ばかうけ

――眠れない。
バクラは壁に背をもたれ、床に足を投げ出していた。
何処を見るわけでもなく、ただ宙に視線を彷徨わせているだけ。
暗く冷たいこの心の部屋で、ただただじっと動かないでいた。
バクラには何処ででも眠れる癖がついていた。
それは気の遠くなるような昔に、眠れるときに眠っておかなければならないと学んだからだった。
しかし、今夜はどうしても寝付けない。
高ぶる感情を押さえることが出来ないのだ。
童実野町に越してきてから、何度かこの状態に陥っている。
早くあの王の息の根を止めてやりたい。
まだだ。まだ早い。
来るべき時に喉元を掻き切って地べたに這いずり回せてやる。

感情のままに石床に爪を立てる。
がりがりがり
爪が割れようが欠けようが厭わない。
がりがりがり
長い年月の中で憎しみや恨みは凍り付き、底冷えするような狂気を生み出した。
それでもまだ心の奥底に昔の想いは息づいている。
ゆえに、闇遊戯が目の前に現れると、時たまバクラは平静ではいられなくなるのだ。
穏やかな表情浮かべる心の裏で眼光鋭く薄い笑みを浮かべていた。
何千年経っても、まだ心が廃れていないことには喜びを覚える。
もっともっと心に強く刻み付ける。
そうしなければ、今ここにいる理由がなくなってしまう。
しかし、今は頭を冷やさなくては。
だんっ
力任せに拳で壁を殴る。
深く息を吐く。
それでも気分が優れない。
バクラは重い腰を上げた。
様々な感情渦巻くこの部屋では気持ちが切り替えられない。
バクラは心の部屋の向かいの戸に手を掛けた。
戸を引くと何かが引っ掛かる感触が腕に伝わる。
それでも構わず、今度は乱暴に引く。
扉の意思に反し、勢いよく口が開かれた。
バクラが部屋の中に踏み入ると、仄かな暖かさに包まれた。
生きている人間の暖かさだ。
心の部屋は気分に依って様々な顔を見せる。
少し前のここは薄暗く冷たい部屋だったが、今はずっと穏やかな様子が保たれている。
バクラの力を持ってすれば、このように簡単にこの部屋に入ることが出来るが、滅多に押し入ることはない。
無理矢理こじ開けるのは、精神に負担をかけるからだ。
それも拒絶している相手ならなおさらだ。
何度も心の奥底を暴かれれば心が病んでいく。
そして、ある日突然、何かの拍子に壊れてしまう。
呆気なく。
そうなったら、元には戻らない。
バクラはその脆さをよく知っている。
だから、安易に傷つけようとはしない。
それでも、時々……
時々バクラはこの部屋を滅茶苦茶に壊したくなることがある。
どうしても思い通りにならないことがもどかしい。
屈伏させるように全て奪えたら、どんなに心地良いか。
今はまだ器を手放してはいけない。利用価値がある。
そんな打算よりももっと根底にある強い感情が、そうさせることに歯止めをかけていた。

一歩一歩バクラは部屋の奥へと進んで行く。
部屋の中心には獏良が眠っていた。
薄いマットの上に猫のように丸くなってシーツに包まれていた。
時計の針は深夜を回っている。
ちょっとやそっとのことでは、獏良は起きないだろう。
そっと屈み、獏良の頬を撫でる。
「んん……」
小さく獏良が身じろぐ。
いとけない寝顔が露になった。
「良いのかよ。オレ様の前でそんな顔して」
半ば自嘲気味にバクラが笑う。
獏良の意識がある時には、こんな表情は見せない。
口を開けば皮肉と雑言だ。
優しくなんて出来るわけがなかった。
「……」
獏良の唇が小さく動く。
「……おいで」
ほとんど力の入っていない腕でバクラの服の裾を掴む。
とろけるような甘い声で呼ぶ。
寝惚けて亡き妹とでも思ったのだろうか。
バクラの心がざわついた。
惹かれてはいけないものに惹かれる。
越えてはいけない境界線は認識しているが、その距離感が時折狂う。
何も考えずに寄り添えたらどんなに楽か。
やらければならないことがある。
だから、冷徹さを持って幾年振りに息を吹き返し始めた人の心を抑える。
ただ……
ゆっくりと身体を横に倒す。
真正面から獏良の顔を眺める。
朝になったら、いつもどおり獏良は目覚めるだろう。
何も知らないまま。
獏良の懐に顔を埋めるようにして、バクラは目を閉じた。
ただ今だけは、束の間の安らぎを求めて。
それは誰も知らない、二人だけの時間。

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宿主さま喋って!喋って!
微妙なすれ違いっぽい。

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