ばかうけ

Bitter


「だから?」
それは、とても冷たい響きだった。
最近は落ち着いていると思っていたのに、これでは以前と逆戻りだ。
「なんでそんなに頑ななの?こんな時に限って……」
「こんな時だからだ」
それはどういう意味と聞く前に、バクラの手が顔面に迫っていた。
あっという間に視界が闇に覆われる。
実体がないので掴もうとしても掴めない。
逃れようとしても逃れられなかった。
「やっ、やめてよ……」
抗議の声も空しく、獏良の意識が遠ざかっていく。
――なんで、急に……?
そのまま闇に意識が落ちていった。


心の部屋に幽閉されたのは久々だった。
しかも、どちらの心象風景が表れているのかは分からないが、一寸先すら何も見えないただの暗闇が広がっている。
獏良は床に張りつけにされた姿でずっと過ごしていた。
両手は頭の上で束ねられ、目に見えない力で拘束されている。
どんなにもがいても動くことが出来ないので、とうとう抜け出すことを諦めてしまった。
――あれから、どれくらい経ったのかな……。
ここでは時間の流れは分からない。
あんなに乱暴に扱われるのは、初めてバクラの存在に気づいた時以来ではないだろうか。
――でも、あれは乱暴というよりも……。
獏良は何も見えない闇の空間を見続けた。


「くそ……っ」
身体の操縦権を得たバクラは、リビングのソファに座っていた。
頭を垂れ、前屈みの姿勢のまま、じっと動かないでいる。
暑いわけでもないのに、額から汗が流れ落ちていた。
この時期はいつもこうなのだ。
毎年この時期になると、自分の存在が酷く曖昧になる。
身体を手に入れる前は、時間の流れが確かではなかった為に意識はしていなかった。
意識をするようになったのは、獏良の中に棲むようになってからだ。
それが、獏良の誕生日前後に当たるということに気づいたのはここ数年だ。
人間でいえば、軽い風邪のようなものに当たるのだろうか。
確かにここにいるはずなのに、目の前がぼやけたり、あるはずのないものを見たり。
まるで、砂漠の中で蜃気楼を見ているような状態だった。
本当に自分はここにいるのだろうか。まだ、あの時の中をさ迷っているのではないのだろうか――。
少しすれば勝手に治るので、いつもなら放っておくのだが……。
今年はまずかった。
近くに共鳴をしている千年パズルがある今、何が起こるか分からない。
だから、獏良を心の中に監禁してまで用心していたのだ。
宿主である獏良にも影響が出る恐れがあった。
結果は予想通りだ。
熱、頭痛、吐き気。
酷いものだった。
理由は分からない。
ただ、必ずこの時期ということは、過去に何かあったのではないかと思った。
――遠い過去。まだ、人間だった頃の……。
思い出せるはずがない。
今となっては全てが朧げになってしまっているのだから。
もし仮に、この日に何かあったのだとしても、今のバクラに何の関係があるのだろうか。
酷く喉が乾く。
虚ろな目でバクラが顔を上げた。
視界が霞んでよく見えない。
今は肉体があるはずなのに、意識が消えてしまいそうだった。
今の自分に唯一確かなものは……。
――宿主。
頭に浮かぶのはその姿だった。
――宿主。宿主。宿主……。
バクラはゆらりと心の奥底に沈んでいった。


「はあ……」
いつまでこうしていればいいのだろうか。
獏良は遊戯たちとの約束を思い出していた。
せめて、連絡が取りたかった。
もしかしたら、とっくに約束の時間は過ぎてしまったのかもしれない。
することもなくぼんやりしていると、足元にバクラがふらりと現れた。
「あ!いい加減にこれほど……」
言い終わる前に、ぎくりと獏良の心臓が跳ね上がる。
現れたバクラは顔色が悪く、その瞳は冷たい光を放っていた。
――まずい。
獏良の頭の中で危険信号が点滅する。
「今の彼はまずい」と本能が告げていた。
「宿主ぃ……日付が変わったぜ」
ひたひたとバクラが近づき、獏良の胴を跨いで見下ろした。
「お誕生日オメデトウ」
――ぞくり。
心のこもっていない言葉に、獏良の背筋に悪寒が走った。
腕の拘束を外そうともがくも、やはり動かない。
胸倉を強い力で掴まれ、ビリっという布の裂ける音がした。
「やめ……!」
バクラが獏良の顔を覗き込む。
――その空虚な瞳で。


もう後は、バクラにされるがままだった。
時間の感覚も分からないこの空間で徹底的に嬲られた。
何を言ってもバクラの耳には届いていないようだった。
しまいには抵抗するのを止めてしまい、人形のように身体を横たえた。
それにバクラは覆い被さり、
「やどぬし、やどぬし、やどぬし……」
うわ言のように繰り返す。
乱暴を働いているのはバクラのはずなのに、まるで獏良に縋っているようだった。


獏良が目を覚ますと、そこはリビングのソファの上だった。
解放されたと同時に、バクラは何処かへ行ってしまった。
お陰で身体を動かすことが出来る。
長時間にも及んだ行為に心は悲鳴を上げていたが、久しぶりに動かす身体も無傷のはずなのに何故か重たかった。
時刻を見てみると、とっくに誕生日の昼を過ぎていた。
重い身体に鞭を打ち、固定電話に向かう。
後からでも休みの連絡を入れなくては。
一人暮らしだということは担任も承知しているので、何も連絡せずにいたら誰かを家に寄越してしまうかもしれない。
その後は遊戯たちにも連絡をしなくてはならない。
こんな状態では遊びに行けるわけなどなかった。
獏良は深いため息をついた。
身体も心もボロボロで散々な誕生日だ。
しかし、不思議と怒りは湧いてこなかった。
そんな気力もないのかもしれないが。
あの間、バクラは熱に浮かされたように獏良を呼び続けた。
それなのに、近くにいるのに決して目線は合わなかった。
ただじっと耐えていただけだったのだが、返事をすれば良かったのだろうか。
思い返してみても、どうすれば良かったのか分からない。
始めの内は感情のこもっていない瞳だと思ったが、必死にしがみついてくる姿を見たら、まるで子供のようだと感じた。
最初に感じた違和感。
乱暴のように見えて、焦っているように思えたのだ。
獏良を外に出さないようにしたのには、何かあるのではないか。
いくら考えたとしても、バクラが答えを言うはずがない。
獏良は教師に体調不良である旨を伝えると電話を切った。
そっと胸に手を当てる。
いま、心の中で彼は凄く静かだ。
眠っているのだろうか。
「誕生日か……」
誕生日がダメになってしまったのはとても残念だが、誕生日は来年も来る。
祝ってもらえるのが少し延びただけだ。今年も去年までと同じになっただけなのだ。
そう自分に言い聞かせた。
――そういえば、あいつにも誕生日ってあるのかな……。
それは自分でもおかしくなってしまうくらい突拍子もなく湧いて出た疑問だった。
馬鹿げている。肉体を持たない魂だけの存在に誕生日など。
あったとしても、獏良に知る術はない。
もし、あるとしたら、それは――。
「今日かな……。誕生日も半分こ、なんて御免だけど」
獏良は疲れきった顔で笑いを零した。

彼は眠る。
獏良の心の奥底で。
ゆりかごに揺られている赤子のように。

獏良の脳裏に必死なバクラの顔がふとよぎる。
「……僕はここにいるよ」
その言葉は誰にも届くことなく、闇に吸い込まれていった。

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お誕生日おめでとうございます!
20周年記念のお祝いの意味も込めて、お遊び要素も入れてみました。
こちらが正規ルートっぽいですが、二つで一つの話です。

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