原作のラストとは違い、「バクラがアテムに勝った」もしも次元となっています。
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獏良はぱちりと目を開けた。
部屋の電気はとっくの昔に切れている。
薄暗い天井を半覚醒のままで見つめる。
窓から射し込む月明かりがぼうっと部屋を照らしていた。
冷たい夜風が色褪せたカーテンを靡かせ吹き込んでくる。
身体が冷えて目が覚めてしまったようだ。
むくりと上体を起こし、氷のように冷たくなってしまった身体をさする。
寝る前にもっと厚着をして寝れば良かったと後悔をした。
毛布が見当たらず、シーツにくるまって床に就いたのだ。
この部屋の窓が閉まらないことをもっと深く考えるべきだった。
はたはたと翻るカーテンの音以外は何も聞こえない。虫の声もしない。
自分の呼吸がうるさく思えるほどの静寂。
――自分の……。
「彼」がいない。
そこでやっと気づいた。もう一人の気配がしないことに。
獏良はシーツを身体に巻きつけてベッドから下りた。
裸足のままぺたぺたと足音を鳴らし、彼を探しに部屋を出た。
夜空に浮かぶ月、君と向かう先
今夜は満月だ。
彼は公園の広場で夜空を見上げていた。
使われなくなった遊具が夜風に吹かれてギシギシと音を鳴らしている。
子供たちはもういない。
辺りの電灯はすべて消え、月と星の光だけが夜を照らしていた。
遥か昔に比べれば遠くに感じるけれど、少し前までの濁りきった空より澄んでいる。
月も星も今にも落ちてきそうだ。
特に月は青白く輝き、圧倒的な存在感を放っていた。
月光に照らされ、彼の足元から朧な影が伸びている。
影には角と翼、それにとぐろを巻いた蛇が――。
彼の姿と寸分違わず、地面に映し出されていた。
誰もいない公園で蛇の尾を揺らす。
忌々しい人間は一人もいない。
翼も尾も存分に伸ばすことができる。
人間より遥かに大きい身体に広場は少し窮屈だが、こればかりは我慢しなければならない。
この世界の生物が死に絶えてからしばらく経つ。
人間が生み出した物は風化の一途を辿っていた。
建物の窓ガラスは粉々に割れ、コンクリートはぼろぼろと崩れている。
やがて、すべてが無へ還るだろう。
彼は光のない赤い瞳で空を仰ぐ。
何の音もしない、いい夜だ。
「バクラ」
視線を地に向けると、公園の入口に少年が立っていた。
塀に手をつき、肩で息をしている。
長い髪も肌も、身にまとっているシーツも真っ白。
すべてが死に絶えた世界で目を見張るほどに白かった。
目が合うと、少年の顔にパッと花が咲いた。
小走りで足元まで寄り、首を懸命に後ろへ傾けて彼の姿を見上げた。
そして、両手をいっぱいに広げる。
「バクラ」
もう一度、獏良は名前を読んだ。
かつての彼の名前。
大邪神が生み出した一つの人格。
封印された身に代わり、動き回っていた分身。
長年にわたり獏良の身体を操っていたが、王との最終対決で身体から離れ、復活した本体に還った。
大邪神は辛くも勝利を手にし、かりそめの器は必要なくなった。
あとは、世界を滅ぼすだけだった。
鋭い爪の生えた手が獏良へ伸びる。
その大きさからは考えられないほど優しい力で胴体を包み、ゆっくりと獏良を持ち上げた。
顔の真正面で腕を止める。
瞳の前に少年がいる。
もはや感情を映さなくなった瞳の前に。
獏良は腕を広げて名前を呼びかける。
それに応えるように、彼はゆっくりとまばたきをした。
世界を闇に染めることだけを望んだ大邪神の元に一人の少年が残された。
分身は少年のことをとても気に入っていた。
人間とは程遠いものではあったが、分身は大邪神の一部とは思えないほどに感情豊かだった。
そして、持つことも許されない想いをその宿主に対して抱いてしまった。
口にすることも態度にすることもなかった分身だったが、表に出さないだけ想いは深かった。
本体に還り、分身の意思は本体に統合され、本来の姿に戻ったはずだった。
大邪神の中に僅かな感情が残っていたのだ。
砂漠に落とされた一粒の恋慕。
人類の中でたった一人だけ生かすことにした。
少年を目の前にしていると、心が落ち着いていく。
生かしたのは一時の気の迷いだと思ったこともあるけれど、間違いではなかったのだ。
今も心の底から少年を求めている声がする。
名前を呼ばれる度に心が踊る。
この目にもっと少年を映していたいと叫んでいる。
少年はもう少年と呼べる年齢ではない。
青年と呼ぶべきなのだろうが、純粋さを残した面持ちは、やはり「少年」だった。
さらに手を顔に近づけると、獏良は自分の背丈よりも大きな顔に手を触れ、身体を寄せた。
「バクラ……」
すべてが終わった後で目が覚めた獏良は泣き叫んだ。
大切な友を失ったのだ。予想通りの反応だった。
数日間泣き続け、ある日ぴたりと泣き止んだ。
泣くことに疲れ、涙が一滴も出なくなったのだ。
そして、上げた顔には悲哀の色はなかった。
目に理知の光を宿したままで獏良は口を開いた。
「君がこの世界を望んだのなら僕は受け入れる。最後まで一緒にいよう」
既に大邪神と化した連れ合いに向かって、恐れることもなく言ってのけたのだ。
さすがに千年リングを所有していたことはある。その精神力は称賛に値する。正気を失うことはなかったのだ。
もしかしたら、失うことを知りすぎたがゆえなのかもしれない。
白すぎる獏良の心は、突きつけられた現実をそのまま受け入れることにしたのだ。
獏良はこうも言った。
「みんなやがて死んでしまうもの。別れが早く来ただけ。寂しいけど仕方ないよね……」
すべてを奪った存在を恨むことはなかった。
ただじっと寄り添い続けていた。
恐ろしい外見に惑わされることもなく、昔と変わらない姿を獏良の瞳は捉えている。心の底を覗き込むように。
「月、綺麗だね」
獏良は空を見上げた。
大邪神は獏良を見続けたままでいる。
世界が終わった後も、遠い昔も、月は変わらない。
月だけはいつも空にぽっかりと浮かんでいる。
「僕もやがては死ぬね。人間だもの。それまでだね、そばにいられるのは。それまではそばにいるよ」
目覚めたばかりの獏良が口にした言葉が彼の頭に甦った。
人間の寿命はほんの僅かの間に尽きてしまう。
少年がいなくなった後はどうすればいいのだろうか。
世界と共に沈んでいくことにしようか。
少年の亡骸と共に。
彼はもう一度ゆっくりと瞳を閉じた。
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こんな二人もありかなと思いました。