ばかうけ

*パラレル設定です。「遊戯王」とは一切関係ない人物も多く出てきます。それでも、大丈夫な方は↓へドウゾ

「……食われるって」
場にそぐわない言葉の響きに獏良はたじろいだ。ただ口の中で繰り返して意味を咀嚼しようとした。
青年はそれ以上は説明せずに顎で女を示し、
「そいつ、何歳に見える?」
素っ気なく問いかける。
女のすっかり色素の抜けた髪や皺だらけの肌を見れば高齢であることは窺える。しかし異常な状況下であることを鑑みれば――。
「六……七十代……かな」
「オレも正解は知らねえが、恐らく五十もいってねえぞ」
「えっ?!」
そんなバカな。獏良はもう一度女をまじまじと見つめた。痩せて頬骨や下顎骨が浮き出ている。とても青年の言うとおりには見えない。
「この村の連中はな、外から来た奴を囲っちまうのさ。こんな老人だらけでクソ寂れてりゃァ、とっくの昔に失くなってんだろ。だから、誘い込んで自分たちのモノにする。胸糞悪ィ」
「自分たちのものに??どういうこと?」
「男なら種馬にされるな」
獏良は目を見開いた。頭に浮かんだことを自ら否定して、けれども青年が発した言葉はそれ以外に意味があるはずもなく、心臓が大きく脈打つ。
「あとは足腰立たなくなるまで働かされる。女はもっと悲惨だぜ。母胎として利用されるからな。ろくに面倒も見てもらえずに妊娠と出産を繰り返せば、その様だ」
「まさか……この人……」
獏良の奥歯が勝手にカチカチと鳴り出した。そんな非人道的なことが現代の日本で行われているわけがない。否定したくとも、女を見れば信じるしかなかった。
「まあ、この女は逃げようとしたか、反抗でもしたんじゃねえの。ひっでェことしやがる」
「そんな……こんなこと、騒ぎにならないはずが……」
「そうかァ?ここは特殊な場所なんだ。全員が自分たちのしてることは正しいと信じて疑ってねえのさ。当然、口裏を合わせるし、騒ぎがあったところで揉み消す」
青年は口端を釣り上げて、恍惚に浸っているとも取れる歪な笑みを浮かべる。
「警察だって黙っているはずないのに……」
「警察ゥ?『行方不明者』が出たところで、警察とやらはわざわざ探してくれるのか?ガキならともかく。ここでは事件にすらなんねェんだよ」
「隠蔽するって言っても、僕たちは公然と電車やバスに乗ってここへ……」
「バス?」
青年が訊き返すのと、獏良がハッと息を呑んだのは同時だった。青年はニヤニヤとその先を続けられない獏良の顔を眺めている。
獏良たちを運んだバスはこの集落で運営されていた。つまり、外客の存在を隠すどころか、誰も来ていないことにするのは容易なこと。
「おかしいよ……こんな……」
獏良はすっかり色を失っていた。喉が渇いてひりつき、呼吸すらままならない。
「驚くのは後にしろ。ここを早く出るぞ」
呆然とする獏良の手を強引に掴み、青年は地下室の出口に向かう。慎重に気配を窺いながら床下から這い出し、痕跡を残さないよう蓋を閉める。
それから向かったのは獏良たちが行きに使用した林道ではなく、生い茂る木立の中。密生する野草を踏み分け、青年は迷いなく獏良を導く。
「このまま下りていけば山道に出られる。あとは自力で町へ向かえ。間違ってもバスなんか拾うなよ」
体格からは想像できないほど青年の力は強く、獏良の手首をしっかりと掴んでいる。
「僕の連れたちも助けてあげられないかな……」
「諦めろ」
青年は厳しい声音で短く答えた。
「お前まで捕まっちまうぞ。とにかく今は逃げることだけを考えろ。そんなに助けたけりゃ、後からいくらでも騒ぎゃいい」
警察に駆け込んだところで、動いてくれるのはいつになるだろうか。今こうしている間にも、彼女たちは酷い目に遭ってはいないだろうか。
青年に引かれるままに進みながらも、見捨てることには躊躇いがある。
「無事、だよね……」
獏良はほとんど請うように言った。
「……なんで事件にならねえのか、本当のとこ教えてやろうか。逃げ出せた奴がいねえからだよ」
ザクザクという二人の足音と青年の言葉以外は静かなもの。低く単調な声が木々に遮られた道なき道を一層暗くした。
「捕まった奴らはまず躾と称して折檻されるのさ。閉じ込められ、食事もろくに与えられず、抵抗すれば暴力と暴言。段々と気力が失くなっていく。知ってるか?絶え間なく緊張状態を強いられた人間は逃げられなくなるんだとよ。それどころか、正常な判断もできなくなっちまって加害者を庇うようになる」
青年は獏良を怖がらせたつもりだった。あえて直接的に語ってやれば戻る気など起きなくなる。そう考えてのこと。
「だからお前もさっさと……」
これで大人しくなると思った矢先、青年の手が勢いよく振り解かれた。
「なおさら助けに行かないと!」
獏良は青白いままの顔を強張らせ、来た道を猛然と引き返し始める。
「あ、おい!バカッ!!」
怯えて縮こまっていた学生はそこにはいなかった。細い身体のどこに瞬発力を秘めていたのか。虚を衝かれた青年の手には届かない場所まで離れてしまっていた。

――助けないとッ!
獏良の中から余計な恐怖心を閉め出され、考えられるのは残してきた者たちのことだけだった。
地下室の女のようになってしまったら、取り返しがつかない。まだ一日半しか経っていないのだ。無傷で助けられるかもしれないという思いもあり、夢中で足を動かした。
屋敷に辿り着き、生垣から様子を窺うと、幸いにもまだ家人たちは帰っていないようだった。
まず、先輩と教授に事情を話して避難させなくては。
潜んでいる時間も惜しく、屋敷に駆け込み、二階へと駆け上がった。部屋に先輩の姿はなぜか見当たらず、獏良に焦りが募る。
悠長に探し回るよりはと、教授の部屋へと向かった。ノックもせずに戸を開け、中へ飛び込む。
「教授、ここを出ましょう!危険なんです!」
教授はのんびりと腰を上げて、困惑した表情を浮かべた。
「どうしたんだい。そんなに慌てて」
「ここにいたら、酷い目に遭わせられるんです!」
説明する間も惜しく、獏良は教授の腕を取った。とりあえず外に出るのが先決だ。後から説明はいくらでもできる。
ところが、教授はその場を一歩も動かない。
「君は本当に優秀な助手だね」
獏良に向かって穏やかに微笑んだ。

男の身体は絡みついたものから解放された反動で床に大きく打ちつけられた。
「ぐうっ」
ロープのようなものが引き千切れる音がしたが、男は依然として拘束されたまま。なんであったのか深く考えもせず、もう一度蔵の中で暴れ始めた。
そんな男の後ろでジジジという小さな異音が鳴っていた。引き千切られたのは、乱雑に束ねられた電気コード。
充分に整備されていないコードは与えられた負荷に耐えられなかった。破損した箇所から小さな火花が散る。パチパチ。配線が切れたことで大元のプラグからバチンと大きな破裂音が鳴ると共に発火。プラグには埃が溜まっていた。周囲には燃料になるものが山ほどある。
蔵に生まれた小さな炎は手近にあるものから飲み込んでいき、範囲を広げ、次第に勢いを増していった。床と壁をゆっくりと這う。
男は興奮のあまり異変に気づけなかった。気づいたときには遅く、火の手は間近に迫っていた。
視界を奪われている男がまず始めに感じたのは痛み。転がった拍子に炎の中へ足を突っ込んだ。
「ぐっ?!」
たまらず床をのたうち回る。痛みと同時に感じたであろう熱さは混乱した脳が同じ痛みとして処理をした。足に何か攻撃を加えられた、と。
男は状況も分からず、痛む足をくの字に曲げた。肌をくまなく針で突かれているような痛み。
そこで逃げるどころか、頭に血が上っていた男は、身体を揺さぶり、攻撃を加えたものを威嚇した。
周囲の気温が上がっていることに気づいたのはその後だった。続いて鼻を突く異臭。まさか火に囲まれているとは思ってもみない。
そのうちに床を舐めるように這う炎はとうとう男へ手を伸ばした。
痛い。全身を突き刺すこの痛みはなんだ。それに息苦しい。何が起こっている。男は身体をくねらせつつ、跳ね回った。熱せられた鉄板の上で踊るように。
幸運だったのは、男は早々と意識を手放し、痛みから解放されたことだった。
不幸だったのは、それが最期の記憶となったことだった。

「君が来てくれて良かったよ。これで優秀な血がこの村に混じる」
教授は世間話でもするように、朗らかに話を続けた。
「何を……言ってるん……ですか」
伸ばした獏良の手が震える。目の前にいるのは確かに教授なのに、昨日一緒に集落を回ったはずなのに、真意がまったく読めない。
「出来損ないしか集まらなかったと思ったが君は違う。丁重に扱おう」
「あなたは……」
理解するより先に獏良の手が離れた。
「私はこの村の出身なんだよ」
ぐらり、と世界が揺れた気がした。足元が崩れるような感覚。気が遠退いて、すべての感覚が希薄になる。
「酷い」
ようやく出た言葉はそれ一言。それでも教授は満足げに頷いた。
「君はこの村の歴史について随分と気にしていたね。教えてあげよう。昔からこの村では外の人間と交配を繰り返していたんだよ。私たちの血を絶やさないためにね。誰が始めたことかは不明だが、小さき神々とは君たちみたいな外の人間のことを指すんだよ。迎え入れて『奉仕』をするからね」
「体裁を取り繕っても、やっていることは犯罪だ」
獏良はこぶしを震わせながら吐き捨てた。「奉仕」の内容について想像ができてしまったからだ。
無理やりに婚姻関係を結んでしまう風習は世界各地に存在する。この集落で行われていることは、それよりももっと酷い。人間以下の扱いが許されていいはずがない。
「何が神だ……」
「古の神とやらに祈りを捧げていては、この村はとっくの昔に滅んでいた。これも仕方がないことなんだ」
目の前にいる男は罪悪感の欠片も抱いていない。自分たちが犯していることを当たり前のことと信じている。教授の表情や口ぶりから、それらがありありと感じ取れた。
「もうすぐ、ここに青年団がやって来る。君も神様の仲間入りだ」
獏良が全身を走る悪寒から両手で自身を抱きしめたとき、外から激しい破裂音が聞こえた。
「なんだ?!」
教授は窓に飛びついた。窓を開けた途端に部屋まで流れ込むきな臭い香り。身を乗り出して周囲を確認する。
蔵の有り様が目に入ると、喉から呻き声が漏れた。天窓から黒煙が上がり、内側で燃え上がる炎がまさに這い出さんとしている。
破裂音は炎が天窓を突き破った音だった。余りある酸素を手に入れた炎は、小さな爆発を繰り返しながら蔵を呑み込んでいく。
「だ、誰か……!」
山中で火事が起こればどうなるのか誰もが想像に容易い。教授は獏良に構う余裕もなく、足をもつれさせながら部屋を出ていった。
事態についていけずに立ち尽くす獏良の背後から、
「まったく人間はいつになっても自分の都合で動きやがる」
呆れた声が投げかけられた。
「君!」
青年が肩を竦めて戸口に立っていた。
「ろくなことにならなかったろ?ほれ、逃げるぞ」
二人が外に出たときには、方々から住人が集まりつつあった。その中で余所者が混じろうとも、気にする余裕のある者は誰一人としていない。
混乱に乗じて堂々と屋敷の裏手から茂みの中に飛び込んだ。そこから山林へと移動し、集落を後にする。
「手間かけさせやがって」
「ごめん……」
悪態をつきながらも青年は獏良の手を放さない。軽快な身のこなしで木々を縫って斜面を走る。
獏良は弁解の言葉もなく肩を落とした。逃げた後でどうするか考えがまとまらない。
早く彼女たちを助けなければならないが、今は自分の身のことで精一杯だ。これ以上勝手なことをして、青年に迷惑をかけるわけにはいかない。
先を走る青年の口から息が漏れた。
「ヒッ……ヒヒ……」
吐息だったものが徐々に大きな笑い声となる。
「ヒャ、ハハハハァッ!ざまぁねえなァ!木霊ごときが神を気取るからだ!」
青年の笑い声が山林にこだまする。木の合間から空を焦がさんと立ち昇る炎が見えた。
「君は一体何者なの……なんで僕を助けてくれるの?」
前半の問いに対する答えはなかった。しかし、後半については、煩わしげに漏らされた。
「あいつらの好き放題にされるのは気に食わねえンでな」
先へ進むごとに騒ぐ声が遠退き、周囲を樹木が覆っていく。太い幹が見えるばかりで先は見えない。
「それに、お前みてえな奴は久しぶりなんだ。もうオレの姿が見える奴なんてほとんどいねえのによ」
青年の声はどこか嬉しげだった。
「君は……」
獏良が直感的に思い出したのは、神社で見た崩れかけの石像。今は姿を眩ませた古の神。
荒々しくうねる傾斜面を、あるときは登り、あるときは下る。
進めば進むほど高くそびえ立つ太い木々が増えていく。行きに通った道でも、先ほど案内された山林でもない。
「ねえ、どこに向かっているの?」
獏良は初めて疑問を持った。何も考えずについてきてしまって良かったのだろうか。山を下るものとばかり思っていたが、もしかしたらとんでもない方向へ来ていないか。
青年は相変わらず前を見つめたままぽつりと呟いた。
「…………三回だ」
「え?」
獏良が訊き返してから妙な間があった。
「オレは三回警告をした。選んだのはお前」
声音が低くなり、はっきりと念を押すように、
「だから、お前は、もう戻れない」
山の空気が淀んだ。胸が詰まって息苦しい。樹海に薄墨を垂らして緑が一段と濃くなったように感じる。
青年の手は獏良の柔肌に強く食い込んでいた。解こうにもびくともしない。
「は、はなして」
気づけば、二人は人智を超えた速さに達していた。足を取られることもなく、周囲の木々を抜き去り、苔でぬかるむ急峻を駆け上がる。
「お願い、はなして!」
獏良の言葉は絶叫に近かった。叫んだところで必死の懇願は樹海に吸い込まれる。
背後ではごうごうと炎が雄叫びを上げている。誰も獏良の声など聞いてはいなかった。
「嫌だッ!!」
二人の姿が山の中へ消えていく。
抵抗しようとも草木がすべてを覆い隠す。
何度目かの悲鳴を最後に声はぷつりと途絶えた。
これは、山で起こったほんの小さなこと。
何事もなかったように風が枝葉を揺らしていた。

----------------------

これはお前が望んだこと。




前へ

前のページへ戻る