ばかうけ

獏良は暗い部屋の中で膝を抱えて座っていた。
外では壮絶な闘いが繰り広げられているのだろう。
心の部屋に閉じ込められた獏良には何も聞こえない。
バクラは言った――これで終わりだと。
本来ならば、部屋の隅で縮こまっている場合ではないかもしれない。
しかし、扉は固く閉ざされ、どうしても外へ出て行くことは出来なかった。
最近のバクラは排他的だ。
何を言っても聞いてもらえず、ともすれば噛みつかれそうな雰囲気だった。
付け入る隙が全くなかった。
これは遊戯とバクラの最後の闘いなのだ。
誰にも邪魔はされたくないだろう。
『終わるまでここで待っていろ』

もしかしたら、そう言われたから自分は出ていくことが出来ないのかもしれないと獏良は思った。
『終わったら』、どうなるのだろうか。
バクラがこの扉を開けに来るのなら、遊戯が敗北したことになる。
万が一、バクラが遊戯に勝った後はどうなるのかなんて獏良には想像が出来なかったが。
それは、絶対に願ってはいけない。
勝つのは遊戯でなくては。
――でも。
もう一つの結末も見たくはない。
矛盾しているが、不思議とそう思ってしまった。
どちらも望んではいけない。
獏良は静かに心の部屋の中で時が過ぎるのを待つしかなかった。

『ジュセル!!』
バクラはエジプトの王が生み出した創生の光に貫かれた。
完膚なきまでの敗北。
その場に留まる力をも失い、宿敵アテムの前から消え去るしかなかった。
もう、宿主である獏良を縛っておくことは出来ない。
心の部屋の中で閉じ込めておくことも。
それでも、バクラは残された力で心の奥へと進んだ。
いつもならすぐ辿り着くはずなのに遠く感じる。

『終わるまでここで待っていろ』

そう言ったからには迎えにいかなくては。
酷く重い身体を引きずり、一歩ずつ進んでいった。
獏良はどんな顔をするだろうか。
それを想像してバクラは薄く笑った。

ガチャリと戸の開く音が聞こえ、獏良は反射的に顔を上げた。
――終わったんだ!
立ち上がろうと腰を浮かし――。

心の扉を開けると、閉じ込めた時と同じように獏良がいた。
バクラはその変わらない様子に少しだけ安堵する。
立ち上がろうとした獏良がそのままギクリと身体を硬直させた。
バクラには今の自分の姿を確認する術はない。
本来ならば、掻き消えていてもおかしくない状況だ。
今まで通りの姿でいられている自信はなかった。
――そんな顔、するなよ。
獏良の顔に浮かんだ驚愕の表情にゆっくりと悲哀の色が混じって歪む。
口元を手で覆い、言葉もなく動けないでいるようだった。
大きな瞳が滲んできらきらと光沢を放った。
なんとなく、バクラは自分の姿の察しがついた。
――ダメだろ、そんな顔しちゃ。
獏良のそばに寄ろうと、ドアから一歩部屋の中に踏み入れた。
二歩、三歩。
動けない獏良の代わりに歩みを進める。
部屋の中央にあともう少しで辿り着く。
右足をもう一つ進めたところで、がくんと身体が傾いた。
地に着くはずの足がなかった。
支えを失くし、身体が必然的に前へ倒れる。
「バクラ!」
床に衝突する寸前で飛び込んできた獏良がバクラの身体を受け止めた。
獏良の胸に抱かれる形で収まる。
バクラは温かく柔らかい感触に包まれた。
「……終わったぜ」
しっかりとバクラを抱き締めたまま深く獏良が頷く。
バクラから獏良の顔は見えなかったが、先程見えた表情がこびりついて離れない。
以前、似た状況で行われた闇のTRPG。
獏良は闇から解放されて友人たちと笑っていたではないか。
なぜ、今は笑っていないのだろう。
バクラの姿を見れば、結果は一目瞭然のはずだ。不思議で仕方がなかった。
一方の獏良は涙を流さないように堪えていた。
涙が零れ落ちてしまったら、バクラに泣いていることがばれてしまう。
それでも、少し小さくなってしまったバクラを抱えていると、視界が滲むのを止められなかった。
震える唇を噛んで耐えていた。
「そこから出ていきな」
バクラの身体は少しずつ黒い粒子のようになって消えていく。
本人には見えていないが、気づいているだろう。
バクラの背中に回した白い腕にぎゅっと力を入れた。
――あったけぇ。
早く自分など捨て去ればいいのにとバクラは思ったが、獏良はそれをしない。
――結局、穢せなかったなァ……。

幾年の時を経て見つけた宿主。
見つけた時は子供だったが、成長しても心まで真っ白だった。
操りやすい逸材だと喜んでいたが、そうはならなかった。
甘く見ていたところに闇を跳ね返してしまったのだ。
土壇場で見せつけられた強さには感心せざるを得なかった。
だから、今度は分からないようにじわじわと懐柔していったのだ。
それでも、獏良は染まらなかった。
どこまでも、獏良は獏良だった。
もし、負の心が生まれていれば、千年リングに蝕まれていたかもしれない。
千年リングの邪念はバクラの意思を越えたところにある。
やはり、この宿主でなくてはならなかったのだと今になって再認識した。
闇とは正反対にありながらも、呑み込みも呑み込まれもしない存在。
だから、居心地が良かった。

「お疲れさま」
獏良の声は少し震えていた。
泣いているのかどうか確かめたいが、もう頭を動かせない。
腕を伸ばそうとしても動かない。
「もういいんだよ」
動こうとするバクラに気づき、獏良はなるべく平静を装った声で囁いた。
その優しく穏やかな声は聞く者を安心させる力があった。
バクラからふっと力が抜けた。
「やどぬし」
「なぁに」
獏良の温かな腕の中は、まるでゆりかごのようで眠気を誘う。
「本当に居心地がいいなァ、お前……」
嬉しそうに満足そうに呟き、バクラはゆっくりと目を閉じた。
バクラの残された身体が粒子となり、闇から闇へと消え去ってゆく。
「おやすみ、バクラ――」
バクラを抱えた体勢のままで獏良は最期の言葉を送った。
太ももにポツリと水滴が落ちた。


童実野美術館は父親がオーナーなのでわりと融通が利く。
一般客の立ち入り禁止区域も特別に入れてもらえた。
獏良は隠し通路を通り、使われていない部屋へと向かった。
かつて、ここでファラオの魂と大邪神の欠片が命を懸けて闘った。
今では、その時に使われたTRPGのジオラマがあるのみだ。
これを作っていたときは夢か現か曖昧で記憶はあまりない。
獏良に古代エジプトの町並みなど分かるはずがないので、バクラの思う通りに作らされていたのだろう。
とんでもないことを手伝わされていたなと思う。
王宮に町や遺跡――。
獏良は我ながら大傑作だと感心してしまう。
そして――。
小さな村の跡。
獏良は抱えている白百合の花束をその村の前に置いた。
――これは墓標。彼と彼の家族たちの。どうか安らかに眠って下さい。
そして黙祷を捧げた。
彼に祈りが届くように。

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彼は浄化された。
やっぱり了くんに看取らせたい。

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