ばかうけ

その日バクラは、いつもより少しだけ早い時間に目覚めた。
獏良がかけた目覚ましが鳴る少し前だ。
することがなく、ただぼーっとして早朝を過ごす。
目覚ましが鳴るまで、後五分。
4…3…2…1…
少々勢いに欠けるが、獏良が起きるのには十分な機械音が部屋に鳴り響く。
これでいつもなら獏良が渋々体を起こし起床、目を擦りながら目覚ましを止める。
ところが、今日はそうならなかった。
相変わらず布団の中ですうすうと、平和な寝息を立てている。
後で文句を言われては敵わないので、バクラは一応声をかけた。
「おい、起きろ。遅刻しても知らねぇぞ」
微塵も動かない。
「どうした」
バクラは獏良に、身体よりも深い部分に、問い掛けた。


10.すき


「おはよー」
「うーっす」
朝独特の爽やかな空気の中で口々に挨拶を交わす生徒たち。
おのおの友人たちと輪を囲み、他愛のない話をし始める。
「おはよう」
城之内と遊戯も、獏良に微笑みかけられ、いつも通りに返答をしようとした。
が、一瞬だけ表情が凍りついた。
「あ……うん、おはよう」
「はよ」
二人は獏良に調子の外れた返事をした。
せざるをえなかったという方が、正しいかもしれない。
獏良はそれを気にした様子もなく、自分の席についた。
後ろで城之内と遊戯が耳打ちをしていることに気付きながら。

「獏良ー、たまには屋上でメシ食わねぇ?」
朝とは打って変わり、城之内が明るい笑顔を向けて獏良を誘った。
隣には弁当箱を持った遊戯もいる。
獏良は二人の意図を察し、思考を巡らせた。
別にどうなろうと困ることはない。
面倒臭くはあるが。
「良いよ。行こ」
いつもの弁当箱ではなく、スーパーの袋を取り出して獏良が頷いた。
城之内と遊戯が前を歩き、獏良がそれについていく。
「今日はコンビニか?」
ぎこちなく尋ねる城之内に、
「うん。分かってるのに聞くなんて人が悪いなぁ、城之内くん」
端から見れば人の良い――実際には得体の知れない笑みで、にこにこと獏良が言った。
「そうか」
城之内は顔を引き締め、それきり屋上に出るまで何も言わなかった。
屋上は人気が少なく、密談するにはもってこいの場所だ。
今日も例外なく、三人以外には誰もいない。
城之内と遊戯が獏良に向き合った。
「えーっとよ……」
上手い言葉が見つからず、城之内が口ごもる。
代わりに遊戯が進み出て、優しげな顔に強い意志を覗かせる表情で単刀直入に切り出した。
「獏良くんはどうしたの?」
それだけで事足りた。
"獏良"はにこにこと細めていた目をゆっくりと開いた。
温厚な瞳は見るものを射抜くような鋭いまなざしへと変貌し、髪がなびき、全体的に堂々とした印象になった。
城之内がそれを受けて身構えた。
遊戯は微動だにしなかった。
「知らねぇよ」
出来るだけ感情なくバクラは答えた。
このことに対して、自分がどう思っているなんて他人に教える必要がないからだ。
「知らないはずないだろうが!また、お前が獏良に何かしたんじゃないのかよ!」
それまで抑えていた感情を叩きつけるようにして城之内が吠えた。
「そう言われても、本当に何もしてないんでね」
小馬鹿にするようにバクラは肩をすくめた。
その行動が相手の怒りを買うと分かっていて。
「宿主さまもお年頃だからねぇ。思うことあって引きこもっていらっしゃるのかもしれないぜ」
そう言うだけ言うと、二人に背を向けてバクラは屋上の出口に向かった。
「待てよ」
遊戯にしてはやけに低い声で呼び止められ、バクラが立ち止まった。
横目で確認をする。
もう一人の遊戯がそこにいた。
「本当に直接何もしてなくても、原因はお前にあるんじゃないのか」
立ち止まったのは一瞬のこと。それには答えず、バクラは屋上を後にした。
「るせぇよ」
誰にも聞こえないように、感情のこもった一言を掃き捨てて。
後から二人が追ってくるかと思ったが、そうでもないようだ。
遊戯が城之内を引き止めているのかもしれない。
階下へ下りながら、バクラは自分が相当腹を立てていることに気付く。
バクラは本当に何が起きているのか知らなかった。
いつも起きるはずの獏良が起きなかった。
心が奥に引きこもっているらしく、うんともすんとも言わない。
どうこうする前に登校時間が差し迫り、長い目で見たら欠席することは好ましくないだろうと思い、獏良の代わりを務めた。
学校の用意は律義な獏良が済ませておいてあったので、それを持ってくるだけで良かった。
弁当はまだ詰めてなかったので、コンビニに寄るしかなかったが。
学校に行くだけで良い。そう思っていたので、簡単に遊戯と城之内に正体を見破られてしまったのは面倒臭かった。

また、お前が獏良に何かしたんじゃないのかよ!

それなら、数え切れない程した。
しかし、それらは多過ぎて、全てが不正解だ。
特別な何かをしたわけじゃない。

原因はお前にあるんじゃないのか。

これが正解。
当てられたからこそ、腹が立つ。
バクラにとって、遊戯には関係ないことだった。
多分全てが原因なのだろう。
昨日獏良に何かしたかと考えてみれば……
抱いた。
ただそれだけ。
それは今に始まったことではなく、原因というなら、もっと早くにどうにかなっているだろう。
獏良は抵抗すると、もっと酷い目にあうと学んだらしく、今ではおとなしいものだ。
そうすることは、強靭な精神が必要なのだが。
バクラも泣き叫ぶ獏良を無理やり組み敷くよりは、その方が遥かにやり易い。
まな板の鯉は少々つまらないにしても。
幾らぐるぐる考えてみても、本人に聞く方が早い。
帰ったらゆっくり問いただしてやる。
残り少なくなった学校の時間がもどかしく感じた。

入口がきっちりと閉ざされた心の部屋は、そのまま閉じた心を表していると思って良い。
いくらバクラがこじ開けようとしても、びくともしなかった。
扉には拒絶の意志が見られた。
外から獏良の心を読み取ることは一切出来ない。
次第に苛々が募って来たバクラは、力任せに扉を蹴った。
ガン
反応はなし。
ガンガン
二度三度と繰り返す。
「開けやがれ!まさかこのままで済むと思ってんのかよ」
バクラが怒鳴ると、観念したように扉が開いた。
「ケッ」
明らかにいつもより薄暗い部屋の中にバクラは一歩踏み入れた。
肌にひんやりと冷たい空気が触れる。
「どれだけ塞ぎ込んでやがるんだ」
そのまま部屋の奥へと進む。
朝からずっと見えなかった姿は、一番奥の壁際に見つけた。
獏良は壁を背に体育座りをして、膝に顔を埋めている。
バクラが獏良に近寄ったとき、
「来ないで」
ぴくりと獏良の体が動き、顔を伏せったままで小さく呟かれた。
「あー?半日ぶりに会った挨拶がそれか?」
あからさまに不機嫌な口調のバクラに再び獏良が言った。
「放っておいて」
その言葉を聞くや否や、バクラが力任せに獏良の腕を引いた。
「イタッ!」
脱臼するかと思う程の力に身体が引きずられ、獏良は体勢を崩す。
両膝をつき、四つん這いに近い形で獏良が痛さで呻いた。
「うっ……くぅ……放してよ」
頭を垂れたままで、尚も獏良はバクラを拒絶する言葉を吐く。
「放っといたらてめえ、ずっとこのままでいるんだろうがよぉ」
バクラは獏良を冷たく見下ろした。
「うっ……」
嗚咽がもれ出るのが聞こえると、バクラは渋々獏良の腕を離した。
ぽたぽたと床を涙で濡らす獏良に合わせてしゃがみ、獏良の顔を持ち上げる。
涙でくしゃくしゃになった顔がそこにあった。
「ひでぇカオ」
仕返しと言わんばかりにせせら笑う。
「手間かけさせやがって。どういうことか聞かせてもらおうか」
また口を噤むなら、無理やり口を割らせる。
そう考えて、獏良に詰め寄った。
獏良は目を閉じて止めどなく涙を流していたが、思い切ったように瞳を開いた。
濡れた瞳がバクラを映す。
と、獏良が勢い良くバクラにしがみついてきた。
「……ぅ……っ」
バクラの肩に頭を枝垂れかかるようにして、獏良がまた涙を流した。
「な……なんだよ」
さすがにバクラはうろたえた。
「来ないで」だの「放して」だの言うのなら、その相手から離れるはずだ。
これでは全くの逆。
弱々しい力でしがみついてくる獏良を、無下に引き剥がすことも出来ない。
「だか……ら、出ていけって言ったのに……」
「は?何のことだよ」
自分の顔にふわりとかかる獏良の髪がこそばゆく、自然と獏良の背中に手が回る。
獏良は顔を上げて、もう一度バクラを見つめた。
が、すぐに顔を歪めて、バクラの肩に伏せる。
「なんなんだよ」
何故だか追い詰められているような気分になってバクラの手が汗ばんだ。
「  」
本当に小さく、注意して聞かなければ、掻き消えてしまいそうな声で獏良が何かを呟いた。
バクラにははっきりと聞こえたのだが、咄嗟にはその言葉の意味が分からず、
「なんだ、もう一度言ってみろ」
聞き返す。
今度は顔を上げて、しかとバクラの瞳を見つめ、
「すき」
今度は何を言われたのか、はっきりと分かった。
「お前、何言ってんのか、分かってるのか?」
「分かってるよ……分かってる……自分でもおかしいって気付いてるッ」
獏良が泣き叫ぶようにして、言った。

始めは嫌だった。
何もかも。
無理やり抱かれているときも必死で抵抗したし、屈辱で涙が止まらなかった。
ある時を境に耐えようと決め、バクラの前に身体を横たえ始めて、徐々に変化が現れ始めた。
最初はその行為に多少なりとも慣れてしまったんだと、自分がおかしくなってしまったのだと思ったのだが、どうやら違ったらしい。
身体が、心が、バクラを受け入れるようになってきたのだ。
そんなことはあり得ないと必死に否定しても、
以前より優しく触れられる部分が熱くなる。
唇を落とされる部分が熱くなる。
身体の芯から、心の芯から熱くなる。
自分を抑えても、どんどん熱に溺れていく。
何故こうなってしまったのか、自分で深く考えてみた。
それほど考える必要もなかったのかもしれない。
答えはすぐそばにあったのだから。
その答えはすぐには認めることが出来なかった。

「言ったら認めることになるから、言っちゃダメだって思った。でも……」

初めて知った。
なんて重要な意味を持つ言葉だったのだろう。
口に出すのがこれほど怖くて、難しかったなんて。
同時に、どれほどいとおしい言葉であるのかを知った。
伝えたくて、抑え切れないほどに。

「お前を見たら、止まらなくなっちゃった。見ないようにって、思ってたのに……」
まだ自分でも戸惑いを隠しきれない。
バクラは獏良の顔を引き寄せると、有無も言わさずに唇を奪った。
「む……」
深く、乱暴に獏良の口内を貪る。
獏良は色気もへったくれもなく、目を白黒させ、唇を離そうと首を捩じった。
「……はぁ」
唇が開放され、失っていた酸素を取り戻すように吸い込む。
「矛盾してるぞ、てめえ」
嫌がられたことでそれなりに傷ついたらしく、バクラが恨みがましく睨み付ける。
「や、だっていきなり!……どうしたら良いか分からないから……い……意識しちゃって。ダメだ、僕……」
顔を真っ赤にして、おたおたと説明をする。
「……」
今度はバクラが、獏良の肩に額をこてりと乗せた。
「わざとじゃないよなぁ……天然……天然か?」
ぷつぷつとバクラが小さく呟いた。
「え……いま、なんて……?」
獏良にぐいと顔を向けると、
「可愛いこと言ってんじねぇっつてんだよ」
半ば怒ったように言った。
「……うれしくないよッ、そんなこと言われても」
男に可愛いと言われても嬉しいはずがない。
でもほんの少しだけ、心地良いと感じてしまう。
そんなことを口にするなんて、バクラは機嫌が相当良いのではないかと獏良は思った。
「お前……嬉しいの?もしかして」
――僕にすきって言われて。
獏良の半信半疑の問いに答えはなかった。
代わりに、肩を引き寄せられて、
「さっき言った言葉、もう一度言ってみろよ」
逃がれられない状況で、バクラがにやりと笑った。
「え……」
思ってもみなかった要求に、獏良は視線を泳がした。
しかし、やがて決心がつくと、小さく微笑んだ。
「すき……」
言った途端、力一杯抱きすくめられた。
「ちょっ……!やっぱり嬉しいんじゃないっ」
「なんか言ったかぁ」
「なんでもない」
バクラの胸にもたれて、うっとりと温もりを感じた。
――言ってよかった……。

望むなら何度でも言うよ
やっと気づいた
自分の素直な心の気持ち

「だいすき」

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最後っぽく、最後っぽくと唱えたら、逆に最初っぽい(?)感じになりましたよ。
「すき」は最後に相応しい言葉で、緊張しました。
「すき」って良いなぁ。でも二人とも言ってくれなさそう……と、軽く泣きたくなるのを乗り越えてみましたv
コンプリート!

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