09.どうしたの
ぎっしりと中身の詰まったスーパーの袋を引っ提げて、獏良が家路へと就いていた。
獏良の前方に、四、五才の男の子がとぼとぼと歩いている。
普通ならそのまま通り越してしまうのだが、後ろから見ても分かるほどこうべが垂れていたので無性に気になった。
何気なく男の子の横に並び、その表情を確かめる。
泣くのを奥歯を噛んで必死に我慢している……そんな顔だった。
獏良は男の子の前に回り込んで背を屈める。
「どうしたの?」
男の子に優しく微笑む。
「……」
突然救いの手を差し出され、安堵からぽろぽろと涙を流しながら男の子は言った。
「……ママがいなくなっちゃったの」
「僕が一緒に探してあげるからね」
獏良はわしわしと男の子の頭を撫でた。
聞けば、公園で遊んでいたところ、いつの間にか母親がいなくなっていたという。
それで不安になって、近くをあちこち歩き回っていたらしい。
元いた場所から離れるのは得策ではない。
男の子の手を引いて、その公園に向かう。
男の子を励ましながら。
「大丈夫だからね。すぐに見つかるよ」
公園でこの子の母親を知らないかと何人かに尋ねているうちに、母親本人が現れた。
子供を遊ばせている最中に井戸端会議に夢中になっていたらしい。
獏良は何度も謝罪と礼を述べられ、恐縮しながらその場を立ち去った。
「バイバイ、お兄ちゃん」
「バイバイ」
すっかり懐いてしまった男の子に手を振って今度こそ家へ向かう。
早く帰ってご飯を炊かないと間に合わない。
少し早めに足を送り出す。
「ったく物好きなヤツだな。見ず知らずのガキを」
ふわりとバクラが宙に姿を象った。
「ああいう子を見てると、放っておけないんだもの。天音の面倒を見てたときのこと思い出すよ」
幼い子供の世話を焼くのが、しっかりと染み付いてしまったようだ。
「じゃあなにか?ああいうガキが他にもいたら、いちいち構ってやんのか?」
「うーん……放っておけないかも……。泣かれると弱いんだよ」
バクラは呆れた顔をした。
「お人好しじゃなくて、ただのバカだな」
それは聞き捨てならないと、獏良が眉間に皺を寄せる。
「お前が泣いても構ってやんないよ?」
「……そんなことにはならないと思うがな」
バクラには自分が泣くという姿が想像出来ない。
言ってみたものの、それは獏良も同じだ。
「そうだね……でも、万が一泣いたら……面倒みてあげるのも良いかも」
ぱちんと一度手を打って、楽しそうに獏良が提案する。
「頭を撫でてあげる。よしよしって。抱き締めて背中擦ってあげる」
「オイ」
うっとりと訳の分からない妄想に更ける獏良にバクラは一歩下がる。
さっきの子供のように、「どうしたの」と優しく語りかけられるのだろうか。
相手を安心させるように自然と零れ出る微笑み。
あの子供は実際獏良に微笑まれ、すぐに緊張が解けたようだった。
獏良がほとんど無意識的にやっていることで、バクラがいかに上手く獏良を演じても、それは真似出来ない。
上辺だけの笑顔は作れても、相手を気遣う心からの微笑みを作れるわけがないのだ。
そんなふうに獏良がバクラに接することがありうるのだろうか。
「万が一泣いたら」
それはない。
バクラは「泣く」前に、しなければならないことが沢山あることを知っている。
泣いている暇があるのなら、
先を急ぐ。
失敗を挽回する。
他の事をする。
泣くという行為は、後回しにする。
想像し難いが、本当に何もかもすることが全てなくなった時は泣くのだろうか。
まだ自分は泣き方を覚えているのだろうか。
とうの昔に置いてきてしまった感じがする。
とりとめのない妄想を終え、黙りこくったバクラを獏良はじっと見つめていた。
そして、ぱっと顔を輝かせ、一歩前に躍り出る。
振り向いてバクラに向かって、
「どうしたの」
先程と変わらない抑揚と仕草で問いかけた。
思いきり邪気のない笑顔に迎えられたバクラは、
「わっ」
獏良の額を手のひらで打った。
音も感触もしなかったが、獏良は額を押さえて一歩下がる。
「いきなり何するの」
「ふざけやがって」
冗談半分でもあんな顔をされたら、どう応えて良いのか分からない。
「乱暴なんだから……」
獏良はつまらなさそうに唇を尖らせて再び歩き出す。
「でもさ、良かったよ」
並んで歩きながら、ぽつりと獏良が言う。
「何がだよ」
「お前が……」
どこか恥ずかしげに、気まずげに、獏良が俯く。
「笑うなんてさ」
バクラは意味が分からず、訝しげに獏良を見る。
誰が
いつ
笑った……?
人は笑いかけられると、反射的に笑い返してしまう。
それで、自分でも気付かずに笑ってしまった?
ほんの一瞬、獏良に。
「笑ってない」
「ウソ、笑ってた」
きっぱりと獏良が言う。
ふざけている様子は全くない。
ただつられただけだとしても、本当に笑ったのだとしたら、同じように泣くことも出来るのだろうか。
「いつもそうしてれば良いのに」
「バカ言え、お前の見間違いだ」
認めることが出来ずに、ふいとバクラが顔を背ける。
もしも、いつか涙を流したら
その時は
零れる感情をもう二度となくさないように
どうしたのと、優しく微笑えみながら
その細い腕で受け止めて
「素直じゃないね」
いつか、きっと
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微笑んだり泣いたりするバクラを想像するのはとても難しいことだと思います。
でも、了さんの力で…!