ばかうけ

この話は怪盗もののパラレル話の続きになります。
原作のノリを壊されたくない方はお手数ですがブラウザバックでお戻り下さい。
初回二回目


バクラの朝は早い。
起床後すぐにスーツに着替え、簡単な朝食を済ませる。
昨晩まとめておいたゴミ袋を手にアパートの鍵を施錠する。
この間、30分弱。
部屋の中には余計なものがなく、バクラはマメな性格をしているので部屋はいつも片付いている。
アパート前のゴミ捨て場にゴミ袋を置いてから出勤をする。
普段通りの行動だ。時間も寸分変わりない。
近所に住む老婆が朝も早くから道路を箒がけしていた。
その横を通ろうとすると、猛スピードの自転車が走ってきた。
細い路地だというのにブレーキを緩めずに通りすぎる。
驚いた老婆がふらりとその場でよろめいた。
自分の体重を支える筋力は老婆にはなく、前へ転倒しそうになる。
そうなる前に素早くバクラが倒れる老婆を右腕で支えた。
「気をつけな、婆さん」
言いながらもゆっくりと身体を起こすのを手伝ってやった。
そして、お礼を言う老婆にさっさと背を向けて立ち去る。
向かう先は警察署――。

見た目にはとても分からないが、バクラはれっきとした刑事だ。
刑事といっても出動要請がなければ、膨大なデスクワークを処理する地味な仕事だ。
バクラは腕捲りをして黙々と書類の山と格闘していた。
同僚のマリクがコーヒーを片手にバクラの手元を覗き込む。
「えらいねえ。事務作業なんてやってらんないよ」
バクラは今まで記入していた書類を処理済のボックスに放り込んだ。
「お前は何やってるんだよ」
ひくひくと引きつり笑いを浮かべてバクラが振り返る。
「溜めすぎて、またどやされても知らねえぞ」
バクラのデスクがすっきりと整理されているのに対し、マリクのデスクは今にも雪崩を起こしそうなくらい物が積み上がっている。
「えー、バクラ手伝ってよ」
「お前なあ……」
軽い口調のマリクを前にバクラの頬からたらりと汗が落ちる。
「あ、そういえば、この前言ってた怪盗の対策室には志願しないの?」
マリクの言う対策室は世間を騒がしている怪盗の存在があまりに大きくなってしまった為に特別措置で作られた班だ。
バクラは以前その話を聞いて、乗り気のようだった。
「あー……」
ぽりぽりと後ろ頭を掻いてバクラがぼやいた。
「アレな。特別待遇になるわけでもないのに仕事増しとか完全に貧乏クジだろ」
念のために確認したところ、給料はほぼそのままで通常業務に特別業務が加算されただけのお粗末な体制らしかった。
いわゆる世間向けのパフォーマンスというやつだ。
どうせ人手不足で現場に駆り出されるのだから、わざわざ対策室に入らなくても怪盗は捕まえられる。
わざわざ形にこだわる必要はないとバクラは思っていた。
「えっ!」
マリクはなぜかバクラの言葉に驚きの声を上げて目を丸くした。
「ん?」
バクラが首を傾げて見返すと、マリクは目線を反らす。
「なんだよ」
「アハハ……」
その歯切れの悪い態度にバクラの眉間に皺が寄る。
頬に手を当てて気まずげな様子でマリクがおずおずと口を開いた。
「入りたいんだろうなって思って、バクラを推薦してきちゃった」
「なにィイッ?!」

獏良の朝はゆっくりだ。
たっぷり布団の上でグズグズした後に遅めの朝食を食べる。
食後はゆっくりテレビの情報番組でニュースをチェックする。
身嗜みを丁寧に整え、最後に度の入っていない眼鏡をかける。
お昼近くなったところでやっと自宅を出た。
刑事のバクラとは同じアパートだが、この時間差ではまず鉢合わせることはない。
最も、同じアパートに住んでいることを知っているのは獏良の方だけだ。
のんびりとした生活を送っているせいで、近所には学生かフリーターかと思われているのだが、実のところ獏良は世間を騒がせている怪盗だった。
念のために地味な服装と眼鏡で過ごしてはいるものの、怪盗とは程遠いのんびりとした性格なのでまず疑われることはなかった。
獏良は隣町にある行きつけの玩具屋に向かった。
小さいながらも個性的なオリジナルの玩具が並ぶ店だが、獏良の今日の目的はそれらではない。
「こんにちはー」
店主とは顔見知りなので気安くカウンターで声をかける。
ピエロの格好をした変わった店主が新聞から目を離して顔を上げた。
「いらっしゃい」
「龍児くんいますか?」
「いつもの部屋にいるよ」
言いながらも店主はカウンターのドアを開けてくれた。
「お邪魔しまーす」
慣れた様子で獏良は奥の廊下へと進んだ。
いくらこの店の常連でも、奥には入れてもらえない。
獏良は特別気にするわけでもなく、地下の部屋まで訪れた。
「御伽くん、来たよ」
軽くノックをすると、
「入って」
ドアの向こうから返事が返ってきた。
「お邪魔します」
ドアを開けると、棚にずらりと並んだ様々な玩具が目に入った。
御伽は奥のテーブルで紙の上で手を動かしている。
店主の息子であるゲームデザイナーの御伽は、この部屋に籠って新しい玩具を開発することが多い。
ここに並んでいる玩具はその試作品だ。
「よく来てくれたね」
御伽は設計図に書き込む手を止めて獏良を迎えた。
「呼ばれるの早くない?間あまり空いてないよ」
眉を下げて口を尖らす獏良に、
「まあまあ、依頼人は尽きなくてさ」
御伽は玩具の資料ファイルの中に挟んであった一枚の紙を差し出した。
紙にはいくつかの写真と細かい記述が載っている。
獏良はそれを全て目に通すことなく、
「今度はこれを盗ってくればいいんだね」
天使のようなと形容できそうな柔らかい微笑みを浮かべた。
世間は一切知らないことだが、怪盗のリョウは直接依頼を受けないし、やりとりもしない。
仲介人として御伽を通すのが常だ。
これで依頼人にも素性を隠して連絡が取れる。
危なくなれば、お互い関係を切ればいいだけの話だった。
御伽は不敵な笑みを浮かべて自分の後ろの棚から紙と玩具を取り出した。
紙は盗みに入る施設の見取り図で、玩具は並んでいる他の試作品とは違う。
「いつもありがとう」
「また、感想を聞かせてよ」
一見ただの玩具に見えるのは、煙幕や携帯ロープなどの盗みに必要不可欠なグッズだった。
獏良が盗みの際に使用するのは試作テストを兼ねていた。
威力を落として子供用にしたものを玩具として販売したり、防犯グッズとして別の会社に卸したりする。
獏良と御伽は持ちつ持たれつの関係というやつだ。
さっそく新作のグッズを弄る獏良に、御伽が少しだけ顔を曇らせた。
「気を付けてよ。今回は場所が場所なんだからさ」
「下見はキッチリするから大丈夫だよ」
相変わらず、獏良はのんびりと答えた。

「クソ大層な施設なことで」
バクラは苛々と展示館の喫煙ブースで煙草を燻らせた。
マリクのせいで怪盗の対策室へ強制的に入れられてしまったのも苛々の原因だが、怪盗から予告状を受けた施設が非協力的であることが一番腹に立っていた。
本来なら警察側にセキュリティの管理情報を開示して怪盗逮捕に協力するところを、
『怪盗一人に手こずっているような警察には任せられませんね。警備は自由にしていいですが、私たちの誇るセキュリティシステムの邪魔にならないようにして下さい』
全く信用されていなかった。
バクラの額に青筋が浮かぶ。
まだ吸い途中の煙草を手で握り潰した。
――どいつもこいつも好き勝手言いやがる。
施設の館内図だけは手に入れたが、これでは警備しようがない。
ここ、海馬ミュージアムは大企業である海馬コーポレーションの系列会社が管理する施設だ。
運営も警備会社も全てKC関連会社で外部の人間が付け入る隙がない。
――元々は玩具会社だったハズなんだがなあ。
警備システムは最新の技術を取り入れたと、このミュージアムの責任者は豪語していた。
取り付く島もないので、バクラは前日から張り込みをするしかなかった。
館内設備を自分なりにチェックしながら、来場客にも気を配る。
館内は混雑しているわけではないが、絶えず客の入りがあった。
展示されているのは絵画や骨董品、宝石類など多種多様に渡る。
予告状で指定されたのはブルーアイズと呼ばれるサファイアだった。
両手で抱えられるほどの大きさの龍を模したクリスタルの彫刻に瞳として嵌められており、むしろ彫刻本体の方が価値があるくらいだ。
予告状には「白龍の青き瞳の宝石」と書かれているので、サファイアに的が絞られているといってよい。
関係者は怪盗の狙いに頭を捻っていたが、過去のデータによると必ずしも価値があるものを盗んでいるわけではないので、今回が特別だということはない。
バクラはむしろ簡単に隠せてしまう小さな宝石がターゲットであることを案じていた。
館内は広々としたドーム型になっていて、大きな展示品は中央のスペースへ、それ以外は壁面に飾られていた。
作品によっては一続きの小部屋に展示スペースを設けられているものもある。
ブルーアイズはそれほど大きい品ではないので壁際の一角に飾ってある。
ガラスケースなどの入れ物には入っておらず、立ち入り禁止のロープが周囲に張ってあるだけだ。
見渡しがいい施設とはいえ、これは厄介だ。
以前、怪盗は客に紛れて下見に来ていた。
顔を知っているのはバクラだけなので、一人で張り込むしかなかった。
他人に任せるつもりもなかったが。
あの怪盗の顔を思い出す。
すらりとした華奢な身体に真っ白な髪、女性と見間違う整った顔立ち。
――今度は捕まえて泣かせてやるッ!
刑事とは思えない鋭い目つきでバクラは虚空を睨みつけた。
そんなバクラを尻目に、獏良はゆっくりと館内を観察していた。
茶髪のロングヘアーのカツラを被り、体型が隠れるようにゆったりとした服を着ているのでバレずに済んでいた。
――KC関連はこれだから嫌なんだよ。
御伽から受け取った館内見取り図には様々な情報は書いてあるが、詳しい警備システムのことまでは記載されてない。
だから、こうして下見に来ているわけだが、一般的な施設より警備機器が多いことが一目で分かった。
その代わり、完全に機械警備に頼りきっていて人は極端に少ない。
これなら、やり様はいくらでもある。
獏良は監視カメラに映らない角度で御伽から貰った小さな道具を館内のあちらこちらに貼り付ける。
使い捨ての目暗ましや警報器などだ。
人がほとんど見回っていないので見つかる確率は少ないだろうが、例え見つかったとしても保険のようなもので支障はない。
獏良はちらりとバクラを横目で見つつ、
――捕まえてごらん。
こっそりと微笑を浮かべた。

予告日、ミュージアムは閉館後だというのに煌々と明かりを点けていた。
まるで、来るなら来てみろと誘っているかのようだった。
ただし、その挑発的な態勢に反して警備員は出入口に数名しかおらず、ほとんどが外部から来た警察官だった。
対策室の人数は少ないので、刑事課から応援が来ていた。
「物々しい雰囲気だねえ」
マリクは他人事のように館内をぐるぐると見渡した。
「おい、気をつけろよ」
壁に寄りかかって腕組みをしたままの体勢でバクラがマリクに言葉を投げかけた。
「え、何が……」
不用意に展示物の説明パネルにマリクが触れると、バチバチと何かが弾けるような音がした。
「イタッ!!」
叫び声を上げてマリクが猫のように飛び退いた。
パネルに触れた手を押さえ、信じられないようなものを見る目で自分の居た場所を見る。
「言ったろ」
全く動じずにバクラが言い捨てた。
「なななな、なにこれ!電気?!ばちっと来た!」
「KCご自慢の警備システム」
慌てるマリクにバクラは半目でため息をついた。
「嘘でしょ?こんなの開館時間に誤作動起こしたらどうするの?」
「今は警備システムが特別にフル作動中だ。てめえ、報告書見てないだろ」
バクラは分かる範囲ではあるが、自ら確認した警備システムについて文章にして警察官たちに配った。
警報器やカメラはもちろん、こうした仕掛けの位置などだ。
ちなみに前日にバクラが喫煙していた場所で、いまと同じことをすると原色の塗料が噴出される。
「それはごめん。だけど、これは僕らを餌にでもするつもり?」
ミュージアム側はこれで警察ごと怪盗を叩き潰すつもりらしい。
随分と攻撃的な姿勢だとバクラは思う。
いくら怪盗といえども、まかり間違って殺してしまったらどうするのだろうか。
バクラは腕時計を見た。
予告の時間はもうそろそろだ。
秒針が真上を指した瞬間、館内一面の灯りが消えた。
「チッ」
バクラは懐から携帯ライトを取り出して辺りを照らす。
「バクラ、見て!」
マリクの声をする方に目を向けると、白龍だけが下からのライトに照らし出されていた。
その瞳の青い宝石は失われている。
「やられたぞ!」
誰かが叫び、警備員と警官が騒ぎ出した。
その途端、ビービーと外から警報が聴こえてくる。
「逃がすな!追えーッ!」
音のする方へその場に居るほとんどが殺到する。
「待て!」
バクラが制止するも、獲物取りに夢中になった人々は止められない。
「マリク、てめえは動くなよ!」
その場に残ったのはバクラとマリクだけだ。
「分かった」
マリクは頷いて体勢を整える為に足を大きく広げた。
カチリ
マリクの足の裏に伝わる異物感。
「え」
それ以上動く間もなく足元の床が開き、
「ひゃあああ」
身体がすとんとその穴に落ちていった。
「ば、か、や、ろ、う!動くなって言っただろう!」
聞こえているか分からないが、マリクに向かって罵声を浴びせた。
一時でバクラ以外の人員が消えてしまった。
腹立たしいやら情けないやらだが、バクラはふうと短く息を吐いて気持ちを落ち着ける。
最初から他人にそれほど期待はしていなかった。
メインの照明と警備の電気系統が違うのはマリクを見ても明らかだった。
警備システムは死んでいない。
頭に叩き込んである罠の位置を気にしつつ白龍の元へ向かった。
これほどの警備システムをかいくぐり、あの短時間で盗みが働けるはずがない。
バクラは確信を持ってこの場に残ったのだ。
近くで白龍を注意深く見て、バクラが薄ら笑いを浮かべる。
ブルーアイズは盗まれてなどいない。
瞳の上にクリスタルに合わせて作られたガラスの蓋が付けられているだけだ。
手品などでよく見る手法だ。
盗むよりその場で隠してしまう方が難易度はずっと低い。
電気を急に落とされ、慣れない目で見たら騙されてしまう。
そして、混乱している中で扇動されたら、人はその通りに動いてしまう。
「出て来いよ」
後ろを振り向きもせずにバクラが告げた。
「ばれちゃった」
彫像の陰に隠れていた獏良があっさりと姿を現した。
獏良は身体にフィットした黒のライダースーツに防護マスクを被っていた。
警備員と警察官――情報を共有していない二つのグループの中に紛れ込むのは簡単だった。
影から声をかけるだけで面白いように警官と警備員たちが引っかかってくれた。
あとは、目の前にいるバクラだけだ。
獏良は何気ない仕草で腰に装着してある小型の発煙筒を取り出した。
投げる動作に入る前にバクラが床を蹴って前に飛び出す。
背を向けるのではなく、向かってくるという予想に反した行動に獏良の動きが一瞬止まった。
その隙を逃さず、バクラがビー玉を指の間から弾き出した。
獏良の手に命中し、発煙筒が宙を舞う。
たまらず後方へ下がるが、バクラが顔面まで迫っていた。
「くっ……」
寸前のところで手首を返し、ワイヤーを発射した。
ワイヤーの先端には金具が付いており壁に付着するようになっている。
さらに、手元のボタンを押すことでワイヤーが巻き戻されるのだ。
つまり、獏良の身体が壁まで引っ張られた。
無理な体勢からだったので床を転がるようにバクラの脇をすり抜けていった。
クリスタルの白龍の側によろよろと獏良が立ち上がる。
これで先程とは真逆の立ち位置になった。
「僕の勝ち」
髪を乱しながらも、そう宣言した。
マスクで表情は見えないが、勝ち誇って笑っているのだろう。
バクラは忌々しげに顔を歪めた。
この距離ではまた迫ったところで先に宝石を盗られてしまう。
獏良の動きを一瞬でも止めなければ。
その時、バクラは気づいた。
獏良の真後ろからチカチカと小さな赤い光が漏れていることに。
「後ろだッ!」
叫びながら前方へ駆け出した。
バクラの声に反応して獏良が振り向こうとしたが、その前に空気が裂けるような音が聞こえた。
腕に熱い衝撃があるのと同時にバクラが飛び込んできた。
二人はもつれ合うようにして隣の小部屋に転がった。
間髪入れずにバクラが起き上がった。
バクラの記憶では、この部屋にはある防犯装置が付いていた。
ガシャン
各展示部屋には扉はないが、防犯装置が働くと鉄格子が下りてくる。
「あーッ!」
目の前で出口が塞がれ、バクラは雄叫びを上げた。
部屋の中に解除装置はない。外に動ける人員はいない。
閉じ込められた。
「クソッ……」
悪態をついて胸ポケットから煙草を取り出した。
この中に解除装置はないが、罠もないので動き回っても支障はない。
応援を呼んでも到着に時間がかかる。
今ここでジタバタしても意味がない。
煙草をふかしてから獏良の方へ歩み寄る。
獏良は壁に背を持たれて縮こまり腕を押さえていた。
それを覗き込むようにしてバクラは行儀悪くしゃがむ。
左腕に細長い棒が刺さっていた。
服が破け、血が滲み出している。
お互い見逃していた防犯機械から射出されたものだ。
センサーに引っかかった獏良に矢が飛んできた。クロスボウのような仕掛けだ。
命に別状はないほどの浅い傷だが痛くないなんてことはないだろう。
マスクが先ほどの衝撃で弾け飛び、露わになった獏良の顔は苦痛に歪んでいた。
「痛いか?」
獏良は答えなかった。
「もしもーし」
小さく荒い息遣いが漏れ聞こえるだけだった。
バクラは粗暴に獏良の腕を掴み上げた。
「いっ……!」
遠慮のないその行動に獏良がさらに顔をしかめた。
その反応にはお構いなしにバクラは矢に手をかけて一気に引き抜いた。
「くっ」
懐から取り出したハンカチを裂き、傷口に巻きつけて強く縛る。
獏良はその様子を黙って見ていたが、
「優しいんだね」
ようやく軽口を叩けるようになったらしい。
バクラはにやりと口角を上げた。
「そういう仕事だからな」
獏良の隣に並んで壁に背中を預けた。
「捕まえないの?」
「ここから出たら捕まえてやるよ」
小さく獏良が笑い声を漏らした。
「そ、一生このままでいようか」
重い身体を起こしてゆらゆらと立ち上がる。
ウェストポーチを外して中身を探った。
もしもの時の道具はいくつか持っている。
バクラはそれを隣で見ていた。
ゆっくりと獏良の顔を見るのは初めてだ。
優しげな瞳に細い腕、とても盗みを働きそうにない。
今にも消えてしまいそうな儚げな横顔に目が離せなくなる。
まじまじと凝視していたので、獏良がその視線に気づいた。
「なに?」
その口調には何の他意も含まれていない。
見たらいけないものを見てしまった気分だ。
目の前にいる怪盗を捕まえるのが仕事なのだ。
余計な考えは頭から締め出す。
「お前、なんで怪盗なんてやってるんだ?」
まともな答えが返ってくるとは思わないが、会話から正体を掴めないか探る。
その問いを受けて獏良は遠くを見つめた。
「あの宝石の前の持ち主を知ってる?」
「は?知らねえよ」
問いが問いで返ってきたことにバクラは少しばかり焦れた。
「あれだけじゃないよ。他の骨董品にも本当の持ち主がいるんだ」
「へー。でも、前の持ち主がどうのと言ったって、結局は今の持ち主のモンじゃねえのか」
情緒のないバクラの言葉に思わず獏良は笑ってしまった。
「君って現実主義なんだね。骨董品たちも本当の持ち主の元へ帰りたがってると思わない?」
そう言って見つめて来る獏良の瞳の色は深すぎて真意が読めない。
「そう……僕も探してる……」
ポーチから取り出した手の平大の白い箱状の道具を握った。
何を?と聞く前に、獏良は出口の方へ向かった。
鉄格子の間から外の様子をきょろきょろと窺う。
すぐ側の壁にスイッチのようなものが見えた。
一見、電気のスイッチのように見えるが……。
手を伸ばして箱のような道具をそのスイッチに貼り付ける。
箱の側面にある小さなランプが赤から青に変わった。
「良かった。メインシステムから独立してる仕掛けだった」
しばらくすれば、この機械が檻の解除をしてくれる。
「お前、何を探してるって……?」
その質問に獏良はくるりと振り返り、
「なあんちゃって!」
ぺろりと舌を出した。
「なに?!」
思わずバクラは血相を変えて身を乗り出した。
「そういう設定だったら面白いよね」
まさに小悪魔ようにくすくすと笑う。
結局振り回されてしまった。
バクラは脱力感に首を押さえた。
「あ、開くよ」
獏良がぴっと人差し指を上げると、鉄格子が天井の隙間へとせり上がっていった。
その上げた手に冷たい金属の感触がした。
「あれ?」
気づけばガシャリと手首に手錠がかかっていた。
「言ったよな。自由になったら捕まえるって」
バクラが不敵な笑みを浮かべる。
鉄格子に気を取られている隙に素早く近づいたのだ。
「……フライング気味じゃない?」
笑みを強張らせる獏良を部屋から引きずり出す。
「おい、マリク!寝てんじゃねえだろうな!」
手錠を掛けただけではすぐに逃げられてしまうのは学習済みだ。
声を張り上げて同僚を呼ぶ。
マリクが引っ掛かったのは大した仕掛けではないから、すぐに出て来られるはずだ。
さらに獏良を引きずって先に進もうとした時、
「待って」
背中に柔らかい温もりを感じた。
バクラの背中から手が伸びて胸に這う。
「ありがとう」
そっと後ろから囁かれる。
服越しに伝わる細い指の感触が艶めかしい。
「おい、そういうのは取調室で……」
さすがのバクラもたらたらと汗を流す。
身体を引き剥がすか、手を握ってしまうか理性と本能が頭の中で戦っていた。
もぞもぞと動く獏良の手の中に、小さな香水ボトルがちらりと見えた。
プシュッ
バクラが気づいた瞬間には甘い香りが辺りに漂っていた。
その香りが鼻孔に届くと、バクラの膝の力が抜けた。
頭の奥が痺れるような感覚に陥り、そのままばたりと倒れた。
ひんやりと冷たい床の感触が腹立たしい。
「てめえ……」
文句の一つも言ってやりたかったが、上手く呂律が回らない。
目だけを動かして、獏良の姿を追う。
「ごめんね」
わざわざ膝屈みになり、眉を八の字にして獏良が謝る。
例の如く手錠は目の前で外された。
いつの間にかその手にはブルーアイズが握られてる。
「感謝は本当にしてるんだ」
バクラに背を向けて軽やかに駆けていった。
――また、やられた……。
襲い来る眠気と格闘しながらそれを見送る。
指の一本も動かせない。
『僕も探してる……』
脳裏に浮かぶのは先ほどの物憂げな表情。
――嘘つきめ。
バクラの瞳がゆっくりと閉じた。

「ほんと、ごめんって」
今回の事件の報告をして一通りの仕事を終えたバクラにマリクが謝り倒していた。
怪盗は取り逃してしまったが、バクラ一人の責任ではない上に、施設側の責任もあったのでお咎めはなしだった。
「今度は役に立てよ」
バクラは鼻を鳴らし、じろりとマリクを睨みつける。
落とし穴から脱出したマリクに起こされた時には、怪盗の影も形もなかった。
取り逃がした以上は施設に用はなく、「社長にどう報告すれば」とショックを受けている責任者を尻目にさっさと撤収した。
「で、どうだったのさ。リョウちゃんとは」
マリクがニヤニヤと指で突いてきた。
上手くしてやられたというのは、倒れていたバクラを見れば丸分かりだ。
「どうもしねえよ!」
バクラは気色ばんで叫んだ。
実のところ、数日経っても背中の感触が忘れられなかった。
どう見ても何かあったのはマリクにも明白だったが、これ以上はツッコんではいけない雰囲気に言葉を飲み込んだ。

盗んだものはいつもすぐに御伽に渡す。
そうすれば、いくつか間を通して依頼主に届けられる。
獏良は日常に戻り、スーパーで買い物をしていた。
いまだに少し左腕が痛むので、次の依頼は少し間を開けてくれるよう御伽には頼んでおいた。
――なんで、あんなこと言っちゃったんだろう。
あの夜のことを思い出す。
あそこで話したのは全て本心だった。
少し優しくされたくらいで、どうかしてると自分でも思っていた。
買い物袋をぶら下げ、青空を見上げる。
手当に使われたハンカチは洗ってはみたが、そもそも破かれているし綺麗にはならなかった。
――匿名で差し入れでも送ってあげようかな。
アパート前の道路をとぼとぼと歩く。
もう少しで着くというところで、入口からバクラが出て来た。
――非番?!
どきりと獏良の心臓が跳ね上がる。
今の格好は長い髪を束ねて、着古したニットに太縁の眼鏡だ。
気づかれるはずはない。
平常心を装ってバクラの横を通り過ぎる。
気づかれてはいけないという思いと同時に少し残念な気持ちがあることに驚いた。
何事もなく通り過ぎて、ほっと胸を一撫でする。
――引っ越した方がいいかも。
それも束の間、道路の向こうから乱暴な運転の車が走って来た。
この道路は狭いので車や自転車の事故が起こりやすい。
塀側に避けようと獏良は身体を捻り、
「イタッ!」
左腕に痛みが走る。
車はスピードを落とさずに向かって来る。
次の瞬間、獏良は塀へ突き飛ばされた。
背中を軽く塀に打ちつける。
下品な音を鳴らして車は通り過ぎていった。
「いたたた」
獏良が顔を上げると、目の前には知った顔があった。
「大丈夫か?」
先日、対峙したばかりの刑事。
身を挺して車から庇ってくれたのだ。
いつの間にか塀についたバクラの両腕の中にいた。
まるで捕まえられたかのように錯覚してしまう。
息もかかりそうな距離に、獏良は叫び声を無理矢理飲み込んだ。
「え、えへへ……ありがとうございます」
ずるりと下がった眼鏡を上げつつ礼を言う。
おかしな様子にバクラは首を傾げるが追及はしない。
「気をつけろよ」
長々と一緒に居たら正体がばれてしまう。
挨拶もそこそこに獏良はアパートに逃げ帰った。
がちゃりと自室の鍵を閉め、へなへなとその場にしゃがみ込む。
「心臓に悪い!!あれで優しいなんて反則だよ……」
耳まで真っ赤にして顔を手で覆った。

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以前書いた怪盗の話を有り難くもリクエスト頂きました。
せっかくなのでちょっと色んな設定も盛り込んでしまいました。
勝負的には獏良が勝ちましたが、実質引き分けです。
ご期待に沿えたか分かりませんが、ちょっとでも楽しんでもらえたら幸いです。

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