ばかうけ

この話は童話パロディものです。
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前半


それは深い深い森の中。
今にも崩れ落ちそうな古城がありました。
もはや、いつの時代のものなのか、知る者は誰もいません。
城に入ると呪われるだの、不気味なうめき声が聞こえるだの、気味の悪い噂ばかりが広まるのでした。
まるで城だけが、俗世から切り離されたかのように、そびえ立っていました。
人々の介入を拒み続け、扉が開くことはなかったのです。


森からそう遠くないところに、小さな村がありました。
何もないところですが、人々が仲良く暮らす、自然が豊かな美しい村です。
その中に特に評判のいい親子が住んでいました。
底抜けに明るい父親の克也と、気立てのいい息子の了です。
貧しいながらも、仲良く暮らしていました。
ある日、克也が町へ出稼ぎに行くことになりました。
「何か欲しいものあるか?せっかく町に行くんだし、買ってきてやるぜ」
こんな寒村では、欲しいものも満足に手に入りません。
可愛い息子のために克也が提案しました。
「いいや、思いつかないし」
それでも、了は首を横に振ります。
シュークリームが好物ですが、わざわざ町へ行って買ってもらうような物ではありません。
若者が欲しがるであろう服や身の回りの物は、自分で作ればよいだけだと了は思っていました。
要するに、彼はこの村の生活に満足をしていたのです。
それでは納得しない克也が、
「本当になんでもいいんだぜ。言ってくれよ」
もう一度、了に問いかけました。
了にも趣味はありますが、それを買ってくるとなると、家の蓄えを上回ってしまいます。
じっと考え込んで、やっと自分の望みを思いつきました。
「それでは父さん、森の中に古城があるでしょう。その姿を水鏡に映して持ってきて欲しいんだ」
そう言って、小さな木椀を父に手渡したのでした。


町での仕事を終えた後、克也は村への帰宅を急いでいました。
愛息子をずっと一人にしてはおけません。
暖かくなった懐と息子のことを思えば、足取りが軽くなります。
息子からのお願いのことも、ちゃんと覚えていました。
しかし、克也は不気味な噂のある城が、恐ろしくて恐ろしくてたまりません。
太陽の光も差し込まない森の中は、何かの意志を持っているようです。
隙あらば旅人を迷わそうと、息を殺して見張っているのです。
木々の一本一本が、恐ろしい顔に見えてきます。
大きな身体にも関わらず、克也は小刻みに震えながら、森の奥へ奥へと進みます。
ぎゃあぎゃあと奇怪な鳴き声と共に鳥が飛び去る度に、克也は身を竦ませました。
森の奥に辿り着くと、ぱっと視界が開けました。
そこには、噂に違わず不気味な城がそびえ立っていました。
庭の木々は枯れ、しなびた腕を交差するように伸ばしています。
人の気配は一切感じられません。
そのくせ、あちらこちらから囁き声が聞こえてくるようです。
城の周辺にだけ不吉な暗雲が立ち込め、一層不気味に見えました。
克也は震える手で、了に託された木椀を取り出しました。
そこへ飲み水用に持ってきた水を注ぎます。
恐ろしい情景が視界に入らないように顔を背け、出来るだけ腕を伸ばして、椀の中に城の姿を映しました。
それなので、克也は不吉な陰をも水鏡の中に収めてしまったことに気づきませんでした。
あとはただ、水を溢さないように注意を払って、一目散に村へと逃げ帰りました。


父からの土産を受け取った了は大喜びしました。
多くの人にとっては呪われた不気味な城でも、了にとっては魅力のあるものだったのです。
とても今の時代のものとは考えられないような外観をしているので、考古学が好きな了にはたまらない研究材料になるのです。
勉強をするために施設に入るだけでも莫大な費用がかかるので、村の古い資料を読み漁って独学に励んでいました。
だから、了にとっては、とても高価な贈り物になるのです。
了は熱心に水鏡に映る城を眺め始めました。
観察をした後は、資料を正確に取っておくために模型を作るつもりです。
模型を作るには、まず設計図を作らなければなりません。
やらなければならないことは山積みです。
張り切る了の姿を克也は満足げに見守っていました。
もう一つの視線に、了も克也も全く気づきませんでした。
了が城の姿を覗き込むのと同時に、城の主も水面の向こうの様子を捉えていたのです。
夢中になっている少年の姿に、城の主は鼻で笑いました。
自分の城とはいえ、何を一生懸命になっているのか理解出来なかったからです。
それでも、城の主は了を見続けました。
――底の見えない暗い瞳で。


「おーい、そろそろ飯にしようぜ」
「もうちょっと……」
夢中になると、他のことが疎かになるのが了の悪い癖でした。
あれから、日が沈むまで黙々と作業を続けていたのです。
「ま、しょうがねえか」
克也はそんな息子の性分を充分に理解しているので、困り顔で笑うのみでした。
「今日はいい夜だなあ」
全ての星空を見透かしてしまえそうに澄んだ夜空に、優しい明かりを灯す三日月がくっきりと映えています。
克也はしばらくの間、ぼうっと空を眺めていました。
もし、美しい月の夜には魔力が満ちることを知っていたなら、すぐに克也は窓とカーテンを閉めていたでしょう。
そうすれば、不吉な訪問者がこの家を見つけることは出来なかったに違いありません。
「およ?」
克也は夜空の中に、更に暗い影が一つ浮かんでいるのに気づきました。
目を凝らしていると、どうやらそれはどんどん大きくなるようでした。
それが馬車であるということが分かったときには、家の近くまで迫っていました。
「な……んっ」
克也は口を金魚のようにパクパクと開きました。
あまりのことに声が出ません。
馬が空を走るなんて聞いたことがなかったからです。
文字通りその馬車は、空を駆けてやってきたのです。
誰か人が乗っているとしても、まともな人間であるはずがありません。
克也は青ざめて、窓とカーテンを閉めました。
その慌ただしさに了が気づき、目を丸くしました。
「どうしたの?」
「明かりを消せ!」
もう何もかもが遅すぎました。
「むだむだぁ」
馬車に乗っている人物は、くすくすと笑い声を漏らします。
了の家の前に馬車を停めると、ゆっくりと降りました。
その人物は闇のような濃い紫色のマントで全身を包んでいて、顔を窺うことも出来ません。
声で辛うじて男と分かるだけでした。
マントの男が戸の前に立つと、大きな音を立てて錠が弾け飛び、ひとりでに開きました。
「なにをしに来やがった」
克也は了を庇いながら、こぶしを握りしめました。
「やめなよ。ただの人間が僕に敵うわけないんだから。僕はただ、おつかいに来ただけ」
ただその場に立っているだけなのに、マントの男から発せられる威圧感は尋常ではありません。
恐らくどんなに抵抗しようと、不思議な力を使って克也と了を黙らせてしまうのでしょう。
「城主がお怒りなんだよね。勝手に城の姿を取っていったでしょ」
「あ、あれが悪いっていうのかよ?あんなのなんともねぇだろ!」
了は克也の後ろで身震いをしました。
古城に恐ろしい力を持った者たちがいるなんて知らなかったとはいえ、気に障ることをしてしまったのです。
どんな目に遭わされるか分かりません。
「まあ、僕は頼まれてやって来ただけなんでね。言い訳は本人にしてよ。そこの息子さんの口から」
そこで克也は矛先が自分ではなく、了に向いていることに気づきました。
「なんでこいつなんだよ!盗ったのはオレだ」
「だって、その子の願いだったんだろ」
マントの男はにべもなく言い捨てました。
「大丈夫。罰は罰なんだけど、危害を加えるつもりはないらしいから」
「そんなの信用できるわきゃないだろ!」
固唾を呑んで、そのやり取りを見ていた了は、ぐっと足に力を入れました。
「行きます」
恐ろしさに足は震えていましたが、自分のせいで克也の身に危険が及ぶのは、もっと耐えられません。
「あのお城へ行けばいいんでしょう?」
「お前!」
克也が止めるのに聞かず、自ら前に出ました。
「大丈夫だよ。話したら分かってくれるかもしれないし」
そう言ってにこりと微笑む了に、克也は掛ける言葉も見当たりません。
「いい子だね」
マントの男が手招きをし、二人は馬車へ乗り込みました。
「きっと帰ってくるから」
克也は夜空の向こうへ馬車の影が消えるまで、ずっと見つめていました。


父の前では気丈に振る舞ったものの、マントの男の隣で了は身を固くしていました。
馬車内は狭く、二人しか座れないようになっていました。
その代わり、御者がいないのです。
馬たちは命じられたとおりに目的地まで走ります。
美しい夜景を眺める、またとない機会ですが、了はそんな気分になれませんでした。
「ほんとに乱暴なんかしないから、安心していいよ」
そう言いながらマントの男がフードを取ると、明るい色の髪が零れ落ちました。
褐色の肌に整った顔立ちの、了と変わらない年頃の少年でした。
「僕はマリクっていうんだ」
完全に緊張は解けませんでしたが、男の正体が分かったので、少しばかり了の身体から力が抜けました。
遠くから見るしかなかった古城が、見る見るうちに目の前に迫っていました。
そして、馬車は旋回をしながら中庭へ降り立ちました。
マリクの案内に従って、了は城の中へと足を踏み入れました。
中の様子がぱっと開けた瞬間、目を疑いました。
一つも汚れのない絨毯に、装飾も鮮やかな調度品。
古びた外見からは想像もつかないほど、内装が整えられていたからです。
しかし不思議なことに、人の気配は全く感じられませんでした。
広い城内に塵一つ落ちていないのに、使用人が一人もいないのです。
寝静まったにしても、静かすぎました。
――すごく寂しい感じがする……。
やがて、一つの扉の前でマリクが立ち止まり、
「ここに城主がいる」
顎で入るように示しました。
了は躊躇いを見せたものの、ゆっくりと戸を開けました。
中は舞踏会を開くのにも申し分のない広さの大広間になっていました。
そこに「彼」がいたのです。


城主は意外にも了と変わらないほどの年齢の青年でした。
それでも、動きやすそうな服の上に黒いマントを羽織り、しゃんと背筋を伸ばしているだけで、どことなく威厳を感じさせています。
了がどうしたら良いのか立ち尽くしていると、無言で城主が近づいてきました。
そして乱暴に顎を掴まれ、じっと顔を覗き込まれたのです。
「あっ」
苦痛に了は顔を歪めますが、城主は眉の一つも動かしません。
了と同じ白い前髪の奥にある瞳とかっちりと視線が合いました。
――なんて恐ろしい目をしてるんだろう……。
やがて薄く笑みを浮かべ、了を突き放しました。
「お前、なんでここに連れてこられたか知ってるか?」
「え……。僕がお城の姿を勝手に取ってしまったから……」
了はすっかり萎縮してしまいました。
何を言うべきかも、すっかり頭から抜けてしまったのです。
「そうだな。これは罰だ」
城主が何とも楽しげに言うので、了の背筋に悪寒が走りました。
てっきり怒り狂っているのかと思っていました。
理不尽でも怒りをぶつけられれば、まだ理解は出来ます。
楽しそうに罰を言い渡すなんて、想像もしていませんでした。
「お前は一生この城から出さない。ずっとオレに尽くせ」
了はその一言で理解しました。
人としての生活の終わりを告げられたのだと。
それは、自由を許されない、下働き以下の奴隷でした。
「ま、待って下さい!僕のしたことは謝ります。償いますから、家に帰して下さい。たった一人の父がいるんです!」

パチン

乾いた音が広間に響きました。
城主が了の頬を叩いたのです。
「この城でオレ様に逆らう奴は許さねェ」
了の瞳から涙が零れ落ちました。
どんなに堅物の城主でも、少しは耳を傾けてくれると期待をしていたのです。
それが、平手一つで打ち砕かれてしまいました。
「マリク、部屋へ連れていけ」
廊下でこっそりと話を聞いていたマリクが、ひょっこり顔を出しました。
「ハイハイ」
頬を押さえたままで固まってしまった了の肩を抱き、マリクは仏頂面で広間を後にしました。
城主はその後ろ姿を見届けた後、何かを思い目を閉じました。


「ごめんね」
放心したままの了に、マリクが優しく声をかけました。
「乱暴はしないって言ったのに、嘘ついちゃったね」
「いえ」
短くそう答えると、了は視線を足元に落としました。
これからのことや家に残してきた父のことなど、全てが真っ暗で何も考えられません。
「全く!あいつはこんな可愛い子になんてことするんだろ!せっかく言われたとおりにしたのに」
その言葉に了は違和感を覚えました。
「あなたは、あの方に仕えているのではないの?」
マリクは訪れたときも、どことなく他人事のような言い回しをしていました。
「よしてよ、僕はあんなやつの召使いじゃないもん。ただの腐れ縁で、通りすがりに頼み事を聞いてやっただけ」
さも心外そうに、マリクが首を振りました。
「だから、あいつの味方じゃないよ。逆に君を助けることもしないけど」
つまり、マリクはこの城の関係者ではないことになります。
今の了には、その方が安心できました。
「まあ、忠告くらいはしてあげるね。あいつには逆らわない方がいいよ。顔も怖いし、性格も怖いから。ヘタなこと言うと、さっきみたいにされちゃうよ。大人しくしてれば、乱暴はしないはずだから」
それは文字通り痛いほど理解をしましたが、黙っていても無事でいられるとは信じられません。
「マリクさん、お聞きしたいんですけど」
「僕に、さんも敬語も要らないよ」
マリクがけろりとそう言ってみせたので、了は改めて、
「僕はここで何をすれば良いの?」
ずっと不安だったことを打ち明けました。
「うーん」
マリクが難しい顔をしました。
何と言ったらよいのか迷っているようです。
「君からは何もしなくて良いと思う。あいつはあんな言い方してたけど」
「何も?」
おかしな話でした。
罰のために連れてこられたのに、何もするなとはどういうことなのでしょう。
「この城はさ、あいつ以外誰もいないんだよ。召使いでさえ一人も」
確かに、入ったときもそうでしたが、今もずっと人の気配がしません。
こんな広い城で、俄かには信じられない話でした。
「すぐに分かると思うけど、ここにはそんなもの必要ないのさ。君が考えているようなことは、しなくていいの。ただ流れに身を任せて、ね」
ますます、了は分からなくなりました。
自由は許されないとはいえ、それで罰といえるのでしょうか?
「さあ、ここが君の部屋だよ」
マリクが導いたのは、なかなかの広さの客間でした。
「僕は明日には、ここを発つから。また会えたら」
ひらひらと手を振って去ろうとするマリクを、
「待って!」
了は思わず呼び止めました。
聞きたいことは山ほどありますが、何から言って良いか分かりません。
「あの人の名前は?」
考えがまとまらないままに、それしか言えませんでした。
「バクラ」


部屋のベッドは家にあったものとは、比べものにならないくらいにふかふかでした。
持て余すほどの広さの部屋を見て回るよりも、ベッドに身を沈める方が先でした。
この夜に起こった出来事が多すぎて、ほとほと疲れてしまったからです。
瞳を閉じて意識が暗闇に落ちるまでに、そう長くはかかりませんでした。


翌朝、了はマリクが言ったことを、すぐに理解することになりました。
クローゼットの中にあった服に着替え、部屋の外に出ると、昨夜と変わらずしんとしていました。
――本当に誰もいないのかな。
長い廊下をうろついてみましたが、やはり人の気配はしません。
偶然に食堂に行き着くと、長机の端にぽつんと軽食が用意されていました。
果たして誰が作ったのか、手を付けて良いのか迷いましたが、結局食べることにしました。
用意が下座にしてあることを思えば、バクラの為のものではないでしょう。
綺麗に了が平らげると同時に、食器は跡形もなく消えてしまいました。
目を丸くして辺りをきょろきょろと見回しましたが、誰もいません。
そして、今度は一杯の紅茶が目の前に現れたのです。
――このお城は魔法でもかかっているのかな?
それなら、マリクの「何もしなくていい」の理由も分かります。
紅茶を飲み終わった後も、音も立てずにカップが消えてしまいました。
あまりに不思議なので、了はぷっと吹き出してしまいました。
落ち込んでいたはずなのに不謹慎だとは思いましたが、もう何が何だか分からないのです。
悩むことを通り過ぎて、逆に活力が湧いてきました。
うじうじと落ち込むよりは、だいぶ健康的です。
これからどうしたらいいのか、本人に聞いてやろうと、城の中を探索することにしました。
廊下を歩いてみると、部屋が多すぎて何が何処にあるのか分かりません。
それを訪ねられる人もいないので、骨が折れました。
普通なら下働きのものが掃除をするのでしょうが、この城には誰もいません。
城の外観から考えて、昔のままで時が止まってしまっているように思えました。
それは一体どれくらいなのでしょう?
了は少し怖くなりました。
この静けさに飲み込まれてしまうような錯覚をしてしまいます。
なりふり構わずに、手近にあったドアを開けました。
「起きたのか」
誰かがいることを望んだはずなのに、視線が合った瞬間、了は自分の気持ちが落ち込むのを感じました。
バクラが気難しい表情で目の前に立っています。
「はい……」
何処をどう歩いたのか、そこは昨夜の広間でした。
「僕はこれからどうすれば良いんでしょう」
「何も。好きにしてろ。ここから逃げ出そうなんて、バカな考えを起こさなければの話だがな」
マリクが言ったとおりでした。
この広大な城内を掃除したり、給仕をしたりする必要はないようです。
それで良いのでしょうか。
「この城は魔法がかかっているんですね?食事の準備も勝手にされていました」
その言葉にバクラが笑いました。
おかしくて堪らないといったふうに。
しかし、その笑い声は乾ききっていて、聞く者を不安にさせるものでした。
「魔法か。そうだな。この城では、飯も掃除も何でも『魔法』で済まされるから、お前がやるまでもない」
バクラの言い方に、了はどこか引っかかりを覚えました。
が、それを追求出来ずに、ただ黙ってしまいました。
何かものを尋ねてはいけないような雰囲気がバクラにはあるのです。
そして、了の本能も深入りしてはいけないと、警鐘を鳴らすのでした。
「それから、面倒くさい話し方は耳障りだから止めろ」
立ち去ろうとする了に向かって、ピシャリと追い討ちがかかりました。
城内の何処へ行っても、了の居場所はありません。
結局、一通り歩き回ってから、自室に戻りました。
外から眺めていたときは、あんなにも憧れていたのに、今では何のときめきも感じません。
そういえば、模型作りの途中だったな。
ぼんやりと書きかけの図面を思い出すと、テーブルの上にペンと頭に思い浮かべた通りの書きかけの図面が現れました。
「すごい、本当に魔法なんだ」
――でも、いまは楽しむ気持ちにはなれないよ……。
了はそっとその図面とペンを机の中に仕舞い込みました。


城の生活は何不自由ないものでした。
クローゼットにある服は新品でどれを取ってもサイズがぴったり合いますし、食事は三食とも食べたいときに温かいままで食べられます。
それでも、了の心にはぽっかりと穴が空いていました。
父さん――。
失ったものは、何物にも代えられないものだったからです。


「おい」
ある日、昼食を済ませた了をバクラが呼び止めました。
「ついて来い」
話しかけられるのは、随分と久しぶりです。
「?うん」
了が追いつくのもやっとの早さで、バクラが廊下を突き進みます。
道案内をする気があるんだろうかと、了は少し腹が立ちました。
バクラが立ち止まったのは、見たこともない扉の前でした。
他の扉は茶色なのですが、その扉だけは白色です。
開かれた扉の中が視界に飛び込んでくると、
「わぁ……」
思わず了の口から感嘆の声が漏れました。
その部屋は二階分ほど天井が吹き抜けになっており、その天井すれすれまで本棚がそびえ立っています。
見上げるのも億劫な背の高い本棚の中には、一寸の隙間もないほど本が詰まっていました。
思わず了は本棚に駆け寄り、ずらりと並ぶ背表紙の文字を眺めました。
どうやら、どれも村では見ることすら出来ないような高価な本です。
「オレ様には、ただの紙にしか見えないが、お前にとっては違ったようだな」
了は読書が好きですが、本を買うような余裕はありませんでした。
だから、少ない生活費をやりくりして、村の貸し本屋で月に数回借りるのが楽しみだったのです。
「うん、すごいねっ」
ここならきっと、好きな歴史や考古学の本もあるでしょう。
あまりに興奮していたので、了は相手のことをすっかり忘れて返事をしていました。
バクラは少し目を開き、数回瞬きました。
「なら、ここを勝手に使っても構わない」
すぐにいつもの仏頂面に戻り、ふいと背中を向けてしまいました。
この広い書庫を好き勝手に使えるなんて夢のような話です。
これが一体全体どうして罰になるんでしょう。
もしかしたら、城主であるバクラにとっては、この程度のことは何ともないのでしょうか。
元々城について興味を持っていた了でしたが、城主のことも気になり始めました。

なぜ、了を住まわせるのか。
なぜ、家臣が一人もいないのか。
なぜ、城全体に魔法がかかっているのか。

色々なことが了の頭の中をぐるぐると駆け巡るのでした。

ところで、城の生活はとても退屈でした。
城内はどこまでも広いので見学をしようとしても、部屋の数を数えるだけで日が暮れてしまいます。
書庫の本を全て読もうとしても、表紙を眺めるだけで太陽が沈んでしまいます。
出来ることは多いのに、一人では何もかもが手に余るのです。
そして、どんなに恵まれた環境でも、孤独では楽しいという気持ちは萎んでしまいます。
彼はこの広い城の中で、どのように過ごしてきたのでしょうか。
了は思い切って庭へ出ることにしました。
城の中に籠もっていたのでは、考えが後ろ向きになってしまいます。
幸い、「好きにしていい」と城主から許しを得ています。
外側こそ城に近づく人々を拒むように枯れ木で覆われていますが、中は様々な種類の花々が咲き誇っています。
例え、外から中を覗き込もうとしても、色鮮やかな庭ではなく、枯れた草花が生い茂っているのが見えるようになっています。
これも城を守る魔法の一部なのでしょうか。
誰が世話をしているわけではないというのに、庭にある草花は美しく育っています。
特に、城を囲むように植えられた真っ赤なバラは一番美しいのです。
了は物置から見つけてきた真鍮のジョウロに水を汲んで、満遍なく庭へ撒きました。
小さい草花にも、一際目を引くバラにも、分け隔てなく水を遣ります。
魔法で育てられるよりも、人の手で育てた方が草花も喜ぶような気がしました。
ただの自己満足と言ってしまえば、それまでです。
しかし、庭の草花を見ていると、そうせずにはいられないのです。
了はゆっくりと時間をかけて庭一面に水を撒きます。
その様子をバクラは自室の窓から見下ろしていました。
無論、庭の手入れなどしたことがありません。
何もしなくても、花が咲き終われば、また新しい芽が生えてくるからです。
世話など必要ありません。
しかし、了の行動を馬鹿にするわけでもなく、ただただ黙って見守るだけでした。
やがて、ふいと外から目を反らし、
「鳥かごか……」
誰にも聞こえないくらいの小さな声で呟きました。


了は上手く口では説明できないような高揚感で満たされていました。
やはり、何もしないよりはした方が良いのです。
天気の良い日には本を持ち出して、庭で読むことにしました。
それが了の最近のお気に入りの過ごし方です。
軽い足取りで廊下を歩いていたら、急に目の前の戸が開きました。大広間の戸です。
人のいないこの城で、鉢合わせる相手は一人しかいません。
少なからず、バクラも驚いたようでした。
「あ……」
どうしたら良いか分からず、了がその場に立ち尽くしていると、
「飯、食ったのか?」
気怠げにバクラの方が先に口を開きました。
「まだ……」
了の言葉を聞くと、バクラは戸を大きく開いて半歩下がりました。
どうやら、中に入れという意味のようです。
恐る恐る部屋に入ると、長テーブルが現れており、その上には食事の用意が出来ていました。
ちょうど二人分です。
――あ、そうか。ちょうどお昼なんだもんね。当たり前か。
同席しても良いものか、思案に明け暮れていると、
「どうした?早く席に着け」
当然のようにバクラが言いました。
それを聞いた了は、おっかなびっくり椅子に座りました。
二人の席は長テーブルの端と端にあり、十人分ほど離れています。
いきなり並んだり向かい合ったりして、食事をしろと言われたら緊張するかもしれません。
しかし、離れていれば気まずさも薄まります。
「いただきます」
ぎこちなく、了が手を合わせました。
今日の朝食は、スクランブルエッグとほうれん草のバターソテー、マッシュポテト、生ハム添えのサラダに、野菜がたっぷり入ったコンソメスープです。
温かいパンがたくさん入ったバスケットもあります。
奥のボウルには色とりどりの果物が入っており、幾らでも食べられるようになっています。
今まで質素な食事ばかりしていた了には有難いばかりです。
父さんにも食べさせたいなと思いながらも口に頬張りました。
柔らかく濃厚な半熟玉子の味が口に広がり、思わず美味しいと呟きました。
どれもいい食材を使っているのでしょう。
この時間ばかりは幸せだと思ってしまいます。
了とは対称的に、バクラは無表情で食事を口に運んでいました。
ほとんど機械的に口を動かしていると言ってもよいくらいです。
ちらりと正面の了を見ると、目をキラキラと輝かせて食事を頬張っています。
バクラはナイフとフォークを置きました。
「そんなに美味いものなのか」
それは、まるで独り言のようでした。
了も手を止めて、バクラを見つめました。
もしかしたら、喜んで食べていたのが表に出すぎていたのかもと、顔が朱に染まります。
「美味しい……よ。とても。ウチで食べていたのとは違うから」
バクラはふーんと面白くもなさそうに、自分の皿の中のものに目を落とします。
「こんなもん食い飽きちまった」
了の目には、バクラの表情はつまらなさそうに映りました。


了にとってはあんなに美味しかったのに、飽きてしまったとはどういうことでしょうか。
こんな城に住んでいるほどですから、古今東西の美味しいものは食べ尽くしてしまったのでしょうか。
了は花に水を遣りながら考えます。
――あいつ、つまらなさそうにしてた。
キラキラと太陽の光を浴び、花たちは輝いています。
ここが閉じられた城ということを忘れてしまうほどに綺麗でした。
――あいつと普段会わないのは城が広すぎるからと思ってたけど、もしかして部屋に閉じ籠っているからかな。
了はここに来て間もないですが、閉じ籠っていると何もかもが気落ちすることに気づきました。
――あいつもそうなのかも……。
水遣りの手を止めて思案し始めました。


明くる朝、了はいつもより早く大広間にやって来ました。
「朝食を出して下さい」
そう言うと、テーブルの上にいつものように食事が勝手に並びました。
「うーん。あとは……」


バクラはいつものように大広間の戸を開けました。
特に忙しい訳ではないのに、毎日同じ時間に起床して、同じ時間に朝食を取るリズムが出来ています。
それがたまらなくバクラをつまらない気持ちにさせていました。
だからといって、何か別のことをするのも面白くないので、結局はいつもの通りになってしまうのです。
大広間には、了が先に来ていました。
バクラが来たのに気づき、
「あ、お……はよう?」
遠慮がちに声をかけてきます。
「早いな」
先を越されていたことに少し驚いたものの、バクラはそれを表に出さずに、いつも通り席に着こうとしました。
「ちょ、ちょっと待って」
もじもじと口籠りながら、了がバクラの進行を遮ります。
よく見れば、手にバスケットを持っています。
布が上にかかっている為、中身は見えません。
「なんだよ」
バクラが尋ねても、困ったように佇んでいるだけです。
とても付き合っていられません。
バクラは了に構わず先に進もうとしました。
「あっ……」
その行動に慌てた了は、バクラの腕を無理矢理に掴みました。
「こっちに来て!」
「おい!」
バクラの批難の声には構わずに、ぐいぐいと腕を引っ張っていきます。
力を入れれば振り解けますが、了の行動が気になるので、バクラはそのままにしておきました。
暗い廊下を真っ直ぐ抜けて庭へと出ます。
ほとんど城から外へ出なくなっていたバクラは、太陽の光を眩しく感じました。
「こっち」
庭にある噴水へと了はバクラを誘います。
いくら管理の必要はないとはいえ、少しの手入れすらされていないので、多少は汚れていてもいいはずでしたが、石造りの縁は小綺麗になっていました。
どうやら、了が掃除をしたようです。
物好きだなと、バクラは思いました。
「座って」
了はようやく足を止めました。
どうやら、噴水の縁に座れということのようです。
どういう意味かは分かりませんでしたが、バクラは言われたままに腰を下ろしました。
少し間を開けて、その隣に了も座ります。
そして、手にしていたバスケットを二人の間の縁に乗せました。
「どうぞ召し上がれ」
その一言と同時に、被せてあった布を取り払います。
中にはサンドイッチがたっぷり入っていました。
「どういうことだ?」
静かにバクラは尋ねます。
咎めようとか、そういった気はありません。
ただの疑問でした。
「えーっとね、いつもの食事が味気ないって言ってたから。いつもの朝食を組み合わせただけだけど食べて」
頬を染めつつ了が説明します。
バクラの疑問は晴れませんでしたが、朝食を食べなくては腹が減ったままです。
サンドイッチの一つを掴みました。
温かいパンの中に、レタスやハム、玉子が入っています。
大きく口を開けて齧りつきました。
その様子を見て、了も同じようにします。
新鮮な食材を使っているので、了が実家で食べていたサンドイッチよりも美味しく感じます。
そして、ぽかぽかと暖かい陽射しが気持ちいいです。
以前、こうして克也とピクニックに行った日のことが思い出されます。
外で食べる食事は、普段よりも美味しく感じるはずです。
このサンドイッチは了が簡単に作ったもので、マスタードソースがよく効いています。
「ちょっと味が濃かったかな?」
了は何も言わないバクラの様子を窺いました。
サンドイッチを一口食べてから、バクラの手は止まっていました。
作った者としては、反応がないのは気になります。
さらに顔を覗き込もうとした時、やっとバクラの口が開かれました。
「……美味い」
目を見開いて信じられないものを見たように、食べたばかりのサンドイッチに目を落としています。
了によれば、中身はいつもの朝食と変わらないはずです。
バクラにとって、食事はほとんど意味のないものでした。
目の前にある食べ物を噛んで、胃に流し込むという作業だったはずです。
とっくの昔に味覚という感覚は、失われてしまったように思っていたのです。
もちろん、味が分からないというわけではないのですが、食事を楽しむということを、数え切れない時の中で置いてきてしまったような感覚です。
目の前のまだ温かいサンドイッチは、今までのどのサンドイッチよりも美味しいことは確かでした。
「ホント?!」
それまで不安だっただけに、了はぱっと顔を綻ばせました。
もしかしたら、怒らせてしまうかもしれないと心配していたのです。
バクラは一口、二口と続けてサンドイッチに齧りつきました。
その様子に安心して、了は持ってきていた水筒とカップを取り出しました。
ちょうどいい温度の紅茶をカップに注ぎます。
「どうぞ」
バクラに差し出してから、自分の分も注ぎました。
あっという間に、バクラはサンドイッチを完食しました。
砂を噛んでいるような味気無さはなく、夢中で食べてしまいました。
「良かった。食べてくれて」
バクラは紅茶で喉を潤し、一息つきました。
「何か入れたか?」
「何も。調味料は少し使ったけど。キッチンが分からなかったから、出て来た朝食のものを使ったんだ。ここは何でも出てくるけど広すぎて」
何がいつもと違ったのでしょうか。
腑に落ちない顔で、バクラは空を見上げました。
「外で食べるといつもより美味しいでしょう」
さらりと了がバクラの疑問に答えるように言いました。
「暗い中で食べるよりも外の方が美味しいし、一人よりも二人の方が美味しく感じるんだ。あと、父さんの作ってくれたサンドイッチは大雑把だけど美味しかったな」
同じように了も空を見上げます。

――こいつは。

確かに、普段の食事なんかよりずっと美味しかったのです。
それは、横にいる了のせいなのでしょうか。
バクラはそっと了の顔を盗み見ました。

――もしかしたら……。

「魔法のご飯よりも、美味しかったってことだよね。良かった!」
晴れ晴れと微笑む了の顔を見て、バクラには一つの考えが浮かびました。
しかし、それを口にはしませんでした。
それからというもの、了は度々バクラを誘って庭に出るようになりました。
バクラは嫌がりもせず、黙って付いていきます。
了はバクラが何を考えているのか気にはなりましたが、沈黙は肯定と受け取ることにしました。
それ以外の時のバクラは何をしているかは分かりませんでしたが、どうやら自室に籠っているようでした。
それでもたまに、了が庭で草花の世話をしていると、いつの間にかバクラがやって来ていて、後ろで黙って見ているということがたまにあります。
さすがに下働きのようなことを城主にさせるわけにもいきません。
黙々と一人で作業を続けている了をバクラはただただ黙って眺めているのでした。
何かが変わったとは思うのですが、何が変わったのかは分かりません。
もう少しバクラの態度が軟化をすれば、城の外に出られるようになるかもしれません。
逃げ出そうとかそういう考えではなく、古びた城に閉じ籠ってないで、共に外へ出られたらいいなという純粋な気持ちでした。
せっかくこんな立派なお城なのだから、門を開いて人を呼び寄せたりすればいいのにとも、了は思うのでした。


時間は余っているので、好きなことに使えます。
了はラウンジの一つにやって来ました。
広々としていて解放感が心地良い部屋です。
部屋の中央にある大きなテーブルの上に、部屋から持ってきた物を並べました。
城の模型を作ろうと引いた設計図とその材料です。
テーブルに作業用のマットを乗せ、その上で粘土をこね始めました。
城本体もそうですが、庭にある噴水や草木なども作る予定です。
小さな土の塊が、了の手の中で徐々に形となっていきます。
ヘラや針などを使って細工もしていきます。
息をするのも忘れるくらい作業に熱中をしていました。
作業をしている時の了は、とても集中して食べることも忘れてしまうのです。
よく克也にも怒られていたものでした。
自分の納得がいくところまで仕上げ、やっと一息つきました。
「フーッ」
色付けは後回しにして、完成した部品を横に置きました。
そこで了は気づいたのです。
いつの間にか、真正面の席にバクラが座っていたことに。
バクラは頬杖をついて了を見ていました。
自分の無防備な顔を見られると、とても恥ずかしいのです。
「いつからそこにいたの?」
顔を赤くして了が尋ねました。
その質問には答えはありませんでしたが、了の作りかけの模型を凝視したままで、
「器用なモンだな」
とバクラは洩らしました。
了の大きな瞳が数回瞬きました。
だってバクラに誉められたのは初めてだったのです。
「……ありがとう。父さん以外で誉められたのは初めてだ」
気恥ずかしさに耐えきれずに、了は目を伏せました。
「バクラには、何かこういう趣味はないの?」
これだけ大きい城に住んでいるのですから、きっとすることは沢山あるはずです。
バクラはすっと顔を背け、窓の外を見ました。
「……昔はあったかもな」
視線の先はとても遠くを見つめているようです。
了にはその真意は分かりません。
が、柔らかく微笑んでこう言いました。
「そう……。じゃあ、また探せばいいんじゃないかな」
ゆっくりとバクラは了の方に向き直りました。
じっとその瞳を見つめ、微かに唇の端を持ち上げたのです。
「そうかもな」


与えられた部屋に戻った了は、両手で胸を押さえました。
どくんどくんと早鐘のような心臓の鼓動が響きます。
おかしいです。
こんなことは生まれて初めてです。
先ほどのバクラの顔を思い出すと、きゅうと胸が締めつけられるようなのです。
心なしか顔も熱くなっていました。
――熱があるのかも。
手で額や頬に触れて熱を確かめます。
確かに火照っているようでしたが、風邪とは違います。
バクラのいつもと違う表情を見たせいでしょうか。
――困る。困るよ……。
必死に頭の中に浮かんでしまうことを打ち消します。
了は謂わば、囚われの身です。
いま思い浮かんでいることは、それとは真逆のことでした。
罰と言いながら、ずっと了を自由にさせているバクラは何を思っているのでしょうか。
今までとは違った意味で、どうしても気になってしまいます。


翌朝、了はバクラを探して城内を彷徨っていました。
広すぎるので、いまだに半分ほどの部屋しか把握出来ていません。
だから、バクラと顔を合わせる時は、向こうからが多いのです。
了は今まで行ったことがない、上の階までやって来ました。
城主なら自室は上の階だろうと思ったからです。
もっとも、外出していれば、それも分かりません。
了の知る限りでは、バクラは城にずっといるようでした。
階段を上がれるまで上がった先は、廊下が二つに分かれていました。
右に行けばすぐドアがありますが、左には廊下が細く長く続いています。
了は何故か自然と左を選びました。
そちらに行かなければいけないような気がしたからです。
廊下の端に突き当たると、今度は横手に螺旋階段がありました。
了は咄嗟に城の一番上を頭に思い描きました。
もしかしたら、最上階に続いているのかもしれません。
階段をぐるぐると上がったところで、小さなドアがありました。
コンコンとノックをしますが、返事はありません。
その時、了がドアノブを捻ったのは気まぐれでした。
しかし、後から考えれば、必然だったのかもしれません。
キイと軋む音を立ててドアが開きました。
その部屋は、円形の部屋でした。
家具らしいものはほとんどなく、バクラの部屋でないことは確かです。
ドアの反対側――部屋の一番奥には、バルコニーが見えます。
他に階段はありませんでしたし、部屋の雰囲気からしても、ここが最上階なのでしょう。
了の興味を引いたのは、中央に置いてある台座でした。
台座の上には、ドーム型の透明なケースがあります。
了は引き寄せられるように台座へ近づきました。
ケースの中のものが、金色の光を放ち続けています。
「きれい……」
いつの間にか、自然とケースを外していました。
中にあったそれは、金で出来たリングでした。
輪の外側には五本の針と、中央には眼の模様の入った三角形の飾りが付いています。
紐で吊るせるようになっており、どうやら首にかけるアクセサリーのようでした。
了はゆっくりと、それに手を伸ばしました。
どうしても、首にかけてみたいと思ったからです。
いや、思う前に手を伸ばしていたといった方がよいかもしれません。
あと少しで届くいうその時、

バタン

大きな音が背後からしました。
了が驚いて振り向くと、バクラが部屋の入り口に立っていました。
その瞳は大きく開かれています。
了の姿とリングを目にした途端、見る見るうちに顔が険しくなっていきました。
「てめえ……」
大股で了の元へやって来ます。
「そのリングに触れるなァッ!!」
バクラは部屋中に響く大声で了を怒鳴りつけました。
身を竦めた了の手首を力任せに掴み、部屋から引きずり出します。
「い、いたっ!」
その力に了は思わず悲鳴を上げましたが、バクラは聞く耳を持ちません。
無言で廊下を早足で進んでいきます。
「か、勝手なことして……ごめんなさい……!」
痛みに涙を滲ませながら、了は何度も何度も謝りますがバクラは止まりません。
何故あんなことをしたのか、何故バクラがそんなに怒っているのか、了にはどちらも分かりませんでした。
だから、ただただ謝るしかなかったのです。
ようやくバクラの足が止まったと思うと、そこは与えられた了の部屋の前でした。
バクラは了を力尽くで部屋に押し込めました。
ガチャリと外から音がします。
了は慌ててドアノブを回しますが、ドアは開きませんでした。
ドンドンとドアを叩き、
「開けて!僕が悪かったんだ!本当にごめんなさい!」
叫ぶも返事はありません。
足音が完全にしなくなるまで、了はドアを叩き続けました。
外から何の音もしなくなったのが分かると、了はペタリとその場に座り込みました。
心が少し近づいたと思っていました。
しかし、再び心は離れてしまったのです。
ぽたぽたと了の瞳から涙が溢れ、絨毯を濡らしました。
「ごめん。ごめんね……」


どれくらいそうしていたのでしょうか。
了の顔を冷たい風が撫でました。
顔を上げると、とっぷり暮れた空を背景に、マリクがバルコニーに佇んでました。
「やあ、また会ったね」
出会った時と同じように、闇色のマントを羽織ったマリクは、優しく微笑みました。
「どうして泣いているの?」
つかつかと部屋の中に入り、了の顔を覗き込みます。
「……僕、バクラを怒らせちゃったんだ。大変なことをしたのかもしれない」
了の口から出たのは、泣きすぎて掠れた声でした。
「可哀想に。あいつ、そんなに怒らなくてもいいのにさ」
その同情の言葉に、了はふるふると首を振りました。
「僕が勝手なことしたから……」
頑なな了の様子に、マリクは頬を掻きました。
「んー。まあ、言ってても始まらないから、とにかく座って話をしようよ」
マリクはベッドに腰掛けました。
了はおずおずとその正面に椅子を持ってきて座ります。
「それで、何があったの?」
マリクに促され、今日のことを話しました。
バクラを探していて最上階へ辿り着いたこと。
そこには、黄金のリングがあったこと。
触れようとしたところで、バクラが現れたこと――。
最後の方は思い出すのも辛かったので、きゅっと目を瞑りました。
話を聞き終わった後、マリクは深いため息をつきました。
まるで、それが責められているように感じ、了は俯きました。
「責めてるんじゃないよ。これはタイミングの問題だと思うし、きっと遅かれ早かれこうなる運命だったのさ」
了を安心させるように、マリクは微笑を見せました。
「あいつも不器用だからなあ……」
そして、ポツリと天井を見上げ、そう付け加えました。
「僕はどうしたらいいんだろう」
了は自分の膝に目を落としたままです。
「うーん……。じゃあ聞いてくれるかな。昔話を」
そうして、マリクは話し始めたのです。

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TOPで好き勝手に続けて書いていたおとぎ話風の話です。
大好きな美女と野獣のパロディなのですが、バク獏の雰囲気を壊さないように気をつけていました。
ここから先が書きたくて始めた話でした。

後半へ

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