さあ、ゲームを始めよう。
ルールは簡単。
しかし、簡単であればあるほどプレイ側の自由が広がり、難易度は増す。
勝つか負けるか二つに一つ。
一対一の真剣勝負。
大通りの中で雑踏に混じったバクラが素早く周りを見渡した。
「上手く紛れたみたいだな」
自分のその茶色の髪をかき上げ、ぽつりと漏らした。
今のバクラには流れるような白い長髪も鋭い瞳もない。
襟首までかかった茶髪の下に温和そうな薄い色の瞳が覗いていた。
体格は中肉中背で、まさに何処にでもいそうな青年の姿だ。
人通りの中をなんでもないように上手く装った。
今のバクラに目立つことは許されない。
少しでも"向こう"に気付かれたら、チャンスがゼロになる。
負けは絶対にあってはならない。
向こうもそうであるはずだ。
「お前くらい見つけられないでどうする」と、軽口を叩いたからには必ず勝たなくてはならない。
このゲームは何の変哲もない『かくれんぼ』だったりする。
バクラが町に潜んでいる獏良を見つけたらバクラの勝ちになる。ただ、それだけだ。
ただし、これは闇のゲーム。
バクラが作り上げた仮想世界で行われている。
獏良は姿を変えて町に溶け込んでいるはずだ。
膨大な数のNPCに混じって。
追う者のバクラの方も獏良に見つかっては厄介なので、どこにでもいるような青年の姿を象っている。
期限はこの世界における、日が沈むまで。
それまでに獏良が逃げ切れば獏良の勝ちになる。
「お前のことは何だって分かる」
そういうニュアンスのことを言ったのが、このゲームのきっかけであったとバクラは記憶している。
お前はオレのもの。
バクラがそういう物言いをするとき、獏良は必ず過剰に反応をする。
今回もそうだった。
「見つけられるものなら、見つけてみなよ」
それが最後の言葉だった。
そう言われたら、バクラとしてはじゃあ見つけてやろうじゃないかという気分になる。
絶対に負けられない。
しかし、この町の広さと人の多さは尋常ではない。
我ながらこだわりすぎたと冷や汗をかいた。
それでも、獏良を探し出さなくてはならない。
バクラは不自然にならないように、辺りを見回しながら町を探索し始めた。
楽しそうに会話をする学生グループ、中睦まじく腕を組むカップル、和気藹々と戯れる家族。
どれも獏良とは違う。
ただ機械的に役割を演じている脇役たちだ。
その中に紛れた異質物が獏良。
必ずどこか歪みがあるはず。
それを見逃さないためにも、バクラには町人の一挙一動を監視する必要があった。
絶対に見つけてやる。
獏良の行きそうな場所を回ってみた。
造形屋、図書館、公園――。
裏路地や廃屋、隠れ易そうな場所も訪れる。
何処を回っても、獏良の足取りを掴むようなものはない。
「尾すら出さないとは、あいつもやるもんだな」
精神世界とはいえ、気力が削られれば疲れを感じる。
バクラは小さな喫茶店へと身体を休める為に身を置いた。
窓際の席に座り、行き交う人を漫然と見つめた。
もし奇跡的にここを獏良が通ったら、ついてるなという幻想に取り付かれながら。
「お待たせ致しました。アイスコーヒーになります」
ウェイトレスが運んで来たグラスを一気に呷る。
獏良を見つけられるまで、渇きが癒えることはない。
「あのー」
物思いに更けるバクラに、おずおずと声がかかる。
注文を運んで来たウェイトレスが、まだその場を立ち去っていなかったのだ。
バクラは少なからず驚いた。
決められた役割のみをこなす彼らには、自らプレイヤーと関わる行動は起こさない。
彼らがそうするときは、プレイヤーがイベントを起こしたときしか考えられない。
「なんだ?」
バクラが問うと、ウェイトレスはにっこりと微笑んで言った。
「ヤドヌシさまから伝言です。『そんな捜し方じゃダメだよ』と」
やってくれるじゃねぇか。
喫茶店を出たバクラは町中を闊歩した。
獏良の明らかな挑発が愉快で堪らない。
酷く昂揚している。
果たして、獏良がバクラを見つけたという意思表示なのか、本当にただの挑発なのかは分からない。
しかし少なくとも、追われる者のはずの獏良は余裕であるということだ。
これではどちらが追われているのか分からない。
低い笑い声がバクラの口から漏れ出た。
その瞬間は、好青年の柔和な顔がなりを潜め、普段のバクラの凶悪な表情が現われた。
これでは姿を変えた意味が全くない。
すぐにバクラは自分を抑え、無害な青年の表情に戻す。
ざわり
落ち着きを取り戻したバクラは、町の様子が全く変わっていることに気がついた。
人込みの中のあちらこちらから、バクラに視線が向けられていた。
まるで動物園の檻の中にいるような気分に陥る。
木を隠すには森の中、人を隠すには人混みの中。
まさに、その言葉の通り、道を行き交う大勢の老若男女の中から獏良を探しだすことは至難の業だ。
これも、獏良の策なのだろうか。
視線を振り払うようにして、バクラは歩みを進めた。
すると、年端もいかない少年たちが人をかき分けて飛び出してきた。
少年たちは見るからに生意気そうな顔で、
「『まだ見つけられないの?』」
バクラを指差し、少年特有の甲高い声で笑った。
これも恐らく、獏良からのメッセージ。
分かってはいる。
分かってはいるが……。
「ガキィ」
一番近くにいた少年の頭を鷲掴んだ。
「口の聞き方に気をつけなぁ」
現実の町中ならとんでもない行為だが、どんなに凄んでも所詮はNPC。
へらへらと笑ったまま、バクラのなすがままだ。
「それは誰が言ってたんだ?」
バクラの問いに、少年たちは顔を見合わせた。
そして、一斉に頷くと、
「ないしょ」
口を揃えて言った。
「だろうな」
バクラは適当に相槌を打ちながら、顎に手を当てた。
これほど獏良が挑発してくる理由が分からない。
らしくない気がした。
「もう行って良いぞ」
手を振って、少年たちを追い立てる。
それでも彼らはそこを動こうとしない。
あどけない笑みを浮かべたまま、バクラを見上げていた。
それ以上は何も言わずに、バクラは背を向けた。
当てもなく町を歩き回りながらバクラは考えた。
獏良は何を思って、何をしたいのか。
「そんなに簡単に僕を見つけられると思ってるの?」
挑発的な目つきで、獏良はバクラに挑んだ。
「お前が何をしようが、考えようが、オレにはお見通しだぜ」
バクラは余裕の表情でそれに応じる。
「すぐに町から引きずり出してやる」
「見つけられるものなら、見つけてみなよ」
顔を歪めて、獏良がその場から姿を消した。
それがゲームスタートの合図だった。
何処を歩いても、町人の視線は追ってきた。
もしかしたら、軽口を叩いた仕返しなのかもしれないとバクラは思った。
見られているだけならまだしも、
「どうしたの?」
「まだ?」
通行人とすれ違いざまに、短い"メッセージ"が次から次へと送られてきた。
いちいち応対していたら切りがないが、ストレスがたまることこの上ない。
空を見上げると、太陽が大分傾いていた。
いつの間にか、多くの時間が流れてしまっていたようだ。
さあ、そろそろ見つけ出さないと、ゲームオーバーだ。
バクラは目を瞑った。
視覚を閉め出したことで他の全身の感覚が研ぎ澄まされる。
人々の声。
肌を撫でる空気。
自分を取り巻く一帯の気配。
全てが手に取るように伝わる。
「…………」
バクラは静かに目を開け、進む方向を変えた。
道から道へ、次々と渡り歩く。
その歩みは規則性がなく、ただ滅茶苦茶だった。
頭の中で、獏良からのメッセージの数々を繰り返し思い返した。
見つけられるものなら、見つけてみなよ。
そんな捜し方じゃダメだよ。
まだ見つけられないの?
あんなに余裕ぶっておいて……
何が言いたい?
バクラは速度を緩め、心の中で獏良に語りかけた。
もうゲームは終わりだ。
そっちじゃないのになー
まだ?
どうしたの?
早く……
『僕を早く見つけて……』
全てのメッセージがバクラの頭の中で、一つになった瞬間、勢いよく後ろを振り返った。
行き交う人の中から、一本の白い腕をむんずと掴み取る。
「ひゃっ」
短い悲鳴と共に、腕の主がバクラの前に引きずり出された。
バクラには見覚えがあった。
喋りかけてきた生意気そうな少年たちの中、後方に立っていた一人だ。
短く黒い髪に、理知的な瞳が輝いている。
「お前、ずっと後をつけてたよな?そんなにオレ様のことが好きか?」
少年をからかうように見下ろした。
「そんななんじゃない……よ」
視線を下に向け、小さな声で少年が返した。
それは作られたものではない、自然な反応。
「ルールが違うよな?これじゃ逆だ」
少年は何かに耐えるように唇を小さく噛んだ。
そして、意を決し、バクラを真っ向から見据えた。
その眼差しはバクラがよく知る、獏良のものに違いなかった。
「お前が僕を早く見つけないからっ」
小さい姿でも気迫でバクラを圧倒した。
「簡単とか言っておいて、全然ダメ。僕のことなら何でも分かるなんて、ウソだ!」
目尻を濡らし、獏良は再び俯いた。
「こんなにちんちくりんになっちまって」
獏良の目線に合わせてバクラは跪く。
普通の子ども相手になら、絶対にしない。
「遅くなったな。まだ日は沈んでないが、オレの負けってことにしてやる」
「当たり前だ!こんなにかかるなんて」
不思議と、全く違う顔なのに獏良の顔と重なった。
「いつオレを見つけ出した?」
「すぐに……。僕はすぐに見つけたのに。ずっと……ずっと……見てたのに。全然気がつかないし」
「あんなややこしいことしなきゃなぁ……」
不平を言おうとして、バクラは口をつぐんだ。
「でも、ちゃんと見つけ出しただろうが」
「遅いよッ!」
小さな身体がバクラの首に抱きついた。
と同時に、普段の獏良の姿へと戻る。
バクラも青年の姿を捨て、獏良の背中に手を回した。
「このまま終わっちゃたら、どうしようかと思った……バカ」
獏良は額をバクラの肩に押しつけた。
「見つけてくれて良かった」
「オレがお前を見つけられないわけないだろ」
三千年かけて見つけ出した宿主なのだから。
「……うん。遅かったけど」
小さくバクラは苦笑いをした。
「捻くれてるよなぁ、お前も……オレも」
ゆっくりと沈む太陽の中で、いつまでも二人は抱き合っていた。
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乙女心(?)は複雑なのよという心意気で!