ばかうけ

獏良が異変に気づいたのは、父親と仕事先から自宅に帰ってすぐだった。
大きな仕事があるという父親に、無理矢理せがんで付いて行った後。
父親は「思ったほど収穫はなかったな」とぼやいていた。
確かに、めぼしい品を手に入れられなかったようだった。
仕事前は獏良が声をかけるのも躊躇うほどに、ぎらぎらと目を光らせていたのに、家に帰った後の父親はまるで憑き物が落ちたように仕事への執着心を手放していた。
元の父親に戻ったのだと獏良は安堵をしていた。
買ってもらった千年リングの上に手を置いて。
しかし、異変は起こっていたのだ。
まず、部屋に置いてあったぬいぐるが消えていた。小さい頃から気に入っていたクマのぬいぐるみ。
もう、ベッドで一緒に寝るのは恥ずかしいからと、本棚の上に飾ってあった。自分で動かした記憶はない。
母親に聞いても首を傾げるばかりだった。


次は、遊ぶ約束をしていた友人たちの元へ行った時のことだった。
いつもの公園に顔を出したところで、友人たちは怪訝そうな顔をした。
「お前、もうオレたちと遊ばないって言ったろ」
これには卒倒しそうになるほど驚いた。
言った覚えもなく、そんな強い拒絶の言葉を自分が言うなんて考えられない。
半分パニックになりながらも、謝罪と言い訳を並べ、なんとか友人たちの輪の中に入れてもらった。
それでも、友人たちはまだ納得がいかない様子だったが。


そして、最後に異変を感じたのは家族の態度だ。
母親に遊園地へ連れて行ってもらう約束をしたことを口にした時、
「あら、あなた行かないって言ったじゃない」
と冷え冷えとした目で母親は獏良を見下ろした。
そんなことは言っていないと泣いても、取り付く島もなかった。
くれると言っていた古い懐中時計をいつまで経っても父親がくれないので尋ねたところ、
「んん?いらないと言ってたから、部下にあげてしまったよ」
と素っ気ない答えが返ってきた。

どれも、獏良には身の覚えのないことだった。
無条件に優しくしてくれた周囲の人間ががらりと別人のようになってしまったかと思った。
周りは獏良の方がおかしいと言う。
獏良の日常に小さくヒビが入っていく。


ある日、両親が揃って美術館へ出かけた。
例の如く、「あなたは行かないって言ったでしょ。私たちだけで行けばって」と言い残して。
両親を玄関で見送った後、布団に包まってわんわんと泣いた。
もしかしたら、自分は知らない世界へやって来てしまったのかもしれない。
その世界では本当は別の自分がいて、入れ代わってしまったのだ。
もう一人の自分はどうやら、獏良よりも強気で、人や物を大切にしないようだ。
その妄想は図書館で以前読んだ怪談話の不出来なコピーだった。
自分が自分でないような気がして、獏良はがたがたと震えた。
布団の中で際限のない妄想を続ける。
そうしているうちに泣き疲れ、次第に獏良の瞳は閉じていった。


夢を見た。
暗闇の中で両親が目の前を歩いている夢を。
二人の間には獏良がいた。父親と母親と手を繋いで。
おかしい。
獏良は両親の後ろに立ち、両親の後ろ姿を見ているのだ。
なら、二人と手を繋いでいるのは誰なのだろう。
「まって!」
獏良は両親へ向かって声を張り上げた。
「ボクはここだよ!それはボクじゃない!」
走っても走っても追いつけない。
両親は振り返りもしない。
このままでは何処かに二人は行ってしまう。自分ではない誰かを連れて。
「だれなの?キミはだれなの?!」
息を切らして走り続けた。
自分と同じ白く長い髪と細い身体。後ろ姿しか見えないが、獏良と瓜二つの姿をしている。他人とは思えない。
死に物狂いの問いかけに、ぴたりともう一人の獏良の動きが止まった。
首だけがゆっくりと振り返る。ぎぎぎと骨が軋む音でも聞こえそうな不自然な動きだった。
固唾を飲んで獏良はそれを見守る。
振り返った顔は、その表情は、黒塗りだった。
辺りの暗闇と同じように、空洞でもあるかのように、その顔は黒く塗り潰されていた。
「ヒッ!」
獏良は口に手を当て、後退る。
「だ……だれ?」
自分とそっくりだと思っていたモノは、得体の知れない何かだった。
「だれ?」
すぐ後ろから獏良と同じ声が聞こえた。
口も開いてないのだから、声の主はもちろん獏良ではない。
しかし、声も話し方も全く同じだった。
――後ろに、いる。
前にいたはずの両親たちの姿は掻き消えていた。
「『だれ?』だってさァ!ヒャハハハハハハッ!可愛いねえ…!」
今度は同じ声でも醜悪な色が混じっていた。
獏良には到底出せない声音。同じなのに違う。
自己認識が揺るがされる。
確かにここに立っているはずなのに、後ろにいるのも自分。
自分のはずなのに、その自分は歪んでいる。
ミラーハウスに閉じ込められてしまったような感覚。
胃の中のものを全て戻してしまいそうだった。
それでも、ぐっと腹に力を入れて叫んだ。
「パパとママをかえして!」
「嫌だね」
声と共に背後から手が伸びる。
下から顎を鷲掴みにされ、両手を後ろで押さえつけられた。
「誰が返すか。パパもママもお友だちも、お前には必要ねえだろ」
「イヤだイヤだあ!」
身体の自由を奪われた分、声を上げて抵抗をする。
「お前の付き合う人間はオレ様が選ぶ。お前はただ大人しくしていればいいんだ」
声には笑いが含まれていたが、聞いているだけで心が冷え冷えとする。
「やめて……」
「そうだな。お前にはオレ様だけが居ればいいんだ」
それ以上獏良は言葉を紡げなかった。ぐいと顎を持ち上げられ、言葉を封じられた。
「なあ、宿主ィ」
全て奪われてしまう。
この誰とも分からない影の存在に。
獏良の心の中は悲鳴で満ち溢れた。


目が覚めたのは、寝る前と何も変わらないベッドの上だった。
――こわい。
布団の中で手足を丸める。
そして、胸にかかっている千年リングを掴んだ。
――たすけて。
最後に言われた。
『お前の全てを奪う』と。
今も耳に残っている。
しかし、こうも言った。
『オレ様だけが居ればいいんだ』
矛盾している気がした。
獏良に取って代わろうとしているのなら、わざわざ『自分だけが居ればいい』なんて言わなくてもいいのではないか。
それではまるで――。
『お前はオレ様のもの』
また、あの声が聞こえた気がした。
――聞こえない。聞こえない。
今は現実なのだ。聞こえるはずがない。
獏良は目をきつく瞑り、聞こえないふりを続けた。

----------------

一つ前の話「リコリスの憂鬱」を書いてる時に思い浮かんだ対の話です。
幼少期の話は色々考えられるので定期的に書きたくなります。

前のページへ戻る