大抵バクラが身体を使った時は、獏良の意識が解放された後から反動が現れる。
怪我を負わされるのは分かり易い例だが、それでなくても身体がしっくりこなかったり、異様に重かったりする。
その度に獏良は、不摂生による体調不良かなと首を傾げている。
酷いときは疲労から微熱を出すときもあった。
これは、バクラが身体を酷使したせいだ。
普段人間が無意識の内に行っている力の加減を、長時間行わなければ当然の結果になる。
一日に全力を出し切れる時間なんて高が知れている。
簡単に言えば、バクラによって身体が許容量オーバーを起こしているということだ。
バクラだって悪意をもってやっているのではない。
人間の限界なんて、とっくに忘れているだけだ。
目的の為なら少しの無理くらい当たり前だと思ってはいるが、その境界線がかなり曖昧になってしまっている。
以前病院送りにさせてしまった時はさすがに堪えた。
身体が動かなくなって困るのはバクラも同じだ。
毎回こうなると、舌打ちの一つもしたくなる心境だった。
今日も獏良は帰宅するなり食事も取らずにベッドに倒れ込み、うとうとと眠ってしまった。
こんなことを続けて三日になる。
バクラは身体を使った後は、心の奥に潜り込むことにしている。
自分の休息も兼ねているが、こうすることによって獏良の負担が軽くなるという配慮だ。
これ以上負担をかけると壊れてしまいかねない。
獏良以上の宿主はいないと踏む、バクラならではの行動だった。
次回行動するまで眠りにつこうと、バクラが意識を閉じようとしたその時、違和感があった。
誰かに見られている気がする。
心の深層で気配を感じるなんて、そうそうない。
それもそのはず、普通人間の心は一つしかないからだ。
獏良と遊戯は特別に二つだが、友好関係を築いていない獏良とバクラにとってはありえないことだ。
マリクに操られた際には、三つの心を宿すという例外中の例外に見舞われていたが、今は完全にマリクの支配は解けている。
バクラは辺りの気配を鋭く探った。
本来ならすぐ気付くはずだ。
それが今でももやもやとした感覚しかない。
バクラが眠りにつく一瞬、神経が最も鋭敏になった時にやっと気付いたくらいだ。
「さすが、気付いたのね」
小鳥が囀るような声がしたかと思うと、バクラの目の前に一人の少女が現れた。
見た目は十代前半頃で制服を着ている。
バクラはその顔を知っていた。
「アマネ」
獏良を通して写真で何回も見たことがある。
見紛うはずがない。
ただ、目の前にいる天音は写真とは違い、目を吊り上げていた。
「なぜお前がここにいる?」
その問いに天音は少しだけ遠い目をした。
「私はお兄ちゃんの深層心理が作り出した影(レプリカ)。獏良天音の亡霊と言ってもいいくらいだわ」
なるほどと、バクラは心の中で頷いた。
可愛がっていた妹を想うあまりに、心の底に妹の幻影を作り出してしまったのだ。
だが、実の兄によるそれは、本物であり、偽物なのだろう。
誰でも切っ掛けがあれば、親しい者の影を心に宿す可能性はある。
今でもバクラの中におびただしい数の亡霊はいるのだろうか。
「その亡霊サンが何の用だ?」
物怖じをする様子も見せずに、バクラはせせら笑った。
「忠告をしに来たの」
バクラの挑発にも天音は表情を変えない。
「お兄ちゃんの心をこれ以上乱さないで」
何を言い出すのかと思えば……。
バクラが短く息を吐いた。
それから、次に言葉を発する前に、
「優しくしないでと、言っているの」
少し悲しげな瞳をしながら、天音が淡々と続けた。
バクラは訝しげに天音の顔を見つめた。
てっきり、「お兄ちゃんのことを虐めないで」と言われるのかと思っていたのだ。
だから、天音自身によってそれを否定されたので、バクラは驚きを感じた。
「誰に優しくしたって?」
腕を組んでニヤニヤと天音を見返すも、天音は熱くもなく、冷たくもなく、厳しい顔を見せるだけだ。
「お兄ちゃんを利用するだけなら、そうして。傷つけたって良い。容赦なく突き放して。それで、お兄ちゃんは本当の意味で恨んだりしないわ」
「お前、何言ってんだ?」
不可解な言葉の羅列。
傷つけるなではなく、傷つけろとはどういうことだろうか。
天音は天を仰いだ。
まるで器である兄を見るように。
思案するようにゆっくりと目を閉じ、息を吸った。
「残酷なのよ、あなたは。お兄ちゃんに沢山の印を付けて、お兄ちゃんから離れようとしてる。それが本当に寄生虫みたいなヤツなら、お兄ちゃんは最終的には救われて、ハッピーエンド。でも、あなたは……」
一度だけ天音が顔をくしゃりと歪めた。
ほんの一瞬だけ、泣きそうな表情を見せた。
「お兄ちゃんに『心』を見せるから、お兄ちゃんはあなたを憎めなくなってしまう。このままだとお兄ちゃんは独りで取り残されてしまうわ。やるなら徹底的に悪を演じなさいよ。傷つけて、一寸の隙も与えないようにして」
後はもう顔色を変えずに畳み掛けた。
心の内を悟らせないような顔だったが、バクラは理解した。
もう、戸惑うことはない。
「そうだな。お前だけには話してやるよ」
いつもの挑戦的な言動は鳴りを潜め、バクラは穏やかな顔で静かに口を開いた。
「オレはお前の期待する完全な悪役なんて立派なモンじゃねえんだ。独りで足掻いて駆けずって、舞台裏には何にもねえチャチな小物だぜ」
バクラはぎゅっと手を握りしめて目を瞑る。
過去と今、二つの時代が脳裏に流れ、最後に獏良の顔が映る。
次に目を開いた時にはもう不敵な笑みを浮かべていた。
「だけどな、最後には大物を演じてやるから覚悟しとけ。小物には小物の意地ってヤツを見せてやるからな。泣くぞ、お前」
天音は目を瞬かせ、
「なんなの、それ、答えになってないじゃない」
ぷっと吹き出した。
二回目の本音の表情だ。
「でも、だから、お兄ちゃんはあなたのことを……」
バクラを優しげに見つめた。
「宿主がなんだって?」
「なんでもない」
口を尖らせるバクラに天音はふわりと首を横に振った。
「もういいの。戻るわ」
「満足はしたのか?」
「大体」
獏良から生み出された天音は
「もうどうすることも出来ないじゃない」
偽物であり
「本人も認めちゃうわ。もう自己責任の範疇ね」
「バカだな、お前」
「そうね」
強い想いで作り出した偽物は
「でもね、お兄ちゃんは優しいから……」
「そうだな」
本物である
「大事にしてね、お兄ちゃんを」
天音は小さな光の塊となって、獏良の中に溶けていった。
「なるべくそうするぜ、天音」
その場所を見つめながら、バクラが呟いた。
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天音に関してはお好きな姿を想像して下さい。
ちょっと盗賊王入ってました。