04.すごいな
緩やかな日差しが差し込む午後のある日、マンションの一室から微かな歌声が流れ出していた。
それは優しく心地良い旋律だったが、時々不明瞭になったり途切れたりして、うっとりと聞き惚れることを禁じているようだった。
それは歌声の主の意識が、あくまでも目の前のノートにあるからだ。
獏良はシナリオをノートに書き連ねながら、上機嫌に歌を口ずさんでいた。
意識をして歌っているわけではないから歌詞が飛んだり、途中から鼻歌に成り代わったりする。
決して歌に集中することはない。
誰かに聞かそうと思って歌っているのではないから、何をどう歌おうが獏良の勝手なのだが、生憎観客が一人だけいた。
バクラは何もすることがなく、獏良の歌声に耳を傾けていた。 いきなり途切れたり、歌詞が曖昧になったりするのは、どうも気持ちが悪い。
綺麗な歌声だけに余計にもどかしかった。
同じ箇所を何度か歌い、それから頭に戻ったときは、かくりと全身の力が抜けた。
「おい……」
「んー?なぁにー?」
ノートから目を離さず、歌の続きを歌うように獏良が答えた。
「歌うか歌わねぇのかはっきりしろよ。聞かなきゃならねぇ身としては、いらつくんだよ」
獏良の柔らかい歌声を聞いてみたいと思ったが、そんなことは口が裂けても言えない。
「うーん」
「おい、宿主」
「んー?」
「聞いてんのか?」
何度話し掛けても、生返事しか返ってこない。
「オレ様にベタ惚れでメロメロな宿主サマ」
「うーん」
――絶対聞いてねぇ!!
呼び掛けて空しくなったが、獏良の意識がノートから離れることはないことがはっきりした。
不機嫌に鼻を鳴らし、バクラは奥に引っ込む。
それから、静かな部屋の中で獏良の歌声だけが響いた。
「うー。終わったー」
獏良が椅子の上で大きく背伸びをする。
バクラの声が聞こえなくなってから随分と時間が経っていた。
「バクラー、何か言ってた?」
返答は無い。
何度かバクラが話し掛けてきたらしいことは何となく覚えている。
意識をしていなかったとはいえ、適当な返事をしてしまったことも。
「ごめんね……歌が気になってた?」
『歌』がどうのこうのと言っていたことだけが、記憶の片隅にあった。
無言を肯定の意と取って、獏良は言葉を続ける。
「大した歌じゃないよ」
猶も続く沈黙に、獏良は深く溜息をつく。
これは歌ってみろというサインなのだろうか。
「僕、そんなに上手くないよ」
一応断ってから、獏良はゆっくりと歌い始めた。
澄んだ声が優しく滑らかな音を奏でる。
その歌声は春風のように涼やかで暖かかった。
真っ白なキャンバスに僕らの色で
描いていこう
二人で歩く
これからを
――信じらんねぇ……。
心穏やかになる音色が、ゆっくりとバクラを眠りへと誘う。
遠い昔、荒れた町で気を抜くことは自殺行為だった。
いつも気を張って殺伐とした中で生きてきた。
それが、たった一つの歌声で気持ちが安らいでいる自身に驚きを覚える。
ありえないことだった。
――ほんと、すげぇよ、お前……。
バクラはゆっくりと目を閉じた。
優しい声に包まれながら、穏やかな笑みを浮かべて。
「ん……バクラ?もしかして……寝ちゃった?」
すっかり大人しくなった気配に気付いても獏良は歌い続けた。
たった一人の為に。
歌うは、君に捧げる優しい子守歌。
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ともかく宿主さまが大好きなバクラを目指して。
了くんが超絶音痴でも可愛いなァv