ばかうけ

意識が遠のく時、嫌な予感がしたんだ。
とても疲れてたから、良い夢は見ないだろうなって。
悪夢を見ると、ぐっすり眠ったはずなのに大抵疲れはとれない。
そうなったら嫌だなぁ……。
……


「おはよう」
獏良が目を開けると、よく知った顔が目の前で微笑んでいた。
そこは見たこともない、広い部屋の中。
床も壁も全て白で家具は一切ない。
「それとも、おやすみの方が良いかな?ここは夢の中だから」
「え……?」
何を言っているの?そう尋ねようとしたが、その前にもっと大きな疑問が口をつく。
「なんで、僕?」
目の前に立っているのは間違うことなく、獏良 了の姿をしていた。
「なんでって言われてもなぁ。夢の中だからだよ」
「ユメ?」
そういえば、妙に現実感に欠ける。
あるのは奇妙な浮遊感だ。
夢の中なら何があってもおかしくない。
ぼんやりとした頭で納得してしまった。
「たまには自分と話すっていうのも良いんじゃないかな。変な感じがするけどさ」
もう一人の獏良が友好的な笑みを浮かべた。
つられて獏良も笑う。
夢なんだからなんでも良いやと、軽い気持ちになる。
学校のこと、家族のこと、ご近所のこと、身の回りの様々なことを話した。
ふだん言えないこともすんなりと言えた。
相手の相槌が心地よい。
自分なのだから、獏良の言うことを全て受け止めて頷いてくれるのだ。
「あいつには困ったもんだよねぇ」
もう一人の獏良がしみじみとそう言ったことから、バクラの話になった。
日頃の仕打ちに怒りが溜まりに溜まっていた獏良は、ここぞとばかりに捲し立てた。
いちいちもう一人の獏良は、神妙な顔で頷いてくれた。
「もう、ほんっとに迷惑なんだから」
「うんうん。そうだよね……あいつのこと、きらい?」
もう一人のストレートな問いに、獏良は言葉に詰まった。
「え……今までそんなこと考えてなかったから……うまく言えないよ」
答えには戸惑ったが、嘘は言わなかった。
獏良にとってバクラは、好きとか嫌いとかそういう評価とは一番遠いところにあった。
計らなかったし、計ろうとしなかった。
そういう存在だ。
「きらいなんでしょ?迷惑だって言ったよね。嫌なこと沢山されたもんね」
にこにこと笑顔を浮かべたまま、もう一人の獏良が念を押すように言った。
「や……だから」
反論しようと、獏良が口を開こうとした瞬間、

ぞくり

背筋に悪寒が走った。
なぜ?
今、何かがおかしいと、確かに感じた。
何を?
「……ぁ」
獏良が小さく声を上げた。
今まで自分だと思っていた、この目の前の人物は本当に自分なのか。
自分の姿をして、笑顔を張り付けているこいつは。
「ねえ、キライなんでしょ?苦しいんだよね」
相変わらず口調は穏やかなのだが、にいと唇を吊り上げ、薄気味悪い笑みを浮かべていた。
「違う……僕…は…」
すっかり気を許していたものが、真逆のモノに変わってしまった恐怖。
獏良は一歩下がった。
「分かってる。分かってるよ」
獏良の姿をしたものが一歩進み、離そうとしない。
「誰?誰なの?」
「今、楽にしてあげるから」
何が起こったか、咄嗟には分からなかった。
獏良の横を風が吹き抜け、間髪を入れずに左頬に痛みが生まれた。
「……イタッ」
思わず頬を押さえる獏良。
手の平にぬるっとした嫌な感触がした。
見ると、手に赤い液体がべっとりと付いていた。
頬が裂け、血が止めどなく溢れ出ている。
「ふふふっ。よく切れるでしょ」
獏良の姿をしたものが赤く染まった自分の指をぺろりと舐めた。
その表情は狂気を帯びていて、もう自分とは思えない。
疾風を思わせる速さで腕を繰り出し、獏良の頬を切り裂いたのだ。
到底普通の人の手で行えることではないし、逃れることも容易ではない。
カタカタと足が震えだし、身が竦んだ。
そこへ、
ひゅっ
またしても奴の右手が伸び、今度は左腕に赤い花が咲いたように、痛みと共に血が流れ出る。
「ううっ」
傷口を手で押さえるが、血は止まりそうもない。
頬と腕の傷が熱く疼く。
「痛い?ごめんね。次で最後にしてあげるから」
奴はけたけたと不気味な笑い声をあげる。
これは夢の中ではないのだろうか。
現実でこんなことが起こるはずがない。
自分の姿をしたものに殺されそうになるなんて。
これは夢だと獏良は自分に言い聞かせる。
これは夢、悪い夢。
朝起きたら、いつも通りの何でもない日常が始まるはずだ。
では、この痛みはなんなのだ?
この痛みこそ、現実である証拠なのではないか。
「どこがイイ?心臓を一突き?首をはね落とす?それとも急所を外してじわじわと逝く?」
奴が料理の献立を考えているかのような、軽い口調で楽しそうに言った。
冗談ではない。
死にたくない。
でも、どうしようもない。
今逃げ出そうと背を向ければ、確実に貫かれる。

――助けて……。

ぎゅっと目を瞑り、祈るしかない。

誰か助けて。

一つの顔が頭をよぎる。
ここでその名を呼ぶのは無性に悔しかったし、情けないと思った。
しかし、呼ばずにはいられない。
「ハハハッ!決めたよ!イイ声で泣きなよ」
狂った笑いとともに奴が手を振り上げる。
本当に小さな声で、呟くように言った。

「……ッバクラ」

その直後、鈍い音と呻き声がした。
恐る恐る獏良が目を開けると、そこには――。
「人の宿主さまに胸糞悪ぃことしてくれてんじゃねぇか」
拳を前に突き出したままの体勢で、啖呵を切るバクラの姿。
そして、奴は体を九の字に曲げてうずくまっていた。
「え……な、なんで……?」
呆気にとられるしかない獏良の方を向き、バクラがにやりと笑った。
「強い魂(こころ)ってのは、厄介なもんだな。強力な夢魔に巣くわれる可能性もあるんだからよ。こんなふうにな」
バクラはそう言って、ぐいと親指を奴に突き付ける。
「夢魔?」
夢魔と呼ばれた存在はバクラに殴られた腹を抱えながらも、ゆらりと立ち上がる。
「ハ……ハハァッ」
「悪夢のことだ。全く厄介なもんにとり憑かれやがって……下がってろ」
バクラが獏良を庇うように、夢魔と対峙する。
夢魔は腰を落とし低く構えることで、いつでもバクラに飛び掛かれる体勢を作った。
「全くやりにくいったらないぜ」
獏良と同じ姿をしたものを睨みつけた。
「これくらい、自分で何とかしてもらわねぇと困るんだけどな」
バクラはちらりと後ろの獏良に目をやった。
「な……何がなんだか」
死にかけるわ、突然バクラが現れるわで、獏良の頭は混乱しっぱなしだ。
「オレ様がいないと何も出来ないんだな、お前」
バクラが意地悪く笑う。
獏良は顔が熱くなるのを感じた。
名を呼んでしまったのは確かだが、そこまで言われる筋合いはなかった。
バクラが勝手に現れたのだし、いつものことを思えば、偉そうに言われたくない。
混乱していたのが逆流するように、怒りの熱を灯していく。
「……そっちが勝手に出て来たんじゃないか。いい気にならないでよ」
思えば、人の夢の中をしっちゃかめっちゃかにされたのだ。
夢の中こそ自分のたった一つの世界だったのに。
バクラは獏良に見えないように、うっすらと満足げな笑みを浮かべた。
「人の夢の中までしゃしゃり出てきて」
痛む頬と腕には構わずに、獏良が堂々と立つ。
「お前もお前も出てって」
指で夢魔とバクラを交互に指し、再度、今度は轟くような声で言った。
「出てってよ!」
声に応えるように獏良の中心に風が巻き起こり、強風となって、全てを搔き消すように吹き飛ばした。

どんっ
バクラは背中を打ち付けられ、呻いた。
「イテ……手加減しろよなぁ」
その場にひょいと立ち上がって埃を落とす。
そこはバクラの心の部屋だった。
獏良の夢の中から吹き飛ばされてしまったらしい。
「しかし、さすがだな」
バクラは素直に感心する。
夢を意思の力で制御してしまった。
バクラが手助けしてやったとはいえ、非常に難しいことだったのだ。
「宿主さまを待つとするかねぇ」
バクラは余裕風を吹かせて、ぺろりと上唇を舐めた。


獏良は何が起こったか、自分が何をしたのか分からずに、立ち尽くしていた。
バクラの姿はもうない。
夢魔はもう獏良の姿はしていなかった。
もやのようになって、辛うじてそこに在るだけだった。
「僕に聞いたでしょ?」
そのもやに五感があるのかどうか分からなかったが、獏良は話し続けた。
「バクラのことが嫌いかって」
今までそんなことを考えなかったから、咄嗟には答えられなかった。
でも、今なら答えられる気がした。
「確かに、嫌いになる条件なら揃いに揃いすぎてるけどね……
嫌いになれないんだよ……
なぜか」
獏良は自嘲の笑みに似た、しかし、それとはどこか違う表情をした。
「好きとも違う。好きとか嫌いとか、そういう言葉では表せないんだ。簡単には。もっと……なんだろ……」
話しているうちに、想いが先走り、言葉が見当たらなくなった。
困ったなと苦笑いをしてから、はっきりと言った。
「だから、今の僕はそんなに辛くないし、君に"助けて"もらう必要はない」


「お、終わったか」
バクラが呟くと同時に、ふわりと虚空から獏良が現れた。
「目は覚めたかよ?」
獏良の額を人差し指でつっつき、バクラが尋ねた。
鬱陶しそうに、その指を払うと、
「ええ、もうしっかりと覚めましたよ。結局なんだったの?」
不機嫌に鼻を鳴らした。
「お前は特別だからな。普通なら人を弱らせる程度の力しか持たない悪夢が、成長しすぎたってだけのことだ」
払われて手持ち無沙汰の手で獏良の頬を撫ぜた。
眉間に皺を寄せて不快を示すが、今度は取り立てて払うことはしない。
「何だって、お前は人の夢に現れるんだよ」
「心外だな、その言い方。あのままだと心を食われていたのかもしれないんだぜ」
バクラの言葉に、獏良が気まずげに目線を外す。
どうやら素直に礼を言えないことの裏返しらしい。
全く可愛い宿主さまだと、バクラはにやりと笑う。
「呼んだだろ?」
バクラの短い問い掛けに、獏良が視線を元に戻す。
「え?」
「オレを」
今度は瞳を放さないように、獏良を見据える。
「呼んでなんか……」
口では否定しても、ほんのりと赤く染まった頬が真実だということを証明している。
「ウソだな」
「うっ……」
逃げ出したくとも、真っ直ぐな瞳と頬に添えられた手がそうさせてくれない。
ただ耳まで赤くして、言葉にならない声を洩らすだけ。
「あいつと随分楽しそうな話をしてたみてえじゃねぇか」
「何も……大したことじゃない」
本人の前で言えるかと、泣き叫びたい気持ちでいっぱいだ。
「ウソだ」
「う……もうやめてよ」
潤んだ瞳で懇願する様子がバクラの嗜虐心をそそることに、本人は気付いてない。
「何を言ったかゆっくり聞いてみるか?」
ぺろりと唇を舐めて、いやらしく笑った。
バクラの瞳に射した色に、これから何が起こるか分かってしまった獏良は身を固くする。
「や……だ」
バクラが片手でとんと獏良の胸を押した。
ぐらりと倒れる獏良の身体。
地に沈む直前に、耳元に吐息混じりに囁かれた。
「ウソだ」
観念したように、獏良は身体の力を抜いた。

------------------------

好きでも嫌いでもない、でも、放っておけない。
裏テーマ:バクラさんを喋らせよう。
撃沈(笑)!

前のページへ戻る