獏良は憂鬱そうに窓の外を見上げた。
小雨だった雨は本降りとなり、分厚い雨雲は何処かへ行ってくれそうな気配はない。
「ふう……」
机に広げていた本をぱたんと閉じた。
時計を見上げると、本に夢中になっていたせいで驚くほど時間が過ぎていた。
獏良のいる図書室には、司書以外に人影は見当たらない。
天気予報に反して降り始めた雨を避けるため、調べ物をするために図書室にこもっていたのだが、逆効果だったようだ。
朝出て来る時に雲行きが怪しかった時点で傘を持って来るべきだった。
洗濯物を出してこなかったのは、不幸中の幸いだ。
「濡れて帰るしかないかなぁ」
これ以上は学校にいてもしょうがない。
本を片付けて図書室を後にする。
廊下や教室にも人の気配は感じられず、しーんと静まり返っている。
雨の日というのは、普段の世界とは全く違う面を見せる。
学校全体が雨によって、切り離されてしまったかのようだ。
神秘的な雰囲気と得体の知れない不気味さが混合している。
明るい太陽の下では隠れていたものが、影からのっそりと姿を現したようでもある。
真昼の賑やかな学校では信じがたい怪談も、今のこの雰囲気では信じても良いような気がする。
薄暗い廊下を進み、教室に寄って、置いておいた荷物を回収する。
ふと、この学校に今いるのは自分だけではないかという思いに駆られた。
獏良はさっき司書を目視しているし、教師だって誰かしら残っているはずだ。
でも……。
――もし、ここが本当に別世界だったら?
知っている人が誰もいなくなっていたら?
そして、何か別のものが辺りを徘徊するのだ。
ガタン
自分が机にぶつかってしまった音で、心臓が縮み上がってしまった。
その自分の情けない姿がおかしかった。
――変な想像は止めよう。
獏良はそう決めると、教室を後にした。
ヒタヒタ
廊下が不気味に伸びていた。
いつもより長く感じる。
真っ暗な先の向こうに、何があるのだろうか。
獏良は頭を振って、考えを打ち消した。
また不安になっている。
どうもいつもの調子が出ない。
獏良はオカルトが好きなので、こういった状況には強いはずなのに。
ヒタヒタ
廊下に響く自分の足音にさえ、気を取られてしまう。
ヒタヒタ
足音は一人分。
後ろに人なんているはずない。
いるはずはないが、ついつい気配を探ってしまう。
後ろを振り返れば、すぐに確認できるのに、そうしないのはどうしてだろう。
怯えているのだろうか。
そんなことはない。
心を決めて、獏良はゆっくりと後ろを振り返った。
そこには、恐ろしい形相の男が獏良をじっと見つめて……
「……バクラ!」
「なんて声出してやがるんだ、お前は」
獏良の背後に現れたバクラが呆れ顔をした。
「いや……だって……お前、いたんだね」
しどろもどろと獏良が消え入りそうな声で言った。
今の今まで、びくびくと怯える自分を見られていたのかと思うと恥ずかしい。
「オレ様の存在を忘れてたとか言うんじゃねぇだろうなぁ?」
「………あはは」
「おい」
バクラと会話をしていると、不安がどんどん薄れていった。
会話があるのと、一人で黙って歩いているのでは格段に違う。
「だってさ、ずっと黙ってるから」
言い訳がましいと分かっていながら反論した。
「学校では静かにしてろって言ったのは、てめえだろ」
案の定、バクラが睨みをきかせて言い返してきた。
こういう状況では、バクラに返す言葉が見つからない。
なんとも悔しい気分でバクラを見返した。
「しかも憑かれやがって」
「つかれた」という言葉の意味が分からず、獏良は首を傾げる。
「お前、らしくもなくビクついてただろう?憑かれた証拠だ」
バクラは窓の外を見上げた。
「今日は雨だからな」
雨雲が太陽の光を遮って、町全体を薄闇にしていた。
「月、海、宝石……まあ、色々あるが、どれも人を惑わす力を持ってるってこった」
「なに、それ、迷信とか?」
聞いたことのない話だった。
「迷信」という言葉に、バクラは不満げな顔をした。
バクラはそんなものを無闇やたらに信じることを好まない。
人には手を出せない領域というものがある。
手を加えようとしても、結局はそのものの根本的なものは変わらない。
そういう力に人は魅入られるのだ。
「簡単に心を奪われやがって」
雨そのものが人の心境に作用するのか、太陽の光を隠してしまうのに原因があるのかは分からない。
しかし、獏良を不安に陥れたのは雨であることに間違いない。
「んなビビってて、ここを出られると思ってんのか?」
バクラが挑戦的な目つきで獏良を見据えた。
「大丈夫だよ」
獏良は一歩前に出た。
そのまま怯まずに足を前に出す。
もうあるはずのない気配を気にしたり、影を恐れたりはしない。
この閉鎖された世界で存在しているのは、獏良が存在を認めたものだけだ。
すなわち、獏良本人と……
「急に強気になったな」
「当たり前」
「なんでだろうなぁ」
「さあね」
獏良は薄暗い廊下を足取り軽く通り抜けていった。
今度は決して振り返らずに、前方のみを見つめて。
雨音が少しだけ大人しくなっていた。
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雨って、気が滅入りがちですよねーってことで。