恋に落ちるときの音って、どんな音がするんだろう。
鐘が鳴るような音だろうか。
それとも、鳥が囀ずるような音なのだろうか。
大きい音なのだろうか、小さい音なのだろうか。
恋なんてしたことがなかったから、知らなかったんだ。
ある日、恋に落ちた
いま、僕の目の前にいる男はバクラ。
僕と同じ名前を名乗っている。
「目の前にいる」といっても、他の人には見えない。
彼には肉体がない。
僕が持っている千年リングの中に入っている魂なんだ。
原理はよく知らない。
そうなった理由も知らない。
僕が千年リングを身に付けると、僕の身体に入ってくる。
それで勝手に動き回ることもある。
正直、迷惑し通しだ。
今日は僕の中にいるだけで、大人しくしている。
だから、今のバクラは他の人には見えない。そういうこと。
幽霊みたいなものかな。
僕の読んでいるゲーム雑誌を後ろから覗き込んでいる。
興味あるんだろうな。
外に出れば騒がしい奴なんだけど、家の中にいる時は意外と大人しい。
考え事をしていることが多い気がする。
気がするというのは、僕にはバクラの考えていることは一切分からないからだ。
バクラは勝手に僕の心を覗き込んだりするけど……。
僕はバクラの顔が近くにあるのが、気になってしょうがなかった。
もし、身体があれば、息のかかるほどの距離だ。
雑誌の記事に集中したいのに。
バクラの顔と雑誌、交互に視線を送っていたら、にゅうっとバクラの手が伸びて雑誌の端を叩いた。
めくれってことか。
全然読み終わってないのに。
ぼーっとしてた僕が悪いんだけど。
指示された通りにページをめくる。
バクラは新しいページの記事を静かに目で追い始めた。
普段はゲラゲラ笑ったり、態度が大きいんだけど、こうして静かにしていると、別人みたいだ。
人畜無害そうな顔と言われる僕と違って、鋭い顔つきをしている。
真面目な顔と相俟って、男の目から見ても少しかっこいい。
僕と同じ顔のはずなのに。なんだかズルいと思う。
「……宿主」
雑誌を見つめたままで、バクラが急に僕を呼んだ。
「なに?」
平常心平常心と心の中で唱えながら返事をする。
あまりに動揺したら、考えていることがすぐにバレてしまう。
「さっきからオレの顔を見て、何かあんのか?」
動揺するしない以前の問題だった。
「い、いやー……この記事、面白いのかなって」
しどろもどろに僕が答えを返すと、バクラは雑誌から目を離してこちらを向いた。
鼻が擦れ合いそうな距離だ。
真面目な顔がにやりと大きな口を開けた。
「そうか。オレ様はてっきり、見惚れられてるのかと思ったぜ」
瞬時に顔が熱くなるのを感じた。
どうしよう。早く何か言わなくちゃ。変に思われる。
バクラは片眉を吊り上げて、怪訝そうな顔をした。
「宿主、お前……オレに懸想しているのか?」
……けそう?ケソウ?
バクラの言葉の意味がすぐには分からず、何度か頭の中で繰り返し――。
やっと理解が出来た。
「何言ってるんだよ!!」
顔の熱はどんどん上がっていて、本当に火が出ているんじゃないかと思った。
だって、懸想なんて。
恋なんて、するわけないじゃないか。
よりにもよってバクラに。
何度も酷い目に遭わされているんだから。
僕が知らないないだけで、本当はもっと酷い目に遭っているのかも……。
とにかく、僕にとって疫病神でしかないのに、好きになんかなるわけない。
バクラはじっと僕の顔を見つめ、面倒臭そうに軽く首を振った。
まるで、僕が迷惑をかけているみたいに。
「……めんどくせェなァ」
小さく呟かれた言葉を、僕は聞き逃さなかった。
面倒臭い?僕に好かれると面倒臭いということ?
あんまりじゃないか。
僕の身体に居座ってる存在のくせに、あまりにも上から目線だ。
第一、僕は……。
そこで、胸の辺りがちくちくと痛むことに気づいた。
「面倒臭い」という言葉が、自分で思ったよりもショックだったらしい。
「随分勝手な言い草じゃないか。君なんか好きじゃないよ」
傷ついてしまったのを隠したくて、僕はバクラに否定の言葉を浴びせた。
それなのに、バクラは一片も表情を変えずに、僕を黙って見ていた。
僕が熱くなればなるほど、バクラは興醒めしているようだ。
まるで、僕だけがバクラを好きで、必死になっているようで、悔しい。
恋なんて知らないから、出来るわけないのに。
頭の中に浮かぶのは、今まであった出来事。
それはどれも、好意とか恋愛に繋がるものじゃない。
でも、親よりも、友達よりも、長い時間を過ごしてしまったから、全て僕の心の中に色濃く残っている。
いつの間にか、深く繋がれている。
僕の招かれざる半身。
もう、簡単には切り離せないところまで来てしまっているんだ。きっと。
それだけは、僕にも分かる。
だから、傷ついたんだ。
軽々しく僕のことを面倒臭いなんて言われたから。
感情が溢れそうになっている僕を前にして、バクラは思案顔で頬を掻いた。
「まあ、落ち着いて聞けよ。オレは人間の感情……色恋沙汰なんて理解不能なんだよ。好きだ惚れたなんて言われても、訳分かんねェし、必要とも思えねェ」
僕はバクラが何を言いたいのか分からずに、ぽかんとその喋る姿を見つめた。
「まあ、他ならぬ宿主様がそう言うのなら、光栄の極み……と思えなくもないがな」
いつもはっきりと物を言うバクラにしては、歯切れが悪く聞こえる。
本人もすっきりしないのだろう。唇が歪んでいた。
何を言っているのかと聞き返そうとしたけど、次の言葉でその機会は失われた。
「お前が望むなら、恋愛の真似事くらいは付き合ってやってやるぜ」
「えっ!!」
全身に稲妻のようなものが走るとは、このことなのだろうか。
身体が硬直してしまって動けない。
そんな僕の唇をバクラの指がそっと押さえる。
「『世界で一番大切な宿主様。お前は誰にも渡さない。ずっとオレの元にいろ』」
真剣な眼差しで熱っぽくそう囁かれた。
まるで本当に愛の告白をされたみたいだ。
身体中の体温が上がっていく気がした。
勘違いしちゃいけない。これはただの演技なんだ。
「真似事」と言っていたじゃないか。
例えるなら、これはただの「恋愛ごっこ」だ。
そっちがその気なら、受けてたとうじゃないか。
僕は唾をごくんと飲み込み、バクラに向かって口を開いた。
「『君のそばにいられるのなら、僕は他に何もいらないよ。僕のことをずっと離さないで』」
目を逸らさずに、バクラを真っ直ぐ見つめる。
顔はまだ熱いけど、上手く言えたと思う。
その証拠に、バクラは一拍置いた後、表情を緩めて言葉を続けたから。
「『そんなに想ってもらえていたとは嬉しいねェ……。お望み通り、ずっと抱いていてやるよ』」
「『うん、ずっと抱き締めていてね』」
これは、ただのごっこ遊び。
だけど、言葉を重ねていたら、本当に恋愛をしているような錯覚をしてしまう。
恋愛ってこういう感じなのかな。
人が恋に落ちるときは、もっと劇的なのかと思っていた。
頭の中で幸せの象徴みたいな音が鳴るのんじゃないかとも。
僕の本当の気持ちがどこにあって、どうしたいのか分からなくなる。
目の前にいるバクラはどう思っているんだろう。
人間の気持ちは理解できないと言っていたけど。
僕だって理解できない。
恋なんて不確かで曖昧な感情。
もしかしたら、自分でも知らない間に、すとんと落ちているものなのかも……。
目の前にあったバクラの顔が近づいてくる。
それ以上近づいたら触れ合ってしまう。
「だ……だめだよッ!」
触れ合ったりするのは、「ごっこ」じゃない。
「『オレは構わねェけど』」
バクラの声は妙に艶っぽくて、僕を耳から刺激する。
茶化している雰囲気はまるでない。
バクラは真面目に恋愛ごっこに付き合っているつもりなんだ。
僕だけが恋愛ごっこの中で揺れている。
両手を伸ばしてバクラの頬に触れた。
「これは本音だけど、僕も恋なんてしているつもりはないよ。でも、離れられないって思っているのも事実。君にとっては面倒臭いことかもしれないけど」
僕の中の迷いや戸惑いを振り払うように、精一杯笑ってみせた。
すると、バクラはするりと僕の手を抜けて、僕の背中に手を回した。 僕はすっぽりとバクラの腕の中に収まる。
そこには体温も感触もない。
「そんなこと分かってんだよ。オレにはお前に与えられるものなんて何もない」
「それでいいんだよ。それが君だもの」
バクラの表情は見えない。
僕はバクラの頭を撫でるように手を動かした。
「僕も君も、普通の人間の真似をするだけさ。『僕と恋をしよう』」
ロマンチックな音もしないし、ときめきもないけど、
それはとても泥臭いものかもしれないけど、
僕らにとても合っていると思う。
「……ああ、お前はオレのたった一人の宿主だなァ」
バクラの返事はとても優しい声音だった。
僕にはその言葉が、本音なのか、ごっこなのか、分からなかったけど、胸が温かくなったんだ。
もしかしたら、これが――。
ある日、僕らは恋に落ちた。
----------------
改めて、二人の関係は難しいなあと思いました。
だけど、そこが好き。
なので、直球のテーマを投げてみました。
嘘から出たまこと。