父親が獏良に向かって手のひらを広げる。顔の前で両手をゆっくりと交差させ、逆戻りをする。
獏良は固唾を呑んでそれを見守っている。目に映る手のひらには何もない。
続けて、父親は右手で拳を作り、左手でそれを指す。
「三、二、一……」
かけ声に合わせてパッと開かれた手のひらには、包み紙を両端で捻ったキャンディ二つ。ころんと収まっていた。
獏良は瞬きせずに見守っていた。それなのに、突然現れたキャンディ。
考え込む獏良を前にして、父親は得意気に片頬を上げている。
いくら手のひらを見つめても、どういう仕掛けなのか分からない。
やがて、獏良は降参と言う代わりに、両手を前に差し出した。
その上にキャンディが落とされる。
多忙である父親がたまに自宅へ帰ってくると見せてくれるお決まりの手品。
内容は毎回同じでも、出てくるものは違った。
キャラメル、チョコレート、ヌガー、ビスケット……。
握り拳に収まる程度で、量はとても少ない。
口に入れるとすぐに失くなってしまうから、じっくり一つずつ味わう。
いつものおやつより特別に美味しいような気がして、獏良は手品の時間を楽しみにしていた。
父親も息子との限られた触れ合いの時間を大切にしていたに違いない。獏良が大きくなるまで一度も欠かすことはなかった。
仕掛けなど、どうでもよかった。父と子の大切な時間だったのだ。
「何のことはないんだよ」
獏良は左手で頬杖を突き、右手をぶらぶらと遊ばせて空中で振った。
軽く指を折り畳んでから開くと、手のひらの中央に十面ダイスが現れる。
特に感動なく現れたそれを机に置く。
幼い頃に目を輝かせていた手品は、とても簡単な仕掛けで成り立っていた。
袖の中に隠しておいたものをバレないように手の中に滑り込ませるだけだ。手品の基本中の基本。
手先の器用な獏良は、少し練習しただけで簡単にできるようになってしまった。仕掛けさえ理解してしまえば呆気ない。
もしかしたら、父親よりも上手くなっているのかもしれない。
昔の父親は、獏良にとって完全無欠の魔法使いだった。
仕掛けを知ってしまった後に失望はしなかった。
むしろ、子どもを喜ばせようとしてくれるいい父親なのだと思う。
ちょうどサンタクロースと同じだ。
毎年プレゼントをくれていたのは、空飛ぶトナカイのソリに乗ったサンタクロースではなく、実は父親だったのだと知ったときと同じ。
魔法がなかった事実は少し残念ではあるが、それで父親を嫌いになんてならない。
獏良はまた空中で片手を振った。
コロンと飛び出したのは、先ほどとは色違いのダイス。
こんなにも単純なことで幼い頃の獏良は喜んでいたのだ。
誰かを喜ばせることは、とても難しいことなのだと思う。
大袈裟なプレゼントを用意しても、心に届かないことだってある。
父親は手に収まるほどの菓子でやってのけたのだから、魔法使いやサンタクロースではなくても、やはり凄いのだ。
獏良がこの手品を上手くやったとして、誰かを喜ばせることができる自信はなかった。
一番身近な存在には、すぐに仕掛けがバレそうな気がした。
そういうことになると、とても目敏い。
それに、キャンディやチョコレートを出したところで喜ぶはずかない。
何なら喜ぶか――。
――千年アイテム……?
いやいや、と首を横に振る。そもそも千年リング以外持っていない。
千年眼のレプリカなら手の中には収まるが、だからどうしたという話だ。
「うーん……」
獏良はダイスを弾き、くるくると回る様子を見つめながら思案に暮れた。
獏良がバクラに向かって手のひらを広げる。顔の前で両手をゆっくりと交差させ、逆戻りをする。
バクラは構えることなくそれを見つめている。手のひらには何もない。
続けて、獏良は右手で拳を作り、左手でそれを指す。
「三、二、一……」
かけ声に合わせてパッと開かれた手のひらには、小さく折り畳まれた紙片が収まっていた。
バクラは現れたものには関心を示さず、獏良の袖口を指差し、そのまま肘に向かって滑らせた。
「やっぱりダメだったかー」
「くだらねえ。一体何をしたかったんだ」
少しもバクラを悩ませることなく、手品の仕掛けは容易くバレてしまった。
もしかしたら、少しは驚かせられるかも、と期待はしていたのだ。
「さすがイカサマが得意なだけある」
獏良は頬を膨らませて見せ、
「おい……」
抗議には構わず、手品で出した紙片を改めてバクラに見えるように持ち替えた。
「正解の賞品です」
小さな紙片を少しずつ開いていく。広げた紙の端をぴしりと引っ張り、折り線だらけの面を見せた。
紙は沢山の小さな文字で埋まっている。
バクラは怪訝な顔で目を細めた。
「君のために書いたミニシナリオ」
広げた紙から顔を半分覗かせた獏良は、少し不安げにバクラの反応を窺っている。
「それは悪くない趣味だ」
どうやら、手品は成功したようだった。
----------------------
キミを喜ばせたくて。