獏良は彼が楽しそうにしているのを見るのが好きだ。
彼が笑顔でいると、自然と嬉しくなる。
そして、そんな彼の視線が獏良に向けられると、ついつい微笑み返してしまう。
周りに自分の想いがばれてしまうのではないかと、ほんの少し怯えながら。
ねえ……
僕は君のこと好きなんだよ
城之内くん
自分とは正反対な気質を持った城之内。
熱く、直情的だ。
しかし……だからこそ、惹かれる。
獏良にないものを持った彼は眩しかった。
想いを自覚したのはもうずっと前のことだが、獏良には気持ちを伝えようという気は全くなかった。
伝えても彼を困らせるだけだということが分かっていたから。
友だと思っている同性に好きだと言われて、戸惑わないはずがない。
自宅に帰ると、このごろ獏良は切なげな顔をする。
周りの目を気にしなくて良いので、普段抑えている分、余計に心がそのまま表情に出る。
制服に皺が寄るのにも構わず、自室のベッドに倒れ込み、 溜息をもらした。
シーツをぎゅっと握り、しくしくと痛む心に耐えた。
楽になりたい。
なんて弱々しい自分。
実はここにいるのは、自分一人ではないことを獏良は知っている。
いつでも、もう一人が、獏良の全てを監視するように見ていた。
当然、獏良が城之内をどう思っているかもバクラは知っているはずだ。
バクラがせせら笑おうが、呆れようが、気にしないと獏良は決め込んでいる。
いちいち反応をして相手を楽しませるよりも、バクラの存在そのものをないことにした。
何も見えないし、何も聞こえない。
バクラが二人のある一定の境界線を越えない限りはそれが可能だ。
――可哀想な宿主サマ
小馬鹿にした口調で、そう言うのが聞こえた気がした。
獏良は五感を全て切り離すように、目を閉じた。
途端に身体が宙に浮くような、そんな奇妙な感覚に襲われた。
バクラの心の部屋に引きずりこまれたと分かったのは、目を開けてからだった。
バクラが床に座り込んだ獏良を見下ろしていた。
獏良はバクラを睨み上げた。
これは領域侵害だと、無言で訴える。
「そう怖い顔するなよ。オレ様は傷心の宿主サマをお慰めしてさしあげようと思ってるんだぜ」
獏良の目線に合わせて、バクラが屈んだ。
「そんなこと、誰も頼んでない!」
完全な拒絶の姿勢で、獏良は挑んだ。
何をされるか分かったものではないが、屈伏はしたくない。
気分を害した様子もなく、バクラはにたりと笑った。
「叶わぬ恋なんて、哀れだねぇ。いっそのこと、迫ってみたらどうだ?お前なら抱いて……」
バクラが言い終わる前に、獏良の右手が飛んだ。
獏良は心地の良い音とともに、バクラの頬を叩いていた。
「……彼のことをそんなふうに言うな!」
言葉を紡いでいるその唇も、じんじんと痛む右手も、わなわなと震えていた。
自分の大切にしていた想いが汚されてしまったようで、どうしようもなく腹が立つ。
避けることも出来たのだが、バクラは無抵抗に平手打ちを受けた。
勢いで傾いた顔を何事なかったように元に戻し、
「何とでも吠えな」
バクラは静かに獏良に向かって言った。
負けた。
苦い敗北感が獏良の中を占める。
熱くなったのは獏良で、あくまでバクラは冷静だった。
手を出した方も獏良だ。
獏良の完全な負け。
拳を握り締め、暴れ出そうとする激情を抑えこむ。
「もう終わりか?」
返す言葉が見当たらず、獏良は悔しげに俯いた。
追い討ちをかけるように、バクラが耳元で囁く。
「なら、もう"良い"よな」
獏良の瞳に暗い影が下りた。
「……うっ」
喉の奥から、か細い苦痛の声が漏れた。
白い身体が無慈悲に貫かれ、乱暴に揺すられる。
言葉を発しないことが最後の抵抗だと、獏良は唇を開こうとしなかったが、苦痛の呻き声は止められない。
頭に想い人を描き、目の前の現状から少しでも逃れようとした。
しかし、それもバクラには筒抜けで、獏良の意識が散ると分かると、力任せにものを捩じ込む。
「ああっ!」
獏良の身体が仰け反った。
想うことも許されないのか。
力なく虚空を見つめながら、獏良は涙を流した。
バクラの方は荒々しい行為とは逆に、恐ろしいほど冷めていた。
冷静であるからこそ、獏良の心の動きもた易く掴める。
獏良の心を決して逃がそうとはしなかった。
痛みで繋いでいた。
長時間に及ぶ行為に、獏良がとうとうくたりと力尽きた。
「宿主……」
返事がないことを知りながら、小さくバクラが名を呼んだ。
獏良の上気した頬を先程までとは打って変わり、壊れ物でも触るかのように撫でた。
そして、ゆっくりと獏良の唇に唇を押しつけた。
「宿主」
もう一度バクラが名を呼んだ。
その呼び掛けは、やはり獏良に届かなかった。
翌朝、重い身体を引きずって、獏良は学校へ向かった。
身体が重く感じるのは心のせいだ。
あれだけ痛め付けられても所詮は心の部屋の出来事で、身体は無傷なのだから。
身体に支障を来たしていれば学校を休む口実になっただろうが、あいにく身体に問題は全くない。
真面目な獏良は学校に行かないわけにはいかない。
友人の顔を見れば、気が晴れるだろうか。
あれこれ考えているうちに、学校はどんどんと近付いていく。
自分の心とは関係なく。
「獏良くん、おはよー!」
ぽんと背中を叩かれて、考えに耽っていた獏良は、不意を突かれてびくりとおののいた。
「わ!……遊戯くんか、おはよう」
にこりと無理やり笑顔を作る自分が、おかしく見えてないだろうかと、不安になる。
「びっくりさせちゃったかな?」
曇りなく笑い返す遊戯に、問題ないと胸を撫で下ろす。
「眠くて、ぼーっとしてたから」
これなら今日一日大丈夫だと思う反面で、また童実野町に引っ越して来る以前の自分に戻ってしまったような感じがして目の前が暗くなった。
「どうしたの?」
気を抜くと表情が暗くなってしまう。
獏良は慌てて気持ちを切り替えると、なんでもないよと笑った。
嘘がどんどん積もっていくのをひしひしと感じた。
こんな自分はきっと城之内と釣り合うはずもない。
自嘲ぎみに獏良は笑った。
「遊戯ィ、聞いてくれよ!」
城之内ががくがくと遊戯の肩を揺らした。
「う、ちょっと待って……城之内くん」
「本田がよぉ……」
「気持ち悪いって……」
その様子をみんなではやし立てて笑う。
そんな日常風景から置いてきぼりをくらったように、獏良はその中から離れたところにいた。
身体はそこにいても心から馴染めない。
第三者の目で遊戯たちを見ていた。
だから、気付いてしまったのだ。
客観的に自分たちのグループを見て分かってしまった。
「う……」
小さく獏良が呻く。
誰が誰を見ているのか、はっきりと分かる。
城之内が誰を見ているかなんて一目瞭然だった。
今までずっと近くで見つめ続けていたから気がつかなかったのだ。
眩暈がした。
好意の心情は決して楽しいことばかりではない。
けれど、獏良にとっては支えとなる意欲をもたらした。
それがなくなってしまったら今の獏良は――。
それ以上城之内たちを見ていられず、ふらふらと教室から逃れた。
廊下を人気のない方へない方へ歩んでいき、普段使われていない階段へ辿り着く。
喧騒が届かない静まり返ったそこで、獏良は額を壁に預けた。
ぎゅっと目を瞑り、負の感情の波に耐える。
胃がむかつき、吐き気がした。
もっと早く、なりふり構わずに想いを告げていたら、何かが変わっていただろうか。
多分、獏良は何も言えなかっただろう。
城之内が困るとか、今の関係を崩したくないとか、そういう次元の話ではない。
ただ単に、自分が臆病だったから言えなかっただけだ。
彼を想うだけで良いなんて綺麗な言葉で括って、結局は逃げていただけ。
いくら「もしも」を考えても、想いを口に出来た自分を描けない。
なんて自分は矮小な奴なんだろう。
こんなことでは端から望みなんてなかった。
むかむかと胃を荒らす自己嫌悪感は止どまることを知らない。
気持ち悪い。
こんな自分は嫌いだ。
どうしたら良い?
額を壁に押しつけて、歯を食いしばる。
獏良の胸の上で千年リングが揺れた。
「……滑稽だろ」
後ろに気配を感じる。
一部始終見られていたのだ。
「お前を……散々罵っといて、自分はこの様だ」
自分のこの状況は全くおかしくないのに笑いが込み上げてきた。
「ふっ……」
笑いが漏れるのと同時に涙も溢れ出てきた。
バクラは何も言わない。
いっそのこと、指をさして笑ってくれれば良い。
そうすれば、嘆くことで痛みを忘れられるのに。
いっそのこと、罵倒してくれれば良い。
そうすれば、怒ることで痛みを忘れられるのに。
しかし、バクラは何も言わなかった。
だから、ちくちくと心が痛み続けた。
「笑えよ!」
とうとう耐え切れなくなり、後ろを振り返って怒鳴った。
感情をぶつけた後で、獏良は呆然とした。
バクラは笑いも怒りもしていない。
ただただ、真剣なまなざしで獏良を見つめている。
獏良が背を向けていたときからずっと黙って見つめていた。
「お前、やめろよ」
静かにバクラが口を開いた。
「もう、あいつのことを想うのは」
獏良を壁に追い詰めるようにしてバクラが両手を壁についた。
実体があるわけではないから逃れることは出来るのだが、身体が縫い止められたよう動けない。
「……お前に……僕の心を束縛する権利は……ないはずだ」
辛うじてそう言うと、残った気力をふり絞ってバクラを睨み付けた。
バクラはそれでも言い返さずに、じっと獏良を見つめた。
「なあ、オレのものになっちまえよ」
バクラが囁くように言った。
何を言ったんだろう、こいつは。
バクラの真意が掴めずに獏良は戸惑った。
何度もバクラの言葉を頭の中で反復する。
そういうことか。
自分なりの見解を見いだし、納得をする。
身体の支配権を、全部渡せと言っているのだと。
バクラに身体を全部受け渡してしまえば、悲しんだり怒ったりする必要もなくなるのだろう。
てっとり早く楽になれるに違いない。
それも良いかもしれないなと、獏良は思った。
普通の心情だったら、こんなふうには揺れない。
即断って、そこで終わる。
今の精神状態が分かっていて、バクラは話を持ちかけているのだろう。
なんて、酷い。
今の獏良にはバクラを批判する権利はない。
力なく俯き、イエスもノーも言わなかった。
獏良からの反論が特にないと分かると、バクラはゆっくりと顔を近付けた。
「なあ、宿主」
いつになく穏やかな声が甘く獏良の心に囁いた。
このまま何も言わなかったら、確実に首を縦に振ることになる。 それではいけない。
「せっかくの申し出だけど」
顔を上げて強い意志の感じられる瞳をバクラに向けた。
「今うんと言ったら、何も僕は変わらない。弱い僕のままだ。だから……断る」
いま持てる限りの虚勢を総動員して強気に笑う。
「まだ、僕はお前に屈服しない」
ぐちゃぐちゃの感情の波はまだ獏良の中で荒れていて、声も身体も震えている。
言い終わると糸が切れたように身体から力が抜け、獏良は壁にもたれかかった。
「さすがだな」
バクラの呟きを獏良は聞き取れずに、
「え?」
聞き返したが、それに対するバクラの返答はなかった。
「予想はついてたが、こうもあっさりフラれるとは思わなかったぜ」
そう言い笑うバクラにからかわれていると感じた獏良はバクラを睨む。
「こんな僕でも……お前なんかに身体は渡さないからな」
バクラは更に楽しそうに唇を歪めた。
「一つ勘違いしてるみてぇだから言っとくが、身体が欲しいとは言ってないだがな」
「は?」
それ以外の意味があるとは思いもよらなかった。
目を丸くして、バクラを見つめる。
バクラは後ろ頭を掻きながら明後日の方を見た。
何かを考えているようだった。
「分からないのか?」
「全く」
獏良の即答にバクラは下を向いて眉間に皺を寄せた。
「なんだよ」
煮え切らない態度に焦れて、獏良の語調が荒くなった。
「欲しいのは、お前の身体じゃないっつてんだよ」
伝わらないことで苛々していたのはバクラも同じだ。
「身体……じゃない?」
――オレのものになっちまえよ
それは身体をバクラに受け渡すという意味ではなかったら…
「!…な、何言ってるんだよ!そんなこと……」
本当の意味に気付いた獏良が、口をぱくぱくと開閉した。
上手く言葉が出てこない。
「冗談……」
「だと思うなら、それでも構わないけどな」
さらりとバクラが言葉尻を取って言ったが、思い返してみれば、どこに冗談の要素があったのだろうか。
バクラの声も表情も眼差しも総て真剣なものだった。
「な……んで、いきなり……」
『今まで酷い目に合わせてきたじゃないか』そう言ってやりたかった。
「いきなりじゃねぇよ……強いて言えば、てめえのせいだ」
「は?」
目の前で壊れてしまいそうな表情をされたら、いてもたってもいられなくなる。
本人にそれを言うつもりはさらさらないが。
「よく分からないけど……すぐに、はいそうですかって、受け入れられるわけないじゃないか」
それに何より、簡単に自分の気持ちを断ち切れるわけがない。
通じないと分かっていても、好きなことは変わらないのだ。
「そうだろうな」
あっさりとバクラが頷いた。
まるで答えを予期していたかのような反応だった。
獏良にとっては気に食わないことだが、獏良のことを一番よく分かっているのはバクラなのだ。
誰よりも近くで、ずっと見てきたのだから。
きゅっと胸が締め付けられた。
「別にオレは分かって欲しいなんざ、思ってねぇよ」
だったらなぜ口にした?
何とも思ってなかったら、お前は何も言わないはずだろ。
答えが聞くのが怖くて、そう問えなかった。
深入りしてはいけない。
戻れなくなるから。
「僕は……城之内くんが好きだ」
それはバクラに言いたかったのか、自分に言い聞かせたかったのか分からない。
「知ってる」
バクラがゆっくりと獏良に顔を近付けてきた。
何をされるか分かったが、動けなかった。
バクラの唇が触れるまで馬鹿みたいに突っ立っていた。
もちろん何も感じなかったが、確かにそれは触れるだけのキスで、
「……ッ」
一瞬だけでそれは終わった。
唇が離れると同時にバクラは消え、獏良は一人取り残された。
いや、そう見えただけで実際はそこにいるのだが。
がっくりと膝が抜け、獏良はその場にしゃがみこんだ。
「ずるい……なんなんだよ、それ……」
分かってもらおうとは思っていないと言っておいて、獏良の心を揺さぶった。
「何とか言えよ……」
憎い相手なのに、どうしても気にかけてしまう。
見て見ぬふりをすれば良いのに。
獏良にはそれがもう出来なくなっていた。
「……くっ」
唇がどうしようもなく熱かった。
「何処行ってたんだ、獏良ぁ」
獏良が教室に戻ると、それに気付いた城之内が真っ先に声をかけてきた。
「便……」
「お前と同じレベルで考えんな!」
こつんと本田がそれを小突く。
「……ぷっ、ふふふっ」
思わず獏良は吹き出してしまった。
笑って、心が少し軽くなっている自分に気付く。
まだ心はちくりちくりと痛むけれど、悲しみに支配されているわけではない。
先ほどの会話が上手く作用したのだろうか。
獏良はその考えを打ち消す。
あってはならない。
ぎゅっとまた胸が締め付けられる。
いっそのこと身を任せてしまえば、楽になれるのに。
「どうしろって言うんだよ……」
知らない方が幸せだった?
何度考えてみても、胸の奥が切なく鳴くのを止められない。
ただ、動揺しているだけ。
そんな言葉では説明がつかない何かが、獏良の中に芽生え始めつつあった。
馬鹿だよ、僕もお前も。
叶わないはずなのに。
それでも、想わずにはいられない。
小さく獏良が笑った。
「同じ、か……」
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了くんって城之内くんのこと好きだよなぁと、常々思っていたことから出来ました。友達としてですけど。
城之内くんに言いたい放題言うのって、心許してるからじゃないのーと。
城之内くんの好きな人はお任せで。
バクラも想ってみなさいがテーマで。