いつものように、鎌を振る。
風を切る心地良い音がして、それは終わる。
表に狩った魂の名前に斜線を引き、次の標的に移る。
毎日それの繰り返し。
数え切れないほどの年月をそうしてきた。
しかし、このところ、そうもいかなくなってきた。
理由は――。
「お疲れサマ」
上から拍手と共に、からかい口調の声が降ってきた。
了は射るような視線で、そいつを睨みつける。
そいつは、了のすぐそばの木の上に腰掛けていた。
「そう、怒るなっての。今のオレは別にお前を狩ろうなんて思ってないんだからよ」
大袈裟に肩を竦めてバクラが返した。
「……そばにいられるだけで、うざったいんだけど」
「手厳しいな」
「お前が僕に危害を加えようとしているも、していないも関係ない。くるなら返り討ちにしてやる。ただ……これ以上付きまとうのはやめろ。目障りだ。この寄生虫め」
鎌を軽々と回し、バクラに向かって構える姿はまさに死神。
ただ無感情に仕事をしているときよりも鬼気迫り、恐ろしい。
「オレ様が寄生虫なら、お前は宿主ってとこか?ヒャハハハ!」
馬鹿笑いをするバクラに、了は鎌を下ろして力を抜く。
食えない奴だと思う。
こんなふうに出られたら、真剣に相手をする気が失せる。
それがバクラの狙いなのだろう。
「……今度はふざけずに答えろよ。僕に何の用がある」
少しは和らいだものの、厳しいまなざしで、バクラを見据えつつ尋ねた。
「言っただろ?狩るか狩らないかはオレが決める。ま、今は査定期間ってヤツだ。じーっくり見させてもらうから、覚悟しとけよ」
気に入らない。
無性に気に入らなかった。
バクラの余裕を感じさせる言動が。
ずっと忘れていた感情が目覚めるようだった。
その感情の名は――。
「……失せろ」
手が白くなるまで拳を握り締め、噴き出そうとする感情を抑え込む。
「僕の前から消えてくれ」
震える唇で吐き捨てた。
「なあ、お前、疲れないか?」
バクラがひょいと枝から飛び下り、まじまじと獏良の顔を見つめた。
「疲れる?何が……」
言い終わるや否や、体が宙に浮くような感覚、
「……!」
その直後、背中に鈍痛がした。
「そんなに気ぃ張ってて」
身体が動かない。
バクラに組み敷かれた。
「カラダこちこちだぜ?」
屈辱的だった。
同じような体格、しかも自分が気に入らないタイプの奴に押し倒されるなんて。
「この分じゃ、ヤってないんだろ?セックス」
「は?」
獏良は抵抗することも忘れ、バクラの言葉の意味を考えた。
性交は生物が新しい同種の個体を生み出す為になすことを意味し、死神にとっては全く関係ないことだと、獏良は知り得ている。
何を言っているのだ?この男は。
「図星だろ?潔癖なヤツだな。他の奴らからすれば、半分も楽しい人生送ってないな、お前」
「他の奴らなんか、関係ない。僕のことに口出しするな」
ぎっとバクラを睨みつる。
また、先ほど感じた嫌悪感が、ふつふつと沸き起こる。
さぼることばかりを考えている奴に、自分のことをどうこう言われたくなかった。
今まで了の中へ深く入り込んでくる者は一切なかった。
だから、今、初めて分かった。
了は自分の思うままに、自由に生きている者が酷く気に入らない。
自分がそうでないから。
バクラにずっと抱いていた感情は劣等感だ。
「……もう僕のことは放っておいてくれ」
とてつもなく、悔しい。
なりふり構わず泣き叫べたら、どんなに良いだろうか。
「お前、気付いてるんだろ?」
ふっとバクラの目つきが変わった。
いつか見た、どこか暗い、真剣なまなざしだ。
普段の軽薄な雰囲気がなりを潜める。
またこの既視感。
どこか……すぐ近くで覚えのある雰囲気だ。
「お前は他のいい加減な奴らとは違う。分かっているはずだ。この仕事がどれだけつまらないものか」
――僕は違う。
「毎日狩りをし続けるだけだ。もう何千年も生かされて、そうしてきた。耐えられねぇんだよ、オレは。変化なく毎日を過ごすのが」
違う。僕はお前なんかとは。
「なあ、分かってんだろ」
皮肉な笑みを浮かべたバクラに見下ろされ、獏良はやっと気付いた。
その冷めた瞳がまったく自分と同じ色をしていることに。
感情を押し殺して仕事に専念してきた。
それが、目の前にいるいけ好かない男と同じ?
認められない。
絶対に。
「お前、不愉快だ。嫌いだよ」
完全な拒絶の言葉にバクラの表情がすっと消えた。
憎々しげに了を睨み、
「強情な奴だな」
吐いて捨てる。
ローブの裾がめくられ、バクラの片腕が無遠慮に了の太股の上を這った。
「や……何するんだ!」
他人と距離を取っていた了には素肌を触られた経験はあまりない。
びくりと身体が跳ね、くすぐったさに身をよじる。
「なら、身体に教えこんでやるからな」
低い声で耳元に囁かれる。
了は先ほどのバクラの言葉を思い出し、これから何をされるのかを察する。
了には男同士という概念がない為に、どうなるのかは具体的には分からなかった。
しかし、それはとても屈辱的で、苦痛を伴うことは容易に想像が出来る。
バクラのもう片方の手が獏良の胸元にかかった。
そのまま手に力がこもり、
ビッ
小さく布が裂ける音がした。
このままだと、この男の前で素肌をさらすことになる。
それは絶対に嫌だ。
「やめろ……!」
獏良は夢中で抵抗をし始めた。
腕を振り回し、なんとかバクラを上からどかそうと試みる。
しかし、びくともしなかった。
足は全く動かせない。
服の下で這い回る腕。
重くのし掛かる体重。
全てが嫌悪感に満ちていた。
同じ男なのにどうにもならない状況は、獏良を酷く惨めな思いにさせた。
敵わないと分かっていても、抵抗することをやめるわけにはいかない。
諦めずに手を無茶苦茶に振り回すと、さすがにうざったく思ったらしい。
「チッ」
やおら了の頭を掴むと、地面に押しつけた。
「うっ」
了の口から堪らず呻き声がもれる。
痛さに力が入らず、抵抗することもままならなくなった。
ぐったりとした了に、再びバクラが手をかける。
びりっ
今度こそ、胸元の布が引き千切られ、了の白い肌が露出する。
了は力なく首を横に振った。
――なんでこんなこと……。
声にもならず、目尻から一筋の涙が流れた。
虚ろな瞳でバクラを見上げる。
了が抵抗した為に服が乱れていたので、ふとバクラの肌が目に入った。
――え……?
それを認識した時、了の意識が一気にクリアになった。
重い腕を上げ、そこに触れる。
ぴたりとバクラの動きが止まり、冷めた表情に、ほんの少しだけ感情が灯った。
「コレ……お前……」
了はそれがよく見えるように、バクラの上着の裾を持ち上げた。
了のなすがままに、バクラはその行動を制しようとはしない。
信じられないような面持ちで、バクラの腹を直に触る。
別段変わった感触はないが、
「呪いじゃないのか……?」
バクラの腹は紫に変色していた。
「酷い……」
外傷によるものではない、何かが内側から蝕んでいる。
さすがに、了の唇が震えた。
「お前が言ったんだよな」
バクラの声は妙に落ち着いている。
「死神を狩って無事で済むわけがないと」
自分のことなのに、他人のことを話しているような口振り。
了はその静かな口調が逆に痛々しく感じ、耳を塞いでいまいたくなった。
「これがその代償。こうなるように作られたのか、オレが狩ってきた奴らの怨念かは知らないけどな」
変色は腹全体に広がっている。
触れるそこは他より体温が低い。
これが全身に広がれば……結果は見えている。
「どうして、こんなになるまで放っておいたんだ!なんでこんなこと……」
本来ならば、了がバクラの為に怒る理由はない。
知らぬ振りをすれば良いのだ。
でも何故か、バクラを放っておくことが出来なかった。
「それも言ったはずだ」
つまらなかったから
幾年も生かされ、終わりのない地獄。
変化が、刺激が、欲しかった。
自分が生きていると証す為に。
「だからって……」
半分否定の言葉を紡ぎながら、了はうっすらと気付き初めていた。
二人とも生きようとしていたのだ。
了は無意識のうちに仕事に打ち込むことで成そうとしたのに対し、バクラは掟に逆らうことでそうしようとした。
方法は違えど、同じこと。
了がバクラに同じ匂いを感じたのも当然のこと。
「バカだよ、お前は」
「バカなんだよ、お前と一緒でな」
二人はそれぞれ自嘲の笑みを浮かべた。
バクラが身体の力を抜いたと分かると、了はゆっくりと上半身を起こした。
一度でも似ていると思ってしまった相手を、心から憎むことは出来ない。
しかし、癪に触る。
了がここまで人に振り回されたのは初めてだ。
バクラを狼狽させてみたい。
了は息を吸い込んで決心すると、バクラの腹に顔を近付けた。
「おいっ!」
焦るバクラの声を聞き流し、肌すれすれまで口を接近させる。
そして、痣に沿って唇を動かす。
ゆっくりと、呪いの邪気を吸い込みながら。
最初は抵抗する素振りを見せたものの、バクラは了の好きにさせた。
それでも、戸惑いは隠しきれていなかったが。
――ざまあみろ。
了は一矢報えたと、満足感を得た。
「もう良いだろ」
数分後、バクラのその一声で了は唇を離した。
離れて痣を見てみると、心持ち全体的に色が薄くなったような気はするが、範囲が狭ったということはない。
「結構、浄化したはず……」
息を飲む了に対し、バクラは落ち着いていた。
「だいぶやったからなぁ。一度や二度じゃ、大したことないんだぜ。放っておけば、自然治癒力で治っちまうんじゃねぇか?」
死神の自然治癒力は人間より遥かに高い。
人の命を預かる者が死んだら元も子もない。
身体半分を失っても、元通り回復した死神がいるという噂があるくらいだだ。
それでも自然に治らないということは、一体どれだけの魂を狩ったのだろうか。
「物好きなヤツだな。死神のくせに命を助けようとするなんて」
「お前の名は狩りリストに載ってない。死神が死ぬ運命にない者を助けてはいけないとは決まってないだろ。それに、お前が死に急いでいるなら、させてやらない。絶対に」
言った。
言ってやった。
妙に清々しい気分で、バクラを睨んでやる。
「言うねぇ」
バクラは了に憤怒することなく、むしろにやにやと面白そうに笑った。
「お前、オレ様のモノにならねぇか?」
「勘弁」
了が短く答えると、ますますバクラは笑みを深めた。
どうやら、了の強気な発言を気に入るらしい。
気を取り直すために、了はこほんと一つ咳払いをした。
「せっかく僕が治療してやったんだから、もう死神狩りはするなよ。悪化させたら台無しだ」
「その件に関しては飲んでやっても良いぜ。お前がオレを楽しませてくれるんだろう?」
バクラがやたら大袈裟な動作で、了の顎を掴む。
うざったげに了がバクラの手を振り払った。
「勝手に楽しんでろよ……」
不満を隠そうともせずに、了が唸った。
了はこんなふうに感情をさらけ出すのは初めてであることを気付いた。
思ったよりも簡単だったし、気持ちが良い。
「もう十分良いもん拝ませてもらってるけどな」
バクラがすっと了の胸元を指す。
「え?」
指に導かれ、視線を下ろすと、そこにはローブを無残に引き裂かれ、あらわになった胸。
白い肌に、薄い色の胸の先端が鮮やかだった。
よくよく自分の格好を見れば、足も剥き出しで、服というより、布切れをかぶっているようだ。
「ヒャハハハ」
「お前のせいだろう!」
馬鹿笑いをするバクラを真っ赤になりながら睨みつけ、布の切れ目を手で押さえた。
「お前、やっぱり最高」
バクラは笑いが止まらないらしく、上下に肩を揺らしている。
「宜しくなぁ?」
芝居がかった調子で、了の髪を一房摘み上げた。
了は真っ直ぐにバクラの目を見つめた。
「宜しくされたくないけど」
今、この時からバクラと真っ向から向き合うことに決めた。
それは自分自身を初めて見つめることと同じ。
長いこと不動だった心に芽生えた、小さな変化。
ゆっくりと二人の中で育ち始めていた。
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やっと始まった感が(笑)。
先に進まないと、バクラさんが謎な人になりそうで、怖い怖い。
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