「……」
バクラはリビングで突っ立ったままガシガシと頭を掻いた。
暇だった。
昨晩から明け方までTRPGのシナリオ作りをしていた獏良は、疲れたと言って奥に引っ込んでしまった。
今なら好き勝手に動きたい放題なのだが、取り立ててすることがない。
この疲れきった身体で外に出るのは、自分はともかく、獏良に与える影響を考えてみればさすがに気が引ける。
かといって、このまま何もしないのは間抜けな話だ。
ぐるぐると思考を廻らせ、ふと昨晩はきちんとした食事をしていないことに気付く。
「とりあえずメシか」
体調のせいで今は胃に負担をかけるような物は食べたくない。
だから早く寝ろと言ったんだと毒づき、めぼしい食料を探す。
当たり障りがなく手軽な食べ物というと、食パンしかなかった。
トースターに放り込み、タイマーを回す。
「これだけかよ」
食パン一枚。
彩りも何もあったものではない。
未練がましく食卓を見回すと、以前獏良が飲んでいた紅茶の缶が目に入る。
紅茶の味など分からないが、お世辞抜きで美味しかった記憶がある。
バクラは缶を掴んだ。
獏良の行動を思い起こし、それをなぞっていく。
湯を沸かし、急須に葉をいれ、そこに湯を注ぐ。
意外と工程を覚えていて、障害なく事は進む。
それだけよく見ていたのだということだ。
次は……急須を揺すっていた?
記憶のままに急須をゆっくりと回してみるが、なんの効果があるのか分からない。
やり方が正しかったのかは定かではないが、後はカップに注ぐだけだ。
零さないように慎重に急須を傾けると、心地良い香りが鼻をくすぐった。
悪くない……それどころか、上出来に入る部類ではないだろうか。
さらに冷蔵庫を引っ掻き回して、小さな瓶を取り出した。
獏良が勿体ないと言ってあまり使わないジャムだ。
景気良く掬い上げようとして、ぴたりと止まる。
獏良は小さなスプーン一杯分しか入れていなかった記憶がある。
しぶしぶ抑えめに掬い入れて掻き回した。
これで完成のはず。
試しに一口すする。
「……」
何かが違う気がした。
もう一口。
美味しい。
しかし以前、獏良を通して感じた味とは違う。
獏良の淹れた紅茶はしつこくなく、控えめな甘さで、後味がさっぱりとしていた。
この紅茶も美味いが、求めていたものとは違う。
茶葉もジャムも同じで、分量も変わらないはずなのに、どこが間違っていたのだろうか?
「自分で淹れたの?」
突然降ってきた獏良の声に、幾分か気まずさを感じる。
後ろめたいことをやったわけではないが、何となく見られたくない現場を見られた気がするのだ。
獏良の問いには答えずに、無言でカップを流しに向ける。
「わ、ちょっと待ってよ。気に入らなかった?その紅茶もジャムも高かったんだよ。勿体ないよ」
起きがけの割には素早い状況判断にバクラは苦笑いを浮かべる。
獏良の主張に従って、中身を流してしまうのは諦めた。
「別に気に入らねぇってわけじゃねぇよ」
「気に入ってたら捨てないよ。……しょうがないなぁ。僕が淹れてあげるから、交代」
なすがままにされるのは気に入らないが、淹れ方のどこが違ったのか検討してみる価値はある。
バクラは大人しく主導権を受け渡すことにした。
獏良が優しい手つきでヤカンからお湯を注ぐ。
「変わんねぇじゃねぇか」
特に茶を淹れる秘訣があるとは思えない。
バクラの呟きを耳にして、
「そうだね。第一僕はお茶の美味しい淹れ方を知ってるわけじゃないし」
新しいカップに紅茶を作りながら答える。
「でもさ、むかし母さんから聞いたんだけど、淹れる人の気持ちによって味が変わるんだって……はい、出来た」
バクラはゆっくりと紅茶に口をつける。
「おいしい?」
その問いに答えはなかったが、少しだけバクラの表情が和らいだ。
「母さんが言ったことが正しいかなんて分からないけど、あながち間違ってないかもね。人によって微妙に違うもの」
確かに獏良の紅茶は先程の紅茶の味と違っていて、ほのかな甘みが優しく、心が安らぐ感じがする。
「バクラの淹れたの、飲んで良い?」
「構わねぇけど、味の保障はしねぇぞ。後から文句言うなよ」
ぞんざいな口調で気恥ずかしさを隠し、バクラが奥に引っ込む。
「っつーか水分取りすぎだろ」
「気にしなーい」
こくりと喉を鳴らして、カップの中身を飲み干す。
とても味の良し悪しを聞ける性分ではない。
固唾を飲んでバクラが見守っていると、
「うん……おいしいよ」
ほうと息を吐いて獏良が微笑んだ。
「そうか?」
そうは思えない。
獏良の淹れた紅茶の方が、バクラには美味しかった。
「ん、おいしい。淹れた人によって味は変わるけど、飲む方によっても変わると思うんだ。僕にとってはとても美味しいよ。ご馳走様」
さらりと嬉しいことを言われた気がした。
「おい、どういう意味……」
問う前に表に出され、獏良は部屋に閉じこもってしまった。
「あ、冷蔵庫にハムとサラダの残りがあるから、食パンに挟んで食べると良いよ」
「急になんなんだよ。そんなことより答え……」
「僕、眠いからッ」
ぴしゃりと言い放ち、バクラに二の句を継がせない。
「おい、てめぇ」
返答はもうなかった。
明らかに最後の言葉は照れ隠し。
「ったく素直じゃねぇなぁ」
バクラは人の事を言えた義理ではないセリフをぽつりと吐いた。
似たもの同士の遅い朝食は少し冷めていたけれど、いつもより美味しく感じたとか。
詳しいことは本人の胸の内に秘められている。
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のんびりお茶の時間。
お茶の楽しみ方ってホントにいっぱいあるんですね。
マシュマロ入れたりとか…。