ばかうけ

『バレンタインデー』
それは女性が心をこめてチョコレートを送る日。
冬の一大イベント。
コンビニから大手百貨店まで、ありとあらゆる商店がこのチョコ戦争に乗り出す。
そんな日に、被害を被っている少年がいた。
獏良は家に帰って来るなり、学生鞄と紙袋をソファに放った。
そして、自らも身を投げ出す。
「はふぅ」
柔らかい感触に強張っていた全身の力が抜ける。
「だらしのない声出しやがって」
いつの間にか姿を現していたバクラが、不機嫌に獏良を見下ろす。
「はあ……だって疲れたんだもの」
獏良の身体はソファに沈み、巨石になったように簡単には動きそうもなかった。
「夕飯はどうするんだよ」
尚も突っ掛かってくるバクラに、
「残り物で済ますよ」
邪魔するなと言わんばかりに、ぱたぱたと軽く手を振る。
「そんなこと気にしたことなかったじゃないか」
「それは……お前のキャラクター性がだなぁ……」
不服そうに口の中でぶつぶつ呟く。
「う?まあ良いやぁ……」
バレンタインデーとはどうも相性が良くないらしい。
獏良は常々そう思っていた。
今年も大量にチョコを押しつけられ、ほとほとうんざりしている。
自分の好意を伝えるためならまだしも、騒がれているせいか、アトラクション感覚、もしくは有名人に送りつけるような手軽さで渡されるのだから、たまったものではない。
人に群がれることが苦手な獏良には、少なからずストレスが溜まる日だった。
獏良は知らないことだが、彼の取り巻きたちには抜け駆け禁止などのルールがあり、多少チョコの数が抑えられていることは不幸中の幸いだろう。
「こんなにどうすんだよ」
獏良が鞄と共に持ち帰った紙袋には、色取り取りのラッピングが施されたチョコがぎっしりと詰まっていた。
「食べられるわけないじゃない。でもさ、用意してくれた子の気持ちを考えると、処分するのも申し訳ないんだよね」
「ほお、それはそれは心優しいことで」
あからさまな皮肉に獏良はソファの上で寝返りを打って、しかめっ面をバクラに向ける。
「他人事とは思えないんだ。天音のこと見てたから」
まだ幼い頃、天音のバレンタインのチョコ作りを手伝ったことが思い出される。
板チョコを鍋に入れ、そのまま火にかけて、丸ごと焦がしてしまったこと。
お湯を使って混ぜるのだと言えば、何故だか薄いチョコスープが出来てしまったこと。
結局渡せなかったと、泣いて帰ってきたこと。
どれもこれも懐かしい。
「今日は憂鬱にはなるけど、バレンタイン自体は嫌いじゃないよ」
「お前にしては珍しい見解だな」
獏良はゲームやSFのような夢物語に夢中になる一方で、妙に現実主義な面も持ち合わせている。
このアンバランスさがバクラにとっては心地が良い。
てっきり、馬鹿馬鹿しいイベントだと一蹴すると思っていたので拍子抜けする。
「んー。バレンタインという日を切っ掛けに想いを伝えたり、再確認することは悪いことじゃないと思うよ。むしろ、女の子からだけっていうのが勿体ないかなあって。ま、義理を配らなくちゃならなかったり、お返しは大変だけどさ」
「菓子業界に踊らされてるな」
「そう言わないの。確かにそうだけどさ」
本家のバレンタインだったら、いくらか楽だろうか。
「くだらねえな」
掃き捨てるバクラに、
「バレンタインの元になった話、聞きたい?」
獏良は身体を起こし、悪戯っぽく上目遣いで見上げる。
「聞きたい?」
話したくてうずうずしているのが見て取れた。
ここで機嫌を損ねるのは好ましくない。
「勝手にしな」
「そうさせてもらうよ」
さきほどまでぐったりとしていたはずなのに、いつの間にか生き生きとしていた。
「バクラの為に簡単に説明すると……」
「なんだと」
バクラの抗議にこほんと一つ咳払い。
「諸々の理由で、結婚が禁止されたんだよ。それに歯向かっていたのがバレンタインって人。
そして、投獄されて二月十四日に処刑されたんだ。バレンタインには愛し合っていた人がいて、牢の中から手紙を送ったらしい。それがバレンタインの始まり」
言い終わった後に、長い溜め息をついた。
「変なことに詳しいな、お前」
バクラが感心を通り越して、ほとんど呆れた口調で言った。
「この前、本で読みましたー」
「マジで言いたかっただけか」
唇を尖らせるバクラに穏やかな声色で話しかける。
「その人が死んでも、何年経っても、名前が残ってるって凄いと思わない?これからもずっと彼の名前は伝えられていくんだよ」
「そうかよ」
バクラは既に話に興味を失い、明後日の方向へ目を向けていた。
それでも、獏良は話し続ける。
「そうだよ。それはずっと生き続けているってことじゃないかな……」
獏良は少し乾いた唇を舐める。
ためらうように、数回口を開閉する。
このほんの小さな変化は、視線を逸らしているバクラには気付けなかった。
「でも、僕なら……」
声色は前と変わらず、一定のまま。
だから、バクラはそのまま聞き流していた。
「こんなふうに残ってなくてもさ。誰も彼も名前すら忘れてしまっても、僕なら大切な人の名前は絶対忘れないと思うな。ずっと覚えてる。僕だけは」
バクラは何かを考えるように目を閉じた。
「絶対にか?」
「うん、絶対」
獏良は再びソファに身体を横たえた。
「……そうか」
バクラの口から微かな呟きが洩れた。
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君に贈るバレンタインの話。

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