07.またね
炎の中を逃げ惑う民がいた。
その背中を容赦なく兵士の剣が貫く。
鮮血が飛び、大地を赤く染めていく。
獏良はその様子をただ呆然と見ていた。
大通りの真ん中に佇んでいるはずなのに、まるで周りが全て幻のであるかのように、あらゆるものが身体を擦り抜けていく。
この場合、獏良の方が幻になるのかもしれない。
「なんで……こんな」
口内が渇いて思うように声が出なかった。
本来ならば、目を覆いたくなる惨劇だが、獏良の許容範囲をとっくに超え、脳が麻痺していて受け入れることが出来ない。
夢現の状態で、ただただ目の前の光景を眺めていた。
――この人たちが何をしたっていうの?
こんな扱いを受けなきゃならない理由なんて、あるはずがない。
どうすることも出来ずに、立ちすくんでいた。
――誰か……止めて。
願うも、獏良は分かっていた。
全てがなくなるまで、これは終わらないと。
視界の端に、白いものが映った。
子供だ。
白い髪の子供が狭い通りの影から顔を覗かせて、見開いた目に仲間の最期を映していた。
兵士が気紛れに路地の方へ視線を向ければ、たちまち白の子供は見つかってしまう。
子供は歯を噛み締め、小刻みに震えていた。
恐怖でも悲しみでもない。
全ての感情よりも勝った、激しい怒りのためだ。
――ダメ!
このままでは、がむしゃらに兵士に突っ込んでいきかねない。
――抑えて!
ここでは自分の影響力が皆無であることも忘れて獏良は駆け出していた。
――殺させない!
「むぐっ」
子供の口を押さえ、道の奥に引きずり込む。
彼に触れられることに気がついたのは後からだ。
彼はその小さい身体からは信じられないほどの力で暴れた。
獏良も渾身の力をもって彼を引きずる。
声を上げられては、気付かれてしまう。
何がなんでも口を塞がなくてはならない。
子供は手から逃れようと、必死に抵抗する。
「ウッ」
何度も噛み付かれるが、獏良は構わずに何度も口に手をやる。
「お願いっ……落ち着いて!」
汗まみれになりながらも、やっとのことで近くの民家の中に身を隠すことが出来た。
「ハア」
中に入ると同時に力つき、子供を放した。
かくりと膝をつき、荒く息をする。
手の平に数ヶ所歯形ができ、血が滲んでいた。
「あいつら、許さない」
年端もいかない子供の口から出たとは思えない憎悪の言葉が呟かれた。
「オレは絶対に許さない!くだらない儀式の為に……あいつら……殺してやる!」
獣の咆哮のように歯を剥き出しにして、白の子供が叫ぶ。
悲痛な叫び声が獏良の心に突き刺さった。
直接その子供の心が流れ込んでくるようだ。
「やめて!」
獏良は悲鳴をあげる足を押して、再び子供を抑える。
「放せ!邪魔をするな!」
じたばたと獏良の腕の中で動く子供。
半狂乱だ。
「今の君に何が出来るっていうの?むざむざ殺されに行くつもり?!」
子供の声に負けないように、大声を上げて説得を試みるが、
「放せ!放せ!行くんだ、オレは!」
ほとんど耳に入っていないようだ。
「お願いだから、無茶なことを言わないで」
獏良は子供が暴れださないように掴んでいた腕から手を放し、今度は子供を両手でしっかりと抱きしめた。
「あ……?」
突然のことに戸惑って動きを止める子供に、獏良は今度は優しく語りかける。
「……辛いのは分かるよ。でもね、今、君が刃向かっていっても殺されるだけだ」
子供の後頭部を優しく撫でた。
獏良の腕の中で、子供は消費した酸素を補給するために上下していた。
「せっかく助かった命を無駄にしないで」
獏良は子供に頬を寄せる。
「生きて」
今まで硬直していた子供だったが、獏良にぎゅっとしがみついた。
まるで母親を求める赤ん坊のように。
獏良はそれに応えて、きつく放さないように腕に力をこめる。
「おまえ……だれ?」
子供が初めて獏良の存在を気にかけた。
まじまじと獏良の顔を見つめた。
獏良は答えず、優しく微笑んだ。
「ずっとここにいるわけにはいかないよ。いずれ見つかっちゃう。村の外に逃げなくちゃ。分かるね?」
子供は素直にこくりと頷いた。
「おまえは?」
心細げな表情で問う。
「僕は……一緒に行けない。一人で生きるんだ」
幼い子供にとって残酷なことを言っていることは承知だ。
どんなについていてあげたいことか。
でも、一緒に行くことは出来ないだろう。
「分かった」
彼は子供には似つかわしくない凛とした顔で首を振った。
「良い子だね」
ここで涙を流してはいけない。獏良は耐えて、もう一度軽く抱きしめた。
「僕はいつでも君のそばに付いているから」
子供の背中を押して外に出る。
獏良は周りを見渡す。
あちらこちらから火の手が上がり、喧騒が聞こえてくる中で、普通ならどこが安全なのか分からない。
しかし、元々ここの人間ではない獏良には、不思議と"分かる"。
「あっち」
獏良は一点を指す。
「あっちに向かって走るんだ。迷っちゃダメだ。止まらずに真っ直ぐ」
「うん」
そっと子供の背中を押し出す。
後ろを振り向かずに、子供は通りの向こうに消えていった。
「お前なら大丈夫だよ……バクラ」
背中が消えた方向を獏良は身じろぎもせずに見つめ続けた。
頬を一筋の涙が伝う。
「ごめん……ごめんね……」
湧き起こる自己嫌悪感。
これは僕の我儘だ。
目の前で殺されるところを見たくなかったから。
僕が生きて欲しいと思ったから……。
この先どうなるか、予想はついていたのに……!
ただ………生きて欲しいと……
獏良のしたことが正解か不正解かなんて答えは出せない。
燃え盛る炎の中で、声を震わせて獏良は泣いた。
バクラを想い続けて。
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了くんだけ行けなかったのことが悔やまれます。
夢か幻か本当のことかの話。
「バクラ、バクラはもし今の自分が違っていたら……とか考える?」
「なんだよ急に」
「答えて」
「ワケ分かんねえ。……もしとかそんなのはナイだろうが」
「へ?」
「変わるもんでもないし、変えられるもんでもねえ」
「そう……だね」
「変なことを聞く……な……なに、泣いてんだよ……!」
「ううん……あのね……ありがとうバクラ…」
どんどんお互いが分かっていけたらなあ。