06.がんばれ
宿主はそつがない。
たいていなことは上手く切り抜けている気がする。
知る限り、今まで取り返しのつかない失態を犯して、途方にくれるなんてことはなかった。
こうやって並べてみれば、よく出来た人間に思えるかもしれないが、オレ様からすりゃあ不格好でまるでなってない。
なあ、そうだろう?
宿主さま
バクラがそれを見つけたのは全くの偶然だった。
小腹が減って冷蔵庫を漁っていたときのこと。
勝手に荒らすと、後で獏良があれがないこれがないと騒ぐのだが、バクラに遠慮の文字はない。
買い溜めしてあった食料が底をつき始め、冷蔵庫の中はがらんとしていた。
「しけてんな」
残り少なくなったらっきょうの瓶や納豆、野菜室に人参や大根などのポピュラーな野菜の切れ端。
バクラの腹を満たすものはなかった。
「なんだ、これは」
奥に入っていたボールを取り出してバクラは見つめた。
中に正体不明の固形物が鎮座している。
色は白に近い。
形は何とも表現し難い。
あえて言うなら、子供が粘土をぐちゃぐちゃにしたような形、まさに異形。
ラップ越しに伝わるそれの存在感は圧倒的で生命の息吹さえ感じる。
「食い物なのか?」
バクラはボールを手に持ったまま、額から垂れる汗を拭うことすら忘れて呆然と立ち尽くした。
恐る恐るラップを取り、臭いを嗅いでみる。
「う……ッ!」
バクラは放り投げたいのを耐え、出来るだけ体から離すように腕を遠ざけた。
全くの無臭。
しかし、それがかえって不気味だ。
何か臭いがすれば、まだ判別が可能だ。
しかし目の前のものは、まるで怪物が鳴りを潜めて獲物を狙っているかのように不気味なほどなにも感じない。
バクラの本能が警鐘を鳴らしていた。
危険危険
ただちに目標から離れ、安全を確保しろ。
すぐさま投げ捨てたい気分だったが、何とかその欲求を抑え込む。
この正体について知っている人物を問いただせば、対処方が分かるはずだ。
バクラはボールをテーブルの上に置いて、首から下がった千年リングを乱暴に揺らす。
「……む……なに?」
寝起きの舌が回っていない口調の返事があった。
「これはなんだ?」
バクラの問いに半透明な姿で獏良が現れた。
眠い目をこすり、バクラが指差したボールをぼうと見つめた。
半分眠っている脳がゆっくりと目の前のものを咀嚼して状況判断を下す。
バクラはその次の瞬間の獏良の表情を一生忘れることが出来ないだろう。
どっと血液が流れこんだように、見る見る内に顔に赤みが差した。
耳まで赤く染まり、今度は今にも泣き出しそうな顔になる。
それは普段の涼しげな顔よりも数倍幼く、無防備な表情だった。
「…………………見た?」
消え入りそうな声で、上目遣いに獏良が問う。
「あ゛?」
滅多に拝めないような獏良の顔に見とれていたので、バクラはついつい間の抜けた声を出してしまった。
ほとんど反射的なリアクションだったが、そんな些細なバクラの行動にもびくりと身体を震わせ、不安げな視線を送る。
――おもしれぇ。
からかってやりたいという気持ちが頭をもたげた。
「ああ、見たぜ」
そう意地悪く笑い、真っ向から獏良を見据える。
「やっ、ば……バカッ!ああ……もうヤダ……やめてよ……ああー」
獏良は顔を両手で覆い、自分に向かってなのか、はたまたバクラになのか分からない言葉を呻いた。
はっきり言って非常に愛らしい。
もっとからかってやりたいところだったが、話が進まないので真面目に尋ねることにした。
「なぁ……コレ、なんなんだ?」
「やだやだやだ」
「おい」
「………ッ」
「聞けって!」
「うあー」
数分間、獏良をなだめて、やっと事情を聞ける状態になった。
「で、これは食いもんなのか?」
「う……うん」
聞けば、定期的に見ている料理番組で、美味しそうなデザートの作り方を紹介していたので挑戦してみたらしい。
その結果がこれだという。
「ない材料もあったから、適当に代わりを入れたり……目分量だったのがいけなかったのかな……。お菓子って難しいよね」
「要するに、失敗したってことだろ」
ぶちぶちとうわ言を言い続ける獏良に、バクラはすっぱりと言い放った。
獏良はその言葉にまた過剰反応する。
「しっ、失敗だなんて……ッ」
「で、何故そんなもんが、冷蔵庫に放置してあるんだ?」
「……勿体なかったから」
覇気なく言う獏良にバクラは大袈裟に溜息をついて見せる。
これは獏良がよほどの神経質だということなのだろうが、バクラにはこれほど赤くなったり、青くなる必要性が分からない。
「あのなぁ、そんなに大騒ぎするようなことじゃないだろうが」
「でも……」
何か言いたげな獏良を手で制す。
「見たことも食ったこともない食いもんだったんだろ?失敗して当然だ。出来た方がおかしい。 考えても見ろ。いきなり出来たら、すげぇ嫌みな奴だぞ」
バクラの言葉に少しだけ獏良の表情が和らぐ。
「それになぁ、失敗した方が得るもんが大きいもんだ」
盗賊王と名を馳せる前の、まだまだ半人だった頃、つまらないミスをよくしたものだった。
盗賊稼業なだけに、深刻な命に関わる失敗もあった。
しかし、それがあったからこそ経験を積み重ね、その後の人生に繋がったのだと思う。
失敗をなかったことにするのではなく、それから学び、成長すること。
それが人間。
それは忘れ去ってしまうくらいの遠い昔のこと。
獏良が二度三度と瞳をしばたいて、それからやんわりと微笑んだ。
「お前がそんなこと言うとは思わなかった。凄く新鮮。驚いた」
「あまりにもお前が騒ぐからな」
そう言いながら、バクラも驚きを感じていた。
自然と口をついてしまった、眠っていた昔の、人としての自分に。
獏良了という存在を通じて、段々と目覚め始めた昔の自分。
「今度はもう少し簡単な物に挑戦してみるよ。成功したら、一番にお前に食べさせてあげる」
「まあ、期待はしてないけどな」
ひらひらと手を振り、バクラが奥へ引っ込む。
身体の主導権を取り戻した獏良は、ほんの少しだけ名残惜しそうな顔をした後、ボールの中身をビニール袋に入れた。
きゅっと袋の口を縛れば、未練が嘘のように消え去った。
すっきりとした獏良の表情がそこにあった。
「よしっ」
ぼんやりと獏良の行動を見ながらバクラは思う。
獏良の弱さをさらけ出したところを見られたことが、何故だか無性に感慨深かったと、最後まで口に出さなかった。
――人間か……。
バクラはゆっくりと目を閉じる。
昔は感じていただろう、久しく忘れていた感覚を取り戻すように手を握りしめた。
"生きてる"
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獏良さんの方を励まそうと思ったら、逆にバクラくんの方が励まされた感じになったり、ならなかったり。
持ちつ持たれちゃいました(笑)。
お菓子は失敗すると、大変なことになりますからねー。
了くんの作ろうとしたお菓子は、La Zuppa di(中略)Riso al Cioccolatoってことで。私もよく分かりません☆