先生が「今日はギフトボックスを作ろう」と言った。
予め持ってくるように指示をされていた空き箱を使うのだという。空き箱に装飾を足すだけの簡単なものだ。
デザインは生徒たちに一任された。もしかしたら、自主性を育む目的があるのかもしれない。
スタートの合図で生徒たちはそれぞれ箱作りに没頭した。好きなようにしていいと許可が下りれば、水を得た魚のよう。
男子は格好いいものを作るのだと、派手な色の色紙やペンを駆使し、女子はビーズやフェルトで可愛らしく飾り立てる。子供らしく、自由に、好き勝手に。
獏良はそのどちらとも違っていた。
まず頭の中に明確なイメージがあり、それを有形化すべく自由帳に設計図を描いて工程を組み、持ち前の巧みな手さばきで順序正しく進めていった。
先生の説明から頭に浮かんだのは宝箱。海賊が孤島に隠すような。中には財宝がたくさん詰まっている。
アーチ型の上蓋は上下開閉式で、鍵穴が中央にある。金色の補強金具で囲われた縁に、幾つも打たれた小さなビス。
空き箱に色紙を張りつけ、上から更に絵の具で丁寧に塗装をし、宝箱の重厚な質感を出す。金色の折り紙で鍵穴やビスのパーツも作った。
出来上がったのは、幅二十センチ、奥行き十センチほどの宝箱。
粗方の生徒が箱を完成させると、先生は中身も考えるように呼びかけた。
獏良はとんとんと指で顎を突いて考える。作ったのは宝箱なのだから、素敵なものが入っているに違いない。中身は箱に釣り合うものでなくては。
折り紙で作ったメダル、半透明でキラキラ光るサイコロ、お気に入りの恐竜の消しゴム、お祭りで買ったラムネのビー玉、海で拾った綺麗な色の貝殻。
大人にとってはガラクタでも、子どもにとってはそれこそ宝物。
獏良は一つずつ宝箱の中に詰めていった。
一つだけでは物足りなくても、たくさん詰めれば何となく様になる。
宝物は獏良のお気に入りで満たされた。
満足のいく出来映えに、獏良は誇らしげに宝物を見つめた。
喜んでいるところに水を差したのは先生の一言だった。
「完成したら友だちと交換しましょうね」
生徒たちのざわめきが一層大きくなる。
一斉に仲の良いクラスメイトに呼びかけ始めた。
にわかに始まったプレゼントの交換会。
獏良は完全に取り残されていた。
「友だち」と言われても、思い浮かぶクラスメイトは一人もいなかったのだ。
クラス替えをしたばかりで、仲の良い子とは離れてしまった。クラスメイトの名前を覚えるのに精一杯。
尻込みをしているうちに友だち作りにすっかり出遅れて、既に幾つも出来上がったグループに入るタイミングを失っていた。
周りを見渡せば、それぞれが相手を見つけてきゃいきゃいとはしゃいでいる。
隣の席の子も獏良に背中を向けて他の子と会話に夢中になっている。とても話しかけられる雰囲気ではない。
「ギフト」ボックスなのだから、自分のためのものではないと何故気がつかなかったのか。
まごついている獏良をよそに、先生は時計の針をちらりと見上げ、手を二回打ち鳴らした。
「はいはい。それでは時間ですから、あとは各自でね」
生徒の熱気が冷めないまま休み時間に突入する。
獏良は席にポツンと座ったままでいた。
工作は完璧にできたはずなのに、先生の指示の通りにできない。テストで百点が取れたはずなのに、名前を書かずに零点にされてしまったような気分だった。
授業の肝は工作そのものであって、完成品を誰に上げたかなんて、わざわざ後から確認はしないだろう。
クラス替えして間もない生徒たちのために、先生が気を利かせてオリエンテーションの一環としたのかもしれない。
真実がどうであれ、机の中にこっそりしまっても分からないはず。
それでも生徒である獏良にとって先生の指示は絶対だった。大人の思惑など関係ない。子ども故に素直すぎてしまうともいえる。
完成させた宝箱をどうにかしなくてはならない――それしか考えられなかった。
獏良は宝箱を手に隣のクラスへ走った。クラスは別れてしまったけれど、いつも遊んでいた子に渡せばいい。
引き戸から教室の中を覗くと、クラスメイトと談笑をする友だちの姿があった。あとは声をかけて渡すだけ。
しかし、どうしても教室の中に足を踏み入れられない。
知らない子と楽しそうに話す姿を見ていると、遠い世界に行ってしまったような気になってくる。ついこの前までは一緒にいたはずなのに。
結局、獏良は友だちに宝箱を渡すことはできなかった。
宝箱を両手に持ったまま肩を落として帰路に就くことになった。
夕焼けの茜色に照らされる通学路をとぼとぼと歩く。
舗道に細長く延びた影と遠くで聞こえる烏の鳴き声が、なんとも表現し難い物悲しさを掻き立てる。
このままだと誰にも渡せないまま家に着いてしまう。家には両親も妹もいる。宝箱を渡したら受け取ってくれるだろうが、家族であって友だちではない。
先生は「友だちと」と言ったのだ。
自分には友だちがいないのか――。
気づきたくなかった事実に暗い感情が腹の底に降り積もる。
情けなくて涙が出そうだった。
友だちがいないだなんて、いくら工作が上手くても意味がないではないか。
出てきてしまいそうな弱音を閉じ込めるために唇を噛む。
――こんなの、いらない。
せっかく作った宝箱を両手から放り出してしまおうかと思ったとき――。
「それ、すてるの?」
夕日を背に一人の少年が道の先に立っていた。
「とてもステキだね。いらないならちょうだい」
逆行で顔はよく見えない。クラスメイトではなく、恐らく初対面だということは辛うじて分かる。背格好は獏良と同じくらい。
確かに宝箱をあげる相手を探してはいたが、見知らぬ少年にあげていいものか。
獏良が逡巡していると、少年はもう一度「ちょうだい」と繰り返した。
こんなところで悩んでいても仕方がない。悪戯に日が沈んでしまうだけだ。
知らない子なら今日から友だちになればいい。獏良は一つ頷いて少年に微笑みかけた。
「うん、いいよ」
小さな宝箱を両手で差し出すと、少年も受け取ろうと手を前に出し――。
――ぞわり。
獏良の背に悪寒が走った。宝箱を持ったまま身体が凍る。
後ろに何かいる。
「それ」は音もなく突然現れ、冷たい吐息ががふうと獏良の耳に吹きかけた。
空気がそこだけ重くなったような、背中に重圧を感じた。
何かがすぐ後ろで獏良をじいと見つめ、呼吸している。
今にも飲み込まれてしまいそうなほど強烈な気配。
獰猛な肉食獣にも、鋭い牙を持った爬虫類にも思える。
後ろを振り返ることはできない。よくないものだと本能が告げている。
場にぴりぴりと緊張感が張り詰める。
「逃げよう!」
少年は宝箱を受け取ろうとしていた手をそのまま伸ばし、獏良の腕を掴んで走り出した。
目が眩むような赤で染まった道を走る影二つ。
その後ろには得体の知れない何かがぴたりと張りついている。
少年に導かれるままに右へ左へ道をでたらめに進み、行き当たった十字路を対面に抜け、住宅街の細道へと入り込む。
どんなに先へ進んでも後ろを振りきることができない。
少しでも足を止めたら追いつかれてしまうだろう。
――こわい!
捕まったらどうなるのだろうか。
どこか遠くへ連れていかれるかもしれない。頭からバリバリ食われてしまうかもしれない。
手足が冷えて感覚が遠退く。毛穴から汗が噴き出す。視界がちかちか明滅して狭まった。
――黒くて大きくて怖いのが、くる。
それは、とても悪いもの。一切の光を受けつけない。太陽をも飲み込む、人間の手には負えない超常的な存在。
先を行く少年の手だけが頼りだった。
息が乱れ、足がもつれそうになる。
時間帯のせいか人通りはなく、左右に住宅の高い塀ばかりが続く。
途切れた塀の角を曲がったところで、背後の気配が唐突に霧散した。
同時に少年がぴたりと足を止める。
曲がり角の先は行き止まり。大きな一軒家の背面に当たり、袋小路となっている。
三方を建物に囲まれているせいで光がほとんど届かず薄暗い。
少年が立ち止まったのは、行く手を塀に阻まれたからではなかった。
赤く染まった舗道の先に侵食する薄闇の中、それはいた。
いつの間に先回りされたのだろうか。
塀に背を預け、獏良と少年を睨んでいる。
獏良は恐ろしい気配から身体の大きな化け物を想像していたが、二人の前に立ちはだかっている者は人間の姿をしている。
大きくとも何ともない。それどころか、背は獏良とそう変わらないように見える。
鋭い牙を持った大きな口があるわけでも、堅くて太い毛に覆われているわけでもない。
しかし、視線は刃物のような鋭さを持っている。
「どこへ行く」
それは重々しく口を開いた。
「いや……。どこへ連れていく、か」
獏良は質問の意味が分からずに眉を潜めた。
少年の方は立ち竦んだまま前方を見据えている。
「放せよ」
獏良の手首を掴んだ手に力がこもった。
「イヤだ。この子はボクの友だちだ。友だちの証だって貰った」
「貰った?まだそれはお前のものじゃない」
どうやら「怖いの」は、少年と会話がしたいらしい。そして、その中心には自分がいる。
獏良はぼんやりと理解をして、口を挟むべきか判断できずにいた。
「おい、そいつは絶対に渡すなよ」
突然声を投げかけられ、獏良の背筋が伸びる。
暗がりの中から伸びた指を辿れば、少年に渡せず手に持ったままの宝箱。
「この子はボクのだ!早くそれをちょうだい」
「渡すな」
まったく正反対の要求を突きつけられて獏良は狼狽えた。
普通ならば、人間の形をしているとはいえ、得体の知れない何かの言うことを聞くなんて言語道断だ。迷うことなどない。
しかし、不思議と怖いのの言葉には強い力があり、耳を傾けなくてはならないと思ってしまう。少年は助けようとしてくれているというのに。
獏良が躊躇っている間にも、手首に少年の手が食い込んでいく。
「この子はボクの。ちょうだい。ボク、ボクが見つけた。ボクのボクの友だち。友だち。ちょうだい。さみしいい。ボクが、ボクの、ずっといっしょ……」
少年はぶつぶつと早口で同じような言葉を繰り返した。
強すぎる気配に圧倒されて気づくのが遅くなったが、少年の異様な言動に獏良の中に猜疑心が生まれる。
どちらを信じたらいいのか。この状況ではどちらからも逃げ出したくなっていた。
「ハハッ。そんなに欲しいか。残念だったな。お前の出る幕じゃねえんだ。そいつにはとっくの昔に先約が入ってんだよ」
空に向かって張り詰めた空気を引き裂く高笑い。そして小柄なはずの体型からむくむくと激しい敵意が膨張していく。
獏良には薄闇の中にさらに濃い闇が生まれたように見えた。
「消えろッ!」
怖いのが鋭い声を上げて右腕を大きく払うと、「ボクの……」と小さな声を残して少年が煙のように掻き消えた。
「え……っ」
そんなバカな。獏良はたった今まで少年のいた場所を凝視した。手首にはまだしっかりと感触が残っているのに少年の影も形もない。
何事もなかったように、怖いのは余裕たっぷりに影の中に身を置いている。
「なあ」
「うっ、うん?」
「オレにそれ寄越せ」
真っ白な細い腕が獏良に向かって影から伸びる。
宝箱を渡してしまったら、得体の知れないものと縁ができてしまうかもしれない。獏良にはそんなことは考えられなかった。
変なことに巻き込まれた曰く付きのものなど、さっさと手放して家に帰りたい。それだけだった。
「……はい」
沈みかけの太陽の光から闇の中へ。赤から黒へ。獏良の手から渡された。
「もう二度と知らないヤツに物なんてやるんじゃねえぞ」
「う、うん……」
「あと、簡単に気を許すな」
「うん……」
獏良は気圧され、深く考えずに首を縦に振るだけ。
それでも影の中の者は満足げに鼻を鳴らし、獏良に念を押すと、闇の中へ溶けて消えていった。
あとは静まり返った袋小路があるのみ。
人っ子一人いなかった。
翌日、獏良は登校中に交差点の隅でひっそりと花と玩具が供えられているのを見つけた。
そういえば少年と会ったのはこの近くだったと気づき、何となく小さく頭を下げて通りすぎた。
昨日起こったことはなんだったのか、得体の知れない何かの正体も分からない。
もしかして、宝箱を渡してしまったから友だちになったことになるのだろうか。
ぞくぞくと走る寒気に身体を震わせ、浮かんでしまった怖い想像を忘れるために学校へと急いだ。
闇から伸びた白い手が目に焼きついたままに。
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物語が始まる前。