ばかうけ

人魚姫は王子さまを殺せずに海の泡となってしまいました。
愛しい王子さまを思いながら。
ゆらゆらゆらゆら
漂い続けました。


ずぶっ
「わっぷ」
獏良はすんでのところで、完全に体勢が崩れるのを防いだ。
浴槽の湯が大きく揺れ、波を描く。
「あぶな……。溺れるとこだった」
ぼーっとしていたとはいえ、浴槽で溺れかけたなど、とても人に言えない。
二度目が起こる前に、さっさと上がることにした。
脱衣所には衣服と千年リングが無造作に置かれていた。
洗面所の曇った鏡を拭い、自分の姿を映した。
赤く染まった肌と濡れそぼった髪がどこか官能的に見える。


人魚姫は声を魔女に取られたせいで、王子さまに自分の気持ちを伝えられません。
海の底で育ったので、文字を書くことも出来ません。
ただ黙って王子さまを見つめることしか出来なかったのです。


獏良はゆっくりと唇を開き、一つ一つ確かめるようにして呟いた。

「あ、い、し、て、る」

どうして、この短い言葉が分かってもらえなかったのだろう。
どうして、人魚姫の気持ちに気づいてあげられなかったのだろう。
ずっと瞳で語っていただろうに。
鏡に映った自分の色素の薄い瞳をじっと見つめてみた。
「……」
言葉じゃないと伝わらないのだろうか。
放っておいた千年リングをつまみあげ、静かに問いかけた。
「愛してるって言って欲しい?」
身につけているわけではないから、姿を現すことは出来ないだろう。
「……別に」
さして興味が無さげな声が返ってきた。
「本当に?じゃあ、もう絶対言わないよ」
「誘ってんのか?」
色を含んだ声に、少しむっとしてリングを睨みつけた。
「すぐそれ。ムード無いこと言わないでよ」
「全裸の奴が何言っても説得力ねえぞ」
獏良は自分の身体を眺め回し、一糸まとわぬ姿だということを思い出した。
「本当だ」
「早く身体拭けよ。風邪ひいても知らねえぞ」
「心配してくれてるの?」
「まあな」
不器用な返事しか出来ないバクラは微笑ましく、またとても愛しいと思う。
不意に起こった衝動のままに、リングに口を寄せた。
「あ、い、し、て、る」
先程と同じように言葉を紡ぐ。
「絶対言わないんじゃなかったのか?」
「僕が言いたくなっただけだよ」
伝えられるものは、伝えておきたいではないか。
「嬉しい?」
「……」
「照れてる?」
「聞くんじゃねぇよ!」
慌てた様子の声にけらけらと笑い声を上げ、満足げににっこりと微笑みを浮かべる。
「僕にも言ってよ。そうしたら僕もバクラと同じ気持ちになれるからさ」
「……服着て、リングを付けたらな」
「ホント?」
「言ってやる」
膳は急げと手早くタオルで身体を拭く獏良に向かって、言葉が付け加えられた。
「言葉よりも確実に伝わる方法を教えてやるよ」
「なに?」
バクラから問いの答えが聞けるとは予想外だ。
手を動かしながら、聞き耳を立てる。
「キス」
一瞬ぴたりと動きが止まり、
「ぶはっ」
吹き出した。
「あはははっ!したいの?」
「してぇな」
獏良とは対称的に響く真面目な声。
「僕もしたいよ」
それに応えるように、甘い声で囁いた。
着替え終えた獏良は、千年リングをかける。
「して?」
「仰せのままに」
伝わらないなら思いを乗せて贈ろう、愛のしるしを。

----------------------

甘え上手な獏良とバクラ。
人魚姫は泡になった後、人間の魂を手に入れるまで、ずっと待ち続けているのだとか。

前のページへ戻る