後編
+++
昔々、ある王国に一人の男がいました。
彼には家族はいませんでした。
うんと小さい頃に亡くなったからです。
彼は何も持っていませんでした。
小さな子供の手では、何も掴むことは出来なかったのです。
大きくなってからは、力尽くで奪うことを覚えました。
家族も地位もない彼にとっては、それが唯一の手段だったのです。
彼は欲しいものを何でも手に入れられました。
食べ物、金、宝石、女……。
そして、とうとう貴族の城を略奪し、地位までも手に入れたのです。
全てを手に入れたと思った彼ですが、何故か満たされませんでした。
もしかしたら、それまで手に入れたものは、彼が本当に欲しいものではなかったのかもしれません。
ならば、もっと上を。
彼はその国の王様のことを嫌っていました。
彼の貧しい生い立ちを作り出したのは、王様であると考えていたからです。
その国の王様は、とても強い人物でした。
若くして国を治め、他の国の追随を許しませんでした。
その力の強さの一つと言われていたのが、七つの宝物です。
黄金で出来たそれらは、それぞれ不思議な力を持っていました。
その力で王様は国を守っていたのです。
男の狙いは定まりました。
その宝物さえ手に入れれば、全てを手にすることが出来たも同然です。
なにより、心が満たされると思ったのです。
かくして、一人の男が国を相手取って戦を仕掛けました。
王様も力を付けた男をもう放っておくことが出来ませんでした。
両者の力がぶつかり合います。
男は七つの宝物の一つをやっとのことで手に入れました。
さすがに満身創痍でしたが、これで力を自分のものに出来ると思いました。
ところが、王様はそれを逆手に取ったのです。
その宝物の力で男の自由を奪ってしまいました。
男が本拠地としていた城へ宝物ごと幽閉したのです。
王様は城の外から男に語りかけます。
「そんなにそれが欲しいなら、お前の自由と引き換えにくれてやる。
一人、その永遠の牢獄の中で己の罪を悔い改めよ」
宝物の力によって、城の時間は止められました。
男は飢えることも老いることもなくなりました。
なんと皮肉なことでしよう。
彼は生かされ続けたのです。
王様は最後にこう言いました。
「もし、お前が人を愛し、愛されることを知ることが出来れば、そこから出られるだろう。
その千年リングが真に愛するものを見定める」
それから、彼はずっと一人で城に暮らしていました。
+++
「おしまい」
マリクが静かに話終えました。
まるで絵本を子供に読み聞かせるようでした。
しかし、了の瞳からぽろりと一筋の涙が零れました。
「ずっと一人で……?」
マリクはこくりと頷きました。
「最初はね、こんな深い森じゃなかったから、人が訪れることもあったそうだよ。
でも、彼が他人を受け入れなかった。多分、愛なんて要らなかったんだろうね。
その内、彼の心が反映されるように、城ごとこんな森の中に閉ざされてしまったんだ」
了は涙を手の甲で拭いましたが、後から後から溢れ出て来ます。
その様子をマリクは慈しみを持って見つめていました。
「ありがとう。泣いてくれるんだね」
「よ、く分かんない……。なんで涙が出て来るのか」
今までのバクラの表情や会話を思い出されます。
何に対してもつまらなそうな顔、この城の力を了が「魔法」と言った時の皮肉の込められた笑い。
全てが腑に落ちました。
閉じ込められていたのは、バクラの方だったのです。
「僕、何も知らなかったから……」
マリクはベッドから立ち上がり、顔が見えるように了の前へ跪きました。
「君は閉じ込められてなんかない。いつでもこの城から出て行けるんだよ」
泣きじゃくる了に優しく声をかけます。
「……まだ、ちゃんと謝ってないから」
そっとマリクは震える了の両手を握りました。
「彼は本気で怒ったんじゃないと思うよ。あのリングは自分で認めた持ち主以外の命を奪ってしまうんだ。
きっと君を傷つけたくなかったんだと思う」
「僕、ちゃんとバクラと話したい。話さなくちゃ」
そう言って顔を上げた了の顔は凛としていました。
マリクは了に向かって深く頷きました。
そして、肩の力を抜くと、
「あー、もう、あいつ趣味だけは良かったんだなー!」
大きく伸びをしました。
「マリクくん、君は一体何者なの?」
今になってみれば、マリクはバクラよりもよほど自由に見えました。
「僕はね、王に仕える一族の一人さ」
そう言いながら、マリクは腰に差した杖を手前に出しました。
あのリングと同じ黄金で出来ていて、装飾も似ています。
「もしかして、それも王様の宝物なの?」
「そうだよ。もっとも、昔とはだいぶ国も変わったし、仕えるといっても大したことはないけどね。僕は王の友人さ」
杖を手でくるとくると回しながらマリクは語ります。
「今の王はとても優しい人でね。実のところ、なんとかしてあげたいと言われてるんだ。僕はその様子見。
バクラとも腐れ縁だしね。もし、君が……いや、やめておこう」
マリクが杖で部屋の扉を指し示すと、
ガチャリ
錠の開く音がしました。
「これくらいなら僕でも出来るけど、バクラにかけられた魔法は、彼自身がなんとかしなければならない。あとは、君の好きにするといいさ」
了は開かれた扉を見つめ、自分の心に問いました。
後悔のしない選択をするために。
マリクに向かって振り返った時には、了の顔に迷いはありませんでした。
「ありがとう」
頭を下げると、扉から小走りで出て行きました。
その背中を見送りながら、誰にも聞こえない声でマリクが呟きます。
「どうか、彼を救ってやってくれ」
バクラは自室で物思いに耽っていました。
咄嗟に了を閉じ込めてしまったのは、どう考えてもやりすぎでした。
無理矢理了を引っ張って廊下を歩いていた時の怯えた声が耳から離れません。
千年リングに触れようとしていた了を見て、なぜあれほど動揺したのか自分でも分かりませんでした。
もちろん、自分の触れられたくない部分に、土足で踏み入られたという気持ちはあります。
でも、それだけでは整理のつかない感情があるのです。
そんな感情は生まれて初めてといってもいいくらいでした。
バクラは苦悶の表情を浮かべました。
たかだか一人の少年です。
でも、その少年一人に胸を掻き乱されてしまうのです。
バクラは全てに飽きてしまっていました。
復讐をするべき王はもういません。
永遠にも近い時を経て、五感が鈍っていくようでした。
何もかも終わらせたかったのです。
水鏡を通して目にした了は、久々に見たマリク以外の人間でした。
繊細そうな顔と華奢な身体は、打ってつけの人材に思えました。
愛という言葉の意味は相変わらず分かりませんが、この少年が最後のチャンスであることを察しました。
それは、ゲームに近い感覚と言えましょう。
手元からこの少年がいなくなれば、ゲームオーバーです。
ただのゲームのはずでしたが、了は思ったよりも図太く折れませんでした。
それは、バクラの目には新鮮で鮮烈でした。
いつの間にか、目が離せなくなっていたのです。
「閉じ込めて、どうしたい……」
額に手を当ててバクラは自身に問いました。
答えなど出るはずがありませんでした。
略奪と暴力以外で、どう人と接していいか分からないのです。
そのもどかしさに、ぎりぎりと歯を食い縛りました。
その時、不意に扉が叩かれました。
了はとある部屋の前に立っていました。
最上階の手前の別れ道を、右に曲がったところにある部屋です。
もう、バクラの自室は、ここ以外ではありえませんでした。
意を決し、扉を叩きます。
返事はありません。
了は構わずに、扉の向こうへ話しかけました。
「マリクくんから話は聞きました。ごめんなさい、勝手なことをして。きっと、君にとって一番嫌なことをしてしまったんだね」
何も返事はありません。
了は扉に手を置き、声が届くように絞り出します。
「君の事情も知らないで、勝手なことを言ってごめんね。素敵な魔法だなんて言ってごめん」
――違うだろ。勝手に連れて来られたのはお前の方だろ。
居ても立ってもいられずに、バクラはドアの前に立ちました。
すぐ向こう側には、了がいます。
「君が何を思っているか、僕に教えて欲しい。何か僕に出来ることはないかな。二人でここから出る方法を考えようよ!」
了は扉にすがりつき、自分の気持ちを吐露しました。
どうか、彼の耳に届きますようにと祈りながら。
剥き出しの感情が、言葉に乗って伝わります。
しばらく沈黙の間があり、やがて扉が開かれました。
戸惑いの表情を浮かべたバクラが、了の目に映り込んできました。
バクラには目を腫らした了の顔が見えます。
哀れなその姿に、心がざわつきます。
これは心の痛みなのでしょうか。
――泣くほど嫌なら、さっさとこの城を出て行けば良かっただろ……。
次の瞬間、了はふわりと柔和な微笑みを浮かべました。
「やっと、出て来てくれた。これで、ちゃんと顔を合わせて話せるね」
バクラに受けた仕打ちを物ともしない微笑みでした。
――やはり、こいつなのかもしれない……。
バクラは了を片手で引き寄せました。
そして、もう片方の手で頬を触りました。
「こんなに腫らしやがって」
突然のことにきょとんとしていた了ですが、
「こんなの冷やしたら、すぐ治るよ」
すぐに笑顔で返します。
「中に入れ」
バクラは背後の戸を広く開けました。
促される形で了は初めてバクラの部屋に入ることになったのです。
部屋の中は殺風景でした。
広さは4、5人で過ごしても充分なほどです。
しかし、家具がほとんどありません。
一人で寝るには広すぎるベッドは立派でしたが、あとはテーブルのセットと小さなクローゼットがあるくらいでした。
恐らく、かつてここに住んでいた城主は、絢爛な家具でこの部屋を埋め尽くしていたのでしょう。
今のこの部屋は、バクラの心を映し出しているように了には思えました。
二人は椅子に腰かけました。
「マリクに聞いたんだろ。オレ様はこの城に……あのリングに縛られている」
自嘲気味にバクラは笑みを浮かべました。
「あのリングの呪いの対象は、オレ様だけだ。だから、お前は……」
そこでバクラは、ふうと息を吐きました。
そして、思い切ってこう言いました。
「お前はいつでも好きにおうちへ帰れるんだぜ」
了は膝に置いた手のひらをぎゅっと握りました。
それから、首を無言で横に振ります。
「どうしてだ?帰りたいんだろう」
「このままじゃ帰れない。言ったよね、僕は君をここから出したいんだ」
真っ直ぐな強い瞳でバクラを見つめます。
今度はなぜと聞き返せませんでした。
聞き返したところで、無駄だと思ったからです。
「顔に似合わず強情だな、お前は」
ようやくバクラの顔から緊張感が抜けました。
釣られて了の顔も緩みます。
「ねえ、そんなにあのリングの力は強いの?」
その問いに、バクラは遠い目をしました。
「曰く付きの代物だからなァ。あの王様がくたばった後でも効力は絶大。七つの宝物の要――王の証である千年パズルを持ってきても無駄だろうよ」
了は顎に手を当てて考え込みました。
先ほど聞いたマリクの話を反芻します。
やはり、答えは一つしかないようです。
「バクラ、もう一度あのリングを僕に見せて」
その言葉にバクラは血相を変えて身を乗り出しました。
身を持ってリングの力を知っているからです。
「ダメだッ!触れたりしたら、どうなるか分かんねえんだぞ!」
「大丈夫。僕は死んだりしないよ」
了はバクラの手をそっと自分の手で包み込みます。
「あのね。君は呪いだって言うけど、僕はやっぱりこの力は魔法だと思うんだ。
君にとっては嫌な話だと思うけど、王様は君を閉じ込めたくてこんなことをしたんじゃない。君にやり直して欲しかったんじゃないかな。
でなければ、こんなまどろっこしい魔法なんてかけないよ。理想論だけどね」
バクラの過ごしてきた年月は途方もないものでした。
簡単に了の語る理想など受け入れられません。
しかし、短い間に了と過ごして得たものは、希望のようなものでした。
了と一緒にいると、光の方へと導かれている心地になるのです。
「生憎、理想論は好きじゃねえンだ」
そう言うバクラの顔に、不快な色はありませんでした。
「まあ、そこまで信じなくても、あのリングの魔法は酷いものではないと思うよ」
あの時、了は千年リングに呼ばれたようでした。
だから、この勘は信じていいものだと確信出来たのです。
しばらく、バクラは黙って考え込んでいるようでした。
「分かった」
それが、ようやく出た答えでした。
バクラは了に向かって手を差し出しました。
了はその手を掴みます 。
二人は最上階のあの部屋へ向かいました。
ひんやりとした手に包まれ、了は同じ廊下を通ったことを思い出します。
今朝は一人で、帰りは無理矢理に引きずられて。
同じ日なのに遠い昔のようでした。
螺旋階段を上るバクラの背中を、了はしみじみと見つめていました。
「あのリングに選ばれるということが、どういうことか分かってるか?」
前を進むバクラが唐突に洩らしました。
「あ、うん」
マリクの言葉が思い出されます。
『人を愛し、愛されることを知ることが出来たら』
正直に言うと、愛という言葉の意味はよく分かりません。
家族を愛する意味は分かりますが、恋愛という意味になると、したことがないので分からないのです。
それほど、愛という言葉の意味は漠然としていました。
しかし、マリクの昔話からすると、前者でなく後者になることは想像に難くありません。
ならば、もっと具体的に愛し合うとは、どのような状態のことを言うのでしょうか。
愛してると言えばいいのでしょうか。
そんなに簡単ではないように思えます。
「僕はバクラのことは好きだよ」
乱暴に見えて気遣ってくれるところや暗く寂しい目を含め、今の了はそう言えます。
ぴくりとバクラの指が動きました。
「でも、きっとそれだけじゃダメなんだよね」
好きかと聞かれれば頷けますが、愛してるかと聞かれると、返答に困ってしまいます。
それだけではダメなのだと了は思いました。
「オレは……誰でも良かったんだ」
ポツリとバクラが呟きました。
「君の立場なら、そう言うのも分かる気がするよ」
直球すぎる言葉に、思わず了は笑ってしまいました。
「でも、僕に付き合ってくれたのはそうじゃないよね。誰でも良かったんなら、そうしなかったよね」
了を握る手の力が強まりました。
相変わらず冷たい手でしたが、不思議と熱く感じます。
バクラは了に顔を見られていなくて良かったと心底思いました。
心乱された顔など見せられないからです。
どうして彼の言葉は、こんなに胸に突き刺さるのでしょうか。
そうこうしている内に、最上階の扉の前に着きました。
部屋の中には、変わらない様子で千年リングが光っています。
「いいかな?」
了が尋ねると、バクラは頷きました。
本当はこんな賭けみたいなことをしたくありませんでした。
異変があれば、了を突き飛ばしてでも、千年リングから引き剥がす準備は出来ています。
了はケースを外し、再び千年リングに手を伸ばしました。
チャリ
金属の擦れ合う音がしました。
触れても何も起こりません。
今度はゆっくりと千年リングを持ち上げます。
バクラはこくんと唾を飲み込みました。
かつて、千年リングに拒絶された者は、その身を焼かれたといいます。
そんなことは絶対に、了の身にあってはなりません。
すっかり自分の身が強張っていることに気づき、バクラは今更ながらに思います。
了を失ってはならないと。
ゆっくりと了は千年リングの紐を頭に潜らせました。
千年リングが了の胸元に収まりました。
何も起こりません。
バクラが安堵のため息をつきました。
そして、どんなに気を張っていたのかを自覚し、驚きを感じました。
「何も起こらないようだな。拒絶されてはいないが、呪いが解けたわけでもない」
自分の手を見つめてバクラは言いました。
もし呪いが解けたなら、身体が反応していたでしょうから。
了は額の汗を手で拭いました。
「はあ……。そうなんだ。でも、死なないって約束は守れたよね?」
バクラに向かって悪戯っぽく笑みを浮かべます。
「そうだな」
もし、万が一にも、了の命が危ない目に遭っていたとしたら、冷静ではいられなかったでしょう。
そうしたら、あの光のない生活に逆戻りです。
バクラは了に近づいたかと思うと、思い切りその細い身体を抱き締めました。
もう、一人になることは……了がいなくなることは、考えたくありませんでした。
「ええっ」
了が戸惑いの声を上げましたが、構いません。
ずっと探していた手に入れたかったものが、ここにあったと思ったからです。
了の体温が直に伝わってきました。
なんと心地良いことでしょう。
ずっとこのままでいたいと思いましたが、バクラは名残惜しみながら、了から身体を離しました。
「真に認められたわけじゃないが、千年リングを身に付けるということがこうなることくらい想像つくだろう」
了の顔が耳まで真っ赤に染まりました。
「それはそうだけど、いきなりだから……」
ぶつぶつと口の中で呟きます。
その初々しい反応にバクラは微かに笑いました。
そして、まごまごしている了を膝の下から持ち上げ、抱きかかえました。
「わわっ」
突然の浮遊感に、了はバクラにしがみつきました。
背格好は変わらないのに、軽々と持ち上げられてしまったことに驚きます。
慌てる了に、バクラは声を出して笑いました。
抱き上げたまま、バルコニーへ向かいます。
そして、バルコニーにあるベンチにどっかりと座りました。
勿論、了は横抱きにされたままです。
最上階で空が近い分、満天の星空がよく見えました。
「うわあ」
目に飛び込んできた景色に、思わず了は感嘆の声を上げました。
こんな高いところから、星空を見たことはありませんでした。
まるで夜空に吸い込まれてしまいそうです。
「ねね、あの星なんて言うのかな」
「んー?」
一際目立つ星を指差して了が言いました。
顔を綻ばせてバクラの顔を見上げ、そこで気づきました。
バクラは空を見上げずに、了を見つめていたことに。
その瞳は今まで見た中で一番優しくて、了は喋りかけた言葉を飲み込んでしまいました。
バクラは千年リングの針を触り、
「似合うな」
穏やかな声で言いました。
「お前が付けてろ」
「う、うん」
空も近かったですが、バクラの顔もとても近いところにあったのです。
了は心臓の鼓動がどきどきと早くなるのを感じました。
それを知ってか知らずか、バクラは了の額に唇を落としました。
「お前が死んじまわなくて良かった」
小さく囁いた声には、強く実感が籠っていました。
了は今更ながら、バクラに想われていたことに気づきました。
「僕は君を一人になんかしないよ」
目を合わせることが恥ずかしくなり、俯き加減になってしまいます。
「了」
耳元で名前を呼ばれると、こそばゆくて仕方がありません。
上目遣いでバクラを見てみると、今までにない距離にバクラの顔がありました。
途端に了の心臓が跳ね上がります。
「目、閉じてろよ」
「うん……」
力一杯ぎゅっと瞼を閉じました。
「力みすぎだろうが」
笑い混じりのバクラ声が耳に届きます。
すぐ目の前で吐息も感じました。
了を見下ろしながらバクラは思います。
長い消化試合のような人生でしたが、この瞬間だけは悪くないと。
了の唇にバクラの唇が下りてきました。
二つの唇が重なり合う――。
「あ、良かった!上手くいったみたいだね」
不意にかかった声に、二人ともびくりと飛び上がりました。
二人が声のする方向へ目をやると、マリクが城の屋根の上からテラスを覗き込んでいました。
「マリクてめえッ!」
バクラが怒鳴りつけると同時に、了は顔を両手で覆いました。
マリクは猫のような身のこなしで、屋根からテラスに飛び降りました。
「おー怖い。お邪魔だった?」
そして、悪びれもせずに小首を傾げます。
「……いや」
この状況に言い返せるわけもなく、バクラは歯噛みをしながら首を横に振りました。
「様子を見に来てやったんだよ。親切だろ」
マリクはそう言うと、黄金の杖を取り出しました。
杖が不思議な輝きを発したかと思うと、了の首から下がった千年リングも反応するように光りました。
「封印が弱まってるようだね」
思案顔でマリクが頷きました。
「君たちの思いが通じあった結果だと思うけど、まだ弱いってことか」
「つ、通じ……あ……」
了は指の隙間からマリクを覗き見ます。
「そうだよ。一応、両思いってコト」
あっけらんかんと笑うマリクに、了の頭から湯気が出そうでした。
「王様に報告がてら話を聞いてこようかな」
「勝手にしろ」
バクラは今の王様に興味はありません。
それより、マリクに邪魔されたことの方が頭にきていました。
マリクはテラスの手すりに腰を下ろしました。
思案しながら、足をぶらぶらと揺らします。
「もっと仲良くなったら、封印が解けると思うけど……」
バクラは了の肩を強く抱き寄せました。
「いらねえ心配すんな」
「ま、そうだね。精々頑張って」
マリクはくすりと笑って、そのままくるりと身体を後ろに倒しました。
背中にあるのは夜の闇です。
了があっと声を出す暇もなく、マリクはテラスから落ちていきました。
すぐに馬の嘶く声が聞こえ、マリクを乗せた馬が夜空を駆け上がって来ました。
了がこの城へ連れてこられた時と同じです。
心地良さそうに城を旋回してから、了たちに向かって大きく手を振りました。
「じゃあねー!」
呆気に取られながら、了は手を振り返しました。
バクラは横目でそれを見て鼻を鳴らしました。
「王様の使いなのに、どうやって仲良くなったの?」
その問いに、バクラは不服そうでした。
「仲良くねーよ。あいつが上に言われて、やって来てからの腐れ縁だ。ま、唯一の外との連絡手段だから感謝はしてるがな」
マリクにはマリクの事情があり、バクラはそれを深くは知りません。
ただ、初めて出会った時に、
『どうした?人でも殺したような顔をして』
と声をかけたのが、懐かれた遠因のような気がしました。
バクラにとっては何気ない一言だったのですが、マリクにとってはそうではなかったようでした。
「それより……」
バクラは了の顎を持ち上げました。
「さっきの続きしようぜ」
それを聞いた了は焦りました。
先ほどは突然のことだったので、何も考えずにいられました。
雰囲気に呑まれたといってもいいくらいです。
今度は様々なことが頭を駆け巡ってしまいました。
「ま、待って!」
思わず自分の口を押さえてしまいました。
バクラの逆立った髪の一部が、僅かに下がったような気がしました。
「ぼ、僕……初めてなんだ」
恥ずかしいことを承知で、意を決して告白しました。
「それで?」
淡々とバクラは聞き返してきます。
「えっと、だからいきなり……キ、ス……とか無理……かな」
もう、顔から火が出そうでした。
「だから?」
ぴくりとも眉を動かさずにバクラが尋ねます。
「だから?だから……もう少し待ってよ」
「ダメだ」
バクラがピシャリと了の言葉を撥ねつけてしまいました。
どんどんとバクラの顔が近づいてきます。
恥ずかしさから逃れるように、了は目を瞑りました。
しかし、いつまで経っても何もされませんでした。
恐る恐る目を開けてバクラを見ると、ガシガシと頭を掻いていました。
「……仕方ねえなァ!待っててやるから、心の準備とやらをしとけよ」
一先ず、了はホッと胸を撫で下ろしました。
一方で、身を委ねてしまいたかったという少し残念な気持ちもあります。
その安堵がバクラに伝わったのか、唇を噛んで唸りました。
「言っとくがなァ!お前なんか簡単にベッドに引きずり込めるんだからな!」
「う、うん。気を付けるよ……」
現実感がなさすぎて、了はつい頓珍漢な答えを返してしまいました。
それにはバクラも毒気が抜かれ、
「……もう遅いから寝な」
すっかりその気はなくしたようでした。
それから、了は与えられた部屋へ連れていってもらいました。
抱きかかえられたままです。
下ろすように言っても、バクラは頑なに了を放そうとはしませんでした。
部屋の前に着いたところで、やっと下ろされました。
「おやすみ」
了がバクラに向かって声をかけると、渋々といった様子でバクラもそれに応えました。
「……おやすみ」
今日は様々なことがありました。
どっと疲れが襲ってきたので、了はベッドに飛び込んだ瞬間に深い眠りに落ちました。
了が千年リングを身につけた夜から、二人の生活は急激に変化しました。
まず、二人で過ごす時間が長くなりました。
庭のベンチで了が本を読み、その横でバクラが空を眺めます。
一度、了はつまらないのではないかと訊ねましたが、飽きないのだとバクラは答えました。
他にも変化はありました。
了はバクラに厨房の場所を教わり、自分で食事を作るようになりました。
実家では家事を担当していたので、料理はお手の物です。
バクラに食事を出すと、全て綺麗に平らげてくれました。
空いた時間には、二人でチェスやトランプなどのゲームをして遊びます。
二人とも同程度の腕前なので、勝負が白熱して楽しい時間が過ごせるのです。
二人きりの城の中が、だんだんと温かく感じるようになりました。
しかし、まだバクラにかけられた魔法が解ける気配はしませんでした。
「うーん……」
了は胸にかかった千年リングをちゃりんと摘まみ上げました。
何の反応もありません。
拒絶もされなければ、認められたという感覚もありません。
「どうした?」
いつものようにベンチの隣に座っていたバクラが、了の顔を覗き込みました。
「どうしたらいいのかな」
了は元気なく千年リングを見つめています。
二人で過ごしていても、現状は変わっていません。
「『愛し、愛されることを知ることが出来れば』ってやつか?」
こくりと了が頷きます。
具体的な解決策は、何も浮かびません。
お互い愛を知らないのが問題なのかもしれません。
バクラは魔法をかけられる前は、女性と幾度もベッドを共にしていました。
ただの肉体関係を愛とは呼ばないことを、バクラは知っています。
だから、魔法を解くためといって、了と簡単に寝てしまうことは出来ませんでした。
「目には見えないものって難しいね……」
了にとって愛と言われて思い浮かぶのは家族のことです。
克也のことは、何よりも大切に思っています。
その情とは異なるのだろうということは分かりますが、具体的な違いは分かりませんでした。
「父さんなら知ってるのかな」
了はそう言って空を見上げ、太陽のように笑う克也の顔を浮かべました。
「会いたいのか?」
「えっ!」
二人は城の中に戻り、バクラの部屋へ向かっていました。
了の実家のことを、バクラが自分から口に出すのは驚くべきことでした。
了を拐った張本人なのですから、当たり前です。
何より心境の変化に戸惑いを感じていたのは、バクラ自身でした。
了を手放したくないのは本当です。
本音を言えば、この城にずっと閉じ込めてしまいたいくらいです。
しかしそれでは、了はとても悲しむでしょう。
部屋につくと、バクラは棚から丸型の真鍮製のトレーを取り出しました。
テーブルの上に置き、水差しから水を注ぎ込みます。
バクラが手をかざすと水面が揺らぎ、映像が浮かび始めました。
それは、了にとって懐かしい実家の様子でした。
「助かったな。あの父親、律儀に水鏡を取っておいたらしい」
全ての始まりである城の姿を映した小さな木椀。
それを通し、了の実家の様子を見ることが出来たのです。
「一目だけでも父さんの姿が見たい」と了は言いました。
それを聞いたバクラは、人知れず安堵しました。
会いに行きたいと言われても、願いを聞いてやれる気がしなかったからです。
「こうやって僕のことを見つけたの」
了は興味深げに水鏡を覗き込みます。
あの時は外見が好みだったとはいえ、バクラにとって了はつまらない人間の一人に見えました。
ゲーム感覚で手に入れた最後のチャンスではありましたが、喜ぶべき形で予想を大きく外れた結果になりました。
「見えるか?」
「うん。父さんはどこか……」
ぴたりと了の動きが止まりました。
無言で食い入るように水鏡を見続けています。
「どうかしたか?」
了の肩越しにバクラも覗いてみると、ベッドの上で苦しそうに喘ぐ克也の姿が見えました。
ただの体調不良には見えません。
小刻みに了の肩が震えていました。
ここまで動揺をする姿を了が見せるのは初めてでした。
唯一の家族なのですから、無理もありません。
バクラはその肩を抱こうと手を伸ばしかけましたが、そっと下ろしました。
「……行ってこいよ」
その言葉に了は勢いよく振り返り、涙に滲んだ瞳でバクラを見つめます。
「でも……」
「心配なんだろ」
震える唇を噛み、了は何度も頷きました。
「じゃあ、さっさと行ってこい」
了は慌ただしく出発の準備を始めました。
克也の容態は分からないので、城にあるだけの薬を鞄に詰め込みます。
城の玄関で荷物を抱えた了は、
「キッチンにサンドイッチ作って置いてあるから食べてね!」
見送りに来たバクラの方を振り返りました。
こんな時まで食事の心配をする了には笑わせられます。
そもそも、魔法がかかっているので食事には困らないのに。
バクラは小さく口元に笑みを浮かべました。
「分かったから、落ち着いていけよ」
バクラはふわりと了の肩に外套をかけました。
「森は冷えるから着ていけ」
外套はとても軽くて温かい生地で出来ていました。
「ありがとう……。父さんの身体が治ったら、すぐに帰ってくる」
「……。おい、マリク!馬貸してやれ」
玄関の影に隠れていたマリクが、ひょいと姿を現しました。
「バレてた?」
「オレに話があるんだろ?なら、馬だけ寄越せ」
バクラは有無を言わさず、マリクから馬を取り上げてしまいました。
マリクの力なしでは空は飛ぶことは出来ませんが、迷うことなく家まで辿り着くことは出来ます。
了はおっかなびっくり馬にしがみつきました。
「振り落とされないように気をつけろよ」
「う、うん!」
バクラが馬の胴を叩くと、風のようなスピードで馬が走り出します。
「わっ……!すぐに帰ってくるからね!」
みるみる遠ざかる城に向かって大きな声で了は叫びました。
「いいの?行かせて。気づいてるんだろ?」
マリクはいつになく真面目な顔で、了の後ろ姿を見つめます。
「あんな顔見せられたら、こうするしかないだろ」
行かせないのは簡単です。しかし、それでは了の心が壊れてしまうかもしれません。
側に置いておくだけなら、それでいいのかもしれませんが……。
『僕は死んだりしないよ』
優しく微笑む了の顔が思い浮かびます。
そうしたら、二度とあの顔が見れなくなってしまうかもしれません。
「純愛だねえ」
「ほっとけ!それより、中で話を聞かせろ」
バクラはマリクを睨みつけると、城の中へ先に入っていってしまいました。
残されたマリクは、もう一度了の消えていった森を見つめ、
「どうする?王様……」
少しだけ悲しげに顔を曇らせました。
マリクの馬は普通の馬とは比べ物にならない早さで森を駆けました。
どんどん景色が流れていきます。
了は振り落とされないように掴まるので精一杯でした。
いい加減、腕が痺れてきた時に辿り着いたのは懐かしい村です。
家の前まで来ると、馬はその場でぴたりと止まりました。
「ありがとう。ここで待っててね」
ふらふらと馬を降り、家の中へ飛び込みます。
「父さん!」
ぐったりと寝込んでいる克也の元へ駆け寄りました。
「お……お前、どうして……?」
克也が掠れ声で呟くのを制し、額に手を当てます。
思った通り、酷い熱でした。
これから着替えさせて身体を拭き、薬を飲ませなければなりません。
「父さんが倒れたのを知ったから、城主に許可もらって帰ってきたんだ」
持ってきた清潔なタオルで、汗まみれの克也の顔を拭ってやります。
「そうか……。それにしてもお前、元気そうで良かった……」
安心して気が抜けたのでしょう。
克也は笑みを浮かべて目を瞑りました。
「意外と優しい人だったんだよ、あの人は」
それから、了は寝ずに克也の看病をしました。
濡れタオルで身体を拭き、額に乗せたタオルを何度も取り替えます。
食べる体力もなくなってしまっていたので、重湯を作って飲ませました。
どうやら、この時期に流行る病にかかってしまったようです。
普通なら命に関わる病ではありませんが、気づくのが遅ければ、どうなっていたか分かりません。
町にいる医者に連絡を取りましたが、村まで来てもらうには時間がかかります。
城から持ってきた解熱剤を水に溶かして克也に飲ませました。
三日三晩それを続け、やっとのことで克也の熱が下がりました。
了はそこでぐったりと克也のベッドの上に倒れ込みました。
ずっと気を張っていたので、緊張の糸が切れたのです。
そのまま寝入ってしまいました。
肩を揺すられて起きた時には、丸一日が経ってしまっていました。
克也はにかっと笑って、上半身を起こしていました。
「あんがとよ。すっかり熱は下がったぜ」
了はふらつきながらも克也に抱きつきました。
「良かったー!!」
もう少しすれば、町医者も着くことでしょう。
これでひと安心です。
二人は残った粥を食べながら、近況を報告し合いました。
克也は了が拐われた後、取り戻すための金を稼ぐために、町へ飛び出したそうです。
カイバ屋という大店の下働きをしつつ、他の店の掛け持ちもしていましたが、無理が祟って体調を崩してしまったのです。
「あンの店主が給料の前借りさせてくれればよう……」
ぎりぎりと歯を食い縛る克也の様子を見れば、もう大丈夫そうでした。
「ごめんね。心配かけて」
「いいってことよ。それより、お前が無事で良かったよ。そんな大層なモン付けて、大切にされてたんだなあ」
克也は了の胸にかかった千年リングを指差しました。
金で出来ているので、高価そうなペンダントに見えたのでしょう。
「あ、これは……約束の証っていうか……」
了が城から出て、そろそろ五日が経とうとしています。
最後に見たバクラの顔が思い出されました。
よく送り出してくれたと思います。
このまま帰らないことだって考えられるのですから。
心に温かいものを感じ、了は千年リングに触れました。
――もう少し父さんを看病して、すぐに帰らなくちゃ。
その瞬間、ざわりと鳥肌が立ちました。
心が落ち着いたお陰で、城でのやりとりが鮮明に蘇ったのです。
了はバクラにすぐに帰るとは言いましたが、バクラは帰れとも待ってるとも口にしませんでした。
それどころか、了の言葉に頷くこともしていません。
ただ黙って温かい外套をかけてくれただけです。
「あっ……ああ……」
了は青ざめて自分の腕を抱えました。
とても嫌な予感がします。
ぶるぶると震える了の肩を克也が掴みました。
「どうした?」
「……僕、帰らなきゃ」
震える唇を動かし、絞り出すような声で呟きました。
「分からないけど、帰らなきゃいけないんだ……っ!」
鬼気迫るその表情を目にした克也は大きく頷きました。
「行かなきゃいけないんだな?なら、行ってこいよ。オレはもう平気だからさ!」
そして、了を安心させるように胸を叩きました。
了は手早く家の裏手に繋いでおいた馬の縄を解きます。
来た時とは逆に持ち物は持たず、外套だけ羽織りました。
「なるべく急いで城に向かってくれるかな」
馬は声高くいななくと、脇目も振らず走り始めました。
了の胸は悪い予感で、どきどきと早鐘のように打っています。
克也のことで動揺していたとはいえ、なぜ気づけなかったのでしょうか。
バクラもなぜ何も言わなかったのでしょうか。
真っ直ぐ前を見ながら城を目指します。
あと少しで辿り着く……そう思った時、了の前に立ちはだかる人影がありました。
了は慌てて手綱を引いて馬を止めます。
城の門の前に立っていたのはマリクでした。
門を塞ぐように、黄金の杖を右手に持っています。
「マリクくん!バクラは?!」
了は馬から転げ落ちるように下り、マリクの元へ駆け寄りました。
「ごめんね。ここは通せないんだ」
穏やかな口調でしたが、マリクの顔には厳しいものがありました。 マリクの手の中の杖が光を帯び始めます。
「どうして?バクラに会わなきゃ……」
杖には構わず、了はマリクにすがりつきます。
小さくマリクは杖を振りました。
ばちんと音がしたかと思うと、了の身体が後方へと吹っ飛びました。
地面にしこたま身体を打ち付けましたが、じっとしてはいられません。
よろよろと了は立ち上がります。
「通して……」
マリクはゆっくりと首を横に振りました。
「もう、手遅れなんだ」
「ておくれ?」
了は気づきました。
マリクの瞳が悲しげに揺れていることに。
「もう彼の寿命が尽きるんだ……」
バクラは暗い食堂の中で食事をしていました。
ここ最近はずっと二人で食事をしていたので、なんだか静かに感じてしまいます。
目の前に了が座っている姿が浮かぶようでした。
口にスープを運ぶも、以前と同じように味がしないように思えました。
食事は進みません。
そろそろ「時間」だからでしょうか。
時を止められ、長い時を生かされてきたバクラの身体は、病気も老いも知りません。
しかし、長く生き過ぎました。
身体は丈夫でも、心と魂が先に限界を迎えたのです。
マリクはそれを伝えに来たのですが、バクラは言われる前に察していました。
伊達に長年生きてません。自分の寿命くらいは分かるのです。
魔法をかけた王様だってこんなことになるとは、想像もしていなかったでしょう。
バクラはスプーンをテーブルに置きました。
了にこんな姿は見せられません。
村へ送り出す時、もう会えないであろうことは覚悟していました。
言ってしまったら、了に苦渋の選択を迫ることになってしまいます。
――バカみてぇだな。
以前のバクラなら、他人の事など省みなかったでしょう。
今は了のためなら、自分が少しばかり損をしてもいいかと思えます。
きっと、ずっと了の心に残ることになるでしょうから。
それなら、悪くはないと思えるのです。
バクラに耐え難い眠気が襲ってきました。
瞼が勝手に閉じていきます――。
「な……なんで……」
愕然と了は立ち尽くしました。
「どうか、見ないでやってくれないか。それがバクラの望みだと思うから」
バクラが了に返事をしなかったのは、もう会えないと思ってのことだったのです。
了の手が震えました。
「……それは、バクラが言ったの?」
「いや……。でも、君に見せられるわけないだろう!」
マリクが声を張り上げます。
「なら、通して!」
胸の千年リングは、まだ魔法の力を失っていません。
城もそのままの姿です。
ならば、バクラはまだ生きているはずです。
「まだ、間に合う!」
負けじと了はマリクに向き合いました。
「間に合うからって何をするんだ!……死に目なんて見たくないだろう」
その言葉の後半には、やるせなさが籠っていました。
マリクだって、こんな最期は嫌なのです。
こうすることが、二人にとってよい形なのだと思っての行動でした。
了の頭には、実家を出る時に克也にかけられた言葉が思い出されました。
『大切なヤツの為なら、命だって懸けられる。それが人間ってもんよ』
「彼をここから出すって約束したんだ。だから、通して!」
了が再び叫んだ途端、千年リングが眩い光を放ちました。
光の渦がマリクの元へ飛んでいきます。
マリクは光に弾き飛ばされ、門に背中を打ち付けました。
その隙に了が城内へと向かいます。
「ごめんね……」
マリクに向かって一言だけそう言うと、走り去っていきました。
「……もう、扱えるようになったのか」
背中の痛みに耐えながら、マリクは小さく呟きました。
了は大広間へと、迷わずに走って向かいました。
不思議と千年リングがバクラの居場所を教えてくれるのです。
リングから延びる針が、方向を指し示していました。
初めてバクラと出会った大広間を勢いよく開け放ちます。
その扉の向こうには、テーブルの上に倒れ伏したバクラの姿がありました。
「バクラ!」
ぴくりとも動きません。 駆け寄って肩に触れると、まだ温かさを感じます。
了はバクラの上半身を持ち上げました。
微かに息はありますが、瞳は固く閉じられています。
「起きて!死んじゃだめだ!」
掴んだ肩を大きく揺すります。
バクラは動かないままです。
ぽろぽろと了の目から涙が流れ出てきました。
その涙を拭うことも忘れて、バクラを呼び続けます。
「約束しただろッ!」
了は右手を振り上げ、バクラの頬に向かって下ろしました。
ぱしんと乾いた音が部屋に響きます。
それでも、バクラは目を覚ましませんでした。
「バクラ……」
こうなることが分かっていてバクラは、父親の元へ送り出してくれたのだと、了にも理解が出来ました。
「そんなの意味ないよ……。それが君のやり方なの……」
とても不器用な想いの形でした。
黙って去るなんて、なんとも不器用で寂しいやり方なのでしょう。
「ねえ、お願い……」
了は千年リングに向かって語りかけます。
「僕らは愛なんて知らないんだ。愛し愛されるなんて分からない。だから、代わりに彼に僕の命を分けてあげて」
そう言うと、動かないバクラに向かってキスをしました。
自分の命を吹き込むように。
そっと、了は唇を離しました。
「お願い。起きて……」
バクラの首にしがみつきます。
――ぴくり。
微かにバクラの身体が動きました。
「バクラ?」
おずおずと了が呼びかけると、バクラの目が薄く開きました。
その瞳が目の前の了を捕らえます。
「――なんだ……お前、また泣いてるのか。目が溶けちまうぞ」
吐息のような声が、口から漏れました。
それに返事をしようと、了は口を開けましたが、声が出ません。
代わりに、ぎゅうっと力いっぱいバクラに抱きつきました。
「なんだよ……いてえな……」
そう言うバクラの顔は、ちっとも嫌そうではありません。
二人には見えませんでしたが、城の外にも小さな変化がありました。
侵入者を拒むように城を覆っていた枯れ木は消え失せ、森に優しい日光が射し込み始めました。
それと同時に、虫や小鳥たちが騒ぎ始めます。
長らくかけられていた魔法が解け、城の時間が動き始めたのです。
広間の入り口で、抱き合う二人をマリクが見ていました。
「なるほど。これが二人の愛の形ってことか。間に合って良かったですね、王様」
魔法が解けた後、二人は克也を城に呼び寄せました。
克也は庭の手入れをしつつ、そこに咲いた花の一部を町へ売りに行き始めました。
珍しい花々が手に入るので、町ではすぐに好評になりました。
了は趣味が高じて、模型の注文を受け始めました。
こだわって作った模型には、根強いファンがつきました。
バクラは時折マリクを通して、王様から統治について相談を受けるようになりました。
元来面倒見の良いバクラは、あれやこれやと王様相手に遠慮なく口を出しました。
「――これが事の顛末です」
玉座の前に膝をついたマリクは、報告を終えました。
「本当に良かった……。マリク君、ありがとう」
王様は柔和な微笑みを浮かべました。
「一時はどうなることかと思ったけどね」
マリクはすぐに形式ばった態度を崩し、いつもの友人相手にするような態度に戻ります。
「これでもう心配しなくていいんだね、もう一人の僕」
『ああ、本当に世話が焼けるぜ』
玉座の隣から王様以外は誰にも聞こえないもう一つの声がしました。
了は腕の中に大きな透明のケースを抱えて城内を走っていました。
目の前の通路をそのまま通りすぎようとしたので、
「そんなに慌ててどうした?」
バクラが声をかけます。
「あー、いた!バクラに見せたいものがあって」
了は腕の中のケースを、バクラに見えるように前へと差し出しました。
「やっと完成したんだ。ミニジオラマだよ」
それは了がバクラと出会う前から作っていたこの城のジオラマでした。
バラの咲いた庭まで、しっかりと作り込んであります。
ジオラマには建物だけではなく、人形が置かれていました。
「よく出来てるな」
思わずバクラは笑い交じりに、感嘆の言葉を口にしました。
その人形たちは了とバクラ、それに克也とマリクにそっくりだったからです。
「ふふ、これは僕の宝物だよ」
眩しい笑顔を見せる獏良の肩をバクラはそっと抱き寄せました。
それは深い深い森の中。
今にも崩れ落ちそうな古城がありました。
もはやいつの時代のものなのか、知る者は誰もいません。
まるで城だけ俗世から切り離されたかのように、そびえ立っていました。
人々の介入を拒み続け、扉が開くことはなかったのです。
ある日、一人の少年が城にやって来ました。
彼は古城の扉を叩くように、閉ざされた城主の心の扉を叩き続けました。
城主が彼の心に応えた時、奇跡が起こったのです。
孤独な城主はもういません。
そこにいるのは固い絆で結ばれた二人です。
「ねえ、行きたいところってある?」
「お前に任せる」
「僕は広い世界を見て回りたいな」
「何処まででも付き合うぜ」
昔々の話でした。
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長い話にお付き合い下さり、ありがとうございました。
その後の二人は本筋からズレるので、表に出していた時は書きませんでしたが、少しだけ仲良くしている様子も足しました。