05.そばにいるよ
どれくらいの時が流れたのだろうか。
バクラにはもうそれを知るすべがない。
勝者には光を、敗者には闇を、等しく与えられた。
闇とは無。
無とは今まで手に入れた全てを手放すということ。
己さえも。
――ヤツがここにいたはずなのになぁ。
黒より深い色の、闇の海を漂いながらバクラは思う。
どこを見渡しても一面の闇なので、とっくの昔にバクラは目を閉じて見ることをやめた。
もっとも、目を開けていても閉じていても、違いはない。
そのせいで、本当に目を閉じているのか分からなくなってくる。
視覚も
聴覚も
嗅覚も
ほとんど何も感じなくて、気がおかしくなりそうだった。
あるのは、背を撫でつける慣れ親しんだ闇の触感のみ。
その闇の触手が気まぐれにバクラを闇の中に沈めれば、本当の無になってしまう。
思えば、長い時を己という存在のみで在った。
その長い時の中で、人の感覚を手に入れたのはほんの一瞬だ。
それなのに、ひどく懐かしく当たり前だったように思えるのは、その感覚を"彼"と共有していたからなのだろうか。
今、考えることをやめて意識を手放せば、永遠に目覚めぬ眠りにつくのだろう。
――負けは負けだからなぁ。
酷い負けっぷりだったね。
――ちっ、うるせぇよ。
ホント、見るも無残な……
――いい加減だまりやが……?
ずっと物思いに耽っていただけだったのが、いつのまにか会話が成立していた。
その少し高めの柔らかい声は、バクラが一番良く知っている人物のものだ。
「宿……主?」
自分の存在すらも危うい今の状況では、幻聴や意識の混濁の可能性が高い。
バクラは視覚で確認する気になれず、目を閉じたまま尋ねた。
「なに?僕のこと、もう忘れたの?」
憮然とした口調で返答があった。
「僕にあれだけ用意をさせといて、自分で始めたゲームで絶対に有利だったのに負けるなんて、とんだお笑い草だよ」
こんな自分でも予測のつかない言葉を、自分の中で生み出せるわけはない。
明らかにもう一人がいて、好き勝手に喋っているとしか考えられない。
それに、言われっぱなしは腹が立つ。
幻であろうが、何であろうが、一言言ってやらなくては気が済まない。
――ムカツク。
「オレが有利だっただと?オレはイカサマなんざしてねぇし、ヤツに必要最低限……いや、それ以上の情報は与えたんだがな」
石のように重たく感じていた瞼があっさり開いて視界が飛び込んでくる。
相変わらず闇が広がっていたが、目の前には光のような白い姿。
「死んだふりは止めたんだ?」
懐かしいそれは、眉間に皺を寄せて少し怒っているようだった。
なぜ怒っているのかなんて、考えるのも馬鹿らしい。
怒らせるようなことしかしていないのだから。
わざわざ墓場まで文句を言いに来たのだろうか。
獏良は仁王立ちで闇に浸ったバクラを見下ろしている。
起き上がるのが億劫なので、癪に思いつつもバクラは獏良を見上げた。
「死んだふりじゃねぇ。死んだんだ。オレは負けたんだよ」
「潔いね。知ってるよ」
「見てやがったのか」
すっかり話し方を忘れたかと思っていたが、案外すらすらと言葉が滑り出す。
「なら、分かるだろうが。何もかもオレは失ったんだ。お前もな。だから、元の場所へ帰れ」
これ以上見ていたら、また欲しくなってしまう。
「僕はお前のものじゃなかったけど。まあ、お前からしたらそうなんだろうね。妙にしおらしいじゃない」
「負け犬の遠吠えは好かねぇんだよ。うざってぇ」
獏良は鼻で笑った。
どこまでもふてぶてしく、神経を逆なでするように。
「逃げるの?」
「なんだと」
「負けたくせに、僕に謝罪はなし。僕の人生をめちゃくちゃにした責任をどうとるんだよ。生きて償うなんて甲斐性はお前にはないだろうけど、負けたからって消えるのは卑怯だ」
バクラが口を挟めないほどに饒舌にまくし立てた。
どうして、一方的に罵られなくてはならないのか。
腹も立ったが、厄介者がいなくなるまたとのない機会なのに、わざわざやってくる獏良の考えがバクラには理解が出来ない。
土下座しろとでも言い出すのだろうか。
「てめぇは何が言いたいんだ」
バクラの言葉に獏良はふっと表情を和らげた。
それでも、内に秘めた意思の強さは揺るがない。
「こんな終わり方は許さないって言ってるんだ。今度はお前じゃない。かつてお前がそうしたように、僕が決めるんだ」
獏良がバクラに右手を差し出した。
「さあ」
その手を掴めば未来は決まる。
「てめぇはそれで良いのかよ?」
「言ったでしょ。僕が決めたんだ」
線の細い印象にはそぐわない、決意に満ちた表情で語る。
迷う必要はない。
迷えるはずもない。
バクラは半分沈んでいた右手を持ち上げて、そのしなやかな手を握った。
華奢な身体にそれほど力があるとは思えないが、獏良はいとも簡単に重い闇からバクラを引きずり出した。
反動で前によろめくバクラを抱き留めて、獏良はこれまでとは違った優しい声で囁いた。
「ここがお前の居場所だから……今更勝手に離れるなんて許さないんだから……だからお前も……」
「ンなことは一番初めに言っただろ。お前はオレの永遠の宿主だと」
肩の力を抜いて静かな笑みをバクラは浮かべた。
全ての荷を下ろし、何千年もかけて故郷に戻って来たかのように。
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一つの未来ということで。