一つの駒が細い一本道を進む。その道は直線ではない。ぐねぐね曲がりくねってみたり、ぐるぐる螺旋を描いてみたり。
サイコロの出た目に従って進む。一マス進んで、ラッキーお小遣いアップ。三マス進んで二マス戻る。五マス進んで一回休み。なかなか前へ進まない。ゴールはまだまだ遠い。
ストップ、運命の分かれ道。サイコロを振って奇数が出れば、報酬たっぷりの複雑かつ長い道のりへ。偶数が出れば、金も名誉も手に入らない代わりに短くて楽な道のりへ。
後戻りはできない。選び直すこともできない。サイコロの出た目がすべて。
願いを託して振るう。手から飛び出した運命のサイコロ。コロコロと面を変えながらボードの上を転がる。出た目は……。
夢見るカゲロウ
獏良は迷っていた。鋭い視線に捉えられて。その場を誤魔化して逃げる選択肢はない。下手なことを言おうものなら、飛びかかってくるかもしれない。
早く答えろと獏良のものよりも深い緋色の瞳が急き立てる。
許されるのは、イエスかノーか、どちらかの答えのみ。まるで、生きるか死ぬか、銃口を胸に突きつけられた、命のやり取りをしているかのような緊迫した雰囲気。
実際の会話は、命だの恫喝だのとはまったく無関係の内容だった。
人智を超えた力を秘める古代遺物を依り代にして現世に存在し続ける魂と、その魂に手となり足となる器として寄生された宿主。
縺れた糸のように複雑に絡んだ二人の関係は、大きな転換期を迎えようとしていた。
麗らかな休日の午後、いつになくバクラが大事な話があると声をかけてきた。
一方的な会話を強いられてばかりの獏良は神妙な面持ちで頷く。わざわざ柄にもなく断りを入れるとは、よほど切羽詰まった状況なのだろうか。様々なことが頭を駆け巡る。
どちらからともなくカーペットの上に向かい合って正座をした。
しばらくの間――時間にして数十秒でも、獏良には半時にも感じられた――静寂が続き、バクラが重々しく口を開く。
「お前をオレのものにしたい」
それまで獏良は、「ちょっと人を殺してきた」と言われるかもしれないと覚悟さえしていた。一瞬呆けた顔をしてから、慌てふためいて、「は?」と声を上げる。
「えっと、それは……支配したい……的な?」
すぐに頭が追いつかず、 少し間の抜けた調子で訊き返した。
「されたいのか?」
怪訝そうに顔を覗き込まれ、慌てて首を横に振る。墓穴を掘ってどうする。居住まいを正し、両膝に手を乗せて、顔を引き締める。
バクラは咳払いを一つして、改めて獏良の問いに答えた。
「お前が欲しい。心も身体も、すべてだ。すべてオレのものにしたい」
獏良は口をあんぐりと開き、バクラの顔を凝視した。ふざけた様子はなく、とても冗談を言っているようには見えない。
――ど……どういうこと??!これ!どういう状況?!
膝を抓り、叫びだしたいのを何とか堪える。背筋を伸ばした姿勢は保っているものの、パニックに陥った。
バクラは獏良を利用しようとしていたはずだ。何かの間違いではないか。
よくよく考えてみれば、最近は記憶を失うことが少なくなった。あったとしても短時間だ。乱暴なこともされなくなった。
それどころか、何度か助けられたこともある。それは器を失わないためだと獏良は思っていたが……。
全部、好意によるものだった――?
俄には信じがたい。
「いつ……?いつから?」
疑問を真っ向からぶつける勇気はなく、言葉を濁して相手の出方を窺う。俯き加減に、しかし視線は外さないように上目遣いで。
「いつ……と言われてもな。気づいたら、そうなってたっつーか……。お前の中にいるうちにオレの気が変わっていった。元々、お前以外の宿主なんて考えられねえし」
バクラは顎を擦り考えながら言葉を紡ぐ。途切れ途切れで不器用な言葉は流暢なものよりずっと真実味がある。演技であるならば、もっと明確な答えを提示するはず。
「それ……僕が受け入れたら、どうなるの?」
獏良の口の中は緊張と焦りで既にからからに渇いている。張りつく口蓋を苦労して引き剥がした。
これが普通の人間が言うところの告白なら、受け入れれば恋人関係になるはずだ。しかし、相手が人間の常識というしがらみから抜け出した存在であるバクラであるならば話は変わる。普通の恋人関係を望んでいるのかも分からない。それに、バクラと仲睦まじくする未来など、どうしても想像ができない。
「どうなるって……」
バクラはそれまで動くことのなかった視線を斜め下に向けた。
「決まってるだろ。言わせんなよ」
蝋のように白い肌にほんの少し赤みが差したように獏良には見えた。
――照れた?!頭の中で何されてるんだ僕は!
反対に身の危険を感じた獏良の顔からは血の気が引く。背筋がぶるぶると震えた。
「お前にしては直球なんだ。もっと、僕に気づかれないように画策するものだと思ってた」
「することも考えたが、上手くいく気がしねえ。なら、ありのまま言った方がいいだろ。特にお前みたいな奴にはな」
どういうこと、と訊ねようとして、バクラの言わんとしていることを獏良は先に理解する。遠回しに伝えられても、行動を起こされても、気づくことはなかっただろう。気づいたとしても、疑っていたかもしれない。
一方で、真っ向から伝えられたことで逃げ場を失った気もした。
「で?」
バクラから発せられた一文字に獏良の頭が横に傾く。そのままそっくり音を真似る。
「で、答えは?」
続く言葉に息が止まりそうになる。
答えはもちろんノーだ。受け入れられるわけがない。しかし、言い切れない何かが獏良の心の中に引っかかっている。多分、バクラのことを知りすぎてしまったから。
「……もし、嫌だと言ったら?」
バクラの瞳に僅かだが影が差した。表情は変わらない。
「何も変わらねえよ。元のオレとお前に戻るだけだ」
感情を感じさせない淡々とした口調だった。
獏良は再び考える。これまでのこと。バクラの言ったこと。自分の気持ち。
ノーと言えば、恐らくこの会話自体がなかったことになる。普通の人間ならば多かれ少なかれしこりが残るはずだが、バクラが変わらないと言うならその通りになるのだろう。
まずはお友だちから……などという甘い答えは許されない。今求められているのは、イエスかノーか。
サイコロに委ねてしまいたかった。出た目に従うだけで、責任を持たなくて済む。
悪い結果が出たとしても、全部サイコロのせいにしてしまえばいい。獏良がもっとも好むゲームのように。
答えを躊躇う獏良の指に白い指が絡む。驚いて手を引こうとするもビクともしない。
指の間、第二間接の辺りに入り込んだまま。
「うん――」
絡む指がぴくりと震える。
「――って言ったら、もう乱暴なことはしない?企んでいることを諦めてくれる?」
「驚かすんじゃねえよ!!」
さすがのバクラも血相を変えてがなった。動揺に喘ぎ、毛を逆立てんばかり。そして、乱れた呼吸が整ってから、
「善処はする。なるべくお前の意思を尊重する」
きっぱりと言い切った。
獏良は困ったように笑った。
「なんだか、お前らしい……」
すべて聞き入れることはできないと暗に言っているのだ。誤魔化しもせず、隠そうともせず。かえって清々しい。
「いいよ。今はお前のものになる。僕のこと『なるべく』大切にしてよ。もし、お前が……」
獏良の言葉は最後まで続かなかった。伸びた両腕に強く抱かれたからだ。
「オレの宿主……」
恍惚と繰り返される声を聞きながら、獏良は言いそびれた言葉を胸にしまった。
――もし、お前が遊戯くんたちを傷つけたら絶対に許さないから。
きっと、そんなことは分かっているはず。あえて今は言わなくていい。
獏良も腕を回し、バクラの後頭部を撫でた。
そのときが来るまで、恋をしてみるのも悪くはない。キスをして、抱き合って、普通の恋愛を精一杯楽しむ。二人は期限つきの恋人。後悔はしない。自分で選んだ道なのだから。
獏良は腕の中でその温もりを感じた。
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好きとは謀略は両立する。