら大当たりだったようだ。バクラは横槍を入れずに聞き役に徹する。
少しも興味をそそられない話を聞き流しているうちに、バクラが不要な情報として処理していた記憶が頭の隅から顔を出した。
針金で作った芯に粘土で肉づけをしていく獏良の姿。
息をするのも忘れてしまうほど集中していた。
細長い指で何回も粘土を盛っては削り、納得がいくまで繰り返し、作り上げた作品。
「君に気に入ってもらえて嬉しい」
長い説明を終えた獏良は満面の笑みを浮かべた。

獏良がTRPGのシナリオを書いたり、フィギュアを作ったりしているときに、バクラは話しかけるようになった。
「もう少し角は大きく」
「こう?」
「ん。あと、もう少し胸の筋肉をつけろ」
「君ってモンスターばっかりだよねえ」
好きなことをしているときの獏良は警戒心が薄く、おまけに同じ趣味を持つ友だちと話ができることが嬉しいのか、懐に入るのは容易かった。
「いや、ここは罠を張って冒険者を陥れるところだ」
「そんなの意地悪すぎるよ。ワンサイドゲームになっちゃう。それじゃあお互いにつまらなくなる」
時にはゲームについて議論すら繰り広げる。
獏良はバクラの前で、よく笑い、よく怒るようになった。

獏良がジオラマを作ると言ってノートに何度もアイディアを描き出したときは、バクラは静かに横から見ていた。
やがて方眼紙を床に広げて設計図を引き始めた。
食事も取らず、延々と紙に向かう。ペンが紙を走る音だけが部屋を支配していた。
何もない真っ白なところに一つの世界が出来上がっていく。完成図は獏良の頭にしかない。傍らで見ているバクラには不思議な光景だった。
同じ体勢のまま数時間が経過し、さすがに「メシは?」と声をかけた。
そこで初めて獏良は我に返って顔を上げた。
汚れた手で顔を擦ったのか、頬から鼻のあたりが黒くなっていた。
「忘れてた」
呆然と一言呟くと、足をばたつかせてケラケラと笑い出した。

趣味に対する類い稀な集中力と独特の世界観から生まれた作品の数々は、目を見張るものがあった。
いくら獏良の姿形を写し取ったバクラでも真似できない。
フィギュアを好きだと言ったのは、獏良に近づくためだったが、無関心ではいられなくなった。
バクラは破壊することはできても、創造することはできない。
破壊と創造は真逆の性質を持っている。バクラの本質は破壊。可能か不可能かという以前に、成り立ちが違う。海を泳ぐ魚が空を飛べないようなものだった。
自分にはない能力を持つ少年。
宿主として本当の意味で認めたのは、このときだったのかもしれない。

「ねえ、君のために何か作ってあげようか」
ブラシで丁寧にフィギュアを払いながら獏良がそう言ったのは、直感的にバクラの心境の変化を感じ取ったからなのかもしれない。
「せっかく僕の人形たちを気に入ってくれてるんだもんね」
当然のことながら、奪うことはあっても誰かから物を貰う経験などバクラにはない。
だから、獏良の申し出に首を傾げる羽目になった。
物を貰うことがどういう感覚なのかも分からないし、注文をつけようにも何も思いつかない。
今までは目の前にあるものを欲しいと思ったときに手が出るだけだった。
獏良は答えに窮しているバクラに気づき、
「君の出身地にまつわるものとか。あー……でも、僕、王道ファンタジーものばかりだからなあ」
「魔法とか妖精とか好きだもんな、お前」
「うん。いま考えてるミニシナリオもね、妖精の商人が活躍する話で……」
どうやら話が長く続きそうだったので、バクラは丁重に説明を断った。
獏良の本棚にはTRPGのための資料が並んでいる。
写真集や指南書、様々な図鑑。どれも興味のない者にとっては、まるで理解できない代物ばかり。中世ヨーロッパに関する本が多く、獏良の趣味が窺える。
獏良はその中の一冊を取り出し、バクラに見えるように胸の前で広げた。
「エジプトの資料はこれしかないんだよ。父さんから貰ったんだけど。借りてこなきゃ」
バクラが頼んだわけでもないのに、獏良の中では製作することは決定事項らしい。顎に手を当てて思案顔でぶつぶつと呟く。
「うーん。砂地はどう表現するかなあ……」
「そんなに急がなくてもいいんだぜ」
獏良を放っておいたら別の世界にでも飛んで行きかねない。バクラは横から口を挟んだ。
あまりにも楽しそうにするので、提案を却下する気はなくしていた。
「君の故郷なんだから、中途半端じゃ申し訳ない。やるなら拘りたいよね。そうだ。父さんに頼んで模型を見せてもらって……」
きっと頭の中では図面ができつつあるのだろう。獏良のしなやかな指が指揮者にでもなったかのように宙を泳いでいる。
唇からは微かな吐息が漏れて小さな音を奏でている。
もし計画が実現したら、どんな作品になるのだろうか。
他のものと同じように、もしかしたらそれ以上の素晴らしい出来映えになるかもしれない。
バクラが知っている景色を獏良が再現する。この上なく魅力的な計画に思えた。
「君が望む世界を僕が作るよ」
優しく向けられる微笑みに、バクラはほんの少しだけ高揚していた。
バクラにとって唯一無二の創造主がすぐ近くにいたのだ。

----------------

(少なくとも私には)暗く複雑になりがちなところに、ちょっとだけ希望を持たせてみました。
妖精の商人は東映版アニメの小ネタです。

前のページへ戻る