ばかうけ

その日、一人暮らしのはずの獏良家には怒号が飛び交っていた。
「いい加減にしてよッ!もうすぐテストだって言ってるじゃないか!」
「ギャーギャー、うるせーなァ……。ンなもんオレ様に関係あるかよ!」
「いつもいつも勝手言って!こういう時くらい、僕の言うこと聞いてよ!」
片方が怒鳴れば、もう片方も売り言葉に買い言葉で応じる。
二人の罵り合いは際限を知らない。
止める相手などいるはずもなく、言い争いはエスカレートしていく。
「お前なんて僕がいなかったら、ここにいられないくせにッ!」
最後に獏良はそう暴言を浴びせかけた。
次の言葉を吐き出されるのに身構えていると、バクラは意外にもピクリと眉を動かした後は黙っていた。
沈黙にはたと我に返り、獏良の顔から血の気が引いていった。言い過ぎたかもしれない。
普段、感情を剥き出しにしない分、冷静になるのも早かった。
「そうかよ」
バクラは一言だけそう言うと、目の前から姿を消した。消えた後は気配すらさせない。
その行動に拍子抜けして、獏良は握っていた手を下ろした。
「僕が悪いんじゃないのに」
誰に言うわけでもなく、獏良はぽつりと一言だけ溢した。


5 痴話喧嘩


期末テストが近く、獏良は机に向かうことが多くなっていた。
一夜漬けが出来るタイプではないので、いつも早めに復習を始めるのだ。特に苦手な科目を重点的に。
しかし、なぜか勉強に身が入らずに、眠気まで襲ってくる日が多かった。
眠い目を擦りながら、必死に机に齧りつていたところで気づいたのだ。また、勝手に身体を使われていると。
問いただそうと話し合っている内に、バクラの反省を一つもしない態度に勉強が捗らない苛々も募って、罵り合いに発展してしまった。
感情を抑えられなかったことに後ろめたさを感じるが、これでやっと集中できると獏良は胸を撫で下ろす。
バクラが何を思ったのか分からないが、大人しくしているなら獏良にとっては好都合だ。
まだまだ勉強の遅れを取り返せる時期でもあるし。
獏良は閉じていた教科書を再び開くのだった。


「あー!終わったー!」
テスト終了を告げるチャイムが鳴り、城之内が大きく伸びをした。
「終わったって成績が、か?」
「あんたは補習が待ってるんじゃないの?」
本田と杏子からそれぞれツッコミを入れられ、城之内はがくりと頭を垂れた。
「そりゃあ、ねえだろー」
その様子に遊戯と獏良は顔を見合わせて苦笑いをする。
「まあまあ、今回は頑張ったって言ってたじゃない」
「遊戯ィ!!そうだよな、オレ頑張ったよな!」
遊戯の救いの手に、城之内はだばだばと涙を流しながら縋りついた。
その横でにこやかに獏良が口を開いた。
「うんうん、慌てるのは結果が出てからだよ」
「獏良、お前……」


あれから、バクラが表に出てくることは一度もなく、順調に勉強が進んだ。
前日はぐっすり睡眠を取ることも出来た。
お陰で苦手科目も平均点以上を充分に取れているのは間違いない。
テストが終わった解放感で獏良は満たされていた。
いつものメンバーでテスト終了祝いに、ゲームセンターやカラオケ、ハンバーガー屋を梯子して遊び倒した。
思う存分遊んで一頻り笑い、落ち着きを取り戻したところで、隙間風が通るように胸の内がスースーすることに気づいた。
千年リングは今日も静かに獏良の胸に下がっている。
制服の上から胸に手を置き、その感触を確かめる。
あれから、何日バクラの声を聞いていないのだろうか。
――さびしい……?
心に浮かんだ言葉を首を振って打ち消す。
寂しいわけがなかった。
元々、迷惑していたのは獏良の方なのだ。
学生にとっての本業は勉強で、その成績が進路に繋がるのだ。
それを蔑ろにしていいわけがない。
――それでも……。
獏良は窓ガラスに映る自分の顔を見つめる。
どことなく、自分の顔が元気に見えないのは気のせいなのだろうか。
遊戯たちと別れ、獏良は一人で帰路についた。
もう、当分はテストなど気にしなくていいのだから、心は軽い……はずだ。
夕食は奮発してしまおうかと道を歩きながら考える。
「何がいいかな。やっぱり、肉かな」
千年リングはしんとしたままだ。
スーパーで適当に食材を選んでカゴに入れていく。
豚肉、豆腐、卵、人参、ネギ、トマト――。
考えがまとまらないまま購入したので、余計なものまで買いすぎてしまった。
重い足取りで買物袋を下げ、マンションへと帰った。
「ただいまー……」
我ながら元気のない声だなと思った。
夕食に使わない食材を冷蔵庫に詰めていく。
こんなもの買ったっけと首を捻るようなものまであった。
多すぎる食材を消費するためにも、具材たっぷりのスープと豚肉炒めにしようと決めた。
作り始めるには早いので、まずは先に米を用意する。
釜の中でしゃかしゃかと米を掻き回し、白く染まった水を捨てる。それの繰り返し。
同じ作業をしていると、頭がぼーっとしてきてしまう。
――テストで疲れてるだけ。
そう自分に言い聞かせる。
今までだって一人だったのだから、問題はないはずだ。
薄い白濁色になった水を流し、新たに綺麗な水を張る。
炊飯器に釜をセットして、自室に戻った。
上着を脱いだところで何もかもが面倒になり、ベッドに倒れ込む。
制服が皺になると思いつつも、どうでもよくなっていた。
調子が悪い。
テストも終わったというのに、やはりどこかおかしくなっていた。
最後にバクラに向かって吐いた言葉は酷いものだった。
自分は悪くないと自身に言い聞かせても、もやもやと蟠りが残っていた。
酷いことをされても鬼になれない。それが獏良の人が好いところだった。
バクラから見れば、「甘い」と言うところだろうか。
シーツをくしゃりと掴み、
「あんなこと、言うつもりなかったのに……」
目頭を熱くして呟いた。
バクラはもう口も聞きたくなくなるほど怒ったのだろうか。
今まで口を開けば酷いことばかり言う彼だったが、その暴言がないと物足りなく感じてしまう。
「バクラ……」
やはり、寂しかったのだ。
そう自覚して、獏良はその名を口にした。

「なんだよ」

頭上に降って湧いた声に、慌てて顔を上げる。
そこには仏頂面のよく知った顔があった。
起き上がった反動で、ぽろりと目の縁に溜まった涙が零れ落ちた。
「ん?泣くほど寂しかったのか?」
途端にバクラは意地の悪い笑みを浮かべ、獏良に顔を近づけてきた。
慌てて獏良は袖で涙を拭い、
「これは欠伸したからっ」
何もなかったように振る舞う。
「ふーん」
バクラは顎に手を当て、にやにやと獏良の顔を嘗め回すように見つめた。
言い訳など端から信じていないようだ。
「大体、今まで何してたのさ」
「悪かったと反省してなァ。宿主様の邪魔にならないように大人しくしてたんだぜ」
バクラは白い歯を見せながらぬけぬけと言ってのけた。全く悪びれていない様子だ。
それでも、言葉の上では殊勝な態度を示しているので責めづらい。
「まあ、邪魔しないでくれたのは有り難いけど……」
「そうだろう?」
芝居がかった調子でバクラがうんうんと深く頷いた。
獏良はテスト前に言ってしまった言葉を思い出し、
「あの……この前は言い過ぎたと思って……」
歯切れ悪く切り出す。
交差させた両手の指を所在なさげに動かした。
「……ご、ごめん」
それまで媚びを売るような態度だったバクラの動きが止まった。
一転してシンと静まり返った部屋に獏良は不安を覚えた。
やっぱり怒っていたのかと、恐る恐るバクラの顔を覗き込む。
「そうだな。ちょっと傷ついちまったな」
もう一度上げたバクラの顔には、にたりと勝ち誇った笑みが張り付いていた。
しまったと思っても、もう遅い。
「これはお優しい宿主様に慰めてもらわねェとなあ……」
「な、慰めるって?」
獏良はベッドの上で後退りしながら、ごくりと唾を飲み込んだ。
「オレ様がいなくて寂しかったーとか、ずっと側にいなきゃヤダーくらいは言えよ」
こつんと獏良の背中に壁が当たる。
これ以上は逃げられない。もちろん、二心同体だから逃げられるわけはないのだが。
そんなこと、まともに言えるわけがない。
しかし、自分の投げた暴言への罪悪感は拭い去れない。
獏良はバクラから目を逸らし、口元を手で押さえて口を開いた。
「えっと、寂しかった……側にいなきゃやだ……?」
バクラは突然がくんと顔を伏せた。
「え、どうしたの……?」
豹変ぶりに獏良は掛けられもしない手を差し伸べ、おずおずと声をかける。
「ひっ!」
その顔を見なければ良かったと一瞬で後悔した。
「いいなァ、それ。才能あるな、宿主ィ」
バクラの目は爛々と輝き、口は大きく三日月型に歪んでいた。
「『仲直り』しようぜ」
獏良は取れるかと思うくらいに、大きくブンブンと横に首を振る。
「『寂しかった』んだろォ?」
にじる寄って来るバクラに、別の後悔が獏良の中に生まれた。
「いやだーッ!!」
一人暮らしのはずの獏良家は今日も賑やかだった。

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名前を呼ばれて時点で、バクラはキていたみたいです。

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